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【本という名の大樹】開高 健「私の港になった作家」

宝石の歌
うるはしきもの見し人は、
 はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
 されど死を見てふるふべし、
美はしきもの見し人は。
     プラーテン(生田春月 訳)

オーパ、オーパ!! (モンゴル・中国篇 スリランカ篇):「宝石の歌」より
生臭い釣行録にこういう詩を挟むのだから心憎い。

 開高 健 は、日本の文芸史にあって一時代を築いた作家に違いなく、多くの読書家愚かな釣り人たちを魅了した作家であったと言えるでしょう。
 此度は、そんな彼に対する賛辞と憤りと感謝と皮肉を綯交ぜないまぜにした一読者の思いの丈を綴ってみようと思います。
 ご都合のよろしい方は、是非お付き合いください。


※開高のキャリアや作品については Wikipedia 開高健 をどうぞ。

1:名文を見つけ 言葉を切り取る人

 開高健かいこうたけし(以下、開高) の作品を思い起こしてみる。
 すると、作品の冒頭を飾る「渾身の一文」が真っ先に思い浮かぶ。そして、物語の随所に意図してしつらえられた「印象に残る引用」が次々と頭の中をよぎっていく。
 つまりは、開高の作品に興味を抱いてしまった人間の多くは、彼が操る言葉のマジックに魅了されたわけで、私もその中の一人なのである。

輝ける闇、夏の闇、ロビンソンの末裔 等々・・・今も家の何処かで眠っているはず。

2:開高健が生んだ免罪符

 変な言い方になるけれど、開高がここぞとばかりに引っ張り出してきた言葉の多くは、本当にたちが悪かった。それがたとえ有名であろうと無かろうと、物語に強烈なアクセントとコントラストを効果的にもたらしているのだから堪らないのである。

こういう書き出しをするんだもの・・・。

 開高の引用は、古い時代の諺や詩の一節であることが多い。そしてまた、世界各国で語り継がれてきた鮮烈な言葉を見事に切り取り、あたかも自分の口から発した言葉の様にして作中へ添加するのだから恐れ入る。
 こうした開高の手練手管てれんてくだによって、単なる引用が「開口の言葉」として伝播し、その誤りに気付かずに心酔している輩も少なくない。 

 以下の「中国古諺こげんは、私を含む多くの「釣り人の免罪符」となった。

一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。

「オーパ!」 より
単なる諺で最大の効果を得た実例

 事実、開高は「オーパ!」という大名釣行録だいみょうちょうこうろくによって、釣り人と言う名の「愚かな信者」を獲得している。
 しかしそれは、看過することができない歪みを生み出したと言えよう。あくまでも個人的には・・・であるが。

 看過できない歪みとは、この諺の最後を締めくくる一文「永遠に~釣りを覚えなさい」を以て、自身の釣り(若しくは、釣りという愉しみ全般)を肯定しようとする釣り人が激増したことである。 
 開高は、気の利いた古諺を紹介した過ぎないのだが、釣り人の多くは、羨望の眼差しと共に大いなる勘違いを以て大歓迎した。そして何時いつしか、開高を作家として評価するのではなく、自分たちの都合のよい免罪符を提供してくれた博識な釣り人として認識し始めたのである。

 この免罪符は、折に触れて釣り人同志の会話に登場し、必ず最後に「だから釣りっていいよね!」という短絡的な共感を促されるのである。それに辟易した私は、この諺が話題にあがる度に「へぇ〜面白いねぇ。知らなかったよ。」と応対するようになっていった(笑)。

知己より頂戴した開高自筆の葉書

 彼の作品における意表をついた書き出しや、名言・名句の切り取りの旨さは、開高自身のキャリアに因るところが大きいだろう。専業の小説家になる前の開高は、コピーライターのような仕事(現・サントリーの広報部)をしていた。彼はその職能を、小説や随筆の中でも如何なく発揮したと言える。

 開高は、自身の仕事を「文章を売る商売」と表現している。これは、彼特有の照れや自嘲を含んでいると思われるが、あながち嘘ではないのだろう。「文章を売る」という感覚があったればこそ、世に溢れた名文の中から、読者が喜びそうなキャッチ-な言葉を抽出する事ができたのであろうし、彼もまたその必要性を十二分に解していたに違いない。

3:最初に触れた 開高健

 私が最初に触れた開高健の作品は「日本三文オペラ」である。
 題名の「オペラ」だけに注目して安堵することは止めた方がよい。これは明らかに開高の皮肉染みた揶揄なのだから。それも極上の・・・。

 本稿では「日本三文オペラ」の詳細に触れることはしない。
 けれども、梁石日やんそぎるの筆による「夜を賭けて」に近似した内容だと言えば、直ぐに理解して頂けると思う。

