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北海道縦断歩き旅4日目「北海道最南端」福島町~

ウミネコの鳴く声で目覚める。

地元の人が朝の散歩をする可能性があるため、早めにテントを畳む。

夜露もあってか水滴を含んだテントをベンチで干す。


水があるので朝食にパスタをまた作り食べる。

お茶を淹れて飲む。

沁みる。


水車をぼー、と眺める。

水を受ける板が一枚だけ壊れて歪な回転をしてるのをのんびり眺めた。


いい公園だった。

■女学生からの挨拶

公園から出発してすぐに自転車に乗った女学生から「おはよーございまーす!」と爽やかに挨拶される。

あまりに真っすぐな挨拶だったので人違いかと思ったが、遅れて挨拶を返す。


登山の癖で何度か通り過ぎるひとに軽い挨拶してきたが、挨拶を返されることはほとんど無かったし、向こうから挨拶をされたのは初めてだった。


ご時世もあったので、北海道の人は観光客がきてコロナのリスクが上がることを嫌がっている可能性もあったので、通り過ぎる時も距離をとって歩いたりしていた。

向こうから挨拶をされたことで居場所をもらった気がして、とても嬉しかった。

道の駅を横切る やはり 道の駅で野宿するのは厳しそうだと思った。


朝の静かな街に謎のメロディーが響き続ける。

どうやら、ゴミ収集車から流れているらしい。

自分の住んできた街ではメロディーを流す収集車はなかった…。

北海道だけなのだろうか?地域によるだけだろうか?

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海岸沿いを歩くと船着き場を多く見かけるようになる。

干物を回転し続ける機械もみかける。


岩手サファリパークの看板を何度も何度も見かけるが。

「なぜ北海道に岩手の看板?」

道の先にあるわけでもないし、海をまたぐし「なぜ?」


■自転車日本一周

バイクはここに車で数多く見かけた。

自転車も何度も多かった。

荷物が大きく長距離のツーリングと思われるものが数えきれないほどいた。

この日初めて日本一周の看板を下げた自転車を見かける。


看板を下げている人はだいたい10代から20代の人が大半だったと記憶している。

■飴ちゃん

3人のおばあちゃんが道で井戸端会議をしていた。

高齢の人ほどコロナを気にしてるだろうと思っているので、避けつつ軽く「こんにちわ」と挨拶して。前を通る。

「あんた、歩いていくの?」「どこから?」「まー、大変なことするもんだね」と2,3会話した。

立ち去ると。少し後に、追いかけてきて。

これ持ってきなと飴を3つ貰った。


飴はあまり舐めないが、ご厚意なのでありがたく受け取る。

コーヒー、花柄の金太郎飴ぽい飴、梅のべっこう飴。

どれも普段舐めないので新鮮で、そして懐かしい味がした。

ありがとう。

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伊能忠敬測量開始地点を横切る。

道路がなかったころの旅はどんなだったのだろう。藪の中歩き続けろと言われたらいやだが、道があるところならもしかしたら、今よりも清々しい側面もあったのではないかと想像する。

現在の利便性は決して手放せないが、歩行者以外存在しない主要道路を歩いてみたいそんな夢想をこの旅で何度もする。

■トンネル

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白神神社を過ぎたあたりから崖沿いになりトンネルが増える。

崖はこの後も何度も出会うが、ここの崖は初めてだったせいかキツく、こんな崖が続くなら諦めようかと思った記憶がある。

崖というよりもトラックの交通量と道の狭さで気が抜けないのが長く続いたのが大きいかもしれない。

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この少しのスペースに重いキャリーバッグ乗せて転がし続ける。

たまにポールとか障害物があるときは一度キャリーバッグを下す必要があるのだが、車がいなくなるのを待つ必要がある。

追い越し禁止車線なのでドライバーも邪魔だろうから大型トラックが通るときは停止して端によったりして気が抜けない。

右だけに歩道がある所が多く。カーブも多い。

右側を歩くと対向車に近くなるのでカーブで大型トラックが通ると。

こちらに全力で向かってくる感じがして怖い。

多分ドライバー全員 俺が邪魔だと思うからさっさと渡ってしまいたくて休憩せずにとにかく先を急いだ。

トンネルの中にはこれくらい歩道の幅が確保されているところがあり。これは良いほう。

しかし、歩道が広い所ほど短く、長いトンネルほど歩道が狭い。

やはりは道路は車の為に作られているので歩道は申し訳程度。

旅を続けると何度もトンネルを通り、見かける旅に「今回のトンネルガチャはどうだ!?」「歩道の幅がある!!」「レアリティSRだな」とかわけのわからん楽しみ方をしていた。

ここも左に幅がある歩道。道に余裕があると景色を楽しみ余裕がでる。

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ここも歩道が広く、いい。

絵が彫ってあるトンネルがたまにあるんだけど。なぜ?ここに?というのが多かった。

もっと手前のトンネルに掘れば見るだろうけど、こんないくつもトンネルが続くところに突然一つ絵があってもみんな見ないでしょ?

