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「光る君へ」第12回 「思いの果て」 機会を逃さない勘と貫く強い意思がなかった二人の恋

はじめに

 わかっていたその時がついに来てしまいました。互いにかの日の相手の気持ちに思い至り、自分の気持ちを整理できたときには、既に相手はそこにおらず半周先にいる…そんなもどかしさがありましたね。実際はボタンの掛け違いくらいの距離にまで近づいていたのですが、相手に期待するあまり、それが叶わず、勝手に終わったと思い込んだ二人は、圧倒的に言葉が足りていませんでした。

 大事なことは口にしなければ伝わりませんが、前回互いを傷つけたと自覚する二人は思い遣りと後悔から「妾でもいい」「妾になってほしい」との思いを心の中に押し留めてしまいました。妙なところで似た者同士の二人…根底にある優しさが通じあっているのでしょう。

 ただ、若く未熟な二人はその優しさを上手くあつかえません。まして激しい恋慕に揺れるなかでは尚更です。どうしてもその優しさは中途半端なものにならざるを得ず、互いを決定的なところへ追い込んでしまいました。半端な優しさと恋慕ゆえの別れなのでしょう。


 このように、今回の悲劇的結末は、相手の気持ちに気づき、自分の気持ちを整理していることが前提にあります。道長については、後述する致命的なアクションはともかく、まひろの思いへの気づきは比較的わかりやすいものでした。ですから、自分に覚悟を決めるよう言い聞かせるのもごく自然にみえます。

 一方、まひろの側は、どうでしょうか。たしかに前回のラストで、彼女は、志では抑えきれない自らの恋慕の激情に気づきました。しかし、抑制的な彼女が、あれほど嫌がった妾のハードルを超えて、「妾でもよい」というのは至難の業です。さわに話したように彼を傷つけたと自虐的になるのが関の山でしょう。そこには様々な要素が、絡んでいるように思われます。そして、それでも「妾でもいい」とまでしか思えなかった点も最後の一押しができなかった理由です。

 そこで今回は、まひろが消極的な形とはいえ、いかにして妾になってもいいと思い直したかと、道長を取り巻く状況を整理しながら、二人の別れざるを得なかった理由について考えてみましょう。


1.まひろの道長の想いを再燃させたもの

(1)穏やかな最期を迎えた高倉の妾

 前回、まひろが見た、身寄りもなく貧しく死病に取り憑かれた高倉の人の有り様。それは妾の哀れな末路を凝縮させたようなものでした。まひろが、彼女の世話の手伝いを買って出たのは、そんな女性を見捨てない父、為時への尊敬の念からですが、高倉の人なつめへの憐れみもあったのではないでしょうか?
 妾になってほしいという申し出を「そんなの…耐えられない…!」と振り切ったまひろの脳裏には、なつめの無惨な姿があったと思われます。まひろにとって、なつめの有り様はどこかで自分事になっていったのです。

 物語冒頭は、そんな自分の将来のifでもある高倉の人なつめの出家から始まります。平安貴族にとって、俗世のしがらみから離れる出家とは様々な意味を持ちます。「源氏物語」の光源氏の晩年の出家は遁世、隠居のニュアンスがあります。また同作「宇治十帖」の浮舟の場合は、薫と匂宮からの激しい恋慕に悩まされた結果ですが、彼女は出家によって心を救われ、強く生きる力を得ました。

 余命幾ばくもないなつめは、そのどちらでもありません。極楽往生を願い、死への恐怖と苦しみをいくらかでも和らげるためです。死を迎えるための準備です。死を穢れとする平安貴族は死そのものを避けますから、その得度に付き合うことは生前葬的な意味合いもあったかもしれません。為時の甲斐甲斐しい世話も、二人が別れを惜しむ経緯の一つと言えるでしょう。


 そんな二人の姿をまひろは門の傍らで見つめます。いよいよ、死が迫るということだけではなく、伴侶の死を前にした夫婦の慈しみがどういうものなのか、まひろはそれを初めて目にしたのです。無惨にも道兼に殺され、その死の真相を伏せられた母ちはやのときは、そんな猶予も余韻もありませんでしたからね。
 さて、夫の付き添いの中、得度を済ませ、安堵の表情を見せるなつめですが、にわかに容態が悪化し、最後の未練を為時に伝えます。元夫に引き取られた娘さわに一目会いたいというものでした。父と妾のため、まひろはさわの元へ走ります。夫婦の有り様に、まひろは突き動かされたのでしょう。

