見出し画像

「どうする家康」において、三河一向一揆とは何だったのか その2

(2)商業的性格を重視して描かれた本證寺と民衆の思い
 本證寺はどんなところか、それを説明するために、蟻がゾロゾロ這っている木々か建物の梁を画面手前にナメた形で本證寺に集う民の姿を俯瞰から捉える映像を入れています。第7回はタイトルバックで蟻が描写され、また竹千代時代の回想シーンでも蟻の連なる様子がわざわざ挿入されていますが、そこにこの民を映す俯瞰の構図を入れることで、「蟻=民」であり、民がこのシリーズのテーマの一つであることが明確にされます。そして、「蟻=民」が集まる本證寺にこそ民の求めるものがあるのです。

 さて、その本證寺、外見は要塞化された寺院ですが、城郭考古学の千田嘉博さんによれば、当時の岡崎城より堅牢だそうでイメージどおりと言えそうです(この辺はどうする家康ツアーズでも確認できますね)。しかし、重要なのはその内側の寺内町です。そこに広がるのは、岡崎の城下町よりも物に溢れて豊かな楽市楽座のような商業都市(本願寺など一向寺院は鉄砲の製造、売買を中心とした商業的性格が強く、本作で一揆時に豊富な鉄砲を揃えていたのもそのため)。一方で民たちに食べ物も与える慈善施設としての機能も有している。民たちはそこで騒ぎ、踊り、一時の狂乱に身を任せている。
 戦に明け暮れ、兵糧に喘ぐ家康にしてみれば、その裕福さは信じがたいものとして映り、民たちの祭とも言うべき晴れの姿もまた下品なものにしか見えない。自分は国や民を守るために戦っているのにこいつらと来たら…という思いがこみ上げる家康の表情が象徴的です。

 その思いを逆なでするのが、本證寺のリーダー空誓です。彼は、民が一生懸命働いているのに幸せになれないのは武士が搾取し、戦ばかりするからだと説き、民を納得させていきます。この「武士は民を苦しめる側」だとする空誓の主張は、民から年貢を搾取する為政者の理想では民の腹は満たされないことを喝破しています。支配の本質の一つは搾取ですから、これは正論です。信長は領土を実行支配できていない現実から家康の「一つの家」の無力を指摘しましたが、空誓は民の立場と気持ちからその空虚さを指摘したのです。つまり、為政者と家臣&民との関係性に無自覚な家康は、支配の何たるかが全く分かっていないのに「一つの家」の理想を掲げた。その理想が善意から出たものであっても周りには迷惑でしかない。そのことを物語上で露呈させるのが、この場面でした。冒頭の幼き頃から英明だった神君家康公らしさも実は学びを理解してなどいなかったという恒例の神話崩しだったのですね。
因みに空誓を演ずる市川右團次さんの張りのある朗々とした声と貫録がアジテーターとしての説得力となり、家康の焦燥感(松本潤くんの苛立つ表情も良いです)に拍車をかけているのが効果的で、その後の空誓との問答に繋がっていくのは良く出来ていますね。

 さて、その問答でも家康はその未熟を露呈してしまいます。「民を苦しみから救うこと」を目的にしている空誓に対して、民から搾取し戦をしている家康が戦を無くす方法を聞いてしまうのは滑稽そのもの。だから空誓の「知らん!」という答えは明快です。統治者として国を守ることと、民に寄り添いその苦しみを除こうとすること、どちらも善意による行為ですが全く立場が違い、議論は平行線にしかなりません。マクロな視点による家康の立場は大局を見ることができますが、民そのものに目が行き届きません。逆に空誓の立場は民の生活や心に寄り添うことは出来ますが、先行きや全体像といったものが見えません。家康側の欠点は後述するとして、空誓の大局が見られないという欠点は、三河一向一揆が彼の考えている以上の惨事になり、死傷者がたくさん出てしまったことへの呆然とした姿、民に「すまぬ」と土下座する姿に凝縮されています(この思いが和睦への道になりますが)。そういうわけで、この場面は家康の未熟さは描いていますが、どちらの立場も正しいとは描いていません。また、死と共に極楽往生できると説く一向宗の空誓が、民の死に耐えきれず土下座するという場面は面白いですね。ここには、彼が狂信者ではない現実主義者で、民の生活を救う真心を持っていたと示すと同時に、本證寺の商業的性格とも呼応しています。ですから、空誓はカルト教団の教祖のごとく描かれ、宗教の恐ろしさを感じさせる部分もあるのですが、本作ではあくまで家康の側から見た場合はそう見えるという限定的な描かれ方をされているのは注意しなければならないでしょう。