 終戦直後の大阪砲兵工廠(大阪城址)を舞台にしたアパッチ族(在日韓国人)の活劇なのであるが、開高と梁の描き方は全くの正反対。
 平野川が醸す湿気の中に漂う不穏な気配・・・。
 薄暗いバラックの中に溢れる喧騒と脂の匂い・・・。
 こうした雑多な空気感は、両作品共に十二分に内包している。しかし、開高の「日本三文オペラ」に傑出している部分があるとすれば、グロテスクとユーモアが完全にマリアージュしている点が一番に挙げられるだろう。

 梁石日とは視点が異なることは勿論だが、物語を通して楽天性が低音しており、悲壮感はおろか涙腺を刺激するような必死さも無かった。私は、そこにカタルシスを感じてしまったのである。(※梁石日の「夜を賭ける」も、映画になるくらい体幹がしっかりした作品である。)

 私は、この作品を最初に読んで良かったと感じている。
 何故なら、人生の終盤を「釣り親父」としてかつがれるように生きた開高に対して、過度な幻想や憧れを抱かずに済んだからである。

4:「私の港」になった 開高 健

 褒めている様で・・・けなしている様で・・・そんな不遜な書き方をお許し頂ければ幸いだ。何しろ、この 開高 健 という作家は、私の読書史にあって間違いなく大きな位置を占めているのだから。
 それは開高が、私に多種多様な名言・名句の類を知らしめてくれただけではなく、読書という愉しみの裾野を拡張してくれたからでもある。

 今更、開高の随筆が一級品であることを述べる必要はないと思う。しかし、私は「人とこの世界」という粒立った短編集について触れなければならない。何しろ、私はこの本で きだ みのる という老怪人を知ったのだから。
 開高は、この老怪人のことを明晰めいせきという言葉を使って賛辞していた。この言葉が、私の好奇心を刺激したのである。開高をして「明晰」と言わしめた人物の仕事を知りたくなるのは当然のことであった。

 きだ みのる の作品を読んで、彼が迷いのない洗練された言葉を紡ぐ稀有な作家だということが分かった。この若輩は、彼の大陸浪人的な行動とはかけ離れた繊細な文章が織りなすギャップに驚かされたのである。
 その後暫くして、きだ みのる の作家生活を支えた人物が、この老怪人との邂逅を描いた本を出している事を知った。その人物こそ 編集者 嵐山光三郎 その人である。「漂流怪人・きだ みのる」は、嵐山が言うところの「漂流怪人」を解する上で、頗る役に立ったことは言うまでもない。

嵐山孝三郎と言えば「笑っていい友」の日曜日版。こんなに優秀な編集者だったとは・・・。

 とかく「我儘な物書きに振り回され続ける編集者」という構図は、有体な雛形かもしれない。けれども、この本で描かれているのは、想像の域を完全に超えていた。それ程、きだ みのる は破天荒だったのだ。
 もし、私が多感な時期に、この本と出会っていたならば、きっと編集者という仕事に憧れてしまったかもしれない。そう思わせるくらい、人間と人間が織りなす濃密な時間が描かれた素晴らしい回顧録であった。


 それから、古今東西の文学作品の中から、釣りにまつわる話を収集した「雨の日の釣師のために」もまた、私の読書の質を向上させてくれた一冊だと言えよう。

 開高は、日本語版の編纂者という立場で名を連ね、D&G・パウナル が選出した海外の文学作品に加えて、幸田露伴井伏鱒二、そして自著「オーパ!」の中から「黄金の魚」を本書に添えている。
 何れの作品も趣があって良いのだが、私自身は リチャード・ブローティガンウィリアム・フォークナー という著名な作家に出会うことができたことに喜びを感じている。

「雨の日〜」では、キップリングやチェーホフ等の古典にも触れることができた。

 まずは、リチャード・ブローティガン について触れていきたい。「雨の日の〜」には「こぶ鱒の話」(「アメリカの鱒釣り」の中の一物語:藤本和子訳の「アメリカの〜」では「せむし鱒」と記されている。)が収められている。この6頁に満たない小さな物語は、情景と心理の描写に独特の可笑しみがあり、読み始めて直ぐに魅了されてしまった。

 この様な経緯で入手した「アメリカの鱒釣り」は、前記した通り、情緒さにおいて傑出していたけれど、彼の危うさを感じさせるくらい繊細でユニークな人物像を表しているのは詩作の方かもしれない。
 2017年に出版された「ブローティガン東京日記」も、彼の人間性が良く発露している一冊だと思う。(※ブローティガンの来日に際しては、芳ばしいエピソードが沢山あって興味深い。) 
 詩や日記といった素朴な文字表現の力は侮れないと痛感している。

