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ブロック塀とYouTube先生と生成AI

最近よく夕方になると息子と一緒に近所の公園に行ってキャッチボールをしている。その公園は小学校に接していて放課後には小学生たちが集まってサッカーやら野球やら自分たちでルールを決めて遊んでいる。息子は来年小学生になるので息子の未来の姿が重なって見えてしまう。そんな事を感じながらキャッチボールをしていると、野球をしていた2年生くらいの男の子たちの視線がこちらに向けられていた。様子をうかがってみると3人で野球をしているうちにボールを無くしてしまったらしい。そこで息子とのキャッチボールを一時中断して、私がピッチャー役で男の子たちのバッティング練習に付き合った。

男の子たちが決めたルールはシンプルでピッチャーが6球投げたらバッターを交代するというものだった。ストライクでもボールでもどちらでも6球投げたら交代だった。そんなルールを決められたらピッチャーの責任は重大だ。大人代表として何としても6球ストライクを投げなければならない。しかしそんなに世の中甘くはない。結局ストライク率は50%ほど、時にはすべてボールのシーンもあった。ただ救いだったのは、全てボールだった時に一人の男の子が「あと3球いいよ〜」とバッターの子に伝えてくれたことだ。子供たちはルールを柔軟に変えればいいことを知っていた。なんか素晴らしい〜って感じてしまった。

私も小学生の時は野球少年だった。昭和の野球全盛期の時だ。学校が終わるとすぐにみんなで公園に集まって陽が暮れるまで草野球をしていた。当時は野球アニメの影響もあってどうしたら魔球を投げられるか研究もしていた。投げ方もみんなで創意工夫していろいろと試していた。中には腕をぐるぐる何回もまわしながら投げる友達もいた。魔球ルールもいろいろと変えながら楽しんでいた。

バッティング練習のピッチャーをしているうちに子供時代の記憶が蘇ってきた。私は一年中ひとりの時も野球少年だった。よく実家のお隣さんのブロック塀にボールを当てながらピッチング練習をしていた。どうしたらコントロールが良くなるかと考えた末、ブロック塀に勝手にペンキでストライクゾーンを細かく描きそれを的に一人で真剣に練習していた。ブロック塀に何度も何度もボールが当たると結構うるさかっただろうが、何故か親やご近所さんからのクレームはなかった。

それからおよそ半世紀が過ぎ、ほとんどの人々の生活はアナログからデジタルに変わってしまった。デジタルなしではもう何も始まらないし進まない。当然息子はデジタルネイティブである。スマホの使い方は当たり前に分かっているしYouTubeを見ない日などはない。うちではよほど見苦しいコンテンツではなければ視聴を制限することもない。そしてある日、息子から「公園でキャッチボールしよう〜」と誘われた。理由を聞くと「YouTubeでボールの投げ方を見てたらやりたくなった〜」ということだった。それからほぼ毎日公園に行ってキャッチボールをした。最初は上手く投げられなかったが何度も何度もYouTubeを見ながら息子は家の中でシャドー練習をした。そのおかげでだいぶ上達し真っ直ぐ遠くまで投げられるようになった。

いま話題の生成AIを教育現場でどのように使えばいいのか文科省を筆頭に様々な議論がなされている。YouTube先生以上に生成 AIが先生の代わりになってしまうのではないかという懸念を示す方々もいる。多分この議論には正解は無いだろう。ひとつのアイデアとして、生成AIを使う子供達が自分たちで使い方のルールを決めていくというのはどうだろうか。野球少年たちのように何か問題が起きればその場で修正していく。子供達は日々の生活で問題が生じて喧嘩になったとしても翌日にはケロッとしている。子供達のレジリエンス、復元力はいつの時代も素晴らしい。ただ一方で今の大人はもっと子供達を信じた方がいいと思う。大人達はもっと子供達にいろいろなことを任せられるようレジリエンスを高める必要があるのではないだろうか。

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