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「光る君へ」第4回 「五節の舞姫」 「家格」の呪縛をしたたかに生きる女性たち

はじめに

 兼家の権謀術策が功を奏し、いよいよ花山帝が即位しました。しかし、兼家の手段を選ばない非情さは、右大臣家へ富貴をもたらすきっかけを作る一方で、様々な人々に影を落としていきます。
 それは、直接的には政にかかわらないまひろも同じです。父、為時は兼家の命で東宮殿に出入りしていますから、その政の趨勢がまひろの家の命運にかかわります。また彼女が気にかける道長との関係にも否応なく、哀しい影響を与えそうであることは、ラストの五節舞の宴での出来事からも窺えます。

 思えば、まひろのこれまでの人生は、身分の高い者たちの振る舞いに翻弄されるものでした。父が任官できないのは、彼自身の空気の読めない不器用さもありますが、彼が政においては、さほど意味を持たない存在と軽んじられているからです。結局、東宮殿の仕事も権力闘争に組み込まれていくことでようやく得たものでした。
 そして、母の死は、右大臣家の次男による殺害を右大臣家に世話になる父がその真相を伏せてしまいました。その出来事は、ずっとまひろのわだかまりとしてくすぶり続けていますね。

 つまり、序盤から描かれる権力闘争とは、つまるところ身分制度の問題と言えそうです。それでは、兼家ら右大臣家も、まひろたち下級貴族をも縛る身分制度とは一体、何なのでしょうか。まひろは、それとどう付き合っていけばよいのか、それに悩んでいるように思われます。そこで今回は、女性たちの描かれ方を通して、本作における身分制度とは何かについて考えてみましょう。


1.父の任官に抱く複雑な思い~まひろの場合~

 冒頭、直秀の手引きにより再会できたまひろと道長は、いよいよ互いの正体について語ろうとします。このとき、まひろは「藤原でもずーーーーっと格下」だから身分を気にしないでと語ります。まひろは、身分制度の抑圧を母の死の一件で幼い頃から思い知らされています。
 道長に対して身分を気にしなくてよいと思いつつ、それをわざわざ口にしてしまうのは、彼への気遣いだけではなく、無意識下では身分についてこだわってしまっているからと思われます。
 道長の身分が低いと思い込んでいるのがおかしいですが、漢字のできない少年時代の印象、服装などの風体からすれば仕方ないところでしょう(笑)


 一方、まひろが為時の娘と知った道長は、三男とはいえ自分のほうが上流貴族であることがわかった上で、自分の正体を明かすことになります。その際、彼はわざわざ膝を着き、まひろの視線よりもやや下から軽く見上げる形で彼女と向き合う姿勢を取ります。彼女の「身分を気にしないで」との言葉に応えるように、彼もまた彼女を気遣い、対等の関係で向き合おうとしています。彼なりの真心です。
 だからこそ、互いの正体を知ることになるはずのこの場面は、まひろと道長が身分を超えた関係を結ぶ瞬間にもなり得たのですが、そこに宣孝という横槍が入ります。


 「大胆なことをやっておるな」という呼びかけ、道長をそれと知らずか誰何する物言い、親切そうにまひろを馬に乗せ連れ帰る…言動の全てが二人の関係を進めさせないためであることが明白です。道長は、これが牽制であることに気づいたでしょうが、この場で身分を明かすような無分別はしません(道兼との差ですね)。

 そして、帰宅すると宣孝は「あの男には近づくな」と釘を刺します。宣孝が、相手を道長と分かった上での言葉か、風体から民と見なしたかはわかりません。どちらであっても、身分違いが理由であることに変わりありません。


 まひろは、「身分とはとかく難しいものですね」と憮然と返すしかありません。彼女の皮肉にも宣孝は「その身分があるからこそ諍いも争いも起こらずにすむのじゃ」とあっさり返します。現代的な個人主義や平等な社会といった概念もない時代です。宣孝の発言は当時の一般的なものの考え方であり、統治という観点からすれば一理あります。

 勿論、これが詭弁であるのも事実で、身分があるからこそ、諍いと争いを繰り返しているのが兼家たち上流貴族たちです。また、生まれつきの身分ですべてが決められることに矛盾があるからこそ、散楽で権力者を揶揄し、悪党として盗賊行為を働く直秀のような男たちもいるのです。


