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日本人のアイデンティティ vol.5「阿吽の呼吸」

「阿吽の呼吸」の意味は「息が合っていること」 二人以上で一緒に物事を行うときの、互いの微妙な気持ち。 また、それが一致すること。 

サンスクリット語において〈阿〉は口を開いて発する最初の字音であり、〈吽〉は口を閉じて発する最後の字音で、そこから万物の始源と終極を
象徴するものとみなされました。

口を開いた「阿」と閉じた「吽」で一対とする仁王像や狛犬などによく見られる形。

二人上の人が一つ事をする時に、微妙なタイミングや気持ちの一致を阿吽の
呼吸と表現されている。社会生活の中で、仕事でも家庭でも、この阿吽の呼吸で心が一致するという事は相手の事を良く知り、自分の事も理解をしてもらっている事で成立します。

一般人が好むことかです、皆迄情報開示しなくても伝わる、そんない以心伝心が日本人の心の中に生きていると思います。

仲が良いとか悪いとかのレベルじゃなくて「阿吽の呼吸」で行動を共に出来る人が周囲にいたら非常に心強いですよね。

全ての面においては無理でも場面々では意外と成立する時があると思います、
どのような人と如何なる場合や場面で成立するものでしょうか?

どうにも最近では「ああいえばこういう、非難ゴウゴウ、面と向かっての反論で個人の意思主張で権利を叫ぶ!」人が多くなって困っております。

それこそ阿吽の呼吸の対義語としては「同床異夢(どうしょういむ)」同じことを行いながら、考えや目的が異なること。

「隔靴掻痒(かっかそうよう)」はがゆくもどかしいこと。 思うようにいかず、じれったいこと。

正しくそんな場面が増えているような気がしますが、もしかしたら自分が新しい人たちと接するようになったからでしょうか?

第二の人生を迎え長く生きて来た分同調する人、平行線のままの人、敵対心
丸出しでの敵・・・等々、色んな方がおられますが、一から新しく人間関係を築いて行くって本当に骨の折れる負担大の行動であります。

出来ればもうそれこそ「阿吽の呼吸」だけで生きていける環境が望ましいですね。

思いやりがあって互いに相互扶助精神で歩み寄っていける社会の構築が
望まれます、第二の人生の目標地はそこかもですね!

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