愛_化石_撲殺

親ブロックチェーンレボリューション(なぜ、無償の愛はねじれるのか)


これは、ある一人の親の独り言である。
親ブロックが起こる理由について、自分の心に正直に考えて書いたものだ。
親子関係というものはセンシティブだ。
他人の親子関係に口出しするつもりはない。
ただただ、こうなりたいという理想を語ったものである。


なぜかわいい子に旅をさせられないのか?

理由はシンプルで

自分が旅をやめたから

最近、こんなポストをした。

https://www.facebook.com/telinekd/posts/1715599588516344?notif_id=1527475452692065¬if_t=story_reshare

【殺人鬼?】※親が100%悪いというつもりはなくて、構造の負。新進気鋭のベンチャー(既に一部上場)でチャレンジしたい娘の意志を無視して、勝手にその会社に辞退連絡をした親の話を聞いた。娘は失意の中、親が指定した会社にいくことに。「私のせいで家族が不幸になってはいけないから」と。理由は、よく知らないから。自分の務める会社が最強だから。「ベンチャー企業は、へこへこ頭下げてうちと取引しにくる。いい大学出て、そんなことしたいのか?」と。 

 狂ってる。

 安定と安心は違うんだよ。
安定=安心の時代は終わったんだよ。
なんで自分の子の意思を、せめて聞いてあげないの?

これから親ブロックピークシーズン。対話の処方箋を書く。noteでストーリーも紹介するので、世の中に伝えたいリアルがあったらメッセでもいいのでください。

最近、こんなことを聞いて悲しくなった。

とある私の後輩は、社長や仕事の内容に惚れていた小さな会社の内定書類を親に破られ、大企業と公務員以外は許さんと殴り飛ばされ、今はアルバイト生活です。引越のための賃貸も契約していたのに、強制的に解約させられたそうです。我々他人にはどうすることもできず、、、

そういえば、かなり昔以下のようなポストをした。

【無知は愛をも罪にするという話】母は僕を愛してくれています。だから8年前、大学3年生の時母は言いました。「仕事にやりがいなんて求めたらダメよ、辛いことを頑張って家族のために給料をもらう。それが仕事。」他人はときどき本質をつきます。2年前、学びを通して仕事の楽しさを知ってほしいという僕に、ある経営者は言いました。「無理だよ。だってお前楽しそうじゃねぇもん。何で自分が楽しんでないやつに楽しいとか言われなくちゃいけねぇんだよ。あほか。」と。全ての選択や意思決定にはリスクが伴います。楽しくないリスクをとるのか、楽しいリスクをとるのか、どうせなら自分の楽しいと思えることで誰かのために仕事をしたい。甘いですかね。

「仕事を心から楽しんでる人は、いない」と言った社会人に、グーパンチかましたい。【北野唯我】

どうやら僕は、親子の愛のねじれについて、すごく興味があるようだ。


とある普通の親子のストーリー

少し、自分の経験について振り返ってみる。

母は、僕にたくさんの愛情を注いでくれた。
あの言葉も悪気は一切ない。願うのはひとつ、僕の幸せだ。

だが、結果として僕は、ある理由から不幸に向かって歩むことになる。

「本当に覚悟のあるやつは親を説得できる!」
「無視して自分の道を突き進めばいい!」

わかるんです。仰っていることは痛いほどわかる。でも、できないんです。

だって弱いから。

親を傷つけないことが、子供の使命だって思っちゃってるから。

僕自身も、結果、何かと見栄えのいい理由をつけて、親に配慮して選んだ。「自分で決めること」にビビり、親に甘えたのだ。

その道が正解だったのかは今でもわからない。今は幸せだ。当時の経験も生きている気がする。

でも、不幸なギフトを持って社会に出てしまったのだ。
当時辛いことがあったとき、僕は何百回も自分にこの呪いの呪文を使った。

「自分で選んだ道じゃないし。」

親のアドバイスを聞くか聞かないかは、実はそんなに問題じゃなくて。

最も不幸なのは、呪いのようなこの言い訳と二人三脚で歩まないといけないということなのだ。

僕は結局、今は自分で決めた道を一歩ずつ歩いている。いちいち母の顔色を伺うことはなくなった。

母も同じで、昨年末、帰省したときはすごく進化していた。仕事については、「健康に気をつけてね」しか言わない。ブロックチェーンに興味津々、仮想通貨のことも自分より詳しかった。あの心配性の母が。信じられなかったが、嬉しかった。彼女が得しても損してもいい。

何が嬉しいかって。


母も旅を始めたんだ。

直接言ったことないけど、母が僕を愛したように僕も母を愛している。有難う。

父は先生をしている。生涯一教師だ。もうすぐ60になる。いわゆる新卒先生ってやつだ。大手広告代理店のメチャ恐い祖父の「新聞記者になれ」というアドバイス(というか指令)を頑なに拒み、京大を出てすぐ母校の中学で先生になった。相当勇気が必要だったと思う。

10年以上前だろうか、、父の昔の言葉が、今も脳に焼き付いている。

父さんは、先生が「教えられること」なんてひとつもないと思っている。だから父さんは大人の特権を生かして社会という外界に触れ、選択肢をひとつでも多く教室に持って帰って好奇心が育つ手伝いをしたいんだ。世界平和のために、子供たちの世界を広げる手伝いをしたい。影響範囲は少ないかもしれないけど、誇りを持ってやってるねん。

直接言ったことないけど、父は僕の誇りだ。
クソかっこええやん。

そして自分も父になった。

僕には今一歳の子供がいる。

愛おしくて仕方がない。
そして、2つの気持ちのジレンマが、毎日僕を襲うのだ。

1.彼にはいろんな素敵な経験をして幸せになってほしい。でも。2.危険なことに巻き込まれて欲しくない。

この二つの感情の源泉は、おそらく愛だと思っている。
親ならみんなもっているはず。もっていてほしい。


本題、なぜ親ブロックは起きるのか?