 宣孝は、さらに「貴族と民という身分があり、貴族の中にも格の差がある」と付け加えます。この発言で注目すべきは、貴族の中の格の差…「家格」に言及されていることでしょう。貴族たちは「家格」によって、就くべき地位も職業も決まっています。
 第1回で、詮子が三郎(道長)に兼家の子だから心配しなくても出世できると言いましたが、家格を指してのことです。能力ではなく、生まれによって決まる社会なのです。
 ですから、この家格を守る、あるいは家格を上げることが貴族たちの人生の目標とも言えるでしょう。下級貴族の為時が任官にこだわるのも、家格のためです。だから、宣孝は父、為時の出世の妨げになることは避けるべきだと諭したのです。


 しかし、母の死に関する為時を擁護するかのようなその言葉に腹を立てるまひろは、「学問とは何なのでございましょう」と学問の空虚と無力を嘆きます。根底にあるのは、博識な父に対する尊敬と漢籍に描かれた理想とはかけ離れ、権力者に阿るばかりの父への失望という二律背反に悩む複雑な思いです。

 貴族社会で生きることに達観している宣孝の答えは明快です。為時が学問に反した生き方をするのも、まひろがそんな為時に複雑な思いを抱くのも「人だから」と言います。人間は、人情と家格を守るという現実の中でバランスを取って生きていくしかないということでしょうか。人生における複雑な心境を象徴しているのかもしれません。

 しかし、その答えは、まひろにとっては、一定の意味は持っても、それだけでは納得しきれるものではありません。何故、身分制度が、母の死の真相を伏せ、故人とそれを偲ぶまひろの想いを踏みにじるのかという説明にはなっていないからです。ですから、父を「わかることも許すこともできません」としか答えられません。


 ただ、まひろは、そう言いつつも、物語の終盤、花山帝の即位によって遂に為時が任官され、祝いの宴が設けられたときは、やはり嬉しくなってしまうのですね。月を見上げながら、父の笑顔を久しぶりに見られたことを感慨深げに弟に話している場面は象徴的です。
 父の博識を尊敬し、それが生かされた仕事を得たことを喜ぶ。まひろは、貴族としての生き方の本分…父を中心として一家の繁栄に尽くすこと…をわかっているところもあるのです。
 しかし、母の死によって貴族社会の身分の矛盾に気づいてしまった彼女の心は、その宿命に委ねることを好しとすることができないのでしょう。だから、複雑な心境に苦しむことにもなります。


 もしかすると、彼女が道長を求めるのも、身分が違う彼ならば違う答えを持っているかもしれないという期待がどこかにあるからかもしれませんね。身分…正確には家格に縛られるからこそ、その苦しみから逃れたい…その本音は、道長が散楽に現れなかったことを彼の遠慮と見て出た「身分なぞ良いのに」という独り言にも表れているように思われます。ただ、本音でもあっても、彼女は貴族の身分を捨てることはできません(散楽師の直秀の飲みに行くかの誘いに即答できないことにも表れています)。

 貴族社会で生きていくためには、ある程度、その身分制度を受け入れ、自分の心中に落としどころを見出す必要があるでしょう。その諦めと割り切りが、貴族たちの処世術となって表れることは、前回のnote記事で指摘したとおりです。しかし、周りとの付き合い方、社会性を身に着けていないまひろには、まだまだ難しいことです。


2.貴族社会をしたたかに生きる母子~穆子と倫子の場合~

 まひろの身分制度への疑義は無意識のうちに漏れ出て、左大臣家のサロンでも周りとの軋轢を生みそうになっています。盗賊騒ぎでは盗賊を擁護し、市中を出回るなど貴族の姫君らしからぬ行動をしていることも明かし、呆れられています(倫子が、馬に乗れるという部分だけを「すごーい」と焦点化して周りの非難が起きる前に鎮めていますが)。

 更には「身分が高い低いなど何ほどのこと?というかぐや姫の考えは、まことに颯爽としていると私は思いました」と、「竹取物語」の解釈をとおして、自分の身分制度の考えを、やんごとなき姫たちを前に暴露してしまっています…(苦笑)女子社会で本音だだ洩れとか、無謀というか、無防備にもほどがあるいうか…まひろ…恐ろしい子(「ガラスの仮面」風)。


