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【記憶より記録】図書館頼み 2305#2

 図書館から借りてきた本縛りの読書記録「図書館頼み」のヘッダー画像でお世話になっている ” お札折り紙作家 ”ピロさん

 1968年生まれの僕は、赤瀬川源平の「千円札裁判」を例に「お金で遊んじゃ駄目よ!」と躾けられてきた世代の人間なので、お札を使って何かする … なんて考えたことがありません(苦笑)。

 ピロさんは、刷り込みによる既成概念が作り出した溝を、軽妙かつ絶妙なセンスで飛び越え、更に ” 切った貼った無し " の折り紙作品に仕立て上げるのだから大したものです。お札という権威を、健やかに茶化している風にも思われて、僕は愉快でたまらないのです。← 僕の方が不謹慎

 さて、本稿で7回目となる備忘記事「図書館頼み」。
 ラッキー7の此度は、こんな地味なブログのヘッダーを飾らせてしまう申し訳なさと合わせて、御礼の気持ちをお伝えしたく、この場を借りた次第。
 ピロさんの目に留まるか分からないけれど、こんな気持ちでおりますので、以降もトップを飾る画像に使わせて下さいね。

 さてと、なんとかリアルタイムに追いついてきた備忘録。されば、5月下半期の借用本について、ざざっと綴って参ろうと思います。

1:左官礼賛 / 左官礼賛 Ⅱ 
  著者:小林澄夫 発行:石風社

二冊共に「月間 左官教室」のコラムを編纂して書籍化した本である。
本書には、著者の左官仕事とその周辺に寄せる想いが詰まっている。左官という仕事(技術)に内包されている苦渋と甘美を、随筆や詩作で表現している。静けさを感じさせる文章も多いが、その熱量は概して高い。

かつて長野県で働いていた時分のことだ。とある現場で知り合った同年代の左官屋職人の家へ遊びに行った折に、この月刊誌の存在を知った。
予てから、木工・インテリア専門誌「室内」(主宰:故 山本夏彦 翁)を購読していた私は、この手の雑誌には、相当な曲者くせものが何食わぬ顔をして潜んでいる場合が多いことを認識していた。
故に、彼の部屋の本棚に並んでいた「月間 左官教室」を見つけた瞬間、一般的な専門雑誌とは一線を画す ” ただならぬ気配 ” を察知したことに不思議はなかったのだ。
おもむろに手に取り、巻末から頁を捲っていったら … 案の定である。そう、この月刊誌の中でコラムを書いていた編集者 小林澄夫 の存在に引っ掛かったのだ。「野に人あり」という言葉を噛みしめる若輩なのであった。

此度は、左官技術の本を検索している時に、リスト上位に本書の名前が表示され、思わず懐かしくなってしまい借りてきた次第。
おセンチに過ぎるかもしれないが、久しぶりに本書を手にした事よりもむしろ、向上心を持つ同世代の左官職人との出会いを境に、改めて自分を奮い立たせたという甘辛い記憶を呼び起こせたことに意味があるように思う。
右往左往をしていた私に、言葉ではない形でベクトルを与えてくれた彼には感謝しかない。

3Kと言われて久しい建築業界の仕事。
されど、身にまとう服が汚れようが、著しい疲労を伴おうが、危険な高所に身を置こうが、ひとつの技術を習得しようとする強靭な意思を前にしたら、口だけの人間は黙るしかない。(何も建築の仕事に限った事ではない。)
その崇高さを解さない人間(若しくは 解そうとしない人間 )が、安直で危険な金の稼ぎ方に寄る辺を求めているように思われてならない。


2:大工道具の文明史
 
 -日本・中国・ヨーロッパの建築技術-
  著者:渡邉晶 発行:吉川弘文館

もし、工業高校の建築学科に「建築道具史」なるカリキュラムが存在したならば、秀逸な教科書になり得ると感じた。そんな本であった。
絵図が多いばかりではなく、言葉も平易で分かりやすい。だからと言って知識の質を劣化させていない点にも感心させられた。
当然の事ながら、各大工道具ごとに掘り下げていくわけなのだが、それを世界 → 中国 → 日本という順路で辿る。こうした手法により、日本の大工道具が辿った変容の経過や、際立った特徴が把握できるのである。
まとめ方の秀逸さから、相当の手練れてだれだろうと睨んだのだが、職歴を一瞥して合点がいった。「竹中大工道具館 首席研究員」ナルホドと。