 そして…今際のきわに愛娘との対面を果たしたなつめは、ナレーション曰く「穏やかに」世を去ります。哀しく、辛く、苦しい思いをしていたであろう妾の最期は、夫と娘に看取られたことでわずかばかり救われたということです。
 これは一重に為時の心配りによるところが大きいでしょう。為時にとっては、罪滅ぼしの意味合いも強かったように思われますが、ともかくなつめの心は救われました。


 その穏やかな死を知ったまひろは、妾の生涯が報われるか否かは、夫次第であることを知ることにもなりました。彼女がパートナーとしてイメージできる男性は道長だけです。その道長ならどうでしょうか。裕福な家に生まれ、性情も穏やか、そして何よりも「お前が一番だ」と言ってくれる。まひろは道長の今の激情を信じています。
 それだけに彼の妾であれば、なつめのように穏やかに一生過ごせるのかもしれない…そんなプラスのイメージがよぎった可能性は高いでしょう。婚姻のマイナスしか見ていなかった彼女にとって、父と妾の姿は新たな気づきを与えてくれる具体例だったように思われます。

 したがって、なつめの穏やかな死が、やや不謹慎なことではありますが、まひろの妾へのイメージを和らげるささやかな効果があったと言えるでしょう。


(2)まひろを救うさわの心遣い

 まひろの日常は変わらず、家事、畑仕事など家刀自に勤しむ毎日です。前回、道長が見てひかれたように、その姿には溌剌とした充実があります。畑に水をやりながら、よく育っている野菜たちに「ありがとう」と声がけをする様子からも、家刀自を楽しみ、慣れていっていることが窺えます。

 そんなまひろの元へ、なつめの娘さわが訪れます。家刀自は本来、下女らの仕事です。仮にも貴族の娘のすることではありません。ですから、それを見られたまひろはばつが悪そうにし、貧しさから「一日中走り回っております」と言い訳をした挙げ句、「お見苦しいところをお見せいたしました」と謝罪してしまうのです。家刀自は、母がずっとしていた主婦業ですが、当時の常識による世間体からそれを恥じてしまうのがさみしいですね。


 ところが、さわは「いいえ、素晴らしいと思いました!」と真顔で返します。さわは「私は父に、おなごは何もするなと言われておりますので何もできません」と、様々なことをこなせる彼女に素直に感心します。さわがこのように反応するのは、やんごとなき姫と同じようにせよと言われながらも「父は今の母の子ばかりかわいがり私には目もくれません」と、その実は厄介者ゆえ余計なことをするなという意味合いの扱いだからです。

 そんな自分のあり方を「でも、まあ、それも宿命です」と明るく言ってしまうところに、普段の生活のつらさに負けまいとする逞しさが見えます。だからこそ、家の窮状を前にして積極的に動いているまひろの姿に感銘を受けたのでしょう。

 その感銘は「庭仕事お手伝いさせてくださいませ」という言葉に表れていますね。自分もまひろのようにできたら、何か変われるのではないかという期待感があるのでしょう。「まひろさまに色々、教わりとうございます!」と身を乗り出して迫る姿には、まひろへの素直な敬意と人懐っこい人柄がにじみ出ています。果たして、家刀自の様々を体験するさわは真剣です。そんな彼女に教えるまひろの気持ちにも熱が入ります。その気持ちはやがて響き合い、笑いの漏れる朗らかな時間へと昇華していきます。

 極めつけは、母の形見である琵琶を弾かせたことでしょう。さわは、なつめと前夫との子ですから直接的には関係ありませんが、それでも母を苦しめた妾の娘です。その娘に何のわだかまりもなく、母の形見に触れさせ、弾き方を教えたのです。まひろの中にある高倉の人なつめへの思いの変化もあったでしょうが、それ以上にまひろを素直に慕うさわの気持ちが嬉しく、そして、同じように日々の鬱屈を抱えているという共通点が共感のようなものを生んだと察せられます。

 家刀自と琵琶は、今のまひろの日常です。ですが、それは母ちやはのかつての日常でもありました。前回、まひろは倫子に「母のように働く」と言っていましたが、それがどんなものかを実感したのはここ最近のことです。そこにある種の充実があったことは、これまでにも触れてきましたが、一方で「貴族のおなごが働くことをはしたない」と考える風潮もあって、それを恥じるような気持ちもまひろにはありました。


 しかし、さわに「素晴らしい」と言われ、乞われるままにそれを教える中で、最初は戸惑い気味だったまひろの表情は、徐々に楽しげになっていき、教えること自体も楽しくなっていったようです。
 教えるという行為は、興味深い点があります。人に何かを教えるとき、初めてその何かについての理解を深めます。つまり、「教える」とは「学ぶ」ということでもあるのです。まひろもまた、さわに教える中で、今、自分のしている「母のよう働く」ことの価値、意味、楽しさを改めて感じ取り、それをやっていくことに自信を持てたのではないでしょうか。恥ずかしく思うようなことではないのですね。さわの存在によって、まひろは気づきを得たのでしょう。