 自身の言動が、周りの姫たちへの批判になることに気づかないまひろに、サロンの主人である倫子は、すかさず「私が左大臣の娘、身分が高いことをお忘れかしら?」と厳しい顔で言い、敢えて場の空気を凍らせます。そして緊張の後に、「フフフ…ほんの戯言」と破顔一笑し、場を和ませます。
 貴族の姫君らが集うサロン内で、空気が読めない蛮族になりかけているまひろを上手く使ってサロンを回す、倫子の手口は鮮やかですね。
 …というか、まひろはいい加減、彼女がやんわりと貴族社会での作法を教えてくれていると気づいたほうが良いですね…手遅れになる前に…いや、痛い目見たほうが良いかもしれませんが。


 倫子は、まひろを上手くフォローしていますが、本当のところは彼女をどう思っているのかはわかりません。面白い奴、場を盛り上げる道具ぐらいには思っているでしょうし、裏表のないまひろが自分を慕っているのも丸わかりで悪い気はしていないでしょう。ただ、本音は決して見せません。あくまで倫子は、ただ左大臣サロンの主人の一人として、参加者全員に恥をかかせることなく気持ちよく帰っていただくことに腐心しているのでしょう。

 先にも述べたとおり、貴族たちにとって大切なことは家格を守ることです。それは女性も同じです。左大臣家のサロンであれば、華やかで賑やかで知的である空間であることが求められます。赤染衛門のような当代随一の教養人を教育係として招聘できるのも左大臣家だからこそです。サロンの評判は左大臣家の名を上げますし、また参加した姫君たちもその格が上がります。そして、彼女らは将来的には、倫子のシンパとして味方になるでしょう。

 今回、早速、花山帝に見初められる可能性を嫌がる倫子に代わって、まひろが五節の舞の舞手として送り込まれました(穆子の発案ですが)。男に見初められないという変な自信があるとはいえ、すっかり倫子シンパのまひろは二つ返事で引き受けましたね。「一生恩に着るわ」と大げさに言葉を添える倫子に抜かりはありません。

 こうしてみると、倫子自身はサロンを「遊び」と笑いましたが、非常に計算された話題作りと人脈づくりの空間だったのでしょう。そうしたサロンを滞りなく運営することも、穆子による倫子の教育の一環と思われます。笑みを絶やすことなく、イレギュラーな鬼子のまひろを巧みに使いながら、やんごとなき姫君たちの心も捉えていく…その手練手管は油断がなりませんね(笑)
 つまり、倫子は、左大臣家の姫として、教養も含めて、その家格に相応しい女主人となるよう教育されているのです。


 しかし、穆子と倫子は、家長である左大臣、源雅信の言うことを唯々諾々と聞くような弱い人でもないところが興味深いところです。左大臣家の家格を守る胆力を持った女性たちは、自己主張もしっかりします。花山帝の即位に先立ち、雅信は倫子に入内の意思はないかと問います。
 倫子を政争の道具にしないと公言し、娘を溺愛していた雅信が、方針転換してしまうのは、それだけ宮中の政…具体的には兼家の勢いが彼にとって厳しいということでしょう。雅信も他の貴族と同様、娘への愛情を超えて、左大臣家という家格を守ることが第一義になってしまうのです。


 しかし、倫子は、きっぱり好色と噂の花山帝に嫁いで幸せにはなれないから嫌だと突っぱねます。彼女は左大臣家の姫として、いずれはそれなりの家格の相手と結ばれる宿命は受け入れています。しかし、その家格の宿命の範囲内で自分が幸せになる相手を選択する自由を主張するのです。これは、貴族社会で生きていく覚悟を決めて、そのように育てられたからこその強さです。また、彼女の主張は、入内は左大臣家の益にならないという冷静な判断材料も含んでいます。

 ですから、穆子と倫子の二人からの反論にタジタジとなった雅信は、二人の正しさを認め入内の話を気の迷い、忘れてくれと言うしかありません。興味深いのは、本作ではこの結果、左大臣家も花山帝の御代は短いと判断し、彼を見捨てたことになったということでしょう。左大臣家の女性たちが、好色なだけの男は帝の器ではないと突きつけたようなものですから。
 ただし、花山帝、沽価法(市場の公定価格や物品の換算率)を定める、違法荘園整理と経済改革をしようとしていますから決してバカなわけではありません。ただ、味方は義懐親子くらいで人望がないのが致命的です。


