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はじめまして、栗山秀明です。

佐賀市で完全予約制のプライベート整体サロンを営んでいます。
『あなたの人生そのものを温かく受け入れる整体師でありたい』という信念のもと、施術家として日々、心身の不調でお悩みの方に寄り添いながら症状や悩みを解決しています。

今後、施術家としての根源となっている自分の生い立ちやそこでの気づき、学んだ事を記録として書いていこうと思っています。
僕の仕事は人の痛みやつらさなどを受け入れる事が大事だと思っています。
なぜなら、ココロ+からだ=人間だからです。
ただただ、症状を取るだけ、儲けるためだけのまるで機械を修理するような整体師には絶対になりたくありません。

なぜそう思うのか?
僕自身がが生まれてからこれまでの人生は底辺中の底辺を彷徨って生きてきました。何の為にこんな経験をしないといけないのか?という自問自答の人生でもありました。その中で、人間とは?人生とは?幸せとは?正義とは?愛とは?家族とは?など常に考えきました。その結果、人の痛みやつらさを受けいれる大きな大きな器が自分の中に出来ました。

それに気づいた時に、これまでの人生経験が必要だったんだなと日々実感しています。現在、整体院などの治療院の数はコンビニよりも多いと言われています。他の整体院はこんなサービスをしている。こんな機械を導入した、新しい施術を取り入れてたと色んな情報合戦や競争があります。

僕自身にライバルはいません。

僕を必要としている人とご縁があれば良いと考えています。
僕の施術は僕にしか出来ません。栗山秀明という人間を必要としてくれる人達に僕の想いが届いたらと思っています。他の整体院や治療院は関係ありません。

目の前で心身の不調に悩まれているあなたに真剣に向き合う整体サロンでありたいと考えています。

佐賀県佐賀市生まれの39歳です。理学療法士の免許を取得し、福岡を中心に15年間医療の現場で寝たきりの方から、術前後の方、スポーツ障害など様々な症状で悩まれている方のリハビリに携わって来ました。
そして、2022年3月26日に独立開業の為地元佐賀に帰って来ました。


実は、この仕事は一番やりたくない仕事だったんです。

それも9歳の頃から誓ってた仕事。理由は簡単で叔母が作業療法士としてリハビリの世界でバリバリのキャリアウーマンであり、自分と違いクソ真面目な人だったので病院で働いている人はみんなこんな人しかいないという思い込みと、勉強をするのが嫌だったという事です(笑)本当に勉強が嫌いでした。所謂、勉強して何の意味がある?という屁理屈をいうタイプでした。

そして、高校3年生の時に先生から『お前はこういう仕事が似合うから』と言われて勧められたのがリハビリの世界。即答で『嫌です』と返事をしたのを覚えています。それでも一回受験して落ちたら好きなようにしていいという説得の元、ほとんど何も勉強をせずに受験しました。幸か不幸か試験がマークシートだった事と面接の受けがよく合格してしまいました。

それでも、気持ちはあまり乗り気がなく資格を取ったら別の仕事をしようと考えていました。

そんな中、最後の臨床実習で担当した患者様が退院する事になりお見送りをした際、学生の自分に深々と頭を下げられ『こんなに元気になると思っていませんでした。まさか、仕事まで復帰できるなんて考えていませんでした。ありがとうございました。』とお声を頂いた時に心が本当に満たされました。
この患者様と僅かなやりとりが自分の人生を決めました。

やる気に満ち溢れて病院勤務が始まりました。

就職してすぐ先輩から言われた言葉が『栗ちゃんは人柄いいし、笑顔が素敵だから、患者さんからは好かれるよ。でも、それだけでは症状は治せないからね』この言葉はこの仕事を辞めるまで忘れない言葉です。

患者様とコミュニケーションが上手く取れて信頼を得るのと症状を改善させるのは別問題。その両方が出来ないといけない。そこが本物になれるかどうかという事。

やはり、世渡り上手な人はいます。コミュニケーションが上手く取れて患者様からの信頼が高く人気なセラピスト。でも、結果が出ない。だから、コミュニケーションで誤魔化して逃げてしまう。という人は何人も見て来ました。