 また、さわは自身がつらい思いをしているだけあって、人の気持ちには敏感なところがあります。まひろはそのつらさを、その賢さによる思考、思索で耐えていますが、彼女は人の思いを察することで乗りきってきたようです。まひろの才能の豊かさから「たくさんの男が文を送ってくるのでしょうね」と聞いたのは無邪気さでしたが、「文をくれたのは一人だけよ」という言葉に思わず「え?ごめんなさい」と謝ったのは、寂しい思いをしているかもしれないと察したからでしょう。

 そして、すぐに「今思い出しておられましたね」「隠してもお顔に出ていますよ、まひろさま」とまひろの顔色を読み取って、道長についてズバリ言い当てるのも、彼女なりの気遣いのなせる業です。「私は物知らずのうつけですが、そういう勘は働くのです」とは、さわの弁ですが、その勘は決して不快なものではないのが特徴です。

 寧ろ、彼女が心の奥底に押し込めてしまおうとする本心、向き合うことを諦めてしまう願望、そうしたものをそっと掬いあげて、表に出してやるような、そんな効果を持っているようです。自然と彼女は、忘れようとした道長への気持ちを思い起こします。心の中に押し込めることはつらいことです。さわの人柄が、まひろを救う面があるのではないと思われます。

 因みに、さわにはモデルがいるようです。それは、「紫式部集」にも出てくる"筑紫へ行く人のむすめ"です。一説には、平維将の娘だとも言われますが、紫式部と彼女は「あね」「いもうと」と呼び合うほどの親友だったそうです。庚申夜、まひろがさわのことを妹のように思っているというのは、こうした逸話からなのでしょう。ともかく、新しい女性キャラクターが、まひろの心を救う人物であるのは、ほっとしますね。


(3)倫子との友情

 恒例の土御門殿サロンでは、姫君らがまひろの家が下女たちを解雇した理由を問うています。まひろは、父が官職を失ったため「それで何もかも私がやっております」とあっけらかんと返します。こういうときは下手に言い繕えば痛々しいですし、悲壮感を出して同情を買うのもみっともないものです。為時の不祥事で罷免されたわけではないのですから、堂々としているのは寧ろ正解でしょう。

 ただ、姫君らにすれば、家の一大事にあっけらかんとしているまひろに戸惑い、また家刀自をしている恥じ入る様子もないことにはしたないという思いしかなく、改めて身分の低い人間を目の当たりにしたというところです。目のやり場の困りながらもその表情は憐れむような蔑むような忌むような何とも困った表情からも、まひろを避けるような雰囲気が窺えます。


 それでも、まひろは挫ける素振りは見せません。笑顔を浮かべると「あ、畑仕事もやってみると楽しゅうございますよ。瓜も菜っ葉も大きくなぁれ大きくなぁれと毎日毎日語りかけますと本当に大きく美味しく育つのでございます」と明るく応じます。実際、冒頭でやっていましたから、嘘でも強がりでもありません。さらに「床を拭くのも板目が時に龍に見えたり、川の流れに見えたり飽きません」と日々働くという日常にも思わぬ発見や楽しみが見つけられ、決して現状を悲観してはいないことを語ります。やはり、まひろの語りには余分な力みはなく、その自然さは本心からの言葉であることを窺わせます。

 さわに見られたとき「しまった」というような表情とはまったく違いますね。これは、さわの「素晴らしいと思いました!」という素直な感嘆、そして彼女に家刀自を教え、共に仕事に勤しむ中で、自分のしていることは恥ずかしくないという気持ちを持てたからでしょう。高倉の人なつめの存在は、結果的にさわという友人をまひろとつないでくれました。そして、それは妾の存在にも苦しみながらも決して角を立てなかった母のおかげもあるかもしれません。人間の因果はどこでどうつながるかわからないものですね。


 さて、前向きなまひろの言動を受けても、自分たちの想像の及ばないことにどう反応をしていいかわからない姫君たちは固まったままです。ここで、そこまでまひろの語る様子を静かに眺めていた倫子がふっと微笑み「板目、私も見てみましょう」と立ち上がり、姫君たちを誘うように板目を楽しみ始めます。倫子の振る舞いに姫君らも慌てて付き合いますが、倫子の巧みな誘導もあって、彼女らも板目の模様を様々なものに見立てて興じるようになります。かくして、まひろに抱いた姫君らの冷めたような疎むような空気はさらりと溶解してしまいます。

