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「勝つ馬」に乗ることと「勝った馬」に乗ることのちがい

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競馬で負け込んでる八つぁんが残りの有り金すべてを9番にかけた。だが、勝ったのは4番であった。それを見物していた熊さんがこういう。

「4番に賭ければよかったのに。バカだな」

熊さんは、この新たに得た知恵を活かそうと、次のレースで有り金全部を4番にかける。しかし、勝ったのは9番であった。

これを見ていた八つぁんは言ったとさ。

「だから言ったろう。9番だって」

後知恵の寓話

なんだかおもしろくない笑い話なんだが、こういう話にもできる。

自分が始めた戦争でひどい目にあった国民があった。始めたときはそれほど悪い賭けに思えなかったのであるが、戦況はどんどん悪くなる。最後は惨めな形で敗れて、敵国に占領された。ひとり悪者にされてしまった。だが、意外なことに「鬼畜」と思った敵国の人々はそんなに悪い人たちではなかった。しかも、占領統治下で導入された数々の改革のおかげで、戦後にその国は繁栄を見たのであった。

そこで熊さんは戦争を支持した八つぁんにこう言った。

「戦争なんかしないで、はじめっから戦後体制にしとけばよかったのに、バカだな」

しかし、半世紀も経つと、制度疲弊が現れて繁栄に陰りが生じた。人々の生活は困窮し、未来に対する希望を失った。それで八つぁんは熊さんにこう言った。

「だから言ったろう。やっぱり戦前体制だって」

二つの事例において、八つぁんも熊さんも必ずしも間違ったことは言ってない。どちらもそれが口にされた時点では正しいように思える。にもかかわらず彼らが阿呆に見えるのは、後知恵の深い意味を考えなかったが故であった。

後知恵があることの意味

「過去を裁く」という言い方がある。過去の人々の判断なり行為なりの是非を、「ああしとけばよかったのに」とか「自分ならそんなことはしなかった」と、現在を生きる自分たちの視点で裁くことである。どういう訳かこれをまったくやらないわけにもいかないのであるが、通常は歴史を裁く際には慎重さが要求される。

歴史を書いたり読んだりする側というのは、舞台に演じる役者たちを観客席から眺めているようなものである。登場人物たちが知っている以上のことを知って眺めているから、道徳的に優位な立場から彼らの判断や行為を笑ったり嘆いたりできる。彼らのことを考えているかも知れないが、彼らと一緒には考えていない。

もちろん、実際の歴史の登場人物は、歴史の書き手や読み手が知らないことをたくさん知っているはずである。しかし、そうした知識や知恵は無駄もしくは誤ったものであったとぼくらは推論する。なぜなら、そうした知は、彼らを彼ら自身の愚行が生む望ましくない結果から救うことができなかったからである。

ぼくらが過去を断罪できるのは、結果を知ってるという後知恵のおかげである。渦中の者が知らなかったことを知ってるからである。だから、彼らとともに悩む必要がない。ぼくらは歴史という法廷の裁判官として、過去の人々を被告席に立たせている。

だが、よくよく考えると、その後知恵というもの自体が己を否定するものでもある。後知恵にはさらに後知恵が続く。そうして後知恵はつねに自己を乗り超えていく。もう少し平たく言えば、自分が後知恵をもっていると信じることは、自分の後知恵も後世の後知恵に乗り超えられるということを認めることである。

自分の後知恵が最終的な知恵であると考えるためには、もう自分たちが知らないような新しいことは決して起きないと仮定しないとならない。すなわち、すでに歴史は終ったもの、閉じられたものであると考えないとならない。しかし、そう考えること自体がほぼ間違いなく後知恵で否定されることになる。

だから後知恵に頼って他人に投げた石は、必ず自分に返ってくる。歴史の法廷の裁判官自身が、いずれ被告席に座ることになる。その自覚がない者だけが過去を気軽に裁ける。「もし自分がその立場であったらそうはしなかった」と口にできる。彼は正しいかもしれない。問題は、彼がそう考えられるのは、その立場にないからであるということである。もし彼がその立場にいたら、もう彼ではないということである。

熊八後知恵合戦

言うまでもないだろうけど、二つ目の笑い話は笑い話ではなく、わが国の歴史を戯画化して語ったのである。第一の笑い話はそれを寓話にしてみたのである。道理で笑えん笑い話であったわけである。

野暮なようだが、これを解題してみよう。まず戦後の後知恵で戦前が否定された(熊さんの台詞)。ところが、その戦後もすでに遠い過去となった。ぼくらは戦後を他人の眼で見れるようになった。そこで戦後の後知恵がまた至らないものであることに気付く者が出てきた。だからやっぱり戦前だと言い始めた(八つぁんの台詞)。自分がどこかで「昨日がダメだから一昨日主義」と名付けたものである。

そして今日、戦後がダメだから戦前だという者が「右」、いいややっぱり戦後だという人が「左」ということになって争っている。「戦前のままがよかったのに。バカだな」と右がいえば、「だから言ったろう。戦後のままにしとけって」と左が応える。この対立は潜在的には以前からあったのであるが、戦後を相対的に見れるようになったおかげで、「右」が相対的に勢いを得ているのが現状である。

後知恵をもつ者はもたない者よりも有利な立場にある。結果を知ってる以上、後知恵を持つものはよりよい選択をできるようになる。これが後知恵の効用である。インサイダー取引が美味い話なのは、言ってみれば未来の後知恵を先取りした上で、現在に戻ってくる特権を与えられるからである。

