見出し画像

「どうする家康」第33回「裏切り者」 徳川家中の愚かさが数正を裏切り者にしていくまで

はじめに

 石川数正の離反は徳川家の痛恨事でありながら、その子細は謎(有力な説はありますが)です。

 今川人質時代の近侍であり、命を張って家康の妻子を救い、また三河一向一揆では改宗してまで家康の側につき、西三河の旗頭として数々の武功をあげ、信康の後見人でもあった、名実共に家康を知り尽くした股肱の臣…その数正が何のために家康の元を去ったのか。
 徳川家最大のミステリーが、天下の趨勢の動き、秀吉の権勢の正体、天下一統がもたらすものといった大局と絡めて、描かれました。

 それは、前回までに最高潮に盛り上げた徳川家の絆そのものが、一人の忠臣を孤立させ、悲劇的な決断へと追い込むというもの。謂わば、小牧長久手の勝利が、徳川家に影を落とすという暗転となったのです。小牧長久手の勝利とは何だったのか…それを問い掛ける展開に、勝利の美酒には酔わせきってくれない「どうする家康」らしさがあります。

 一方で、視聴者の中には、何故、数正は決定的な事態になる前にもっと家康と色々、話さなかったのかと歯痒く思う方、数正の真意を訝る方もいたのではないかと思われます。彼の家中での孤立は、忠勝・康政・直政ら三傑の疑念だけではなく、胸中を打ち明けない彼の側にも問題があるように見えます。

 そこで、小牧長久手で大勝したはずの家康たちが、何故、秀吉に屈服しなければならないのか。結局は徳川家を屈服させる秀吉が目指す天下一統の恐ろしさについて、数正の苦悩、家康&家臣団とのすれ違いのドラマから考えてみましょう。


1.狡猾な秀吉と浮かれる徳川家との間に入る寡黙な数正の憂鬱

(1)信雄との和睦に見る秀吉の交渉術

 オープニングアニメーションは、画面に落ちた墨一滴が広がるところから始まり、やがて書き殴るような筆回しと不穏なBGMによって、画面が墨一色で塗りつぶされていきます。あっという間の情勢の変化によって、輝かしい勝利が意味をなさなっていく様。徳川家の命運に暗雲が立ち込めることを予期させます。


 物語冒頭では、それを象徴するように信雄が秀吉に屈服するに至る経緯が簡単に語られますが、この説明から見えるのは、信雄の情けなさではなく、秀吉がいかに巧妙に電光石火で信雄の本領の一つ、伊勢を攻め立て、信雄に根をあげさせたかです。伊勢では、前回、信雄が誅殺した家老三人の一族が反乱を起こしました。つまり、信雄の最も脆いところを突き、それを梃子に猛攻撃を加えたのです。

 そもそも、戦のセンスはあまりない信雄は、あまりの勢いに慌てて、伊賀と伊勢半国を割譲させられるという屈辱的な講和条件を呑むしかなかったのです。つまり、家康にとって信雄は勝手に和議を結んだ「裏切り者」ですが、追い詰められた結果の仕方のない降伏であり、卑しい裏切り者ではなかったということです。浜野謙太くんのどことなく憎めない信雄ならば、卑しさは無さそうな気がしますね(笑)

 とはいえ、秀吉包囲網の重要な一角は脆くも崩れ始めました。包囲網の一番弱いところを崩した秀吉のやり様は理に適っています。


 さて、その和議が結ばれたと思われる席で、秀吉・秀長は、100万石の所領のうち78万石を安堵されることで安心する信雄を上座に置き、酒を酌み交わしています。この構図に、秀吉の狡猾さが表れていますね。形式的に信雄の体面を立てることで「主家の愚行をお諌めした忠臣」という秀吉自身の大義を担保しているのです。信雄のためではありません。

 「どれだけつらかったか…」と毎度恒例の秀吉の嘘泣きを苦々しく見る信雄の表情には、この和議が彼にとり、いかに不本意であったかが窺えますね。能天気な彼でも流石に騙されません。


 秀吉の嘘泣きを横に、有能な秀長は淡々と家康を説き伏せるよう信雄に依頼します。78万石安堵の恩義と屈服の証に仕事をしろ、というわけです。建前は主家でも立場が逆転した今、信雄はそっぽを向きながら渋々、承知するしかありません…が、その様子が見えているかのように秀吉は、間髪入れず「人質を連れてくるといいわ」と言い、信雄を慌てさせます。

 あくまで秀吉の狙いは信雄ではなく、家康を屈服させることにあることが分かります。裏切り者にさせられた挙げ句にこの扱い…信雄に立場はありませんが、どうしようもありません。これが秀吉に逆らった者の姿であり、それは将来の家康の姿と重なりますね。後年、家康は、小田原征伐で同盟者の後北条の元へ、秀吉の道案内をすることになります。


 さて、秀吉は「人質は聞こえが悪いわ、徳川殿の息子を一人、養子にほしい」と薄ら笑いしながら訂正します。武士のプライドの高さを熟知する彼は、せせら笑うように家康の体面が保てる案にします。一般にこの和議における於義伊養子の件は、徳川方は養子で対等な返礼と認識し、秀吉方は人質認識だったとされますが、ここでは秀吉の提案とすることで、彼の名より実を取る余裕と狡猾さを表すものとなっています。

 とはいえ、あくまで勝敗をはっきりするための人質案ですから、それが叶わねば「滅ぼしてまうでよ」と虚ろな瞳で恫喝します。秀吉の嘘とバレても続ける猿芝居は、自身の恐ろしい本性を隠すカモフラージュ、相手を煙に巻く手段なのかもしれませんが、垣間見える本音の恐ろしさは、逆に際立ちますね。

 ですから、秀吉の言葉に、画面外で咳き込んでしまう信雄の焦る気持ちは当然なのです。この秀吉の提案を家康に呑ませることは、自分自身の首もかかっていますから。しかし、ここにきて腹芸も出来ず、素直に反応してしまう信雄。根は悪い人でないようで気の毒です。芸術に明け暮れるのが丁度良い御仁なのでしょう。



 この和議の場面は、秀吉の交渉の基本型が見えています。相手の弱点を徹底的に攻め立て屈服させ、その上で相手の望むものを秀吉が改めて与える…この飴と鞭のアップダウンで上下関係を確定します。そして改めて与えた恩義のため、彼らを働かせます。なお、今回、割譲させた領土は脇坂安治らに気前よく与えています。秀吉は痛むところがありませんから上手い手ですよね。

 そして、秀吉が本性を表し、人質を要求したのは、信雄の調略によって、小牧長久手の戦いを含む大戦の勝利を確信したからです。言い換えるなら、この人質発言は、家康の敗北を決定づけているんですね。したがって、実は第33回は、その敗北を家康たちがいかに自覚し、受け入れられるのか、という話なのです。




(2)理解されない非戦論者、数正の胸中

 とはいえ、家康側からすれば寝耳に水、いきなり梯子を外されたようなものですから、家康は和議を進める信雄の書状を前に悔しがります。また、自分たちこそが小牧長久手で勝ったと信じる若き家臣らは、怒り心頭に口々に徹底抗戦を唱えます。

 冷静なのは宿老二人と正信です。忠次は、信雄の降伏により戦の大義が失われたことを認めざるを得ないと助言し、数正もそれを認めます。前回、「秀吉は必ず、我らの弱みにつけこんでくると存じます!」と家康に注意喚起をし、信雄を見やっていた数正にしてみれば、この展開は予想の範疇だったはず。視線を床に落とした憂鬱な表情からは「やはりそうなった」という暗澹たる気分が窺えます。


 哀しいのは、その思いを家中の誰とも共有出来ていないことです。元々、数正は、海老すくいなどで家中のムードメーカーである忠次とは違い、皆の輪に加わるよりも、一歩引いたところから冷静に事態を見守り、時には苦言を呈することを役割としています。
 そうした人は物事がよく見えるがゆえに付き合いが悪いようなところがあり煙たがられるものです。ただ、これまでは、対照的な忠次と阿吽の呼吸で、その煙たさも信頼の一つとして重んじられ、上手く機能してきたのですが…。

 元々、彼は小牧長久手開戦前から、家康がやる気満々になっているのを見て「お止めすることができそうにない」と嘆くほど、今回ばかりは非戦論でした。数々の武功を立てた彼が今更、戦そのものに臆病になるはずがありません。その彼がこう述べるのは秀吉との折衝を彼が一手に担い、彼だけが秀吉の「破竹の勢い」の実態を把握しているからです。
 が、家康と自身の意見が一致しないことを自覚してしまっているため強く出られず、「お止めすることができそうにない」のです。そして、小牧長久手では、有利な和議を唱え、忠勝らの反発を買い、家康にも諫められてしまっています。勝利に湧いている今の徳川家で、家康の意向に添わない自分の意見を聞く者がいないと悟ってしまっているのかもしれません。