場所によってはトンネル明けてすぐトンネルがあるとことに掘ってあって、ドライバーは光に目が慣れる前に通り過ぎてるだろう。


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■北海道最南端 白神岬

函館から4日目にしてようやく北海道最南端 白神岬につく。

北海道縦断の旅はようやく始まったとも言える。

海の向こうに青森が見えた。

もしも、未来に日本一周をしていたら青森側から北海道をみる事になるのだろうか?

こじんまりしたところだがバイカーがよく停車していた。


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先に進んで岬を振り返って撮影

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灯台がある。上りたかったが立ち入り禁止だし疲れるし、諦める。

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■海鳥 余計な善意

荒れた車道脇を歩いていると海鳥が溝でバタバタしていた。

どうやら車にぶつかりケガをしていたようだった。

なんとなく、いたたまれなくなって移動してやる事にした。


近寄ると威嚇したが、抱きかかえるとスッと大人しくなった。

「軽い」

考えてみれば、初めて鳥を手に抱えたかもしれない。

驚くほど軽かった。

崖の道は下の海に降りる階段があって、その階段が近かった為。降りる。

海鳥だから飛べなくなっても海に浮いて泳げるのでは?と思い海にそっと放つ。

すると、

くるん、とゆっくりひっくり返り。仰向けになってしまった。

全く泳げない。

翼だけでなく足もケガしているようだった。

高いところから羽ばたけるか試したが片翼しかまともに動いてない。

崖だからエサも水もない。平坦なところもないし岩しかない。

「余計な事をした」

そう思った。


大きな岩に海鳥を置きざりにした。

たぶん、ではなく確実に海鳥は死ぬだろう。


海鳥のつぶらな瞳の残像が心に残ったまま。

その場を去る。


職場をクビになる同僚を励ましたり、何とかしようと上司に話したりした事を思い出した。

結果的に変わらない、余計な干渉。


励まされるほうも残る側に励まされたくないし、

上司に延命をお願いしても

なかなか仕事にモチベーションがない同僚に自分がみっちり仕事を教えられるわけでもない。


薄情な人ほど出世し、それに負けないように踏ん張ってきて地道に上がってきたが。

結果的に今、クビになったわけではないが仕事がほとんどなくなり、こうして歩いて旅をしている。

通り過ぎる高いスポーツカーたちの中に同僚が乗っていない事を願い、とぼとぼと先を急いだ。


この旅は、みっともなく自慢できるものではないが、事件や事故を起こさず、できるだけ迷惑をかけず自己完結能力を保とうと、気を引き締め直した。


崖沿いが終わり道も景色も穏やかになる。

向かいから地元の人ではなさそうな女性が、手ぶらで岬の崖のほうへ一人歩いていた。

通りすがりに軽く挨拶したが、岬以外なにも無かったし、歩いていくような道じゃない。

「いったいなにをしにいくんだろう」

そう思ったが、それは自分もそう思われているだろう。と思った。

■道警 職質

このあたりでパトカーが前にとまり職質される。

キャリーバッグを引いてるし家での可能性もあるし「一応」という事で話しかけたらしい。

こちらとしても、一度きちんと地元の人と話したいと思っていた。

コロナの事もあって立ち入った話はできないと思っていたが、警察官なら大丈夫だろうと思った。


警察官は若い2人組で好奇心もあったのか色々聞かれた。

歩いて最北端宗谷岬を目指している事を話すと。

「えーーー!!ここから車で札幌行くのでもかなり疲れるよ」

「この先、熊がでた報告が毎日来てる」

「この先、電車もないし、熊出るし、日本海側より内浦湾側のほうが観光名所多いし通りやすいよ」

と色々、行く先について教えてもらった。


「ユーチューバーですか?」

と聞かれた。

ご時世的に動画とったりすると批判されるでしょう。と話すと

「三密を守った旅なら、広めてくれたらみんな喜ぶと思うけどなぁ」

「勿体ないなぁ。歩いて宗谷岬までいくならなにか残してほしいです」

と言って貰えた。


コロナ中の旅

地元の人は来てほしくないだろう


とずっと引っかかっていたので、全員の意見ではないと思うが地元の人に一人でも言って貰えたのは嬉しかった。


それと野宿についても確認した。

グレーゾーンの公園に野宿することを聞いた。

「公園で寝ることは問題ない」

地元の人、近隣に心配をかけないようにテントを張らずにベンチなどで寝たほうがいいか?

