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悲しみは、突然に

今日、やっと、なんで未来に希望が持てないのか、生きていることを怖いと思ってしまうのか、分かった。

まず、ここ数日の体験、触れたもの、考えたことについて書く。

いろいろと縁あって、広島に行ってきた。
家族のこと、友達のこと、大学のこと、幼少期の思い出…広島に行った理由も、広島で訪れた場所も、広島で感じたことも、本当にいろいろありすぎて、とてもまとめられない。

ただ、ここで取り上げたいのは一つ。平和記念資料館に行ったこと。

私は小学生のとき広島に住んでいて、家族でも、学校の授業でも、何回か訪れた。展示のインパクトは強かったし、資料館だけでなく公園もよく歩いたし、毎年いわゆる「平和教育」を受けてきたから、よく知っているしそれなりに覚えてもいる。

ただ、大人になってからもう一度見ておきたいと思ったのと、最近展示が大きく変わったと聞いて、見ておかなければと思った。

たしかに、展示の様相は大きく変わっていた。伝え方、伝承のあり方を考えるのはとても難しいし、実際賛否両論あるそうだが、幼少期にあの強烈なインパクトの展示を見て、文章から読み取る力や想像力を働かせることができるようになった年齢で今の展示を見た私にとっては、とてもよかったと思う。原爆の恐ろしさだけでなく、そこに生きていた人々、その後を生きた人々のことを感じられたし、原爆を過去のものとしてでなく、今なお続く問題として(それは核兵器、戦争、国家間の連帯といった観点から、差別、復興、伝承、国による保障などといった幅広い点において)捉えることができた。

そして、もう一つ。3.11から10年を迎える今、関連する報道や記事を多く見かける。

広島で訪れたソーシャルブックカフェ(ハチドリ舎)では写真の展示をしていたり、Twitterで見かけて参加したイベントでは、大川小学校についての映画を観たり、”当事者たち”の声を聞いたり、NHK取材班のnote記事を読んだり。

それぞれのことは、また別の機会に書きたいと思う。
今回は、そこから私が感じたこと。

原爆も、3.11も、普通の人に、突然訪れた。

「あれが最後の会話になるなんて…」
あの時こうしていれば…
命を奪った神様をうらむ、
原爆さえなければ、地震さえ起きなければ…

途方もない悲しみ、悔やんでも悔やみきれない後悔。
幸いなことに、私はまだ経験したことがない。

経験したことがないから、本当には知らないくせに、

生きていれば、それがいつか自分の身に起こるんじゃないかと、いつ”当事者”になるや知れず、怖いのだ。

そして、それならばいつ何が起きても後悔しないように生きよう!と思うかたわら、ちっともそれができない自分に嫌気がさす。

「これが最後の会話になるかもしれない」と感謝の言葉を伝えようと思うのに、結局口をついて出るのは素っ気ない返事。いつ死んでもいいように日々の行いを清く正しく、と思うのに、そんな聖人にはなれず自分で自分に幻滅。理想の高さや完璧主義が首を絞める。

こんなに恵まれているのに、こんなに幸せなのに・・・

(どうしてもっとハッピーに生きられないの?)

本当は()の前で止まってたんだけど、その先は何?と問いかけてみたら、なんとまあ悲しすぎる負のスパイラルが露わになった(*_*; 笑

これは自分にとって世紀の大発見だ。
私はもう少し明るい人間だと思っていた。こんな根暗を抱えていたとは…

でも今は思える。
根暗が悪いとかじゃない。

全部含めて自分なんだって、認識すればいいだけ。
自分について分かれば分かるほど、付き合いやすく=生きやすくなるはずだから。

これを公開することには少し抵抗もあるけど、そもそもそんなに人は人に興味ないし、読んでくれる人なんて数えるほど(読んでくださった方、ありがとうございます)。これで離れてしまう人がいてもいいと、強がりたいところですが、やっぱりみんなとつながっていたいというのが本音なので、こんな私だと知ったうえでなお、付き合ってくれると嬉しいです。

―――――

はあー、こんな暗い人間なのかーー。。

暗い自分とばっか付き合ってるとしんどいから、明るい自分が顔を出すっていうのもあるんだろうな。笑 軽やかにやっていきたい(・ω・)

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