見出し画像

「手紙処」誕生秘話 05 タイムマシーンをコンセプトに

こんにちは。手紙寺発起人の井上です。
何度かにわたって、船橋の手紙寺ができるまでのエピソードをお話ししてきました。今回はその締めくくりとして、手紙処の建物に込めた想いをお話ししようと思います。

noteの中でも幾度となく触れてきたように、
手紙処は、はじめは埼玉にある森林公園の霊園の中につくる方向で話を進めておりました。しかし、予算などの関係もあり、船橋にある霊園での建設を優先して進めることになりました。

どちらの霊園であっても、私たちは建築家の押尾先生のお力を大いにお借りしました。押尾先生は、私たちの考える手紙処のコンセプトに大きく共感してくださり、どんな建物がそれにふさわしいか、何度もなんども模型を作り直してくださりました。


コンセプトは「時代を旅するタイムマシーン」

映画「イルマーレ」でもそうであったように、
私たちは時空を超えて、大切な誰かに向けて手紙を送ります。
そのため、ポストやそこに続く道には大きな思い入れがありました。
更に言えば、手紙処の建物そのものが時空を超えて大切なだれかと対話するための場所であると考えていました。

画像1

いわゆる、タイムマシーンです。

この考えを押尾先生に伝えたところ、押尾先生はある二つの建物を教えてくださりました。

アメリカ・イリノイ州にあるファンズワース邸という建物と、
奈良県にある「正倉院」です。

▼ファンズワース邸と正倉院

画像2

ミース・ファン・デル・ローエ建築のファンズワース邸
https://farnsworthhouse.org/

画像3

正倉院
https://shosoin.kunaicho.go.jp/


ファンズワース邸は大きな2枚の板が天井と床を構成しその間に居住空間が置かれています。私はそれがまるで「タイムマシーン」や「空飛ぶ絨毯」のように見えました。と同時に「正倉院」の構造と似ているものを感じました。そして、世界最古のストレージとも言える「正倉院」。

奈良時代・平安時代から大切にされてきた宝を、そのままの形で保存し、現代まで守ってきました。ある意味、この建物も「タイムマシーン」と捉えることができるでしょう。

お寺や霊園とは馴染みのない見た目ですが、私は押尾先生の提示してくださった二つの建物が「手紙処」のコンセプトとかなり親和性があると感じました。

ファンズワース邸のタイムマシーンのような外観。

正倉院の長期間宝物を保管できる校倉造の構造。

押尾先生と私たちは、ファンズワース邸のと正倉院を手がかりに、手紙処を形作っていくことになりました。

壁にぶつかりながらも、どうしても形にしたかった。

実は、手紙処を作るときには壁がいくつかありました。
たとえば「霊園に休憩所をつくるための法律が定まっていない」といった問題や「よく調べてみたら土地の中に私道が含まれていた」など。。
壁にぶつかるたび、関係各位と何度も話し合いをしてきました。

工事がとまってしまったこともありました。

しかし、多くの人にとって、救いになり、必要とされる場所を提供したい。
非日常的な空間で、大切な人や、自分自身と向き合う時間を作ってほしい。
その気持ちはとても強く、なにがなんでも手紙処を作りたいという一心で、ようやく手紙処を完成させることができました。

画像4

現在も、船橋の霊園を訪れる人々は手紙処にも足を運んでくださり、
霊園を見渡すことのできる席でゆっくりと時間を過ごされています。
そして、伝えることのできなかった気持ちを手紙にしるし、
亡くなった大切な人との対話、出会いのひと時を過ごされています。

―――――――――――――――

井上 城治 | 手紙寺 発起人
1973年生まれ。東京都江戸川区の證大寺(しょうだいじ)住職。一般社団法人仏教人生大学理事長。手紙を通して亡くなった人と出遇い直す大切さを伝える場所として「手紙寺」をはじめる。趣味は、気に入ったカフェで手紙を書くこと。noteを通して、自分が過ごしたいカフェに出会えることを楽しみにしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?