 この花山帝への入内拒否のくだりは、後々、穆子が、女性に対して決して偉そうにしないフェミニンな道長に倫子を嫁がせることを勧め、倫子もそれを了承したことの伏線にもなっていくように思われます。彼女たちが、どういう観点から人物を見極めているかということです。そして、その後の道長の出世を考えれば、彼女たちには先見の明があったと言えます。

 倫子は、まひろとは対照的に…いや比べるべくもないほど格が違うのですが、平安貴族の生き方をきちんと理解し、巧みに生き抜くしたたかさを持った女性であり、だからこそ、実家の家格を守り、繁栄させていくことになるのですね。


3.実家への反逆の決意~詮子と道長の場合
(1)自身の心を守る道長の自衛

 身分制度を窮屈に感じながらもそこから抜け出せないのは道長も同様です。
 まず、まひろとの関係を見てみましょう。彼はまひろと対等に話そうとしていましたが、散楽師の直秀からは「娘の心を弄ぶのはよせ」と苦言を呈されています。直秀には、彼の誠実さも、結局は右大臣家という家格によって潰れ、まひろを苦しめることになると見えたからでしょう。「右大臣家の横暴は、内裏の中だけにしろ」という皮肉が効いていますね。

 売り言葉に買い言葉、道長は「そういうことは散楽の中だけで言え」とピシャリと言い返します。その惚れ惚れとするカッコよさは百舌彦がつい真似したくなるほどです。一方でその気になれば、相手と容赦なくやりあえる度胸と頭を持つ道長は、どうしようもなく兼家の血を継ぐ、兼家が期待する三男であることを証明していますね。


 ただ、生来、争いを好まず、人の好い彼は、直秀の「弄ぶ」という言葉を心に止め、まひろとどう接していいのかを悩みます。その点は、やはり誠実な人物であり、右大臣家に相応しい潜在能力を秘めながらも、人を陥れる権謀術策は向いていないことが窺えます。

 前回、兼家が道長に「上を目指すことは、我が一族の宿命である」と語ったように、右大臣家という家格は、政を担う上流貴族である以上、政権の奪取とその維持こそが与えられた役割です。兼家は、その役割に対して疑うことはなく、純度100%の野心で事にあたります。
 ですから、花山帝の即位という目的達成も通過点に過ぎず、祝いの席も次なる策謀の作戦会議にしかなりません。道隆は、花山帝の流言飛語を流す準備を整え、道兼は蔵人として花山帝の関心を買うことを申し出ています。父に教わった諜報戦を行う二人は、既に兼家に取り込まれています。


 因みに道隆が流した流言飛語が、『江談抄』で有名な「花山院御即位之日。於大極殿高座上。(略)先令犯馬内侍給之間」…即位した日に神聖な場所で女官と性行為をしたという話ですね。摂関家による貶めの説を取った展開ですが、この流言飛語が回りまわって、まひろが五節の舞の参加へとつながるので、今回のまひろにとっての衝撃のオチは、兼家らの策謀によるものなんですよね。まひろは、下級貴族の娘であっても貴族である以上は何らかの形で権力闘争に巻き込まれてしまいます。

 

 さて、未熟な道長はこの場で父に策を問われずに済みますが、卑劣な策謀に顔を歪めるものの父に逆らうことはできません。また、まひろに会いに抜け出したくても、道隆に我が家の結束という言葉を持ち出されては動けませんでした。
 ここには、「家」に個人を縛りつける身分というものの本質が端的に表れていますね。「家」に所属する者には、「家」という社稷に仕え、それを繁栄させ、次代につなげる使命が課せられています。
 直秀の「娘の心を弄ぶのはよせ」という指摘が道長にとって痛いのは、どんなに彼にその気がなくても、彼は右大臣家の片棒を担がざるを得ないからです。身分の問題は、個人の気持ちの持ちようではなく、「家」というシステムによるものなのです。


 結局、今の道長にできるのは、できる限り、父や兄たちの策謀から距離を置くことだけです。無能や呑気を装うのも、自衛の一つなのではないでしょうか。そうすることで手を汚す後ろめたさも、他人を羨む気持ちも、人様に怒ることからも逃げれれます。
 もしかすると彼は、世の中にある身分を始めとした矛盾を感じ取っているのかもしれませんね。しかし、右大臣家という「家」の宿命は彼を縛り、また三男という弱い立場はそこから逃れる方法も思いつかせません。
 となると、道長がまひろに会いたい理由もまた、まひろが彼に会いたい理由と同じかもしれません。