 さて、宿老二人の意見を受けて、他の若手家臣団からは一歩外れた場所に座る正信が「仮初めの和睦」を結び、様子を窺うしかないと進言します。どちらとも取れる玉虫色の提案は、主戦論の忠勝たちも非戦論の数正にも中立の忠次にも受け入れられる折衷案です。ここで、数正は力強く「殿が行ってはなりませぬ!養子も断りましょう!」とあくまで家康を守ろうとしています。
 以前のnoteでも触れたように、当主が相手方の城へ無条件で挨拶に行くということは臣従を意味するからです。数正のこの申し出に「言ってくれるか」との家康の語調には、長年の股肱の臣への信頼が見えますね。我が意を自分に代わって、秀吉に話せるのは数正をおいて他ないのです。


 こうして、一旦、矛を収めることになりましたが、家康は「仮初めの和睦じゃ、秀吉に屈することは断じてない!」と決意を新たにして念押しし、家臣たちを鼓舞します。どうあっても、家康は秀吉を打倒し、自身が天下を治めることに拘っています。その盲目的にも見える危うさを助長しているのは、小牧長久手の大勝です。そして猛る家臣団もそれは同様です。これまでの戦いであれば、一勝したところで慎重になるはずの彼らは何故かいつも以上に生き急いでいます。


 それが分かるだけに数正は、交渉役を買って出たのでしょう。冷静ではない彼らに任せれば、事を拗らせる可能性がありますし、まずは一旦でも矛を収め、ワンクッション置けば、家康を冷静にさせられる機会もあるからです。おそらく、この時点でも、数正は独り、悲壮な決意の元で秀吉との交渉に向かっているのです。圧倒的な力を持つ秀吉に徳川家に滅ぼされないようにする、そのためだけに。どんなに高邁な理想があっても滅びてしまえばおしまいです。最終目標の理想も夢と果てますから。家康の願いを叶えるためにも和睦は必須です。

 しかし、この家康の判断は秀吉包囲網を完全に瓦解させたことも言っておくべきでしょう。信雄と家康に呼応して蜂起した越中の佐々成政、四国の長宗我部元親、紀州の雑賀党は分断されてしまいます。彼らからすれば、家康の行為こそが「裏切り者」なのですね。


 オープニングが終わると、秀吉談判を終え、落胆した表情の数正が草鞋を脱いでいます。結果は言わずもがなです。数正は、家康に「満足な結果を得られず、申し訳もございません」と平伏するしかありませんが、家康たちはただ労うのみです。彼らが知る限りでも秀吉が一筋縄でいかないことは分かりますからね。

 そして、数正は「こんなものまで押しつけられました」と碁石金がびっしり敷き詰められた箱を取り出します。「ホホホホホッ!こりゃあすごい!」と喜色満面に金に目を眩ませているのは、どこから現れたという感じの正信です。臆面もなく黄金に手を出す正信の手を数正が叩き払う中、忠次は、その成金趣味の引き抜き工作に「この堅物を金で釣ろうとは…」と呆れます。

 しかし、忠次の文言自体は間違っていませんが、一方で敵の家臣にすら大盤振る舞いし、接待漬けできる秀吉の現在の力を家康に見せつけるメッセージであることが抜け落ちています。ですから、「徳川家中の絆の強さを知らんのだ」と豪語、大笑いして返しています。忠次が言うとおり、徳川家中の絆の強さは強力なものであり、これが最大の武器であるのは事実です。しかし、金の力もバカにできません。何事も金がなければなすことはできず、人も動きません。最後は忠義だ知勇だと精神論を唱えてしまう、その脆さが、徳川家にはあるのです。


 ですから、寧ろ、数正にはたかれた後も真面目な言葉を言いながら、手だけは興味津々に何度も金に出して数正にはたかれるというコントを繰り返す正信だけが、この秀吉の財力というものの力を正確に理解していると言って良いでしょう。胡乱な正信の行動が、どこまで意識的なものかは、しかとは分かりかねますが、彼のふざけた行動は人の欲とはどういうものか、それが世の中を動かすことを端的に見せています。



 長丸、福松が幼いゆえに人質となる子をどうしたものかと思案する一同に、忠次はもう一人お子がいると進言します。そう、追放されたお万の子、家康の次男、於義伊です。そして、召し出されたお万は久方ぶりの家康との対面を喜び、臆することなく「この話、是非にもお受けしとうございます」と自ら切り出し、於義伊を事実上の人質として秀吉の養子とすることを了承します。そして、更に万が一のときには、この子の命を気にするには及ばないとまで言い切ります。


 松井玲奈さん演ずるお万は第19話以来の登場ですが、年を重ねて、風呂焚き娘のときには見せなかった凛とした強さが見えます。これまでの苦労と同時に、家康との間の息子を育て上げた自負が、彼女をそうさせているのでしょう。彼女が、於義伊を育て上げたと自負できるのは、「いずれ殿のお役に立つ子に育てます」(第19回)という瀬名との約束を果たしたからです。あの回を思い返せば、お万が尊敬し、自身の思いを託したのは、家康ではなく正室の瀬名です。

 そして、「政もおなごがやれば良いのです(中略)お方様のようなお方ならきっと…」というお万の言葉に促されるように瀬名は、能動的に「戦の無い世」を目指し、散っていきました。瀬名は、成功はしなかったものの、託された願いを形にしてお万との約束を守ったのです。となれば、今度はお万が瀬名との約束を果たすのは、ごく自然なことと言えるでしょう。こうして、家康の前に現れ、息子を人質として差し出す行為自体に、お万が瀬名の死をどう受け止めたのかが察せられます。

 果たして、お万が自信をもって育てたあげた於義伊は、母の言葉を受け、「私のことは捨て殺しとなさってください」ときっぱり言ってのけます。城に上がったときには覚悟を決めていたのですね。家康は、於義伊の覚悟に感じ入り、天下五剣の一振り、童子切安綱を餞別として与えています。

 因みに史実では、家康は勝頼との戦の忙しさからか、なかなか於義伊と対面しなかったと言われます。そんな異母弟を案じ、家康との対面を取り次いだのが、あの優しい信康だったのです。つまり、於義伊の覚悟の裏には、自分を慈しんでくれた信康への思いもあったかもしれないのですね。

 お万は徳川家の危機に自分の生んだ子が役立てることをもって「この世に無用のことなど一つもございません」と微笑みますが、これは家康を慰めたお万との偶発的な関係だけではなく、瀬名とお万の約束、そして於義伊を家康に引き合わせた信康の真心、それらの関係とも響き合ってきますね。家康は今も妻子たちに守られているのです。そして先の忠次の言葉「徳川家中の絆の強さ」とも細やかに響き、徳川家の結束力を強調します。


 その頃、数正もまた自分の次男を小姓として、於義伊につけて送り出します。此度の一件は、自分が秀吉との交渉に失敗して招いたもの。無傷ではいられません。せめて、息子を送り出す主君とその思いを共有し、責任を取ろうと思うのでしょう。「徳川家の絆の強さ」ゆえの行動です。

 しかし、かつて、今川家に送り出されるときに付き従った数正は今また、自分の息子を若き日の自分と同じ形で送り出さねばならない親としての気持ちは複雑でしょう。厚遇された家康と違い、家臣たちはそれなりに苦労を重ねているでしょうから。妻に「良いな」と言い聞かせる言葉は、自身にも向けられた言葉でもあるでしょう。その顔は晴れることはありません。




2.関白秀吉の野望に独り耐え、徳川家中の罵倒にも独り耐える数正

(1)秀吉、遂に関白に~名実共に信長越えをしたその意味~

 さて、場所は急遽、上田城へ移ります。「真田丸」ファン、あるいは「真田太平記」ファンが待ち望んだ真田親子が登場します。屋内ですもも(長野の名産です)を齧るのは、真田昌幸38歳です…ふぁ?!なんだ?この白髪、白髭の爺は…とても、その後、息子、信之の義父となる山田裕貴くんの本多忠勝37歳と一つ違いには見えません…それどころか、佐藤浩市さん演ずる昌幸は草刈正雄さんのそれよりも老け込んでいますね(笑)
 まあ、晩年以降の老獪な貫録ある油断ならぬ曲者のイメージを前面に押し出した雰囲気としての登場と納得しておきましょう(笑)

 この見た目だと分かりにくいですが、実際は38歳。沼田を北条の和睦条件として真田から取り上げる際に、家康が「恨まれるのはわしの役目」と安易に引き受けた(第30回)のは、若輩の国衆一人ぐらいは何とかなると思ったのかもしれませんね。当然、この甘い見立ては、家康を晩年まで苦しめることになります。


 さて、そこに「徳川殿と揉めとるようで」と現れたのは秀長です。大阪から上田は尋常ならざる距離です。ですから、秀吉と昌幸をつないだ連絡係は、歩き巫女のような芸能集団で春松太夫という幸若舞の舞手であったと言われますが、本作では、息子信之曰く「大名でもない父上」(「真田丸」)である昌幸の元に、秀吉の腹心である秀長が来ています。それは、秀吉の家康攻略において真田が重要であることを示しています。
 先も述べましたが、相手の脆いところを崩すのは、戦の定石。家康と北条との和議の関係で、沼田を取り上げられそうになり「我らをないがしろにされたわけだ」と不満を持つ真田昌幸にターゲットが絞られるのは当然です。