上記2つの感情について考察してみる。

1について

「素敵な経験」というのは「子にとっての素敵な経験」であり、「親にとってのそれではない」**ということを僕らはまず、理解しなければならない。

2について

危険なことに巻き込まれて欲しくない。。この危険な世界の広さは親によって大きく個人差がある。それは親の旅路によって変わる。往々にして、危険=自分が知らない世界、となることが多い。子供の安全を願う気持ちは、いつしか「自分が安心したい」という気持ちにすり替わり、知らぬ間に蝕まれていく。

例えば、自分が家から一歩も出たことがない場合、家以外は危険だし、自分の住んでいる県から出たことがない場合、他県は危険だ。日本から出たことがない場合、海外は危険だ。「東京なんてのはなぁ、、」っていう親がいるのは、東京を知らないから危険なのだ。東京を知らないから怖いのだ。住んでみて思う。全然他県と変わらない。むしろ夜でも人が多くて安心だ。

ある経営者の方に「なぜ、戦争は無くならないんですか?」という問いを投げかけたことがある。そのときの答えがものすごく深かった。

「みんな世界平和のために戦っている。問題なのは世界の広さが人によって違うことだ。みんなそれぞれの小さな世界を守っている。だから、人間の脳が進化しない限り戦争はなくならない。」

親子の愛のねじれが起こす悲劇の背景は、これと、すごく近いような気がする。


父になって思うこと

僕には今一歳の子がいる。好奇心旺盛でわんぱくな男の子だ。

子供と一緒にいると日々選択を迫られる。

例えば、彼がペンをくわえてよちよち歩いているとき例えば、彼が机に登って、端っこでご機嫌に踊っているとき例えば、僕のスマホを舐めているとき

どうするか?

ペンを取り上げ、机から抱っこして下ろし、スマホを取り上げるのはすごく簡単だ。

でも、それでいいのだろうか?

こんな話がある。

ある小学生がこけて、前歯を折ったらしい。どうやったらそんなことなんねんと。後から聞くと、彼は、ずっと親に手を繋いで歩いてもらっていたらしい。つまり、彼は、「こけかた」を知らなかったのだ。「こけかた」を学ぶ機会を愛ゆえに奪われてしまったのだ。

…幼児が殺害されたニュースを観ると足が竦む。

彼は、僕の知らない人とたくさん会うだろう。友達然り、彼女然り。

彼は僕の知らないところにたくさん行くだろう。原宿然り、六本木然り、アフリカ然り。

彼は僕の知らないことにたくさん興味を持つだろう。ブロックチェーン然り、フィンテック然り。

そのときに、「おぉそうか、自分で決めたんなら応援するわ。いってらっしゃい、楽しんでなっ!」って言えるかなぁ。

まだ言えないことがたくさんある。

だったら多分、僕はもっと旅をした方がいい。

そして、「こっから先は危険かもよ!」という危険ゾーン(無知ゾーン)の面積を出来る限り減らしたいのだ。

例えば彼が「友達3人で事業やるぜっ」て言った際に、僕はなんというのだろうか。例えば彼が「大学意味ねーから中退するわ」といった際に、僕はなんというのだろうか。

そういった問いを、自分に問いかけ続けると、ビビってる自分に出会える。
「自分の当たり前」に侵されている自分、旅をしていない自分に気づく。そして思う。

僕は、子供の人生のお荷物にはなりたくない。

だから「学習支援」はするけど「教育」はしたくない。
「経験機会提供」はするけど「育成」はしたくな。
金と人の工面はするけど「アドバイス」はしたくない。


彼には自分で学んで、自分で考えて、自分で選んで、自分で決めた道を、自分で歩いて欲しいのだ。

…日々恐怖で震える。

だから僕は、今の間に大人である特権をいかして、いろんな世界にとびこんで、「行ってみたけどこんなとこだったぜ。」と、「興味あれば行ってみ。新しいこと見つけたら教えてな。」と伝えたいのだ。
彼には、行けとも行くなともいわない。

とにかく、自分で決めて欲しいのだ。

タイトルにある通り、愛は化石化すると鈍器に変わる。
一方的な古い価値観や、歪んだ正義感の愛は、子供を撲殺してしまう可能性があるのだ。

まずは、自分が旅をして「愛の化石化」をとめたい。

でも、どうしても「化石化」することもあると思う。
危険ゾーン(無知ゾーン)も、ゼロにはできない。

そのときは、まず子供の話を、最後までじっと聞いてみようと思う。
子供のやりたいことを、最後までじっと聞いてみようと思う。
そして「自分の信頼できる仲間に会ってみないか」と聞いてみようと思う。

愛を適度に溶かすために、旅をする。対話をする。


旅のすすめ

閉鎖した環境で閉じこもってる親。

子供の話を頭ごなしに否定して、すぐ古いアドバイスをしている親。

たくさんいると思う。

「かわいい子に旅をさせること」が大切だと思う人。
でも、旅をさせるのが怖い人。

たくさんいると思う。

親子関係はセンシティブだ。
僕だって、他人の子を気にしている余裕はない。

でも、やっぱり、愛がねじれて、撲殺してるのは見ていて悲しいから。
これは、自分への独り言。


まずは、自分が旅をしようじゃないの。

子供のお荷物になりたくなかったら、勇気を出してさ。


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