(2)詮子の目覚め
 さて、兼家と息子たちは謀議の後、酒宴を開きますが、そこに詮子が、帝に毒を盛ったのは本当かと、怒り心頭で乱入してきます。彼女は右大臣家の姫として養育され、その使命に従いながらも、その範囲内で子を成し、夫婦として幸せになろうとした女性でした。宿命に悩むことはあっても、それを疑うことはなく、純粋に円融帝と息子と実家のために心を砕いてきました。それが自分の幸せのためでもあると信じて…

 しかし、円融帝から突き付けられたのは、自分に毒を盛ったのは右大臣とお前か、という詰問でした。陰謀に荷担していない詮子には寝耳に水の話です。しかし、円融帝はこのことに頭を悩ませてきました。円融帝は、前回の兼家とのやり取りから、体調が優れない理由を毒を盛られたと確信したようです。
 おそらく時を同じくして上奏された晴明の進言から、晴明も兼家とグルだと気づいたと思われます。表向きの政で兼家の勢力が増すばかりか、身近な女御らに毒を盛られ、迷信深い人心を操る陰陽寮も兼家の配下…円融帝は周りにあまりにも味方がいないことに気づかされ、兼家に譲歩、禅譲を決心せざるを得なくなったのでしょう。
 「お前のことは生涯、許さぬ」「人のごとく血を流すな、鬼めが」という詮子への突き放した罵倒には、やるせない怒りや嫌悪だけでなく、いざとなれば帝にすら毒を盛る右大臣家の飽くなき権勢欲への恐怖もあるように思われます。

 勿論、詮子には身に覚えのないことですが、円融帝は聞く耳を持ちません。彼の怒りと恐怖は当然としても、彼女の言い分に耳を貸さないことはやりすぎにも見えますが、これこそが詮子入内の実態です。
 ここまで完膚なきまで叩き潰されたことで詮子も気づいたはずです。円融帝は、詮子を最初から妻として見てはおらず、またただの一度も詮子個人を理解しようとはしていなかったことに。円融帝は、彼女自身を一人の女性として心を通じ合わせることはせず、彼女を通して右大臣家を見て、それと戦っていたのですね。いつしか円融帝にとって詮子は、皇族に嫁いできた獅子身中の虫になっていったのでしょう。

 言い換えるなら、詮子の円融帝への恋心も、天皇家と右大臣家を共に栄えさせようした努力も、最初から彼女の一人相撲だったわけです。道具としての皇子を生むことだけが使命だったと言えるでしょう。
 もしも、兼家が円融帝と婚姻を通して政治的に融和していれば、円融帝の心もいずれ溶けたかもしれませんが、兼家の野心はと右大臣家の宿命はそれを許さず、毒を盛るという最悪の選択をします。そこに、彼女を慮る気持ちは一片もありません。兼家にとって娘は既に役割を終えたくらいの存在。要は、彼女は、上を目指すことを宿命づけられた家格の犠牲者なのですね。

 それだけに「帝と私の思いなぞ踏みにじって前に進むのが政」という怨嗟の言葉には突き刺すものがあります。誰一人、彼女に謀について相談をすることもなく、彼女の気持ちを聞く者もいませんでした。しかも、この期に及んでも、兼家は笑顔をまで浮かべて惚けるばかりで埒があきません。自然と追及の矛先は、三兄弟に向けられます。

 それによって、詮子は右大臣家の男たちの正体も見えたことでしょう。「嫡男なのに」(詮子)もかかわらず、毒盛りの陰謀を知らなかった道隆は、表向きを任された綺麗な操り人形。詮子の心も慮らず、たしなめるその優しそうな態度に真心はありません。疑問も感じることなく父の命を唯々諾々と聞くだけの彼は、自分の意思がない無能です。
 次に矛先を向けられた道兼は、妹の剣幕に恐れをなし、怯えて目が泳ぎます。腹芸をする度胸のなさが、父の評価に依存する彼の本質を示していますが、詮子は、彼が謀にかかわったことに気づいたでしょう。彼は父のために手を穢してしまう弱い人間でしかありません。
 そして道長は、姉の痛ましい姿に心を痛め、うつむきます。彼女の愛して弟は、心優しいですが無力です。詮子は、実家に絶望するしかありません。

