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『怒り』は主燃料にはならない

本当、最近可愛がってもらえるんですよ。

常駐現場の職員さんたちは、週6勤務の私がちょっと連休を取ったりするだけで、戻ってきた際「何、ズル休みしてんだよ~」とニコニコしながら迎えてくれるし、

先先週も、よく私のポストの前を通られる方から「いつもお疲れ様」と声を掛けられ、こちらの差し入れをいただけたんです。

パンの差し入れ

そして、先週はなんとこちらまで。

豚まんもありがとうございました

こんな感じに、スポットで行った工事現場の先輩方などからも含め、週の間に必ず誰かから何かしらかの『施し』をいただき続けているんですよ。ありがたいですよね。

これはもう、ひとえに私の「可愛らしさと人徳のなせる業」に違いないと・・・。

いや、全然違いますね(笑)。

その理由はシンプルに、

以前と比べ私の怒る頻度が格段に減り、人として「感じがよくなった」

からだと考えています。


4年ほど前の話なんですが、「いろいろ見える」という方がいたので、せっかくですので私の「心の核」を見てもらったんですね。

すると彼女は開口一番、

「めちゃくちゃ怒ってますね~。こりゃ、あなたは絶対キレさせちゃいけない人だわ。そうなるともう、全く収拾つかなくなるでしょ?」

と、笑顔で言われたんですよ。

まさに「その通り」でしたので、私はただただ苦笑いでした。

ほ~んと「怒って」ばかりいた時期が長かったですからね~。


私は、小学生時代に先生からされた仕打ちをきっかけに『人全般』をずっと恨み続けて、極めて短い導火線のもと、事あるごとに「この野郎!」と四方八方に怒り散らかしていました。

そんな「自分で自分の首を締め続ける」という見事なまでの『独り相撲』の繰り返しの末、とうとう前職で完全に行き場を失くした私は次第に心を病み、転職を余儀なくされたのでした。


でも結果、「崖(土俵)から落っこちて」よかったのだと思っています。

ゆっくり半年休んだ後に転職し、『憑き物』が取れリセットされた私は、やっと自分の周りを落ち着いて見ることが出来ましたから。

そこには、ママをはじめとした「心から私を愛し、寄り添いたい」と思ってくれる人たちが最初からちゃんと存在していました。

積年の『恨み』に『怒り』を燃料としてくべにくべ続けた私は、その業火の中に身を置き過ぎたがゆえに、すぐ目の前の大切な存在すら見えなくなってしまっていたのでした。

そこにハッと気付いた私は、「もっと人を信頼し、愛そう」と改心しました。

すると、びっくり。

瞬く間に、前述のようなありがたい状況が私を待ち受けていたんです。

きっと改心したおかげで、『怒り』で潜在化してしまっていた私本来の長所である「明るさ」や「人懐っこさ」などが、前面に顔を覗かせてくるようになったからなのでしょう。


生きていく上で、『怒り』が不必要だとは全く思いません。

実際「なにくそ。見返してやる」の『怒り』の思いを燃料にここまで頑張って生きてこられた部分もありますし、それをすべて消し去るのはそもそも不可能だし、不自然ですよね。

でもそれは、ど真ん中の『核(主燃料)』として人生を送っていくにはあまりに脆弱な代物なんじゃないかとも、今は感じます。

やっぱり1番は、心のコアはやっぱり『愛』がふさわしいんじゃないかと。

くさいこと言うようですけど、ここまで生きてきた結論として、『愛』は最強ですよね。

ですから、これからは『愛』を心のど真ん中の主役に。『怒り』は脇役として主役を支えてもらう。

そんな感じがいいかなと。


とはいえ、私の書きかけの最新の記事は「最近めちゃくちゃ怒っていること」についてだったりするんですけれども(笑)。

まあそういった人間臭さも含め、今私は非常にいい方向に進んでいると感じますので、この感覚を大切に「楽しく、可愛らしく、愛に溢れて生きていきます」というさらなる決意のお話でした😊

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