 全国に情報網を張り巡らせ、逐一、秀吉の元へ情報が集まってくる。これが、秀吉たちの強さの秘密の一つでしょう。


 そして、秀長が、昌幸を調略することは近視眼的なものではありません。そもそも、武田領の国衆たちは便宜上、家康の配下となりましたが、心から忠誠を誓っているわけではありません。真田の働き次第では、他の国衆も翻意する可能性があるのです。そんな旨味を秀吉が見逃すはずがありません。長期的な展望もあるのです。

 「上杉と手を組み申したがなかなか役には立たぬ」と愚痴る昌幸に仲裁を申し出、そして「天下の揉め事を納めるは我が兄の勤め」と嘯きます。その言葉に真実を見た昌幸は、自分だけが食べていた山盛りのすももを勧めます。これで交渉成立というわけです。

 


 「天下の揉め事を納めるは我が兄の勤め」と嘯きますが、武士の棟梁たる征夷大将軍は信長に追放された将軍、足利義昭が今も手放しません。にもかかわらず、それが言える事態が起きます。それが、秀吉の関白就任です。尾張中村の百姓が遂に上り詰めたこの出来事。二条昭実と近衛信輔の間で発生した関白の地位を巡る朝廷内の争い(関白相論)の仲裁を利用した秀吉が、一時預かりを名目として関白職をかすめ取り就任したのです(背景は色々ありますが割愛します)。

 五摂家しかなれない関白職につくため、秀吉は近衛前久(「麒麟がくる」で本郷奏多くんが演じています)の弱味を握り、脅し、彼の猶子となることで、藤原姓となっています。強引だけれど合法的に地位の簒奪と家柄ロンダリングを成功させたのです。近衛家は、次代には関白職を返してもらえると信じて、秀吉の要求を飲みましたが、秀吉の目的は既成事実化にありますから、その後も返すことはなく、後年、甥の秀次に譲ることとなります。


 


 関白就任は、流石の家康も「そんなバカな…」と絶句する他ありません。忠次は「秀吉は天子様の次…これで名実共に信長を越えました」と淡々とした事実を伝えるのみです。秀吉の関白就任は重要です。関白とは、成人の天皇を補佐する立場(名目上は最終的な決裁者は天皇)ですから、これにより秀吉こそが事実上の朝廷となりました。つまりは、秀吉が命じて、天皇の裁可を得れば、家康はすぐにでも朝敵となるのです。家康は、秀吉と戦う大義名分を根こそぎ奪われたのです。


 信雄の調略に始まる家康との早期講和、臣従しない家康を押さえるため上田の真田と結ぶ…更にこの間にも紀州の雑賀党を制圧し、四国征伐も行っています。とにかく、全国に渡るフットワークの軽さが、尋常ではありません。また、雑賀党の制圧も藤堂高虎に命じての暗殺ですし、四国征伐でも秀吉自身は出陣もしていません。つまり、秀吉の軍勢はそれだけ膨らみ、人材も増え重要案件すら人任せにできる状態になっているのです。だから、全国規模の多角的な戦略の展開を可能としているのです。

 徳川家中は数正以外ほとんど理解していないようですが、正信の言う「秀吉は破竹の勢い」とは、まさにこのことなのです。その仕上げとなるのが、そして関白就任になります。これまでは、権謀術数と武力によるその制覇に、朝廷からの大義名分が与えられるからです。そして、この翌月には佐々成政もまたほぼ抵抗することもなく剃髪し、降伏します。


 こうして、秀吉包囲網と呼ばれたものは、家康包囲網へと次々と反転するのです。物語の流れが、歴史のうねりがオープニングアニメーションと連動しているかのようですね。秀吉の覇道に日本中が塗り替えられていきます。こうした秀吉の動きについて、8/23の「歴史探偵」にゲスト出演した松本潤くんが「スピード感が凄い」と評していましたが的を射た表現ですね。そして、実態は覇道であっても、名目上は王道にしてしまったという点が巧妙です。この既成事実を覆すことは、容易ではありません。

 家康が手をこまねく結果になったのには事情があります。描かれてはいませんが、この時期の徳川家は、領国内が地震と大雨による被災という深刻なダメージを受けています。これに加えて、小牧長久手の戦いの戦費もあります。領国内の荒廃に汲々とする家康では、秀吉の潤沢な資金と武力を背景にした全国規模の調略に適うべくもなかったのです。天運虚しく、家康の勝機はとうに失われていたと言えるでしょう。



 ですから、外堀を徐々に埋めた秀吉が家康に更なる臣従を求めるのは、当然の流れです。それは、結果的に交渉役である数正の岡崎⇔大阪への往復を増やすことになります。ここまでの流れを見れば、この交渉はジリ貧になるしかないのは明白ですが、まだ秀吉と対等であると信じる徳川家中では、そのことが分かっていません。

 徳川三傑(忠勝、康政、直政)たちは、「百姓出の猿が関白とは朝廷もどうかしておる!」、「金につられたのだろう」と散々にこき下ろしています。徳川改姓で毎年300貫、公家衆に払う羽目になった件(第11回)を思い出しているのかもしれません(あ、これも近衛前久が噛んでいましたね)。しかし、関白就任という事実の大きさを理解していない様子も見えます。あくまで金にあさましい朝廷を嘲り、未だ秀吉を百姓という出自だけで判断し、甘く見ていることも窺えますね。あれは、ただの猿でないというのに…

 ですから、忠勝は、それよりも「数正殿はこれまでも損な申し出ばかり突きつけられておる」と交渉が上手くいかないことに苛立ち、あまつさえ「老いたかもしれん!」と数正の能力のほうを疑い出します。そこに直政が、数正には秀吉から金をもらったという噂があることを告げ、三人は不信感を募らせていきます。


 描かれてはいませんが、秀吉は数正を引き抜くためにしたことは黄金を与えたばかりではありませんでした。家康の命で渡した密書(当然、家中で中身を知るのは数正と家康だけ)を逆手に、数正が徳川家の情報を流しているとの噂を立て、あるいは家康の元へ送られる返礼の使者に事あるごとに数正を持ち上げさせるといったことをして、秀吉と数正の間に不審を抱かせる姑息なことをしています。
 直政が聞きつけた噂は、冒頭の黄金を押しつけられた件が歪んで伝わっている可能性と同時に秀吉の流言があるのかもしれません。あまり社交的ではなく、内省的で言い訳をしない実直な数正の性格は、こうした噂を逆に助長させてしまいますね。


 とはいえ、徳川家中の一軍を担う将としての思慮分別も出来てきている忠勝、康政、直政らが、こうも簡単にこれまで信頼していた宿老に不信感を持つものでしょうか?前回までに見せた頭の切れはどこに行ってしまったのかと感じた視聴者もいたのではないでしょうか。

 これは、いくつかの要素が考えられます。一つは、先に述べたように徳川家の領国は荒廃の一途にあります。こうした現状の対応で余裕がないのでしょう。しかし、この要素は主戦論を唱える彼らは直視していないようにも思われます。そもそも、兵糧が整わない状況で戦えるはずがないのですが…目が曇っているとしか言いようがありません。


 二つには、政治の中枢である畿内にいないため情報が不足している、所詮は東国の田舎侍に過ぎないという点です。無論、彼らが無能なわけではありません。例えば、忠勝は、丹波国衆達を熱心に調略し、秀吉包囲網の形成に一役買っているぐらいですから。しかし、その一方で、彼らは、まだまだ物事を、戦局としてではなく、政治として大局的に見る視野と経験が欠けているのです。


 そして、三つ目、おそらく、本作ではこれが一番、大きいと思われますが、小牧長久手の戦いに大勝した成功体験が、彼らの判断を狂わせているということです。何故、秀吉軍に勝った我々が秀吉の風下に立たなければならないのか。ましては百姓出の成り上がりに、この徳川家が。この武家ならではの勝利への驕りが、数正の交渉を不甲斐なく見せているのです。彼らにとっては、小牧長久手の戦いは天下分け目の戦い、天下の趨勢を家康に持って来た聖戦のはずなのです。
 現状は秀吉に勝利することで覆せるくらいにしか考えていない浅はかさは、物語後半の数正との対立で露わになります。まあ、ある意味では、彼らは前回、「これで秀吉に勝てる!我らの天下じゃ!あははははは!」とひっくり返って爆笑していた信雄と大差はないのですね。秘かに秀吉を恐れていたと白状した柴田勝家のほうがマシなくらいです。



 しかし、交渉の実態は違います。

 関白となった秀吉は、依然と打って変わったかのような傲岸さで数正と謁見します。その脇には、三方にうず高く盛られたすももの山があります。信州の名産によって、真田との同盟の成功が匂わされています。そして。静かに「大阪を見たか」と問いかけるその言葉には「天下人が誰であるのか、分かったか」の意味が含まれています。彼は地位だけでなく、その財力と権力を視覚的に見せることで数正を圧倒するのです。


