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ちょっと、PERFECT DAYSが良すぎた

ちょっとPERFECT DAYSが良すぎました。

思いの丈を少しだけ。感じたものから。

着る服、持つもの。いいもの

いいものを着ているし、持ってる。

これは全然貧乏なおじさんの話じゃなかった。

ヘンリーネックのTシャツに、オーバーサイズだけど大きすぎない、シルエット抜群の茶色のネルシャツと、シャンブレーシャツ。

パンツのサイズ感も太めでジャスト。

レインコートもミニタリー物。自転車もヴィンテージの英国車。髭を整える小鋏も、毎日使う鍵も、休日にしかつけない腕時計も、カメラもオリンパス μミューで、どれもセンスがいい。

抜群だった。こういうおじさんになりたいし、憧れる。

着る服、持つもので、洗練されたいい暮らしをしていたことが垣間見えた。

スカイツリーを眺めた後に流されるカセットテープ

普段音楽をあまり聞かないし、詳しくないけれど、見終わってすぐからずっとループしているトラック。

詳しくない。でも、いいものはいい。書きながらも聴いている。

選ばれたカフェオレ。出続けたカフェオレ。

まさか、ブラックコーヒーじゃないのか。

そこでBOSSのカフェオレを選ぶのか。

きっと、こんな人はブラックを飲むんじゃないかと心のどこかで意味のわからない固定概念に囚われていることに気付かされる。

カフェオレが選ばれた。別に何もおかしくもないし、何もやられていないはずなのに、やられた。やられていないのに、やられている気がする。

それから、どこかで、出ない日を期待した。いつか出ないんだと思った。

カフェオレが、補充されないのか。自販機が壊れるのか。

薄汚く光る照明は消えることはなかったし、仕方なしにブラックコーヒーが買われることもなく、カフェオレは出続けた。

やられていない。でも、なのに気持ちが良かった。

無欲でない、けれど、それ以上を求めない

彼は常に、これ以上を求めなかった。

心のどこかで期待はしていたとしても、それ以上にならなかった。しなかったのか。今までにそういうことがあったのか。それはわからない。

けっして無欲ではない。

仕事をして、シフトがきつければ怒った。意思表示をする。

悲しい顔もする。手を振ってくれた男の子には感謝したい。知っている人が知っていればいいことを彼は知っていた。

盆栽、というか木々を室内で育てていて、毎朝水をやる。

写真を撮るし、牛乳を飲んで、フルーツサンドを食べる。

オープンと同時に銭湯の一番風呂に入って、嬉しそうにしている。

そのまま駅地下の飲み屋で一杯やる。酒を飲まない日はほとんどないらしかった。

休日には撮り溜めた写真を現像して、古書店で本を買って、行きつけのスナックでまた一杯やる。

彼はけっして無欲じゃなかった。

けれど、それ以上を求めていかない人だった。

落ちてきた、たまたま降り降りた日々をありのまま受け入れ、ときに驚き、喜んでいた。

若い女の子に頬にキスをされ、お昼に一緒になる会社員の女の子と目が合い、多目的トイレで交換される◯✖️ゲームも黙々と楽しそうに続けた。姪っ子が遊びにきて、一緒に自転車を漕いで、歌った。スナックのママにも期待はしていても下心はないように思えた。

足るを知り、もっとを求めない。

もっとも難しいことをやってのけているように思えた。

彼らには見ようとしないと見えないものが見えていた

多くの人が目を向けないようにしているホームレスのおじさんを、彼は見ていた。ちゃんと目を向けていた。それは目を向けようとしているものではなく、ただちゃんと見るようになったんだと思った。おじさんからもちゃんと見えていた。

ぼくもよく見るなと思った。見てみぬふりをぼくはしない。

ぼくはわりとこの世界の住人だと思う。

見ようとする方だと思う。ときどき周りの景色がものすごく遠くになって、一点にだけフォーカスする時間がある。

今書いているこの瞬間も、PCがいつもより鮮明になって、周りの景色が異常に遠くに感じる。

あたりの人によく目を向ける。子どもと話す。話さなくとも目を合わせる。笑ってくれる子もいれば、じっと見ている人もいる。親からしたら嫌な人もいるだろうから、もちろん気を遣う。必要以上にはしない、ごくたまにそういうことがあるというくらいだ。

ホームレスのおじさんには、もっと自分には見えないものが見えているようで。それがなんなのか、本当に見えているのかどうかはわからないけれど、確かに見ているんだと思った。

背負っていたあれ、好きだった。

最後のシーン。

あのとき、あのシーンを見ていたとき、多くのものを感じたわけでも、大きな感情があったわけでもない。

ありのまま、そのシーンをただ眺めていた。その表現が一番しっくりくる気がする。

あのシーンに深い意味を想像しようと思えば、できる。

でも、本当にそうだろうか。

あのシーンがこの映画の象徴だったのだろうか。

そんなことはない気がぼくにはしている。

ただの1日の、いつもある”いい1日”の、一コマに過ぎない。

怒ったり、驚いたり、喜んだり、毎日のルーティンの中にときどき訪れる、落ちてくるもの、降り降りてくるものにすぎない。

ぼくはそう思う。

その涙が何か。なぜ流れたか、その理由にそこまでの価値はない。意味を見出そうとは思わない。

そこに秘められたメッセージを汲み取ろうともしない。

それはいい1日に過ぎない。

生まれて、特別で。生きて、当たり前で。

そんな特別な人生でありながら、全然特別じゃない毎日を、切り取った一コマだと思う。

とても良かった。

毎日を見直そうとも思わなかった。

ちゃんとできていた。目の前にある。いい1日だった。

PS.公式サイトも、とても良かったです。


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