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【小説】 スクープ・ストライプ  vol.9

Ⅲ. Shooting!

「冬夕に会いたいなあ」
 ベッドに寝転がり、つぶやく。
「は? 今の、なしなし!」
 あわててわたしは、両手をぶんぶんと振って、空気の泡のように浮かんだその言葉を、かき消す。
 明日になれば、会えるじゃん。

 泣きながら、冬夕と手を繋いで帰ったあの日以来、夏休みが終わる今日まで、わたしは冬夕に会ってない。何度か届いたメッセージを全て既読スルーしているわたしが、冬夕に会いたいなんて、どの口が言っているんだろう。
 手を繋ぎながらも、結局ムーン・コーンズに行かなかったわたしたちは、バイバイ、とかぼそく言い、別れた。

 その日から数える毎日は、残り少ない夏休みとはいえ、永遠のように長く感じた。
 会いたい。
 でも、わたしは、全然、冬夕の隣にふさわしくないのだ。ただのお荷物、いない方がきっとマシだ。
 でも、会いたい……。
 だったら、と心の奥でささやく声がある。 なんで、勉強をさぼっているの?
 とびきり賢い冬夕の、その隣にふさわしくないのを知っていながら、勉強をおろそかにするなんて、本当に愚かだ。
 やる気が出ない。冬夕に会えないからやる気が出ない。でも、冬夕の隣にふさわしいのは勉強のできる人。
 冬夕は、もう大学受験の準備に入っているだろう。追いつけないどころか、差が開く一方だ。
 スプスプを、ふたりでずっと続けていきたいけれど、わたし、冬夕と同じ大学に通える予感がまるでない。

 ベッドの上で、考えが堂々巡りする。
 しばらくして、スマートフォンに通知が入る。
 開けば、ロップイヤーのスタンプが泣いている。吹き出しのセリフは「さみしいよ」。
 なんて声をかけたらいいかわからない。
 わたしは、何度かためらったのち、眉の太いクマのスタンプを送る。吹き出しは「明日、天気になあれ!」
 即座にロップイヤーが、目をハートにして尻尾を振ってやって来る。
 逆だよ、と思う。
 わたしの方が尻尾を振りたいんだよ。
「会いたいのは、わたしなんだよ」
 空気の泡が天井にのぼる。

「おはよう、雪綺」
「おはよう、冬夕」
 わたしたちは、いつもの通学路でぎこちなくあいさつを交わす。
「ヒュー。朝から見せつけるじゃん!」
 陸上部の男子。きっと、手を繋いだわたしたちを見ていた。いいから、さっさと朝練に行きなよ。
 もし、冬夕がいつも通りなら、そんな男子をきっとにらんで、わたしの手を取っただろう。でも、それをしてはくれなかった。期待したわたし、でもそれは自分のせいなんだよ。
 わたしたちは、並んで学校までの道のりを歩く。
「雪綺、わたし、大学を決めた」
 わたしは、即座に涙が出そうになって、ぐっと歯を食いしばる。
「私立文系」
 わたしは、驚いて冬夕を見る。冬夕はまっすぐ前を見つめている。
「教養学部。アーツ・サイエンス学科」
 わたしは、あっ、と思う。そして、その選択は実に冬夕らしいと、なんだか少し得意な気分になる。
「雪綺は、どう?」
 こちらを向いた冬夕の瞳がめずらしく、泳ぐように揺らいでいる。
「どうって……。うん。その大学、冬夕にぴったりだと思うよ。なんだか、最初から決まっていたみたいだ」
「ううん。ここ数日で決めたの。
 それで、雪綺はどう?」
 それって、どういうこと。進路を決めたかということ? それともわたしもその大学を受験せよ、ってこと?
 歩き出して冬夕は続ける。
「私立だし、学費の問題もある。わたしたち、どちらもママはサバイバーだしね。万が一、再発したらってことを考えると、簡単にお願いできない。
 でもね、雪綺の言うように、わたしにぴったりの大学だと思うんだよね。
 それで、はっきり言うけれど、雪綺もいっしょに受験してほしい。ううん、いっしょに合格してほしい。英語のスキルはバカみたいにぐんとあげなくちゃいけないけれど、論理的な思考を育むには、理系でかえってよかった気がするんだよ。もちろん、最初の想定とは違っているんだけれど」
「冬夕とクラスメイトになりたいから理系にしたわたしとは違うよ」
 石ころを蹴飛ばす。
「わたしは雪綺とクラスメイト、キャンパスメイトになりたいから、いっしょに受験して、合格して。簡単とは言わないけれど、果てしなく難しいとも思わない。むしろ国公立の理系よりも、わたしたちにはくみしやすいと考えてもいる」
 すぐに答えを出して、とは言わない。そう言った冬夕の唇がかすかに震えている。
 わたしは、考えてみる、とだけ答える。それって勝手じゃない? しかもハードルが高すぎる。
 黙々とわたしたちは学校を目指した。誰かのおはようの声を、わたしたちは、すべて無視した。