 実際、全ての富が大阪に集まり、日本の中心として経済を回していく、大阪を日本第二の都市にする基礎を作ったのは秀吉です(今はかなり景気が悪く回復の見込みがないと言われていますが)。数正は、大阪城に着くまでに見る城下の町の様子が来る度により栄えていく姿を目の当たりにせざるを得なかったことでしょう。そして、現在の四倍の敷地があったとされる大阪城は、まだ完成に程遠いもののそれ自体が城塞都市とも言うべきもの。その威容は、他とは比べるべくもなかったでしょう。秀吉の言葉に頷く他ありません。


 そして、十分に圧迫した上で、数正に大阪に屋敷を与えようと言います。隠すこともなく、数正を徳川から引き抜こうとします。自分の主君は家康だと固辞する数正に「ワシは関白ぞ?ワシのものはワシのもの。家康のものもワシのものぞ?」秀吉は、家康は天下人になった自分の臣下であり、数正も同様。だから、人事も自分の思うままであるとの理屈を述べますが、真意は理に適うかどうかではなく、自分が欲しいものは何があっても手に入れる、ただそれだけのことです。底辺層で飢餓感を味わい尽くした反動か、彼の欲望は尽きることがありません。


 しかし、数正、これにも抗い「和睦をしただけ。臣下の礼はとっておりませぬ」と平伏したまま応えるのみです。懐柔策に乗ってこない数正にも薄ら笑いを浮かべ、「もう一戦やるきゃ?」と戦っても構わないと不遜な態度に出ます。今まさに豊臣の権勢を見た数正ならその無謀が理解できると分かった上での発言です。こうして、懐柔と脅しを巧妙に使い分けて、数正の精神を揺さぶるのです。

 それでも数正は、東国はまだ秀吉の支配下になく、家康と後北条家が結びついている(お葉の娘が嫁いでいますね)以上、秀吉の圧倒的な武力であっても、家康を力づくで屈服させるのは容易ではないと反論します。ここは数正なりに秀吉を脅し返していますね。相手が圧倒的に優位に立つことを重々承知していてなお、家康の意向を可能な限り叶えようと、彼は少ない交渉材料で精一杯の抵抗を試みていると分かります。
 抵抗虚しく何もかも削られていく焦燥を伴う交渉での徒労感。忠勝たちは、そして家康たちは理解しているのでしょうか…徳川家にライブ配信でもされていたら少しは結末が変わったでしょうか。


 この抵抗も真田昌幸と交渉済みの秀長が、家康と後北条家の間に沼田を巡って隙間風があることを指摘します。何故、それを…と秀吉の情報網にやや驚く数正を尻目に「あ~、真田…昌幸…か?」と今、思い出したかのような白々しいことを言います。信州名産のすももをこれ見よがしに持った三方を脇に置いて、さも些末なことのように言う台詞ではありません。「真田は小せぇから」徳川には大したことがないだろうと嘯きます(実際、家康は些細なことと甘く見ていたのですが)。
 しかし、秀長は思わせぶりに「が、誰かが裏から手を回し助けたらどうなるきゃ」と既に調略済みであり、秀吉の援護と意向を得た真田が精強であることを仄めかします。ついでに言えば、昌幸の背後に控える越後の上杉景勝は、小牧長久手の戦いの時点で秀吉方についています。地理的には、秀吉の意向に従う者たちが東国を窺っているという構図なのです。


 真田との同盟の証であるすももにかじりつく秀吉の演出を見た数正は、この謁見での会話が、数正の抵抗めいた文言も含めて、全て秀吉の掌中で踊らされただけであることを察します。そのことを数正が十分に理解したであろうことを見て取り、秀吉は改めて、家康への上洛を促し、長丸、福松という具体名をあげて、更なる人質を要求します。於義伊と違い、後継者となるべき人物が要求されます。

 この更なる人質の要求自体は史実どおりなのですが、秀吉・秀長の連係プレーによる権謀術数の老獪な交渉の中に組み込まれると、追い込まれた数正の胸中が際立ちますね、上手い演出ですね。ぐうの音も出ないほど追い込み、トドメを刺すようにそれが叶わねば、今度こそ、三河も遠江も駿河も全て焼け野原になると、最後はその強大な武力をもって脅迫します。

 描かれなかった冒頭の和睦交渉も概ね、こういう形で飲まされたのでしょう。前回でも描かれた秀吉の元へ行っては疲弊し切り憂鬱な様子になるのも仕方ないところ。人懐っこく接近してきては、油断なくしていても思わぬ方向から痛いところを突かれ、翻弄される交渉…これを何度も行い、独り耐え続けた数正の精神力には感嘆するばかりです


 とはいえ、今度ばかりは、数正も追い詰められ絶体絶命です。「勘違いなさってはいけませんよ」と救うかのように表れたのは秀吉の正室、寧々です。「お初にお目にかかります」とのことですから、数正も出会うのは初めてのようです。
  寧々の登場に酷薄な秀吉の表情も一転し「みっともねぇなまりを忘れんようにせんとな」と、自分が恵まれてることに感謝し、戒めなければと殊勝めいた言葉を返します。その言葉に1mmも誠意も感じない気はしますが、その天才性と欲深さから行き過ぎた言動をする秀吉のメンタルを秀長とは別の側面からコントロールをする役割は担っているのかもしれません。


 そして、数正に「我が夫も乱世を鎮めたい一心なのでごぜえます。もう皆、戦はこりごりでごぜえますでな。」と夫の行き過ぎた言動を詫びます。しかし、この彼女の言葉は、誰も望む泰平の世という最大公約数の幸せを築くために秀吉へ尽力してもらうよう依頼する夫への援護射撃が主でしょう。ですから、「つまらぬものでごぜえますが、奥方へ」と妻への贈り物を添えます。手箱の中身は美しい櫛です。直接的な金ではなく、櫛であるところに寧々自らが女性目線で選んのでしょう。寧々には、秀吉とは違う心遣いがあります。


 ただし、寧々の本当の心中は見えません。そもそも、秀吉と秀長の散々な圧迫外交によって極度の緊張を強いられた後に、見計らったように寧々が現れ、労いと真心めいた振る舞いをする。この一連の流れで、相手は救われた気分になり、秀吉側に好意すら抱くようになる心理的な効果が絶大です。また、数正は碁石金を押しつけられたと言っており、その後も辞去し続けたはずです。

 しかし、秀吉の奥方からの奥方への心遣いという形で贈答品を渡されては、断りづらいでしょう。そうした相手の心理を見抜いての行動だと見えなくもありあません。だとすれば、羽柴家の完成された「飴と鞭」調略を端的に見せたとも言えるでしょう。場合によっては、寧々が登場したこと自体、秀吉の仕組んだことかもしれないのです。

 無論、寧々の「戦はこりごり」自体は本心でしょうし、もしかすれば秀吉の心の中にそういうものを寧々だけは見抜いていてフォローしているのかもしれません。いずれにせよ、後年、北政所として優れた政治力も発揮できる寧々の人物評価は保留せざるを得ないように思われます。


 その後、秀吉は「この世の幸せはおなご、おなごが綺麗なべべ着て、白粉塗って、あまーいもの食べる、それがこの世の幸せ」と夢見心地のように語ります。ここでは天下一統後の秀吉の願望の世界の一端が語られています。一見、全ての女性たちがオシャレをして、美味しいものを十分に享受できる夢の世界かのように錯覚させますが、実際は、綺麗に着飾り、スイーツを楽しむだけのお飾りとしての一方的な女性観が語られていています。
 秀吉が女性の欲するものを与え、その見返りに秀吉のために全ての女性たちが彼の求める振る舞いをし、彼を受け入れ愛するハーレム的世界が秀吉の理想なのです。底辺層で虐げられてきたがゆえの愛情の飢えが、こうした極端なハーレム願望を持たせているのかもしれませんが、女性たちには迷惑な話です。

 これまで「どうする家康」には、理想の国を自ら作ろうと奔走した瀬名、信長の遺志を継ごうと秀吉と戦ったお市、職業に生きる大鼠、同性愛者として生きるお葉、夫を叱咤しリードする於大、今川家に殉じ戦場に散った田鶴、調略のため全国を回り状況をかき回す千代など、自ら自分の人生を選択し、その選択に責任を持ち、能動的に生き抜こうとする女性たちが数多く描かれてきました。秀吉の画一的な女性観の世界には、彼女たちの居場所はないようです。


 自らの理想にうっとりする秀吉は「真田には気ぃつけや」と脅しを兼ねた助言をして、数正を下がらせます。まあ、この女性観だけで、秀吉の天下は困ったものではあります。実際、彼は美貌と家柄から300人の女性を側室として、それ以外にも多くの女性たちを漁るのですが。それを予感させます。




(2)主戦論に湧く徳川家中で異論を唱える難しさ~決定的に視野の狭い徳川家~

 秀吉の脅しのとおり、真田は家康に反旗を翻します(第一次上田合戦)。第33回タイトルの「裏切り者」の二人目は、真田昌幸です。家康は、同盟者となる主家に裏切られ、次は新たな外様家臣の裏切りです。ただし、これも両面があり、そもそも、昌幸をないがしろにして裏切ったのは家康ですから自業自得。タイトルの「裏切り者」とはもう誰のことなのか、分からなくなってきます。

