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笹塚心琴 「光の花束」 レビュー ランパトカナルの導く逃避行

笹塚心琴さんの新作小説「光の花束」を紹介します。こちらは、先日5/6に行われた第二十八回文学フリマ東京で販売された作品です。あらすじを引用します。

中堅精神科医の森下芳之は、ある日の夜勤明けに、若き男性患者・篠崎隼人と出会う。彼の口から繰り返し漏れる「ランパトカナル」という謎の言葉。その意味がほどかれ、彼の過去が暴かれるとき、二人の間に訪れる不可思議な絆。それを、誰が、咎めることができるだろうか。

ランパトカナル、笹塚さんの詩の中に何度か登場していた言葉で、とても気になる単語でした。検索すると、その正体をますます追いかけたくなります。それは、その詩の中にしか存在しない言葉だったから。

期せずして、わたしも「ランパトカナル」の一端を担うことができました。装丁カバーのデザインを担当することになったからです。もちろんそれは、その光のほんのひとひらに触れただけに過ぎませんが。

このエントリーでは、書評というよりは、手がけたデザインの意図から作品の内容に踏み込んでいきたいと思います。

「ランパトカナル、光の粒子、シナプスの断片、微弱な季節の裏切り。あるいはいずれでもなく、闇に還るためのあらゆる手段のことです」

森下の問診に篠崎はこのように答えます。また、次のような会話が病院の中庭で交わされます。

「世界にはあまりにも悲しみが溢れています。俺がここに居続ける限り」
「それと月は、どう関係しますか」
「ランパトカナルは、月から来て月へ還ります」

表紙デザインの多くをこの会話文から引き出しています。笹塚さんにはデザインの意図をこのようにお伝えしました。
・花束をイメージしています。
・花は全て月によって構成されています。
・月は日によって色や大きさが違うので、その表現も入れました。
・茎部分はシナプスから喚起されました。

茎部分はマゼンダで表現しています。そこに流れるものを表現したく、強い色味となりました。
月を透過処理したのは、繊細な感情の重なりを表しています。
やがて、ランパトカナル発現の引き金となる大きな出来事が篠崎の口から語られることになるのですが、そこは本文に委ねました。しかし、見方によっては風船のようにも見える月の花束が、その紐(茎)の強い色によって強く主張していて、ただ淡い詩の言葉にとどまらないことを伝えています。

表紙に使用した書体は貂明朝です。新しいフォントで、明朝体でありながら、柔らかい印象を持つので採用しました。プロポーショナルはほとんどデフォルトのまま、わずかに動かした程度です。背表紙も一緒なのですが、縦に組むとソリッドな印象になります(級数が小さいためかもしれません)。
もう少し線の細い明朝体でもよかったのですが、エピローグまで含めた物語を考えた時、いくらかのふくよかさが欲しいと思ったため、この文字を選択しました。読後の印象にマッチしているのではないかと考えています。

背景の格子柄も、柔らかな印象のものを選びました。これは、森下と篠崎の出会いと別れ、そして……、という流れを波のように表したかったのでチョイスしました。全体の色の印象もこの背景で決まるのですが、長く読まれている文庫本をイメージして制作しました。そのような雰囲気がこの物語には通底しています。
表4には、孔雀の雄が向かい合っています。格子柄に包まれるように配置しました。こちらも少し懐かしさを覚えるデザインのようですが、もう一歩踏み込んだ表現でもあります。こちらは、ぜひ、書籍を手にとってご覧いただけたらと思っています。

この物語のクライマックスはふたりの逃避行です。それをランパトカナルの導く、と題してこの書評のタイトルとしました。それはひとつの破戒です。現実で公となるならば、それは多くの非難が寄せられるでしょう。森下の医師としての矜持も問われる出来事です。それを破ってまでの行動が示唆するものはなんでしょう。
そういう覚悟が必要な時、どれだけ自分は行動できるのか、そしてそれはどんなことを支えにして行えるのか。とても考えさせられます。
人間であるから強い感情があること。それは当事者以外にはとても理解しにくいこと。
「光の花束」を通ってから世の中を見た時、物事は単純では無くなります。しかしそれは何か事件が起きた時、コメンテーターの言葉を鵜呑みすることに躊躇を抱かせます。自分の理解の及ばないことを、頭ごなしに否定することがなくなります。出した答えが同じでも、反射のものと思考を潜ったものでは、きっと何かが違っているはずです。
そんな風にふたりの逃避行を追いかけてもらいたいと思いました。
ぜひ、何度も手に取って読んでいただきたいです。

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