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北海道縦断歩き旅 18日目「忘却」厚田村~

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2日かけて山越えをして留萌に着きたい。

その為、この日は久しぶりに長距離を想定していた。

iphonの地図で47km10時間。休憩など考えると12時間かかる。

山道なので日が暮れてしまうと泊まれる場所は限られてくる。


昨日、カバンが壊れた事もあり、小樽以降に緩んだ気持ちを、引き締め直し、早朝に出発。


出発するとき、軽くキャンプ場のおじさんと話した。

厚田に大き目な道の駅があったが、早朝で営業時間外の為、入れなかった。

歩道のない沿岸沿いをあるく。

早朝で交通量が少なかった為、気持ちよかった。

滝の沢トンネル

古いためか外壁を補強してある。

続いて

太島内トンネル

熱い昼はありがたいが、朝からトンネル続きは肌寒い。

そして、またすぐに

新赤名トンネル


すこし、山道を歩き。

体温を温める。

そしてまたトンネル

新送毛トンネル

そしてまた山道を歩く。

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蜂の死骸がよく転がっていた。

そいう時期なのだろうか。

沿岸沿いの道にもどり、視界が開ける。

セイコーマートで休憩。

山の中だと自販機も無いので、水が補給出来て助かる。

食べておきたいところだが、食欲があまり出ず、あまり食べなかった。

トラック運転手のおっちゃんがコーヒー牛乳をくれた。


セイコーマートで流れている松山千春の曲が聞きたくなりituneで購入する。

聞いたら、つー、と涙が出た。

再び山道。

この辺りで工事をしていて、道路誘導員のお兄ちゃんが、クーラーボックスに入ったキンキンに冷えたジュースをくれた。


ちょうど冷えたジュースに飢えていた頃だった為、本当にありがたかった。


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浜益トンネル 4750M

グーグルマップ ストリートビューには無かったが、

2016年開通(複数のトンネルを合併工事)したトンネルを通った。

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この日はほとんどトンネルで過ごす事になり色々と昔の事を思い出していた。