 「乱世を泳ぐは楽しいものよ」と嘯く昌幸の姿は、どのドラマでもブレていなくて笑えますが、何せまだ38歳ですから、野心旺盛も分かる気もします。勇猛果敢な息子二人は、今回は顔見せ程度ですが、今後の活躍が楽しみですね。ナレーションの「信玄の権謀術数を最も受け継いだ」の言葉どおり、終生、家康を苦しめるのは真田です。



 さて、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉といった家康が真田対策に置いていった信頼すべき三人を擁しても徳川方の大敗に終わります。この戦い大敗しましたが、本腰を入れれば真田に勝てたかもしれません。しかし背後に秀吉がいるとなれば、これ以上動くことはできません。秀吉と同盟を組むとはそういうことです。万一、彼が何もしなくてもそれだけで効果を生む。これだけで十分に秀吉には勝てないのです。

 改めて、「全ては秀吉の掌の上でのこと」と分かる諸将。そして、豊臣の姓を賜るなど着々と天下取りの地ならしがされていくことが確認されていきます。因みに摂関家に並ぶ氏として豊臣姓を賜った後に、秀吉は人臣の最高位、太政大臣になり「関白太政大臣」と盛りに盛った官職となります。秀吉の天下はもう誰にも止められないのです。



 一方で、秀吉に臣従することは、遠方への領地替えを命じられる可能性が示唆されています。先に述べたように秀吉の政治は臣従した者に改めて領地を再分配することで封建的な関係を結ぶことで成立しています。こうしたことは、領土は秀吉から下賜されたものであるとすることで主従関係をはっきりさせると同時に、土地の領民と大名を引き離し、根付かせず力を削ぐ効果もあります。天下人の力だけが残ります。こうして中央集権政治体制の基礎が出来上がるのです。
 ですから、秀吉のやっているこの方法、後に江戸幕府も大名を領地から引き離し鉢植えのように全国各地へ移す国替を頻繁に行い、場合には改易でクビにするなどをして政権を強化することになります。


 しかし、長く領地と結びついて来た者たちには耐え難い屈辱です。ただでさえ、秀吉に負けたとは思いたくない家中は、その事実に逆上するばかりです。「下手をすれば滅ばされる」という意見も逆に火に油を注ぐようなものです。

 若い家臣団は、「秀吉何するものぞ!」と息巻き、そんな方法を他の大名が認めるとも思えず、「まだ皆が秀吉の天下を認めたわけではない」と希望的観測を元に徹底抗戦へと舵を取ろうとしています。知恵の回る康政の「秀吉が天下の舵取りをなんでも出来るとは思えん」との言葉は真実の一面を言い当ててはいますが、秀吉は既に彼がなんでもやらずに済む体制を整えていることを見落としていますね。結局、彼らは「百姓出の猿」という虚像をアップデートしようともせず、自分たちの都合のよい理屈だけを言い立て暴走し始めます。


 勢いは増すばかりの家臣団は「2年は籠城できる」と言い出し、その間にいずれ「他の強国が味方になる」という希望的観測と秀吉軍を退けた自分たちの実力と結束をもってすれば可能という驕りから、主戦論は最高潮に達します。には、忠勝は「岡崎の民百姓までが一丸となって何年でも戦い続ける」という恐ろしいことを言い出します。勝てるという根拠のない自信ゆえに本人は気づいていませんが、この言葉こそ岡崎の民百姓にはいい迷惑です。

 民百姓、領民の生活を守るために、国を守るはずです。国は民、百姓を守るための手段に過ぎません。しかし、忠勝の言葉は、全ての民が玉砕しても国を守るという意味であり、国のほうが目的化してしまっています。本末転倒なのです。無人の国がそこに残って、それは守ったと言えるのでしょうか。


 まして、この時期の徳川家領内は自然災害の影響で荒廃し、領民たちは疲弊しています。国力もなく、民が疲れ果て生活に苦しんでいるにもかかわらず、彼らを巻き込んだジリ貧の戦を唱えるとは何事でしょう。

 目の前の民の苦しみに目を背け、天下を取るという大きな目的のために彼らを巻き込み犠牲にするこの行為…実は、三河一向一揆のときの状況とよく似ていることにお気づきでしょうか?あのとき、家康は「一つの家」(平和な世)という自身の理想を叶えるため、本證寺で救いを求めている民には目を向けず、本證寺から不入の権を取り上げ領民と家臣を追い込み、一揆を起こされていましたね。


 あのとき、家臣たちの意見を耳に傾けなかったことを後悔し、彼らを信じきると言った家康は、ここまで地道に関係を積み上げて「徳川家の絆」を築いてきました。
 しかし、その絆の強さが負に転じて、逆に岡崎を危機に陥れようとしています。彼らが見えていないのは、彼らが守るべき民百姓の思いです。民百姓の願いは、遠くの理想よりも目の前の生活の安定です。即物的ですが、貧しい者にとっては死活問題です。それを整えずして、国を守るという理想はないのです。


 若き家臣たちは、家康に仕えたとき、それを分かっていたはずです。しかし、小牧長久手の戦いの大勝から、家康を天下人にするという目的がすぐ目の前にあるように錯覚してしまいます。だから、その目的に邁進するあまり、冷静な状況分析もできず、初心を忘れ、瀬名が託した理想を履き違え、足元の領民を見ることもなく、自らのプライドのためだけに戦おうとしているのです。
 若い家臣たちには、一歩引いて、彼らの矛盾に気づき、指摘できる人がいませんね。だから、三河一向一揆のときよりも、たちの悪い状況だと言えるでしょう。


 行き過ぎた結束は、都合の悪い意見や情報を受け付けず、結束を高める精神論だけを称揚し、目的に盲目的になりやすいものです。これによって、国を滅ぼした事例は数え切れません。無論、戦前の日本、大日本帝国も同様な滅び方をしています。忠勝の唱える総力戦は、まさに戦前日本の国民精神総動員運動のスローガン(「進め一億火の玉だ」など)のようですね。

 前回のnoteで「残念ながら、家康たちが持っているのは屈強な軍団だけ」と触れましたが、それどころか、その自負がかえって家康たちを苦境に立たせるものになってしまっています。「徳川家の絆の強さ」の負の面も描くあたり。「どうする家康」は容赦がないですね。


 おだを上げる家臣たちを尻目に一歩引いたところで「あーあー」と傍観を決め込む正信が、実に良いですね。彼だけは主戦論ムーブに呑まれていません。というか、本当に戦が始まったら、こいつは必ず逃げますね。こうした、正信の評定での態度は、彼の親族の文人、石川丈山が「正信は家康の命令が納得できるものであれば大いに褒め、そうでない場合は寝ていた」と伝えています。彼の処世術の巧みさが伝わるエピソードですが、裏を返せば、家中が熱くなった時こそ、家康は冷静になるために、彼の様子を見るべきなのです。


 しかし、「秀吉に屈することは断じてない!」が本心である家康は、正信を見ることはなく、岡崎決戦を唱える家臣たちの剛毅に励まされ、我が意を得たりと「岡崎決戦に備える…」との決断を下します。口々に「依存なし!」の声が上がる中、家康は、大勢は決まったとばかりに宿老二人を見ます。忠次は、数正に自分の存念を言うよう促します。
 対秀吉の窓口であり、秀吉を一番知る彼に意見を聞くのは当然ですが、これはそういうことでなく、忠次だけは、主戦論に湧く中、一人、渋面のまま手をつき、俯いている数正の異変に気付いているからです。長年の友に今こそ言うべきだというのです。そんな忠次の意向には気づくことなく、家康もまた「遠慮なく申せ」と同調して促します。

 とはいえ、この家康の発言だけは卑怯ですね。既に、主君が結論を言ってからの、「遠慮なく申せ」は、最初から異論を聞く気がありませんから。もっとも、それだけ、家康の胸中も追い詰められているのですが。


 ですから、既に大勢も決し、主君が決断をした後で、異論を唱えるべきものなのか、数正は逡巡します。この迷いを指先の動きだけで表現する松重豊さんの芝居が巧いですね。これほど主戦論一色になっている空気で、異論を唱えることには勇気が要ります。糾弾されるのは、必至だからです。また、主人の意向に逆らう以上、家康の不興を被り、手打ちにならないとも限りません。

 しかし、彼にはこの騒ぎが無謀の極み、徳川家の断末魔に聞えたことでしょう。かつて、信長暗殺を命がけで止めようともした数正ですから、命を惜しむものではありません。わずかな間に、私を捨てあくまで徳川家のためを守ろうと決意し、「殿、秀吉の元へ参上なさってはいかがでしょう。」と進言します。


