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適応障害に適応するブログはじめました

ブログを見てくださりありがとうございます。

1人ひとりが自分の思う通りの人生を歩める社会になったらいいなと日々思っている看護師です。

1人ひとりが自分の思い通りに歩める人生って、素敵ですよね。

そのためには、こころも身体も健康であることが大前提だと私は思います。

このブログではこころと身体の健康や適応障害について書いていきたいと思います。

すこしばかり私の自己紹介にお付き合いくださいませ。

自分まるごと健康になろう。


1.周りに適応できなかった子供時代

みなさんはどんな子供時代を過ごされてきましたか?

私の子供時代は、まわりのお友達や大人たちに合わすことはとても苦手だったなと思います。

・周りと合わす。
・同じでなければならない。
そういう風潮の時代だったので、すこしでも違うことをしていたら注意される。
「○○ちゃんはこんなにできるのに、なんであなたはできないの」
と比較されることは日常的にあり、公私ともにできない子認定をしていました。

(わたしって何をやっても怒られるよな・・・。わたしの人生って失敗作なんだ。)

小学生の高学年にもなると、そんな風に考えるようになってきました。

この頃になると、
「何の取り柄のない私は、きっと親のうしろに隠れて誰からも必要とされなくて、地元の誰かとお見合い結婚できたらいいほうだな」
と自分の人生設計もあきらめていました。

子供時代、ほかの人と合わせることができないことも適応障害のひとつだったと感じます。

ものごころついたときから「できない子」だった子供時代


2.大人になっても適応に時間がかかる

中学生のときに、父の死を経験しました。

昨日まで一緒に過ごしていた父が無言の帰宅・・・。
災害事故での急逝でした。

これまでにも、祖父や親せきの高齢のおじさんの死に立ち会っていましたが初めて死を身近に感じました。

・充実した人生を送りたい。
・そのためには健康で、自分の思うような人生を送りたい。
・すべての人がそうであってほしい。

人生を楽しめるようにサポートできる職業に就きたいと考え選んだのが
看護師でした。


働きながら1年浪人、1年留年して念願の看護師へ

高校を卒業したとき、看護学校を落ちてしまい看護助手で病院で働いていました。

朝、決まった時間に出勤して業務をこなす。
新しい環境で、新しい職場で、1人暮らし。お給料をもらえる。
新鮮で楽しいと最初は感じていましたが、学生時代には経験しなかった責任感や業務に次第にしんどくなっていきました。

当時の看護助手の勤務体制は週1回の週休と半日のみ。
身体を酷使することと、気疲れで休日は夕方まで寝て過ごすことが多くなり就職して半年ではじめてのずる休みをしてしまいました。

その後は、幸運なことに看護学校に合格して学生生活へと突入していきました。
今思えば、看護学生時代のほうが働きながら勉強や実習をこなしていたので大変だったのに考える暇もないくらいに忙しかったのが良かったのかもしれません。


時間に追われていた看護学生時代

浪人と留年をしてやっと看護師になったときは26歳になっていました。

これから、人のためにサポートできる!と意気込んでいましたが看護師の理想と現実のギャップについていけず休むことも時々ありました。

助手の時とは格段に違う責任感。
勉強、人間関係。
臨機応変に対応する能力。

一度にたくさんの情報を処理する能力が必要とされ毎日業務をこなすことで精いっぱいでした。

さらに私を苦しめていたのは職場での人間関係でした。

病棟の中で影響力のある先輩(つまり、お局様)に気に入られなければ仕事がスムーズにできないということでした。

同期の看護師は先輩と良好な関係性を築けていましたが、私は築けずに厳しく注意を受けたりしていました。
次第に、勤務表で先輩と仕事が合わない日がないかとチェックすることが日課になっていきました。

先輩との関係性でつまずくと周りの人との関係性にも影響してくることが多くなり、先輩の周りにいる親しい先輩や同期(つまり、取り巻き)とも合わすことができず苦しい日々が続きました。

朝、起きると今日1日をグルっとイメージし、
(あー。今日もしんどそうだ。)
と疲労感を感じ、布団の中でズルズルと起きる時間が過ぎ、ぎりぎりに起きて着替える。
着替える最中に吐き気を催しながら出勤するスタイルが身についてきました。

起きることができず休むということもしました。

24年間の看護師生活の中で3回転職をしましたが、環境が変わるとなじめずに休むということもしていました。

今思えば、新しい環境や人間関係に適応できていなかったということだと思います。

3.こころと身体はつながっている

今は、こころと身体の関係性を良くすることで健康になるというメソッドは数多く存在します。

適応障害もこころからのSOSのサインが身体に出ていると私は思います。

「このままではいけないよ」
と自分の向かう方向を示してくれているんだと思います。

環境が変わっただけでも、目に見えるものや聞こえる音・匂いやまわりに置かれているものの位置や種類が違っているだけでも慣れるまでは違和感を感じます。

人間関係になると、新しく信頼関係を築く必要があるのでもっと大変です。

仕事となると業務をしながら環境に慣れていかないといけないし、人間関係も作り上げていかなければなりません。

ちょっとしたエラーの積み重ねで適応できなかったり、時間がかかるようになるとストレスがかかり身体に症状となって出てきます。


4.適応障害に適応するということ

適応障害はだれしもかかる病気で、診断されていない人でも少なからず持っています。

適応障害はざまざまな関係性に対して
適応するための妨げとなること
・妨げとなる原因のこと
とだと思います。

妨げとなる原因を取り除けば適応障害は一時的には改善することもあると思いますが、今まで生きてきた中で培われた経験や記憶でまた同じように適応できない状況になったときにぶり返す可能性があります。

適応障害を治すのではなく、適応障害に適応することが一番の近道ではないでしょうか。


5.どんなブログにしていきたいか

私はいままでの自分の人生で適応障害だと思わずに生きてきました。

振り返ればたくさんのエラーがあり、しっかり症状もあったのにも関わらず自分のことをほったらかしにしていたと思います。

7年前にコミュニケーションスクールで認知科学と神経言語プログラミングを学びこころと身体を少しずつ変えることができました。

自分の経験を含め、認知科学の視点や看護師の経験や知識を使って適応障害に適応できる考え方や心構えについて書いていきたいと思います。


関わるすべての人が自由で健やかな人生でありますように


このブログを読む方の人生の一助となると幸いです。

*こんなことをやっていきたいです*

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