羞恥心はロンドンに置いてきた。

先日娘と久々に外食をしたときに、お膳を運んでくれる猫型ロボットが可愛いと言ったので、ふざけて語尾にその子の口癖であるにゃ〜をつけて話していた。外では恥ずかしがり屋の娘は、ママ恥ずかしいからやめな。と言ってきた。えっ全然恥ずかしくないから大丈夫!と返すと、私が恥ずかしいの〜と言ってきた。
私はいつから恥ずかしいという感情がなくなったのだろう。小中学校は間違いなく友達や先生など周りの目を気にしていたし、高校に入ってからはちょっと大人になった気になって自分の見た目や人の視線を余計に気にして生きていた気がする。
恐らく大学3年生のときに行った語学留学でカルチャーショックを受けた以来かもしれない。長い大学の夏休みを利用して、本当に毎日遊び呆けていた学生生活の中で、最も思い切った行動をしたのは留学だと思う。
留学先をロンドンにしたのはハリーポッターが好きだからというめちゃくちゃミーハーな理由だった。イギリスは英ポンドなのでアメリカ圏やアジアの英語圏に行くよりもかなり費用がかかっていたはずなのだが、両親は行っていいよと許してくれた。
留学金はすぐに用意してくれて、大金が入った封筒を持って学生生協に支払いに行ったときの、これ払ったらもう後には戻れないぞという緊張感はとんでもなかった。その頃の私はたかが旅行の延長線だとはとても思えなかった。
思えば20歳のわたしは、外国語学部に在籍しておきながら周りが多方面で活動的に過ごしていたり、積極的にボランティアに行ったりしてる中で、本当に何もしてこなかった自分に焦りを感じ何か行動を起こさねばと考えた結果が語学留学だったのかもしれない。
到着して翌日、携帯も使えない中で初めてのバスと電車移動をし、学校に着いてすぐにクラス分けのテストがあることが分かった。これまでどれだけ勉強してもTOEIC500点程度だった私は下から数えて3つ目くらいの初級クラスになった。妥当である。むしろ1番下でも良いくらいだ。
その学校では様々なアクティビティも充実しており、放課後は大英博物館に行ったり、ハリーポッターに出てくる9と4分の3番線の元になった駅に行き、ハリーの荷物が乗っているカートの模型前で写真を撮ったりした。週末にユーロスターで隣のパリに行ってくる〜なんて人もいた。
そんな生活をしていたら初めのホームシック炸裂状態から1週間程度で気持ちに余裕が出来てきた。
不思議なことに、英語しか聞こえてこない場所に放り込まれて何日か過ごすと耳が勝手に慣れていき、全ては理解出来なくとも何となく何を言ってるのかが分かるようになっていた。机の上で勉強をするよりはるかに効率的で実用的だなと思った。
ある日の授業中、ウクライナの友人と話していて注意をされた。he's angry(怒ってるよ)と小声で言うので、yeah,he's ugly(醜いな) とアングリーとアグリーをかけて返した。死ぬほどくだらないしきっと向こうの人からしたら全然面白くないのに、そのときは2人で腹を抱えて笑った。海外の人とこんな風に冗談を話せるなんて、とても嬉しかった。
カルチャーショックを受けたのは、向こうではきっと当たり前であろう電車の中での光景だった。そこでは、でっかい声で話し込むおばさま達やしっかりご飯を食べているサラリーマン。正面ど真ん中からベビーカーをドンと乗り上げてくる恰幅の良いママさん。周りは嫌な顔ひとつせず自然と避けるしそれが当たり前であるかのようにすぐに自分の世界にまた戻っていく。ママさんは避けてくれた人に挨拶するようにありがとうと言う。
もちろん日本ではしないことと理解してるし、帰ってから自分がそうするかと言えばしないが、人の目を気にするどころか本能のままに正直に生きてる人だらけで衝撃を受けた。
そして現地の人だけでなくロンドンに勉強しにきた外国人もみんな、たくさんありがとうと言った。出し惜しみせず素直にありがとうが言える人達ばかりだった。
これまでなんて狭い世界のものさしで物事を考えていたんだろう。人間の本質ってこういうことじゃないかと大袈裟でなく思ったことを今でも覚えている。
それからの私は暇さえあれば海外旅行に行き、その土地の素晴らしいところをたくさん吸収した。
娘が生まれてからは海外に行くことは一切なくなったけれど、自分のようにいつかお年頃で悩んだりする日が娘にもきたときには、世界はこんなにも広いんだぞ!気にすんな!とこれを読んで元気になってもらえたら嬉しい。

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