 当然、周りは紛糾しますが、数正は努めて冷静に、信雄が籠絡され、秀吉が関白となった以上、家康には大義を立てる方法はなくなっていること、日に日に増す秀吉の権勢が尋常ならざること、そして全国の富が秀吉の元に集まってきており、籠城したところで経済的にもとても太刀打ちできるものではないこと、秀吉の優位が動かしようのないものであり、敗北を受け入れなければ、秀吉の大軍勢によって、岡崎はおろか、遠江、駿河、その全てが焼け野原になるのだと説きます。
 淡々とした物言いに誇張も何もなく、ひたすら現実を家康らに突き付けているの過ぎないことが分かります。一方で家康や家中の者を慮り、数正は主戦論の家臣たちの愚かさを指摘、あるは彼らを批判することは決してしません。数正は家中を荒らしたいのではなく、分かってもらいたいだけだからです。


 しかし、納得できず、小牧長久手の戦いでの大勝を持ち出し、勝った我らが何故か秀吉の風下に立たねばらんのかとあくまで反論する忠勝を前にして、流石の数正も堪忍袋の緒が切れ、激昂します。遂に「勝ってはおらん!あんな一勝は些細なことだ」と切り捨ててしまいます。ここで、ようやく、小牧長久手の戦いに対する家康側の価値と秀吉側の価値との温度差がはっきり示されますね。

 確かに、小牧長久手の戦いは秀吉にとって狼狽える事態であり、あの一戦だけであれば秀吉の完敗です。しかし、織田家中の邪魔者を葬ってくれたこととポジティブに解釈できましたし、また家康と直接戦う愚を犯せないことを知ったことはよい教訓となっただけです。
 戦いの本質は、家康と秀吉のどちらが天下の覇権を握るかという一点です。小牧長久手の戦いが、その趨勢を決めるものであったかと言えば、そうではないのです。万が一、秀吉の首を取ったのであれば、潮目は変わった可能性はありますが。天下人、信長の仇討ちであり、光秀の首を討った山崎の戦いとは質が違うのです。


 ここで思い出したいのは、家康が信雄に池田恒興の調略を要求したときの「池田恒興をうまく調略できるか」が、この戦の鍵であると言った数正の発言です。池田恒興の所領は美濃です。池田恒興の攻略は、尾張を越中、越前といった日本海側を貫くことができることを意味します。そうすれば、越中の佐々成政、場合によれば前田、そして忠勝が調略していた丹波も動き、秀吉包囲網は盤石の形となったのです。
 しかし、結果は池田恒興の裏切りで、この戦は始まります。言うなれば、秀吉包囲網の不成立の時点で、短期決戦に勝利、優位な形で早期講和が最も有効な手段だったということになります。
 前回、忠勝に「二度と言わんでくれ」と否定され、家康からも退けられた数正の献策が深謀遠慮だったことが見えてきます。


 家中の勢いに押され、結果、快勝してしまったばかりに、数正は口をつぐむしかなくなり、人知れず、家康たちの認識と自身の認識の現実的な落としどころを秀吉との交渉の中で模索せざるを得なくなったのだろうと察せられます。
 結局、あの派手にナレーションが徳川四天王を持ち上げた小牧長久手の戦いとは、将棋の対局をしている中で飛車や角を取る程度のことだったのです。家康たちは将棋に勝っていないのに、飛車を取って大喜びをしている素人棋士と同じだったということになりますね。秀吉の強大さを知らぬ無知ゆえに天下の趨勢という大局を完全に見失っていたのです。



 しかし、数正の激昂は、自分たちの知恵と勇気を振り絞った命がけの戦いと自負する若き家臣団の気持ちを逆なでします。忠勝「数正殿…どなたの家臣か。」→康政「やはり調略されていたか」→直政「石川数正!謀反の疑い!」…と徳川三傑、割台詞の三段論法という見事な短絡の揚句…直政が斬り捨てんと太刀を抜きかけます。元忠が抱え釣り込んで押さえますが、血気に逸るのも大概です。てか、阿吽の呼吸で短気を起こすのは、やめなさいってば、あんたたち(苦笑)

 こんな彼らだからこそ、数正は秀吉との交渉の中で感じ続けた徒労感を誰にも打ち明けられず、秘めるより他なかったのです。また、今の徳川家は、その家中の絆と強さと武勇を自負するがゆえに、状況分析に冷静さがなく近視眼的です。そして、彼が語ったとおり圧倒的な国力の差…だから、秀吉に勝てないと理解しているのですね。

 彼にとって、せめての救いは、彼を罵倒し、怒り散らす若い家臣たちに「数正は、数正の意見を述べておるだけだ!」と一喝し、庇ってくれる酒井左衛門尉忠次の存在だけです。


 さて、数正の言葉に落胆を隠せないものの家康は、努めて冷静に「わしは秀吉には及ばないのか?」と問います。数正は、家康を見るでなく、やや俯いた形で中空を見つめ、次のように秀吉評を語ります。

   みっともない訛りをわざと使い、ぶざまな猿を演じ、
   人の懐に入り込み人心を操る…
   欲しいものを手に入れるには手立ては選ばぬ。関白までも手に入れた  
   ありゃあ化け物じゃ…

 この数正の言葉は、「民百姓の人気が凄まじい」「あれは人の心をつかむ天才じゃ」という正信の秀吉評をより詳しく説明した言い換えです。相手に親近感を持たせ、油断させるパフォーマンスで人の内側に入り、その相手の願望を見抜き、そこを弄び、彼らの願いを叶えつつ、自身に最大の利益をもたらすように立ち回る。

 更にこれまでの武士が建前として大事にしてきた体裁も常識も倫理観もないため、その言動は誰も予測がつかず、気がついたときには全て彼の思うままになっている。その結果の最たるものが、巨大な大阪城と城下町の繁栄であり、関白の地位なのです。数正はこれまで多くの人間を相手取り、交渉してきました。その彼をして、価値観を破壊するような規格外の人間が秀吉なのです。

 親近感を持たせ、時に人を煙に巻き、時にあっと言わせ驚かせる天性のポピュリストのパフォーマー。ぞのパフォーマンスの鮮やかさと次々と自分の欲望を叶えていくその姿に、周りもまた自身の中の欲望を刺激され、彼と同じく欲望を満たそうと動いていきます。以前のnote記事で、秀吉は、人間の根底にあるあさましい欲望を、人を操る糸にしていると触れましたが、それだけではなく、人を彼と同じような人間にしてしまう魔力があるようです。
 そして、やがて、彼の金満的な主義主張が世の主流として、天下のルールとなっていくのです。


 「ありゃあ化け物じゃ…」の一言は、秀吉のスケールの大きさにただ感服する思い、それに翻弄されることや蹂躙されることへの怯えや恐怖心などが複雑に入り混じり、観念するしかない諦観が窺えます。数正には、このままでは徳川家が草の根も残らぬほど滅ぼされ、岡崎もまた秀吉の欲望のままにめちゃめちゃにされてしまう未来しか思い浮かばないのです。

 続く「殿は化け物には敵いませぬ」との言葉には、化け物を倒せるのは化け物しかいない、家康にこれまでの全てかなぐり捨てて化け物になる覚悟があるのかと言外に問うているのです。幼き頃から家康を見ている数正ですから、家康にそんなことはできないと分かっていますし、またそうなってほしくもありません。ですから、滅ぼされる前に「秀吉の臣下に入るべきと存じます」と続けます。家康もまた上洛すれば、数正の正しさが分かるとの思いもあります。百聞は一見に如かずですから(余談ですが、これまで大阪の全貌を見せていないのは、家康が来るまで取っておいてあるのかもしれませんね)。


 当然、家康は「できぬ」と承服しません。それでも、家康と岡崎を憂うからこそ「していただかねばならぬ」と食い下がります。業を煮やした家康は「化け物は退治せねばならん、者共支度に入れ」と逆に檄を飛ばし、振り切ろうとしますが、なおも「従えません!岡崎城代として」岡崎を戦禍を巻き込めないと訴えます。現在の領内の現状を鑑みれば、当然の進言ですが、最早、盲目的に秀吉打倒しか考えない家康は、ついぞ、長年の股肱の臣、その岡崎城代の任を解いてしまいます。謂わば、事実上、徳川家の宿老の座、西三河の旗頭としての役割も奪う左遷です。こうして、二人は公的な場で決定的な決裂を迎えます。それも、周りに秀吉に内通したという疑いを持たれたまま。


 つくづく、もしもここに瀬名が生きていたら…と考えないわけにはいきません。主戦論を唱える忠勝たち急進派に異を唱えたかもしれません。また、数正の解任には、家康に対して裏で諫めたことでしょうね。何よりも家中の和を尊ぶ人ですから。また、家康たちが自分の託した願いを履き違えて、いらない戦乱に民百姓を巻き込もうとすることを誰よりも哀しんだでしょう。彼女の唱える「戦の無い世の中」「極楽浄土」は、民の幸せをいかに確保するかであったことは「慈愛の国」構想でも語られたことです。そう言えば、この徳川家中の危機に、あの木彫りの兎はいませんでしたよね?