「ベンチで寝るよりはテントを張ったほうが不審者だと思わない」

公園で野宿してる人が通報されるケースがあると聞いていたのでその辺も聞くと

「北海道で公園の野宿で通報は聞かない」

「あったとしても歩いて旅している人が居ることを今日確認したから。対応しやすくなるので大丈夫」

との事。

もちろん全ての地元警察の意見ではないだろうが、キャンプ場が山奥が多い中で公園に泊まれる選択肢があるのは助かった。

(ちなみにこの先、キャンプ禁止の公園があったので。もし公園でキャンプする人は注意しましょう。)


「この先は熊が毎日でる報告があるので薦めません」

「個人的に応援してます」

立ち話で日差しが強く、汗だくにしてしまったが、爽やかに車に乗っていった。

■迷い

警官から別れてた後の道中、ずっと迷っていた。


地元の人でも警告する道を通る事。

熊の事。自転車は多くいるけど、歩きだとリスク高い。

途中でリタイヤしても電車がない事。

コロナの時期であること。

金銭的にも早く帰るべきか?

オロロンラインで公園もないところで野宿できるのか?

想定していたペースより遅く、一か月以上かかるかもしれない事。

体は持つのか?

キャリーバッグのタイヤは持つのか?

今までの道がきつかったがさらにきつい道がずっと続く可能性。

宗谷岬までついても何もない事。

宗谷岬は諦めて小樽までで帰る。

日本海側を諦める。

電車がある所から離れる前にリタイヤして引き返すか。


この時は引き返す案が濃厚になっていた。


もう少し先に進むつもりだったが、とりあえず松前城で宿にとまり。落ち着いてこの先を調べ直して考えようと思った。

そう決めるとだいぶ、引き返す可能性が強くなり。

旅を振り返ると、

『仕事が減ったクズが北海道に来て、歩いて縦断しようとするも、無駄にウロウロしんどい思いして、やっぱりやめて帰ってきました』

という事になる。しかも、『収入減った中、観光も食事もろくにせず、お金を使ってきました。』となる。


なんだかゴミが漂ってるような気持ちになり恥ずかしくていたたまれなくなる。


宿をとると決めたら、きちんと人なりに観光をしてみようと思った。

■温泉旅館 矢野 に宿をとることにした。

キャンプ道具をみて察したのか「素泊まりにしますか?」と聞かれるが、奮発して2食付きの一万円の部屋にしてもらう。

ここでは検温が行われた。

身なりをみて女将さんが察したのか「北海道一周?」と慣れている感じで聞かれ。熊の事やこの先の道の事を話すと「結構みんな通ってけどねぇ」と熊で行くのをためらうのが不思議そうだった。

なんかその慣れた応答に今度は熊を気にして旅を諦めるのが恥ずかしくなってきた。


とった部屋は旅館らしい和室で一人には広かった。

汚れていたので、すぐに温泉に入る。

体重計に乗るが2日前の旅館から1キロくらいしか減ってなかった。

自粛中に太ったおなかもそのまま。首の下のたるみは減ったように感じた。

想像以上に日焼けしていたみたいで、お湯に入ると両腕が痛かった。

露天風呂はたまに吹く午後の風が気持ちよかった。

水風呂で日焼けを冷やすと効いて気持ちよかった。


部屋に戻り、荷物を広げ、着た服を洗面台で洗濯して干した。

明日の朝までに乾いてほしいので扇風機をあてる。(結局、乾ききらない)


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■荷物をおいてリフレッシュしたところで松前観光に出る

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松前城を見に行く。場内の見学時間が過ぎ、目の前で閉まる。

仕方ないので周りを散策する。

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お城の周りに神社やお寺がいくつかあった。

お寺の大きな樹木の間に木漏れ日がさして荘厳な雰囲気が漂って綺麗だった。

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もう少し周りを見たかったが、一度休むと歩けなくなるくらい足が痛み。

歩くのがきつくなって旅館に戻ることにした。

■夕食(写真撮り忘れ)

夕食は豪勢でやはり量がしっかりあった。

今回は前もって気合い入れてきたせいか食べきれた。


部屋に戻って地図を広げ、この先のルートを調べ直した。


やはり帰りたくなかった、宗谷岬に着かなくても、なんの心の整理もつかないまま帰るのがこの時、怖かった。

せめて小樽か札幌までは行こう。その先はその時また考えよう。


ひとり家で仕事で葛藤していた苦悶から比べれば、これまでの旅のつらさは無いようなものだった。

再びつらい現実と立ち向かう勇気を、この旅で確立したかった。


4日目終了 歩いた距離 約21.3km



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