栗山秀明

🌏あなたの人生そのものを温かく受け入れる整体師でありたい🌏自己回復力を高めて人生を最高…

栗山秀明

🌏あなたの人生そのものを温かく受け入れる整体師でありたい🌏自己回復力を高めて人生を最高に✨

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はじめまして、栗山秀明です。

佐賀市で完全予約制のプライベート整体サロンを営んでいます。 『あなたの人生そのものを温かく受け入れる整体師でありたい』という信念のもと、施術家として日々、心身の不調でお悩みの方に寄り添いながら症状や悩みを解決しています。 今後、施術家としての根源となっている自分の生い立ちやそこでの気づき、学んだ事を記録として書いていこうと思っています。 僕の仕事は人の痛みやつらさなどを受け入れる事が大事だと思っています。 なぜなら、ココロ+からだ=人間だからです。 ただただ、症状を取るだけ

    • 僕の想い この人生から得たもの

      僕の人生の記録を読んで頂けたでしょうか? 決して、前向きになったりするようなものではなくひょっとしたら気持ちが暗くなってしまうかも知れません。しかし、この人生経験が今の自分を形成し、施術家として僕の最大の武器になっているものです。なので、包み隠さずにブログとして形に残しました。 この経験が世の中の人達に役に立てれたらと強く思っています。 このブログの一番下に今までの人生記録のリンクを貼っていますので是非読まれてください。 さて、振り返ってみると物心がついた頃から常に、 『

      • 独立。そして施術家としての夢に向かっての30代

        29歳にして『生きて行こう』と誓いました。 一度、人生をリセットする為に勤めていた病院を退職しました。 初めて勤務した病院は本当に良い職場で人間不信に合わなければ定年まで働いていたと思います。 人間不信になって死を覚悟した20代の記録はこちら↓ そして、29歳を超えて30歳になった時、感覚的に目の前がパアっと明るくなり、なんとなく人生の底辺の底辺を脱した感じがしました。何か自分が長年抱えていた悩みや葛藤が解決したわけでもないし、特別な事があった訳でもありません。 ただただ、

        • 人生の道を決めた時、そして、死を決めた20代

          リハビリの学校の卒業が近づくにつれ、理学療法士の資格を取ったら違う仕事でもしようと考えていました。 理学療法士の資格を取る上で、臨床実習で約半年近く病院で患者様を担当しリハビリの経験を積まないといけません。そこで最後の実習先でお世話になった病院の先輩方が本当によく指導して頂き、とても充実していました。そんな中、担当させて頂いた患者様が退院する事になり、病院の玄関先まで見送りに行った際、学生である自分に深々と頭を下げ『こんなに元気になるとは思っていませんでした。まさか、仕事ま

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        はじめまして、栗山秀明です。

          人生最後の悪あがき10代後半

          高校生から成人を迎える間を一言で表すと『人生最後の悪あがき』でした。 中学生から高校進学までの間はモヤがかかったグレーな色をした日々を過ごし、生きる意味と自分の存在意義に悩み、将来の事を何も考えられず周囲の人が言うように進路を決め、行きたい訳でも行きたくない訳でもない本当にどっちでもいいやと言うような感覚で高校へと進学する事になりました。 サッカー人生を終え、10代で生きると言う事に悩んだ記録はこちら↓ しか〜し、神様は簡単には見捨てませんでした。(笑) この高校生活

          人生最後の悪あがき10代後半

          『諦めの底辺中の底辺人生』の10代

          幼少期は家族や周囲の大人達への信頼がなくなり、孤独となり自分を保つ為に『人に頼る、甘えるという事をやめた』時期でした。その経緯はこちらの投稿を読んで下さい。 小学高学年から中学校までの思い出や記憶を辿っていてみると何かずーっとモヤがかかったグレーな色をした日々を過ごしていたような気がします。 幼少期から小学低学年で家族に対しての信頼感や安心感、愛情を求めるのをやめてからは食事は一人で外食も一緒に行かず家で一人で食べていました。この頃から、自分の写真の数も減り、写っていたと

          『諦めの底辺中の底辺人生』の10代

          自分の運命、覚悟を決めた幼少期

          皆さんの一番古い記憶って何ですか? 僕は叔母二人に歯医者に連れて行かれて、治療ベットに叔母二人と歯科助手さんに抑えられながら治療を受けるという恐怖の記憶が一番古い記憶です。おかげで今でも歯医者は大の苦手でトラウマです(笑) しかし、ここには両親は登場しません。幼少期から両親との思い出や記憶がありません。 この世に生まれた時から人生の底辺中の底辺からスタート 物心付いた時から両親のいない生活でした。父親は29歳で胃癌で亡くなりその後、母親とは別々に生活する事になります。僕

          自分の運命、覚悟を決めた幼少期