 あれがあったら、彼らは再び冷静さを取り戻せたでしょうか。



(2)瀬名の呪いを引き受ける数正の決意

 解任され自宅に引き籠る数正の元を訪れるのは、盟友、酒井左衛門尉忠次しかいません。縁側にいる数正に側に座りますが、このとき、岡崎城下からは祭りのお囃子が聞えてきます。秋祭りでしょうか。この穏やかな風景、数正が守りたかったのは、この民百姓の生活だったということが分かる場面です。哀しいかな、数正だけが瀬名の願いを履き違えることなく持っていますね。

 左衛門尉はただただ、数正を案じ「あくまで殿と皆のことを思うてのことだとわかっておる」と理解を示します。長年の付き合いから彼の先見性を信じ、何か事情があるのだろうと、悩みを聞きに来たのです。そして、若い家臣たちの無礼も国を思えばこそだからと間を取り成そうとします。


 しかし、数正からは「国?国なんてものは無くなる。全て秀吉のものになるのだから」と思いもかけぬ言葉が出ます。驚く左衛門尉に、天下一統とは国の境を無くしていくことであると説き、それが平和がもたらすのであるならば「それでいいんじゃないか?国の境目のない世はそういうことだ」と、自分が行きついた真理を話します。もしかすると、寧々の言葉「もう皆、戦はこりごりでごぜえますでな」との言葉が、家中の主戦論と己の非戦論との板ばさみになっている数正を救ったのかもしれません。もしそうであれば、寧々はやはり大した糟糠の妻ですね。

 三河国のため、その人生の大半を重ねた左衛門尉は、流石に数正の言いようには、ついていけません。以前のnoteで還暦前で終活も意識する年齢の忠次と50になったばかりの数正にはズレが生じている可能性があるとしますが、それは、新しい物事の考え方への柔軟さという形で表れたようです。ですから、「国を失うことは誰も受け入れん」と他の面々と同じ立場の答えで応じる他ありません。


 しかし、数正は、きっと前を見据え「そんな皆を説得するのも殿の役目であろう」と、現在の家中の問題は、熱に浮かされた家臣団にあるのではなく、家康本人にあると断言します。彼は家臣団があれほどに主戦論に偏って暴走しているのは、彼らの元々の彼らの気質ではなく、秀吉と戦いたいと願う家康の思いに皆が応えようとしている結果だと看破しているのです。物語序盤の「仮初めの和睦じゃ、秀吉に屈することは断じてない!」という家康の言葉が再び、響きます。

 実はオープニングアニメーションは、秀吉に屈服せざるを得ない徳川家の状況を意味するだけでなく、家康の怨念めいた秀吉打倒の思いそのものが、徳川家に暗雲をもたらしているとの暗示である可能性を示唆していますね。

 数正の厳しい言葉を計りかねた左衛門尉は「国を守らねば、大名は生きてはいけぬ」と庇いますが、返す数正の「それだけが理由かの」との言葉にはっとします。彼にも思い当たるものがあるのです。これ以上は、自分では何ともならないと判断した左衛門尉は「お主には見えているものがあるんじゃろ、殿と話せ」と促します。

 この宿老二人の会話も哀しいものがあります。孤立する数正の苦境は言うまでもないですが、家康と旧友の間に入り何とかしようとするものの、視野が広がり、先が見え過ぎてしまった旧友についていけず、打つ手がない左衛門尉のもどかしさもいかばかりでしょうか。数正の家康への危惧ももっともなこともあり、二人での解決に望みを託すのです。




 数正は濡れ縁に佇む家康の元へひっそり参ります。ロングショットで捉えた二人の距離が、そのまま二人の心理的な距離になっていますね。

 少し冷静になった家康は「幼い頃、わしはそなたが苦手での」と昔話を切り出し、しかし常に厳しい言葉で叱咤激励してくれた数正を思い出し「おかげで今がある」と穏やかな笑顔で感謝の言葉を言います。そして、評定での数正の言葉が、家康のことを思っての苦言であることが分かっていることも、そして、秀吉との戦いが見込みの薄いものであることを理解していると言います。若い家臣たちには言えない素直な思いを語るのですが、その真意は、続く「だが、わしは…こうする他ないんじゃ」という悲壮な決意のほうにあります。


 家康は、秀吉の際限のない欲望が作る弱肉強食の世界では乱世を治めることにならないと思っています。そして、そんな秀吉とは違う安寧の世を目指さねばならないと信じて疑いません。だからこそ、刺し違えてでも引けないのです。それゆえに家康は、幼き頃から自分に苦言を呈してくれる忠臣、数正を「勝つ手立てが必ずやある。其方がいれば。其方がいなければできぬ。」とかき口説きます。

 この言葉で数正は、自分の見立てが半分当たっていて、半分外れたことに気づいたようです。確かに家臣たちを扇動しているのは家康の強い想いであることは間違いではありませんが、それが出来るという確信しているのは、「徳川家の絆の強さ」と長年戦場で鍛え上げた全国屈指の武勇を誇る徳川軍団にあるのだということです。この最強の矛を持つがゆえに、家康はその強い想いを諦めることがないのです。二つはどちらが主ではなく、連動して相乗効果を生み出しています。この根幹を止めなければ、家康は秀吉との絶望的な戦いに家臣と領民を巻き込み、滅び、そして悪名を成すことになるのです。

 物語的には、全く意図せず、左衛門尉が豪語した「徳川家中の絆の強さを知らんと見える」の言葉が盛大なフラグになり、それを家康の「勝つ手立てが必ずやある。其方がいれば」が回収することで、数正の出奔への道が開かれてしまいました。



 数正もまた昔を懐かしむように、大高城の兵糧入れ(第1回)から多くの戦いを戦い抜き、そして数多の者が散っていたことを語り、散っていった彼らが夢によく出るのだと添えます。死んでいった者に託された様々な思いが、彼を強くもし、また重荷にもなっていく、生き残った者だけが抱える苦悩です。それは、家康も同じだろうと察しての台詞です。


 その上で「あのか弱く優しい殿がこれだけ強く勇ましくなられたとは……さぞお苦しいことでございましょう」と数正は自身の本音を明かします。通常は「強く勇ましく」なったことは「立派にならられた」と言うものです。しかし、家康は、なりたくもないのに「強く勇ましく」ならざるを得なかった…本意でななかったろうと察しています。数正もまた、瀬名と同じく「泣き虫弱虫洟垂れ」の家康を優しく見守り、変わらざるを得ないことに心を痛めてきたのです。瀬名はまだそんな家康を慈しむことが出来ましたが、数正のほうは、乱世を生き抜くため、、心を鬼にして「強く勇ましく」なるよう叱咤してきたのですから、その苦しい思いはより強かったかもしれません。


 思わぬ数正の気遣いに、家康は「苦しいことなどあるものか」と強がりで応じます。久々に家康が素直な動揺を見せ、昔の彼を思い起こさせますね。強がりながらも、瀬名を思い出しながら「乱世を鎮め、安寧な世の中をもたらすのはこのわしの役目」との理想を語り、改めて、「わしは……苦しくなどない!」と繰り返します。

 強がる家康に「そう、亡きお方に誓われたのですね」と数正は静かに確認します。以前のnoteで、瀬名の託した願いは家康のその後の生き方を確定してしまう呪いだとも言いましたが、数正は家康が瀬名の呪縛に囚われ、苦しみ、事を急いているのだということを改めて理解します。小牧長久手の戦いの勝利で、彼は瀬名に託された願いが間近に見えた気がしたのでしょうね。後少しで手が届くと思うと人間、ムキになるものです。まして、信長暗殺のときに自らの未熟さを悟り断念していますから余計です。

 しかし、理想や夢とは得てして残酷なもので、目の前に見えているのに、何かに阻まれどうしても届かないということがありますね。じっくりと構えて、出来る努力をし、時を待つ他ないのですが、瀬名への思いが強い家康はどうしても急いてしまうようです。

 ですから、家康の想いが卑しいものでないことに対して、数正には危惧と安堵があるでしょうね。そんな、どこまでも憐れむような数正の曖昧な態度に、遂に家康は「王道をもって覇道を制す!わしにはできぬと申すか、数正!」と雄叫びをあげます。


 ニヤリと笑い立ち上がった数正は、いつになく陽気に「羽柴秀吉何するものぞ。我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人に致しまする!」と老骨に鞭打ち、一働きしてみせると豪語します。急な変わり様と明らかに無理をして、自分に従おうとするその姿に気圧され家康は呆然としています。あるいは、、本音を明かさず語る数正に思うとことがあったのか、家康の心情は計りかねますが、その頬に一筋の涙が流れます。理由は分からずとも、直感的に別れを察したのかもしれません。

 そして数正は去り際に「殿、お忘れなさるな。私はどこまでも、殿と一緒でござる」と絞り出すように言います。家康に対して背中越しに述べたその本音、カメラは天幕をナメて、数正の万感の思いと決意を際立たせるように捉えています。


 数正の最後の口上は、苦しむ家康に本当は言ってやりたかった励ましです。しかし、それが可能なことでないことが分かってのその台詞は、隠された思いとは裏腹に空々しいものです。それでも、それを言わざるを得ないのは、彼自身がこれからどうすべきかを覚悟し、そんな励ましを嘘でも言えるのは最後になるからです。


