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総統様のSNS(ぼくらの内なるヒトラー)

 かつて私は窓の前に立って、通り過ぎる人たちを眺めていた。誰も私に気づかなかった。ときおり私に目を向ける者がいないでもないが、そんなときは私は自分の準備不足が恥ずかしくなって、窓枠のかげに隠れた。

 私は孤独だったが、絶望はしていなかった。もし自分が満を持してその姿を公けにし、胸の内を声にして語りかければ、誰かが反応を示してくれる。そういう希望があるかぎり、孤独に耐えることは難しくない。自分が人々の前に登場する場面を胸に思い描くとき、一瞬の幸福さえ与えてくれた。

 むろん、希望は絶望と隣り合わせではあった。自分が表通りに出て、計画どおりの演技をしたとき、それでも人々がなんの反応もせずに、通りすぎていくかもしれない。それを知ってしまったら、人はどうやって生きていけるのか。この希望と絶望が入り混じったものがが青春の気分だ。

 だが希望は実現した。私は人々とつながる手段を得た。私は遠慮がちに始めた。通り過ぎるだけであった人々の何人かが振り向いた。そして私は知った。通りを歩く人の大部分は、私と同じように孤独であったことを。胸の内に、多くの妄想を抱え込んでいたことを。私には彼らの聞きたいことが、手に取るようにわかった。それは自分のなかにもあったから。

 「自分は孤独である」と私は大勢の聴衆の前で独白する。「しかし」と私は続ける、「孤独なんぞ何でもない、君たちが私の孤独に関心を抱いてくれるかぎり」。他人に聞いてもらうための独白。不特定多数との交歓を求める孤独。これは矛盾ではない。その証拠に、私は熱狂的な反応を見た。孤独に耐え切れない孤独者の群の反応を。

 私の演出はより大胆になった。もはや一部の人を振り向かせるだけでは飽き足らない。私の声を聴く者全員が、私の周到に用意した独白に注目しなければならない。今や聴衆の反応は私の麻薬となった。聴衆なしには一日たりとも過すことができない。そして、期待通りの反応を引き出せないときには、かつての絶望に近いものを感じる。

 だが、聴衆のために演じれば演じるほど、自分自身の中身は空虚になってくる。自分が裸にされるんではない。まったく逆だ。私は自分自身が本来何者であるかをとことんまで隠蔽しなければならない。彼らが見たいと望む者だけになり、聞きたいと思うことだけを言わなければならない。

 放っておくとまた眠りにおちようとする聴衆は、ありとあらゆる手段を尽くして目を覚ましてやらなければならない。ショックを与えて、鈍った感覚を揺り起こしてやらなければならない。あることないことでっちあげ、大げさな修辞を尽くし、身の毛がよだつような残酷な事件現場や、よだれが垂れるような裸や食い物の画像を添付して。

 聴衆が誰一人として振り向かなくなる日を、私は恐れる。希望が霧散し、絶望だけが残される日を。自分の約束が不渡手形であることが明らかになる日を。聴衆の関心を引きつけておくには、もはや言葉だけでは不十分である。事件が起こされなければならない。眠くなるような日常を破るような事件が。なにか異常で犯罪的なものが。陰謀や虐殺などのうさんくさいものが。無抵抗の者をいびり殺すような残酷なものが。そういうものだけが、萎えつつある人々の心の奥底にくすぶっている、生命力に再び火をつける。

 人間は信用のならんものだが、この点に関してだけは信頼できる。抜け道が塞がれることへの恐怖とメシア的時間への隠された待望。それが私を人類に融合する真の絆である。頭でっかちの学者連が考え出したくだらぬ「理念」などではない。共犯者に囲まれているかぎり、人々は罪を犯すことを躊躇しない。そして、いっしょに罪を犯すことほど人々を結びつけるものはない。共に罪を犯した者は、その生涯を通じて共犯者であることから抜け出すことはできない。

 今となって君たちは私を悪魔とみなす。だが、それは後知恵にすぎない。私を知れば知るほど、君たちの一人一人のなかに私がいるのを見出すはずだ。君たちにはすでに演出のための舞台が用意されている。私はそれを自分で築き上げ、維持しなければならならず、またそれをするだけの力があった。それだけか私と君たちとのちがいだ。私にもSNSがあったら、おそらく国家権力など掌握などしなかったかもしれない。

(2019年5月30日。ヨアヒム・フェスト『ヒトラー』を読み終えて)

使用した画像:Parteifoto aus dem Jahre 1923 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:Parteifoto_Adolf_Hitler_im_Jahre_1923.jpg


コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。