 話を元に戻しましょう。家康は、空誓との問答も不発に終わり、不謹慎に見える民と共に踊って馴染むことも出来ず、そしてそんな踊りに瀬名や於大の方といった家族や家臣が楽しげに参加するのを見るにつけ、彼にとっては理解不能の本證寺から不入の権を取り上げ、年貢を徴収することになります。家臣に相談することもなく独り善がりで一方的な正義感が「不浄だ」「けしからん」という言葉に凝縮されています。彼は家臣の言葉の切実さも理解せず、苦しみから逃れたい民の現実を見ても自分の国を守る行為の邪魔としか見えず、兵糧米の確保を優先させます。これは「食よりも信が大切」と説く『子貢問政』の真逆を行く行為。こうして、彼の中に幼少期の学びが生きていない、神君に非ざる結果になったのです。
 因みにこの三河一向一揆を煽るのは松平昌久、吉良義昭を巧みに操る武田の間者、望月千代女ですが、今回の武田の謀略はあくまで触媒でしかありません(一向一揆後の展開を匂わせる存在にはしています)。家臣を信じず、民の苦しみを知らず、統治(搾取)の意味を知らない家康の甘さから三河一向一揆が始まるのです。

(3)家康との対比で際立つ瀬名の現実感覚
 独り善がりな理想を夢想する家康に対して、現実的に振る舞うのが瀬名(有村架純)です。第7回の序盤から、真摯に家臣と向き合い、家臣の女房たちと戯れ、そして姑、於大の方の強引さに振り回されながらも三河の人々と土地に馴染もうと素直に努力する瀬名の姿が生き生きと描かれます。ここには従来の気位の高い築山殿という悪女のイメージを払拭するだけではなく、瀬名の覚悟と成長が見られます。
 
彼女は第6回で父と母を氏真の処刑によって失いますが、それは長きに渡り過ごした駿河という故郷そのものを失ったことでもあります。竹千代と亀姫を抱えた瀬名は、一人の母として、妻として、三河で生きていく以外ないのです。ですから、彼女は三河に馴染むことに精力的であり、三河の人々の思いや風習にも積極的に参加しようとするのです。一方で両親を失った瀬名はこれ以上、何かを奪われることをとても恐れています。ですから、三河一向一揆が起こるに至っても「戦は嫌なのです」と言いますし、また改名に際して「ものごとがやすやすと進むように」と「泰康」という名前を勧めます(要らないシーンとの指摘もありますが、その後の瀬名の運命を考えればとても痛いシーンにもなっていますね)。

 ともあれ、三河で生きる覚悟を決めている瀬名は於大に誘われての本證寺の潜入でもまず彼らを理解しようと努めています。だから家康と違い、彼女は民と共に踊り、その場に興じられるのです。本證寺を「あんなにいいところ」という瀬名の言葉には、民が何を求めているのかを本證寺で理解できたことが窺えます。戦は嫌という思いも共通していますから尚更です。この彼女の家臣や民への理解は、「家臣がお寺についたら?」などの的確な苦言でも冴えわたります。もっとも、こうした妻の思いは夫には上滑りします。苦言は「女は口を挟むな」で封じ、「戦は嫌」には根拠のない「大丈夫だ」ですから。「あほたわけ」と言うのも当然ですね(このズレが後々の二人の溝のきっかけかと思わないでもありません)。

 こうした瀬名の家臣や民への理解とは対照的なのが、家康の家臣の扱い方です。家臣に相談することなく進めた不入の権の取り上げ、次々と離反する家臣たちの気持ちを慮ることなく怒りに任せて、逡巡する家臣たちに本證寺との戦いを強要するなど失策を重ねます。家臣への不信を抱き、苛立つ彼は相も変わらず夏目広次の名前を間違え続け(彼の苦悩を知る気もない)、服部半蔵には毎度「遅い!」と罵倒するばかり。一見ユーモラスに見えるこれらのシーンに家康の致命的な問題を絡ませてあるのが見せ方の巧さ。ここには瀬名奪還作戦の「ワシは信じる」と言った家康はありません。実は、あの「信じる」は自分の思う方向に事が進むよう「信じたい」という思いから発せられた部分が強くあり、家臣を信じ切っている言葉ではなかったのでしょう。
 
 家臣と民への理解が深い瀬名と無理解な家康との対比が顕著に表れるのが、一度は一揆側につきながらも家康を守った土屋長吉重治の死に際です。このとき、瀕死の彼に対して信仰と忠義の板挟みの苦しむ彼の気持ちを察したのは家康ではなく瀬名です。どこまでも家康は理解せず泣き叫ぶばかり。それゆえに彼の最後の忠心から出た「裏切者が他にもいる」という言葉を家臣全員への不信だけに換えてしまう。家康の主観目線で家臣ら全員を疑う映像にしてあるのが秀逸で、近視眼的に自分のことしか見えなくなる家康を見事に表現しています。

 因みに『寛政重修諸家譜』によれば、徹頭徹尾、家康の忠臣として戦死している土屋長吉を敵に寝返ってもやはり主君の魅力には勝てないという美談にしたのが『徳川実紀』。つまりこの逸話は神君家康公の神話の一つですが、その逸話を家康の器量不足に繋げているのが皮肉ですね。
 そして、正信の裏切りに関する報告で、遂に彼は家臣に不信しか抱けない氏真と同じになります。信頼すべき家臣も家族もいながら、何故、瀬名曰く「一つの家がバラバラじゃ」になったのか、何をすべきなのか、それは第9回へと引き継がれます。

その3に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?