 実家の策謀によって円融帝の寵愛を完全に失った詮子には、息子の懐仁親王しかいません。しかし、彼を養育する実家、右大臣家は、皇族に敬意もなく自分たちの都合で簡単に命を害することを厭わず、また身内も駒としてとことん利用するだかという非情さを当然とする男たちの空間です。「上を目指す」右大臣家の家格とは、所詮は卑しい野心家の身分でしかないことを、詮子は理解しました。だからこそ、我が手であらゆる手を尽くして、懐仁親王を守ると宣言し、怒髪天突いたまま、その場を退出していきます。

 そんな詮子を気鬱の病としてその場を誤魔化そうとする男たちは、薬師を遣わすことを伝えますが、彼女は「薬など生涯飲まぬ!」と言い放ちます。聞く耳を持たず誤魔化す兼家たちの卑しい本質、そして薬は毒から作るものですから何を飲まされるか知れたものではありません。彼女の「薬など生涯飲まぬ!」は、実家への強い不信と怨嗟と決別の言葉なのです。
 晩年、彼女は死に瀕したとき、投薬治療を進言した道長に「徳の高い僧侶に祈祷させている。それで治らないなら仕方ない」と返し、亡くなったとの逸話があります。彼女の信心深さを物語るこのエピソードの実際が、父と兄への強い恨みと決別だったという解釈は、興味深いですね。

 兼家は詮子の物言いを「興が覚めた」「気晴らしをしてやろう」と取り合いませんし、愚かな長男は「これで父上と我ら三兄弟の結束は増しました」と呑気なことを言っています。満足気な兼家ですが、道長だけが顔を背けて父に一礼したことに気づいているでしょうか?
 道長はまだ嫌悪のみで覚悟を決めてはいないようですが、恋する乙女だった詮子に関しては、この一件で政に目覚めます。後に懐仁親王の即位後、皇太后に冊立された詮子は、実資から「国母専朝事」と非難されるほどに、たびたび国母として政治に介入するようになります。そのきっかけが家族を駒としか思わぬ父、兼家の策謀というのが巧いですね。
 というのも、彼女こそが、息子を守るため、知恵を巡らせ、あらゆる手を打つことで、「上を目指す」右大臣家の宿命を実践することになるということだからです。

 そして、今は反発と不信を抱くだけの道長も、父とは別の道を選びます。三男である彼は、このままでは右大臣家の「家格」に縛られるだけです。独自の力を持つ以外に逃れる法はありません。彼は、左大臣家の姫、倫子を正室に迎え、左大臣家の後ろ盾を得ます。
 そんな彼に、詮子も援護射撃をします。彼女は、かつて祖父が、安和の変(藤原氏による他氏排斥事件)で失脚した源高明の娘を養育し、道長に側室として迎えさせます。
 詮子と道長の仲の好さは良く知られることですが、父への反発から絆を深め、右大臣家から政治的に自立するということになるのでしょうね。そして、彼らの動きは、最終的には兄の一族、つまり右大臣家を没落させていくことになります。兼家は彼らを侮っていますが、実は詮子という獅子身中の虫という敵を作り出し、また三男にも「家」への不信を抱かせる致命的な選択をしたのです。

 

おわりに
 
左大臣家という家格をしなやかに引き受け、したたかに成長していく倫子。右大臣家の血塗られた家格の犠牲となったことへの反発から、国母として政治に目覚めていく詮子。彼女らの動きは、やがて結びつき、心優しい道長を権勢の頂点へと導くことになります。
 今は兼家ら男たちが政治の主導を握り、女性たちはその犠牲になっているように見えますが、実は女性たちこそが政治を決める重要な要素になっていくのです。第4回は、家格を前にした女性たちの選択をとおして、女性たちのしたたかさの原点を仄めかしたと言えるでしょう。
 彼女たちの政治的な動きに、やがてまひろも巻き込まれることになるでしょう。

 しかし、今のまひろと道長はそこまでの覚悟ができてはいません。二人が、身分制度によって、否応なく引き裂かれ、その後、自身の家の家格を引き受けるとき、道長は倫子を娶ることになるのでしょうし、まひろは父を「わかることも許すことも」できるような大人になるのでしょう。
 まずは次回、二人に大きな試練が訪れそうです。心して見届けましょう。

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