熊さんも八つぁんもそう考えたわけである。しかし、彼らはその後知恵をうまく活かすことができなかった。なぜであるか。

熊さんと八つぁんはどこで誤ったか

競馬で勝つ馬が4番と9番しかないのであれば、熊さんも八つぁんもその二つのうちのどちらかに賭けるしかない。後知恵はこの選択肢には何も付け加えない。

しかし、彼らは結果から誤った結論を導きだした。最後に勝つのは9番馬である(熊さん)、もしくは4番馬(八つぁん)であるという結論である。戦後がよいか、戦前がよいか、どちらかであるという結論である。未来は自分が賭ける時点では閉じられていると考えたのである。

しかし、未来が開かれたものであるならば、導き出されるべき結論はこうであろう。必ず9番が勝つわけでもなく、4番が勝つわけでもない。どちらも勝ち馬になりうる。またその他の馬が勝つ可能性もある。戦後がすべての面において勝るわけではない。だからといって戦前がすべての面において勝るともいえない。戦前でも戦後でもない、何か別の体制が未来であるかもしれない。

すなわち、熊さんと八つぁんの誤りはこうであった。彼らはどちらも馬がゴールポストを過ぎたのを見とどけてから勝ち馬に乗ろうとした。「勝った馬」に乗った。だが、そうした時点で、もう未来の「勝つ馬」に乗り損ねた。未来に出し抜かれたのである。株価が上がってから買いを注文して損する素人投資家のようなものである。

であるから、後知恵が正しく選択することを保証するわけではないが、以前には見えなかったいろいろな可能性が見えてくる。これは先に話した後知恵の構造と関連している。未来が開かれていると考えるから後知恵が可能になるのであって、閉じられた体系に後知恵は存在しないのである。

それでは、戦前も戦後も距離を置いて眺められるようになったぼくらの後知恵は、どのような可能性を開示してくれるか。自分などが考えているのは、戦前、戦後ともに全否定しないでより高次のレベルで否定的に肯定する立場である。

否定的肯定なんてというとヘーゲル風、西田哲学風でむずかしく聞こえる。だけど、自分がこれで言いたいことはこういうことである。戦前も戦後も分割不能な一体として見ない。いったんばらした上で今日の文脈で使えそうな部分を選択的に引き継ぐことができる。そうすることによって、戦前対戦後という枠組みによって見えなくされていたものが見えるようになる。枠組自体は否定されるけど、その内容のうち何かは伝統として継承される。そういうやり方を否定的肯定と呼んでみたのである。

その際注意すべきなのは、自分たちのやってることものちに後知恵で批判されることになるということである。自分たちの歴史上の立ち位置を中心から外して相対化する視点を失わないことである。おそらく、それでもぼくらは後知恵で見れば頓珍漢なことを言ってる。そして後世から嘆かれ笑われることになる。ただそうであることを意識はしていること。

これをやらないかぎり、哲学者であろうが何だろうがぼくらは歴史の流れに翻弄されるだけである。運命の女神、盛者必衰の理に抗う術をもたず、日和見主義になるか偶然の与えられた信念に殉ずるかの選択しかない。未来はつねにぼくらの手の届かないところにあるということになる。何をやっても結果を統御できないのであれば、ぼくらの責任の範囲外になる。

歴史意識=史心

歴史意識、柳田国男が「史心」と呼んだようなものは、自分が歴史の渦中で生きている、現在のうちに過去と未来が内包されているという自覚であろうと思う。主体性とはこの時間の構造のなかでしかありえないという暗黙知であるかもしれない。柳田にとって歴史を学ぶ理由は断片的な事実を覚えてクイズ王になることではない。この史心を養うことである。この史心を多くの人に養ってもらわずには、現代の民主社会に要求される責任主体が育たない

柳田の史学観では、史心が歴史学の前提であり、かつまた目的でもあるという再帰的な構造になっている(「再帰的な」というのは、自分から出発してまた自分に帰っていくようなもののこと)。これは柳田に特有の特徴ではなくヤーコプ・ブルクハルトなどにも見られるものであるが、歴史学者も民俗学者もこれを見逃している。やはり学問の専門化の弊害で、一見つながらないものをつなぐ「と」が見逃されているせいではないかと思う。

史心が前提でもあり目的でもあるというのは一見循環論法に思えるのであるが、ヘーゲルやマルクスの弁証法もまた再帰的な構造をもっている。より一般的には、人間学は人間が人間を振り返る、より詳しくいうと、人間の脳が自分から出発してまた脳に自己知として返っていくという、元来再帰的なものである。

後知恵に頼って過去を気軽に切り捨てる者は、そうすることによって自分を気軽に切って捨てられる存在にもしている。過去と未来から挿み込まれつつ、いずれも完全に透視することができない。そういう現在を生きる悩みに共感できない知ったかぶりこそが、この再帰的過程による史心の成長を阻害する。未来を知る者はぼくらと一緒には悩んでくれないのであるが、現在を生きつつ共に悩めない輩ばかりが増えていくのである。

歴史教育をクイズ王を育てる暗記の訓練みたいにしてしまうことがいかにもったいないことであったか。それが一因となって、歴史学は個人の趣味や贅沢でよろしいというとんでもない誤解を多くの人が抱くに至ったことが、どれだけ社会にとって損失であったか。

これを考えると夜も眠れないほど悔しいのであるが、開かれた未来を信じる者、後知恵の効用を信じる人々にはまだ希望と責任がある。切り捨てるのでもなく、今のままで放置しておくのでもなく、引き継がれたものを批判吟味してヨリよいものにしていく仕事がある。

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