***

 スプスプのペナントを提げれば、家庭科室はわたしたちのアトリエになる。ふたりのあいだがぎくしゃくしていても、アトリエにいる時、わたしは賢くふるまいたいと思っている。冬夕の隣にふさわしい人でありたい。
「夏休み中にフィルグラのアカウントとっておいたよ」
「サンキュー、冬夕。それ、わたしの仕事だったね、ごめん」
「ううん。アカウントって早い者勝ちでしょう? ブランド展開のことを考えてたら、もうとっちゃえって、勢い。アイコンはスプスプのペナントにしたんだ。よかったかな?」
「もちろん! そうなると、あとは写真、だよね」
 トントン、というノックからひと呼吸もおかずに、ひらかれる扉。
「スプスプー! 元気だった?」
 大きな声で入ってくるのは谷メイ。これでもか、というほど真っ黒に日焼けしている。
「メイちゃん。こんがり」
「海に行ったんだよね」
 へへへ、と鼻をこする谷メイ。
「演劇に支障はないわけ?」
 わたしは、真っ先に思い浮かんだ疑問をぶつける。
「ないよ。そこがわたしたちの演劇部のよいところでさ。マーティン・ルーサー・キングを素の日本人がノーメイクで日本語で演じたっていいでしょってなっているの」
「それ、大事」
 冬夕が両指を胸の前で合わせる仕草。
「でしょ。政治的に正しい演劇部なんだって。わたし、それは、あんまりよくわかんないんだけれど、なんかいまどき! って感じだよね」
「うん。大事なことだよ。ポリティカル・コレクトネス。無思慮な肌の黒塗りとかは絶対にやめるべきこと。でも、こんがり焼けたメイちゃんが白雪姫を演じたっていい。もちろん、肌の白さを強調する表現は出てこないと思うけれど、違う内面の美しさを誇ればいい。そういうスノー・ホワイトがあってもいい。ルッキズムに陥っちゃだめだと思うの」
 冬夕の頰が上気してチークを塗ったようにほんのりピンクになっている。こういう話題、冬夕の大好物だ。うっすら瞳まで潤んでいる冬夕の横顔の美しい。
「まあた、頭のいいこと言っちゃって。あたしは頭がよくないから、ウィンターズの容姿のことは褒めまくっちゃうよ。なんかふたりを見ていると、白馬の王子と姫って感じなんだよね。もちろん王子が雪綺で、姫が冬夕だよ」
「わたし、男かよ」
 メイが、わかってないな、ちっちっち、とひとさし指を振る。
「雪綺って自覚ないの? 君のことを王子さま見るみたいに見ている女子たちがたくさんいること」
「冗談でしょ。わたし、モテないし」
「そりゃそうでしょ。ウィンターズいつもいっしょなんだもん。入れる隙間なんか1ミリもないよね」
 わたしは、瞬間に顔が赤くなるのを感じた。冬夕の方を見ることができない。
「ふうん。王子と姫ね。わたし姫よりも王子がいいかなあ。ふたりの王子が並んでいるのがかっこよくない? あ、でもそれよりもなんか、ふたりがそのまま立っていて、それで絵になるのがいいかなあ。わたしたち時代の主人公になるつもり、満々だよ」
 ガッツポーズをして、わたしに同意を求める冬夕。わたし、主人公ってキャラじゃないんだけど。笑顔もつくれず、沈黙する。
「なってよ! スプスプのふたり、アイドルになったらいいなって思ってる。とびきりかわいいんだし!」
「うーん。アイドルにはならないけれど、アイコンにはなりたいって思っている。わたしたち、女性の立場を政治的に正しいところまで持っていきたいんだよね」
 ね、と再び冬夕がこちらに顔を向ける。
 またしてもわたしは返事ができなかった。冬夕の理想を知っているし、わたしも女性進出のことには強い興味を持っている。でもね、でも、わたし、冬夕、あなたのことを。あなたのことをただ、ずっと見ていたい。
「ほら! そういうところ! ふたりの間に流れるものがあるから、他の人たちが入り込めないんだよ」
 わたしはメイのちゃちゃに救われて言葉を紡ぐ。
「そんなことない。今日だって、普通に男子に冷やかされたし」
「わたしは嫌じゃなかったよ。雪綺は嫌だった?」
 放課後になって冬夕は、やたらと挑戦的だ。今朝はおとなしかったのに、なんだかふっきれたみたいだ。
 わたしが答えを言いよどんでいると、冬夕は少し寂しげに笑う。
「わたし、雪綺のこと好きだもん」
 メイが、口をワナワナさせてすぐさま叫ぶ。
「あー! 告った! 今、告ったよね! 雪綺さん、答えなくちゃ!」
 わたしは、目を閉じ、息をひとつ吐く。
「わたし、全然、冬夕の隣にふさわしくない。でもね、受験はする。チャレンジするよ。今日、両親に相談してみる」
 冬夕は、ゆっくりとうなずく。
 メイは、なんのことかわからずにわたしたちの顔を交互にのぞきこんでいる。

( Ⅲ. Shooting!  続く)

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