 瀬名を想う心から生まれたその理想は、数正も分かっているつもりです。尊いものです。それだけに今、無用な戦いをさせて散らせてはいけませんし、また家康にはまだ学ぶべきものがあることを秀吉の強大さを知った数正だけが分かっています。それを分かってもらうためには、やはり家康を秀吉の元へ上洛させねばなりません。

 しかし、家康の想いが瀬名と繋がっているだけに、家康に「していただかねばならぬ」秀吉への臣従を促すにしても、どんな説得も聞く耳は持てないでしょう。となれば、彼の一番の武器である家臣との強い絆を揺るがし、最強徳川軍団を物理的に弱める方法しかないのです。その鍵は家康が心から信頼し、徳川の兵法にも通じた自分が、家中に疑われているとおりに裏切ることです。既に疑われている自分であれば、改めて工作の必要はありませんね。


 また、秀吉が何故、自分を引き抜こうとしているかも、彼は分かっています。徳川家の強さが分かった以上は、それを内部から切り崩すのが一番だからです。機密をよく知る、重用されている重鎮を引き抜くのが最も効果的であることは言うまでもありません(重鎮は家中では嫉妬されていていづらく落としやすいというのもあったようです)。勿論、秀吉が数正をヘッドハンティングするのは、彼が有能であるからという理由もあります。

 というのも、秀吉は百姓出ですから、古くからの譜代の家臣を持ちません。加藤清正、福島正則、秀次といった親類縁者の子飼いの武将を育ててはいますが、新たに育てるだけでは時間がかかり過ぎます。ですから、他家から引き抜いて効率よく派閥を作ろうと試みているのです。金に糸目をつけないやり方は、どこぞの野球球団のようであからさまですが、家柄がない秀吉にしてみれば、これしか方法がないのです。お家事情によるよんどころない事情もあるのです。
 ですから、数正に限らず、多くの家臣に声掛けをして引き抜きをしています。成功例では、小早川隆景、宇喜多秀家といった大名化した武将がいますし、失敗例では上杉家の直江兼続、伊達家の片倉小十郎がいます。因みに後に本多忠勝や井伊直政にも粉をかけています。


 話を戻しましょう。秀吉が喜んで自分を受け入れることも算段できます。秀吉が喜ぶのであれば、尚更、自分の裏切りは裏切りとして有効に働きます。徳川家中は動揺し、物理的にも軍制改革をしなければ秀吉と戦うどころではありません。そもそも、国力が低下しているのですから、民の慰撫など内政に力を入れるべきなのです。

 とはいえ、数正の覚悟が並々ならぬものであるのは、事は数正一人で済む問題ではないことに象徴されます。その後の出奔で左衛門尉が呆然としながら「石川一党」が出奔したと語りますが、彼の一党全員の命運をかけての行動なのです。つまり、数正の覚悟とは、家康を救うため、石川家末代までが、未来永劫、徳川家の裏切り者という汚名を被る決意をしたことなります。事実、石川家は、数正の死後、関ヶ原の合戦で東軍に付きますが、帰参とはならず、あくまで外様大名扱いのままでした。

 そして、この数正の覚悟は、後世、稀代の悪女と罵られることを自ら受け入れ自害し、家康を助けた瀬名と同じ行為なんですよね。もしかすると、瀬名の回想の後に「そう、亡きお方に誓われたのですね」と家康に語りかけたこの言葉は、数正自身が瀬名に誓ったことを思い返したことでもあったのかもしれません。おそらく、それは命をかけて殿の命を守るということ。そう思うと、数正が命がけで信長暗殺を諫めようとしたことも、伊賀越えで身代わりになろうとしたことも、より合点がいく気がします。

 だとすれば、せめて家康だけには真意を覚えておいてほしいと願った去り際の「殿、お忘れなさるな。私はどこまでも、殿と一緒でござる」との万感の台詞もより響いてきますね。


 こうして、数正たちは夜半に出奔します。秀吉から拝領した金品を置いていくことで、それに釣られたのではないということだけは伝えます。信仰の対象であった阿弥陀仏も置き去りです。主君を裏切った自分に神仏にすがる資格はないと思い極めたのかもしれません。長年の盟友の覚悟の出奔に左衛門尉は放心状態です。必死に取り成そうと努力した彼の思いも哀しいですね。

 そして、そういう中、一通の書状が残されています。そこには「関白殿下、是天下人成」の一言です。この一文に数正の意図を計りかねた視聴者もいたのではないでしょうか。それどころか、この一文で結局は秀吉リスペクトかと腹立たしく思った方もいたかもしれません。


 このあたりの解釈は来週描かれるのか、読者に委ねられるのかは分かりませんが、ここまでの流れからすると、数正は家康を守ると同時に秀吉が天下人になるべくしてなったことも複雑な思いで認めていることが窺えます。家康がいつか天下人となってもらうためには、瀬名の想いを大切にしつつ、今回は一旦諦め、足元をしっかり見て、そして、「秀吉に会い、天下人とは何なのかを見て学べ」という厳しい数正ならではの叱咤激励ではないでしょうか。
 秀吉の飽くなき欲望が招く将来的な問題は家康が看破しているとおりですし、それについは以前のnoteで触れました。しかし、一方でそれは遠い理想の話です。どういう方法であれ、即物的な民の欲求に応えるポピュリズムであろうと、人心を掌握し、天下を握ったことには、何らかのヒントもあるはずです。数正は、それを学んでほしいのでしょう。理想の高い家康ならば、秀吉に完全に呑まれる愚を犯すことなく学べるであろうと信じているように思われます。

 その証拠か、数正は「秀吉が天下人だ」とは書いていません。主語は関白殿下です。つまり、その地位から見える視点とは何かを学べと言っているのではないでしょうか。どこまでも家康にとって、厳しい先生のような兄貴分のような家臣。その初心は変わらないと思われます。

 今回は家康にとって、3人の裏切り者が描かれましたが、最後の一人だけは、家康と家臣たちの大局が見られなかった愚かさと無理解が招いたことでしょう。にもかかわらず、数正はそれを恨むことなく、成すべきことを成すために去ります。



 さて、秀吉に降った数正を、秀吉は正室、寧々と共に迎え、最大限のもてなしで受け入れます。その一つが、秀吉の名を賜った「吉輝」の名です。今回の話では出てきませんでしたが、数正はその前に家康から名を賜り「康輝」となっていました。秀吉の行為は、彼から徳川色を抜くとことから始まります。秀吉は降ったものを厚遇します。そうでなければ、自分の引き抜きに応えてもらえなくなりますから当然です。気前の良い秀吉の破格の扱いで、数正は松本藩8万石の大名となるのです(小田原成敗で更に10万石に加増されます)。

 しかし、数正の顔は暗く、その足取りは重たいです。悪名を被った瀬名は死によって解放されましたが、生き続ける彼は死ぬまで心労から逃れることはできません。彼の家康を守るための行為は、彼に茨の道を歩ませることになります。それでも、石川家に嫁いだ豊子によると、数正は晩年まで家康、岡崎衆の悪口を言うことはなかったと言われます。数正の覚悟が窺えるような気がしますね。




おわりに

 石川数正の出奔には、秀吉の器量を認めた、接待攻めによる籠絡、内通説、家中での政争に破れて立場がなくなった、家康と示し合せた。など創作を含めて、様様なものがありますが、「どうする家康」は終わってみれば、それらの説を全盛りにして、それらの逸話につながる要素があったことにしましたね。伊賀越えのときといい、古沢脚本は欲張りですね。


 その欲張りさを絶妙なバランスにすることで、数正の苦悩を抉り出しました。そして、それが、小牧長久手の戦いが家康と徳川家にもたらした負の要素と失敗、秀吉の欲望と富と権謀術数が生んだ天下の強大さと恐ろしさ、に家康がまだ敵わない様が描かれました。
 敗北には原因があります。家康は、この秀吉の天下を自分の目で確かめ、学ぶべきものがあるのです。おそらく、秀吉が築きつつある中央集権政権というものが、家康の学ぶことになるのではないでしょうか。

 信長が抱いた天下が歪められたとはいえ、形になったとき、国家とはどういう形態になっていくのか、その具体例を家康は学ぶことになりそうです。数正の出奔は、家康たちを滅亡から救うことになるばかりか、彼がいずれ天下を取るときのための新たな指針を示したのですね。


 そのためにも、まずは家康が敗北を認め、秀吉の元へ行かねばなりませんが、数正出奔ショックでまだまだ難しい。あと一押しが要ります。そのきっかけになるのが、秀吉の妹、旭姫になるのでしょう。可哀想な人物として描かれがちな旭姫ですが、女性の生き方にこだわる「どうする家康」は彼女を粗略に扱うことはないでしょう。ムロ秀吉の妹がどんな人物となるのか、今から楽しみですね。そして、彼女の人物像次第では、秀吉の別の側面も見えてくるかもしれません。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?