海外の職人さんを日本に呼んで仕事をしてもらった経験がある。彼らが持参したお世辞にも繊細とは言えない道具と、それらを扱う姿を見る度に、「 和 と 洋 」という言葉の誕生にまつわる話を思い起こした。
舶来の「洋」に対応しうる言葉として生まれた「和」は、そこに明確な異なりが存在することを意味している。然るに、古今東西の大工道具に冠された名称からは把握しきれない異なり(思想・外観・役割・機能・仕様・使用法 等々)が明確に存在するということなのだ。


3:宮本常一とあるいた昭和の日本 -22- けもの風土記 
  監修:田村善次郎 宮本千春 出版:(社)農山漁村文化協会

またもや「宮本常一と歩いた~」シリーズの中の一冊を借りてきた。
此度は、地域的な分類ではなく、「けもの」という括りであることから、内容は広範囲に及び、何れも興味深かった。
取り扱っている獣は、熊を筆頭に猪や兎といった日本の狩人文化に欠かせない面子が登場するのだが、熊のボリュームが大きくなるのは必然か。何しろ、北海道のアイヌ文化・生活史におけるヒグマから始まり、本州のツキノワグマにまつわる話に及ぶのだから … 。
前回同様、田中洋美氏による 秋山郷 や 三面川流域 における調査記録に目が留まった。旅マタギと呼ばれる一所不住の狩人たちの生活史について丹念に触れている点が好ましかった。


4:猿蟹合戦の源流、桃太郎の真実 
  -東アジアから読み解く五大昔話-
  著者:斧原孝守 発行:三弥井書店

ツボに嵌った。故に、返却と同時に借りて来てしまった。
この手の本にありがちな「あの昔話の意味するところは、実は〇〇だった。」と言うような都市伝説的な展開は一切ない。また、日本に残る昔話を、欧米に遺る昔話に対応させるのではなく、東アジアに源を求めている点に好感を持ったし、妥当だと感じた。
端的に「極めて真っ当な本」と言えよう。緻密な研究・検証は、豊富な引用元のリストを見れば分かろうものだ。

幸か不幸か、何某かの意図を以て平準化された昔話(子ども用の絵本やアニメの日本昔話等)で育ってきた私は、日本の各地で伝えられてきた定番の昔ばなしに複数の系統が存在するとは考えても見なかった。それもあからさまな異なりなので、すっかり面食らってしまった。
著者は、日本各地に伝わる昔話の決定的な差異を抽出しながら、その印象的な部分が何処から転じてきたのかを、東アジア圏に遺る例を挙げながら丁寧に結論へ導いている。そこに強引さや無理を感じることはなかった。

各地の民話に触れてきたと自負していたけれど、礎をもう少し堅牢にしなければならないと感じた(猛省)。
とまれ、こうした本に出合うと、壮大な歴史ミステリー作品を読んでいるような気持ちになるから面白い。新進気鋭の作家によるミステリー作品を読む機会が減ったのも、こうした読書傾向が影響しているのかもしれない。


【 本にまつわる半径5mの余話 】

先月だったか … 。
「本を貸しておくれよ。」と言ってきた次男坊に、原田マハ 「楽園のカンヴァス」を手渡した。数日後に「面白かったよ。」と返してきたのだが、彼のお気に入りのブックカバーが装着されていたままだったので、「気に入ったのならやるよ。自分の本棚に入れておきな。」と言った。

今回は反応が芳しかったようだ。
目下、蔵書を整理している身の上であるからして、こんな感じが続くようであれば「売却習慣」を改め、処分する前に「自家消費」という工程を挟むのも悪くはないと考えた。

そのようなわけで、つい先日も「いい本があったら貸して。」と言ってきたから、カミュ 「異邦人」「ペスト」、そして レイチェルカーソン 「沈黙の春」を渡したのだが … 。
反応はこれ如何に?! 
親子なのにドキドキしている。

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