忘れなければ生きていけないが、忘れてしまうことが怖かった。


小学生のころ365日ほぼ毎日泣いていた事。

朝5時まで徹夜仕事をしていた頃の事。

他にも色々と思い出していた。


そして、ふと自分に協力してくれた部下であるスタッフの事を思い出していた。

自分のプジェクトは小さかった為、取り合いになるスタッフは使えず。

余ったスタッフを使う事が続いた。


「あの人はここがダメだ」

必ずそういわれている部分があった。

生産性が薄いスタッフは多かったが、

実力というよりは、友達採用が多い中、どこのコミニティーにも入れず、

噂や評価に言われるがままの人が批判の犠牲になっていた。

実際、簡単な仕事は友達採用組がやり、

仕事が進んでいると威張り、難しい仕事を押し付けられている個人勢を批判して自己演出を就業時間中にべちゃくちゃしているのが毎日のように行われていた。


部下の一人目は、

職場では影が薄く「あの人使えませんよ」と言われていた。


他のプジェクトから席を離し、会話してみるとよく笑い、本当は明るい性格だった。

細かい仕事ばかりしていたようだったので、重要で大きな仕事を任せ、細かい仕事は自分が受け持ち、自信をつけてもらうようにした。

そして、やってもらった仕事は、異例のユーザー評価を受け評価された。

後に彼も取り合いになるスタッフになり、うちのプロジェクトには助っ人でしか入れなくなった。


2人目の部下は、

卑屈でへりくだり、いじられキャラとして皆から愛されていた。

応募採用でクビになるのを恐れて、「何でもやります!」と雑用やサービス残業ばかりしていた。

気張るのは大事な時期があるが、長くは続けられないので、心配していた。

仕事が早く残業もするので、雑用の仕事がなくなり、うちのプロジェクトを手伝ってもらう事になった。

残業している彼女に

「明日からはうちのプロジェクトをお願いします」

「うちでは雑用仕事が少ないから、メインの仕事をやってもらいたいです」

そういうと、

目に涙を溜めて絶句していた。

驚いて「嫌ですか?」というと、

同じく残業していて席が近かった同僚から「嬉しいんだよー」と合いの手が入り。

「ありがとうございます。明日から頑張ります!」

2人目のスタッフが入った。


どうやら彼女は、同じ時期に入ったお友達採用のスタッフが、自分よりいい仕事を任されているのをずっと気にしていたみたいだった。


張り切りすぎるところがあるので、定時に必ず帰るようにして貰った。

卑屈でなんでも下てに出て、なんでも仕事をこなす。

上司からしたら都合がいいが、自信をつけて自立して断る力を身につけてもらいたかった。

しかし、すぐに抜けたリーダーに補充で任せられ。

うちのプロジェクトからは抜ける事になった。


実質主導権を他の2人が握る、名前だけのリーダーに彼女はなり。

板挟みが辛いと辞職することになった。

愛してるからイジッてんだよ、小ばかにするいじり芸をよくしていた上司も、肝心の時には守ってくれなかったみたいだ。


3人目の部下は、

度重なるスタッフ不足の中、

かなりの仕事量をこなしているスタッフが辞め。

代わりのスタッフとして来たが、

いきなり代わりが務まるわけもなく批判を浴びていたスタッフだった。


お友達採用が残り、実力もなく自分の担当作業以外把握していない人が威張り、就業時間中に職場のフロア全体に聞こえる声で新人スタッフを怒っていた。問題点と課題点もあげず、解決法も提示せず、感情的に人格否定を新人に浴びせていた。

しかも長い為、私もしびれを切らし「よそでやってくれないか?」と告げにいくと、刺すような目で睨み返されて「なに?文句あるの?」「他(のプジェクト)は黙ってて!!」と返された。

自分のお金で雇っているわけでもないのに、部下を自分の所有物と勘違いしている人間がいて心底嫌気がさす。

注意していた人は「私が悪者みたいじゃん!」と就業時間中に上司に泣きながら愚痴をこぼしていた。

本来、上司がこの場を収めるはずが、ヒステリックを野放しにしていたのには、この度々”ベッタリ愚痴話タイム”を就業時間中にやっていた所にもある。

彼女が愚痴をこぼしている間もみんな仕事しているというのに、自分の正当性をダラダラと話している。



その晩、終電まで残業していた新人と一緒に駅まで帰る。

「実力がない自分がいけない事ですから」

「彼女の言っている事が理解できなかったのが癇に障ったのかもしれません」

と謙虚に話していた。


時がたち、コロナウイルスでテレワークとなり。

自分にとって最後プロジェクトをやることになる。


スタッフは今まで以上に入れてもらえず、

しかも仕事量はいままでの倍近くあり、

苦しい苦しい状況だった。


シフトは上司の思い通りに支配され、

今まで個別にお願いしていたヘルプスタッフも交渉しにくい状況だった。


そんなときに「余っている」と言われていたスタッフが、

あの怒られていた新人スタッフだった。



最後のプロジェクトは本当に彼に助けられた。


最初は仕事ぶりがぼやけていたが、

大きな仕事を任せて自信がついてくると。

クオリティの高い仕事をどんどんと仕上げるようになり。

(メンタル的に)体調を崩しがちだった自分を庇ってくれて。

指示より先回りして仕事をこなしてくれ、

本当に助けられた。


彼が居なくて最後のプロジェクトは終わらなかった。


プロジェクトはこの先、会社にいいように形を変えられ、いずれ跡形も無くなるだろう。

スタッフたちの苦闘は自分の中にだけ残っている。


台風の中、職場に駆け付けてくれたスタッフとびしょびしょになりながら帰りにラーメン食べた事。

いずれ忘れてしまうかもしれないと思うと怖い。

職場の事を思い出しながら4.7キロのトンネルを一時間近くかけて通った。

息は白く、出るころには体がだいぶ冷えていた。

外をでると暖かいと思っていたが、夕暮れにはいり、風も強く。温かくはなかった。

薄暗く、風が強い中、キャンプ場に着いた。

キチンと水も飲めそうで安心した。

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テントを設営して、ラーメンを作って食べる。

食べてる途中で雨が降り、急いで食べる。

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暗くて、よく見えなかったが、海鳥がそばでずっとたたずんでいた。

白神岬で抱いた海鳥を思い出す。


この日はほとんどトンネルだった。

疲れていたせいか20時には寝ていた。


16日目終了 歩いた距離 47km

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