ありがたい事に就職してすぐに言って頂いたので自分はそこを踏み間違える事なく常に戒めの言葉として頭の片隅に置いています。

正直リハビリのプロとして結果が出せない日々、

いや…何年も出せない。どんなに研修に参加しても、知識や技術の研鑽に励んでもはっきり言って結果が出ませんでした。ただただ、経験年数を重ねるだけ…悔しい。

悔しいを通り越して、恥ずかしながらプロとして考えることをやめてしまいました。研修に参加するのも、業務後に残って知識や技術の研鑽に励むのも全部辞めました。

そこからは、リハビリ中に患者様とよく馬鹿な話をしたりして患者様と楽しい時間を過ごしたり、痛い所をどうしてほしいという形で患者様がしてほしい事をするようになりました。治すというより満足させてあげるということにシフトしていました。プロとしては失格です。

しかし、そこからなぜか、僕を指名してくる患者様が増え始ました。理由は症状が改善が見れるからということ。そして、極め付けは余命宣告を受けていた患者様から『あなたのリハビリのおかげで調子が良くなったから退院する』と言われ自宅に帰られれて余命より遥か長く元気に生活を送られていました。

そこで、改めて自分自身を整理した時に、症状を改善させなければならないということで体を機械的に見ていたという事。ここがこうだからこうなるはず。まるで、機械のパーツを修理しているかのようでした。患者様自身の訴えや感じている事を踏まえて、その患者様にとって何がベストな選択なのかという事をしていませんでした。患者様の体なのに患者様を置いてけぼりにしてしまっていたのです。

それまで、患者様の訴えや感じ方など聞いてはいたけど、それを何処か蔑ろにしていたのではないかと…

とても反省しました。

そこからは、自分の知識や技術に頼るのではなく患者様の話に全力で耳を傾けながら施術をしていくとどんどん結果が伴うようになりました。

そこから西洋医学だけでなく、東洋医学、カイロプラテック、オステオパシー、エネルギーワーク、氣など様々な勉強をしながら自分だけの施術法を確立させてきました。

そして、患者様ととことん向き合いながら施術をしていく中で患者様ではなく一人の人として理解してあげないといけないと感じました。

この仕事は何かポジティブな事を求めてくるのではなく、助けてほしいというネガティブな状態から関わりがスタートします。そのネガティブな部分をしっかりと受け入れてあげないと症状の改善はもちろんその後の人生を良い方向に導けないなと感じました。

運よく、僕にはその受けいれる器がありました。これはどの施術家にもない自分の最大の武器だと思います。この器がどうやって形成されてきたかは今後noteで書いていきます。

コロナ禍でおきた有名人の死がきっかけで独立を決意

ニュースで次々と有名人の方が亡くなるのを見聞きして、なぜか『自分の出番』だと思いそのまま独立しようと決めました。

なぜ社会的地位、名声があり収入も困らない。一般人の僕からしたら一時的に仕事が減っても大丈夫なのに、自ら死を選ぶのはなぜ?という疑問しか浮かびませんでした。

そこから、色々調べると有名人やプロアスリートの方のメンタル問題というが結構注目されているんだなと感じました。メンタルの問題が出て来ているということはすでにからだのエラーが出ているはず。ここを整えてあげるだけでも違うのになと考えています。

そして、メンタル問題は個人差がありなかなか他人には理解してもらえない領域です。たとえ親友や家族であってもこれは難しい。そういった逃げ込み場としてもこのサロンを活用してもらいたいという夢を持っています。

甘える、頼るのは全然悪いことではありません。自分の人生を最高だと感じるためには周りに助けてもらう、甘える、頼る、が大事です。

こんな自分の人生経験で得たものがこの世の中で人のお役に立てれたらと考えています。

よろしくお願いします。

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