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日本人のアイデンティティ vol.1「侘び寂び」

「アイデンティティ」とは、「自分は自分であると自覚すること」「連続性のある自己認識を持つこと」「自分の価値を他者に認められること」などを意味する表現である。

わかりやすく言えば、自分が何者であるのかを認識して他者と区別できる状態である。

アイデンティティは、日本語では「同一性」と訳されることが多い。

自分は「日本人」であり、○○県人であり、××な人間ですと、自分のことを
紹介しようと思った時、ではその各々の指針は何かとなります。

要はそれが自身のアイデンティティではないかと思ますが、自分自身の詳細
を説明する前に日本人とは何かを考えてみたいと思います。

「侘び寂び」とは?日本特有の美意識です、「侘び」とはつつましく、質素なものにこそ趣があると感じる心のこと。

一方、「寂び」とは時間の経過によって表れる美しさを指します。

その心は、「質素な、飾り気のない、悲しい、廃れた」というネガティブなイメージを普通持ちます。 「侘び」とは茶の湯の一つの美意識であり、清楚で質素な生活を旨とし、質素であることの中に心の充足と美を求める思想。

一方の「寂び」は、経年変化によって、廃れていく、物寂しい様に美しさが備わった状態のことをいいます。

何となくわかったようなそれでいてイマイチ不明確でスッキリしないとこでではありますが、何故かこの「わびさび」の精神は明確なことばでは言えない感じがあります、それが連続性のある自己認識ではないかと思います。

ユングが提唱した集合的無意識(個人の経験による無意識より深く、同じ種族や民族あるいは人類などに共通して伝えられている無意識)に通じている様に思います、知らぬ間に持っている自分を形成している無意識・・・?

同様にフロイトも「無意識」について論じていますが、こちらは「個人の持つ領域」のみと言われているようなので、民族としての形成はフロイトの方が受け入れやすですね、チョット難しい話ですが、あくまで私個人の解釈なので、あしからず!

わびさびは「日本特有の美意識で、質素で古びた、寂しげな感じ。そこに
美を感じるわけ!」とあやふやな説明しか出来ないのが現実ですが・・・。

若い時には全く興味も示さなかった言葉ですが、自身が古びてきてようやく
何となくその精神を感じることが出来る様になってきた感じであります。

もしや、すでにわびさび人間になっているのかも知れません(笑)

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