短編集「熊」を読んで、ペーパーバックを入手する羽目に。

 そして ウィリアム・フォークナー である。
 件の本「雨の日の〜」では、彼の「響きと怒り」という作品の中から「だれにも釣れない鱒」というセクションを切り抜いて収められているのだが、フォークナーに関しては、もう一冊だけ加えておきたい。
 それは何を隠そう、開高に釣り親父のレッテルを貼り付けた稀代の名作「オーパ!」・・・その本である。

2016年の年末に痔で入院していた私は、病床でスケッチに没頭していた。

 この作品の第3章に心惹かれた私は、開高がこの章に「八月の光」という小題をつけた理由に思いを巡らせた。
 それは、彼の大河で開高が狙っていた トクナレ(魚の名称)の斑紋を縁取る金環を指すのか、はたまた、トクナレがヒットした時に発する強烈なエネルギー「八月の夕日のなかで、緑、白、黒、金、朱、橙が濡れた花火のように炸裂する〜」が、彼に「八月の光」を想起させたのか、それとも「宮殿の炎上するような積乱雲の燦爛たる夕焼け」に、開高は「八月の光」を見たのか・・・。いずれにしても想像の範疇を出ることはない。

 そんな一読者の推測に共鳴するように、「八月の光」が フォークナー の代表作と同一であることを知った。それは、開高が自著の中でフォークナーを高く評価していたことから判明したのだが、その事実を知るや否や「八月の光」「アブロサム、アブロサム!」を勇んで入手し、四苦八苦しながらも読了したことを懐かしく思う。

「8月の光」の一場面(トクナレを手にする開高)

 悲しいかな「難解と言われる〜」という枕詞がついてしまうフォークナーだが、彼の作品に触れたことで、それまで抱いていたアメリカの能天気でポジティブな印象とは著しく異なる米国史の暗部を垣間見ることができたのは収穫だったと言える。(※ペーパーバックを取り寄せてみたところ「一文が長い」という特長が、翻訳者を悩ませている様に思われた。)

 かようにして、開高健は私の読書の裾野を広げてくれた。いわば彼は、様々な国々の船が行き来する HUB港 の如き役割を果してくれたのである。
 私は、開高が示してくれた海路を行きつ戻りつすることで、彼を「釣り親父」としてではなく「作家」として認識し続けることを選択できたのだ。

5:反面教師としての開高健

 そんな私にも、開高に対して引っ掛かる部分が無いわけではない。
 部分・・・それは開高の長女 道子氏 の自殺である。
 その惨事は、開高の死後(5年後)に起きたとは言え、私には、彼が自ら蓄積させてしまった業が招いた悲劇のように思われてならなかった。
(※開高自身の躁鬱傾向が、娘に影響を及ぼさないか心配していたという話もあるのだが、それが最大の要因になっているとは思えなかった。)

 この事実に触れた時・・・非常に凡庸な言葉になってしまうのだが・・・「幸せとは何だろう?」と考え込んでしまった。
 開高の言葉は、愛娘にも届いてたと思う。それは、道子氏の著作を鑑みても、その推測は著しく間違っていないはずである。(勿論、開高に心酔する読者とは受け取り方が異なっていたと思われるが・・・。)

 しかし、父親と同じ文筆の道を歩んでいた彼女が、偉大な父親に対して愛憎半ばする想いを秘めていたとて何ら不思議はない。
 また、人気作家となり、周囲からかしずかれ、もてはやされ、興味の赴くままに、或いは出版社から要請されるがままに、大名旅行の様な釣り旅を続けた彼が、世に云う「家族を大切にする父親」の様なふるまいを、妻や娘に対して日常的に行っていたとは到底思えない。

 開高の生き様は、信望者なればこそ羨望の眼差しを向けよう。けれども、距離をとって冷静に眺めれば、それは「好き放題」以外の何ものでもない。それが例え、理解ある家族の了解を得た行為であったにせよ・・・である。
(嗚呼、片腹が痛くなってきた。)

 自分の前を闊歩していく先達は、優秀な教師としてだけではなく反面教師にも成り得るだろう。私は、そこに先達の存在意義があると思いたい。
 然らば 開高 健 は、間違いなく優秀な先達の一人に数えられるはずだ。

6:そこには感謝しかない

 読者という一介のオブザーバーが、開高 健 という先達が紡いだ人生の全てを知ることは出来ない。けれども、数少ない既知の事柄と有り余る想像力を総動員すれば、朧気に見えてくる事があると信じたい。
 そんな信念を拠り所として、私は ” この歳 ” に至って素直な思いを遺すことにしたのだ。それも、ありったけの感謝を込めて・・・。

「悠々として急げ」ラテン語で Festina lente. 若人に知っておいて欲しい言葉でもある。

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