 さりげなさ心遣い、言葉を挟むタイミングなど倫子の場をつかみ、回す才は相変わらず流石ですが、まひろもそんな彼女の思い遣りに気づけるようになりました。「先ほどはお助けくださってありがとうございます」と深く感謝をします。返す倫子の「まひろさんこそ堂々としていてお見事でした」という誉め言葉と真剣な目つきがよいですね。
 実は、まひろが為時の散位を話題にした瞬間、赤染衛門に目配せし、静観するよう促す倫子のカットが挿入されているんですね。余計な口を挟まず、まひろに言いたいことを言わせようと配慮しているのですね。いざとなれば、それを上手く馴染ませる倫子の手腕があればこそですが、一方でまひろを信頼してもいるのです。だからこその褒め言葉なのです。


 そして、これからも臆さずサロンに来てくれるよう念を押すと「私、まひろさんがいらしてくださるようになってからこの会が大層楽しみになりましたの」と微笑みます。最大限の賛辞にまたも、まひろの顔がぱあああっと明るくなります。
 素直に「あ、私も。最初は居心地が悪いと思いましたが、この頃はここに寄らせていただくことが…」と一気に語って、ここで一拍置くと「癖になってしまいました!」と万感を込めた言葉で破顔します。「最初は居心地が悪いと思いましたが」は余計な一言な気もしますが、「癖になってしまいました!」には、このサロンなしには生きている甲斐がないというまひろの思いが込められています。
 「癖?」と目を丸くした倫子が、その表現の面白さにころころ笑って応じるのもまた良いですね。


 こうして、まひろは、さわや倫子といった女性の友人たちに救われ、今の生活の苦しさは変わりませんが、それでもそれを卑下することなく、生きていこうと思えるのです。今の家刀自に明け暮れる生き方を肯定できるだけの、ささやかな自信を得たと言ってもよいのではないでしょうか。
 ただ、道長と倫子の婚姻という史実を知る視聴者にとっては、彼女たちの会話がキラキラすればするほど、その後の悲劇に胸を痛めるばかりですが…個人的には、道長との別れよりもこの友情にひびが入るほうが激痛です(苦笑)



(4)まひろを悩ます縁談話

 まひろの婚姻相手について閃いたと意気揚々とやってきたのは宣孝です。なんとかせねばという親切心からですが、まひろからすれば、小さな親切余計なお世話。「そのようなことお願いしておりません」と嫌がります。まひろ自身は前回も静かに首を横に振っていましたからね。

 これに対して「何度も言えばわかるのじゃ。この家の窮地はまひろが婿を取れば万事落着するのだ」と諭す宣孝は、男性本位の物言いですが、当時の「家」重視のものの考え方からすれば至極当然のこと言っているに過ぎません。彼からすれば、まひろの言い分は駄々をこねる子どもの戯れ言。奥手で変わり者のまひろが一人の男性と契りを結ぶほどの恋をしているとは思いもよらないのですから、これは致し方ないところでしょう。

 嫌がる娘を気遣う為時ですが、我が家の窮状を考えれば、藁をもつかむ気持ち、とりあえず聞くことになります。これまた仕方のないところ。それにしても、二人とも、まひろの密かな恋の相手が摂政家の三男と知ったら卒倒するでしょうね(笑)それを言えるはずもないまひろも、しぶしぶ宣孝の話を聞くしかありません。


 相手は先年、嫡妻を失った実資…「日記!日記!」の桐子が亡くなったことは以前にも触れましたが、それがまさかこういう形で引っぱってこられるとは意外でした。とはいえ、嫡妻の後釜…つまり、北の方になれるという提案であることは注目です。宣孝は、妾を嫌がったまひろの気持ちを汲んでいるんですよね。

 また、まひろの賢さに見合う有職故実に通じ、実務に長けた当代随一の知恵者でもあります。まひろはこの案を聞いた際、「父上より学識があるのですか?」と疑わしげに聞いていますが、ここには彼女の伴侶に対する無意識の価値観が垣間見えますね。学問好きの彼女はバカが嫌いなのです。好きになった男でないなら、せめて父より頭が良い男でないと尊敬できないということでしょう。学者の父とこういう姉に挟まれては、学問に秀でていない弟が肩身の狭い思いをして、自虐的な態度を取るのも納得ですね(苦笑)


 因みに実資は、賢いだけではありません。藤原北家の嫡流、小野宮流の莫大な資産(家領)を受け継いでいます。為時が「おそれ多い」と言い、それは難しいのではないのかといった顔をしたほどの家柄と資産の持ち主なのです。更に為時は「権勢に媚びない」「筋の通ったお人柄」と、その性格も誉めそやしており、人格者である点も認めています。まあ、亡妻桐子とのやり取りを見る限り家庭内での愚痴は多そうですが、それは外にいる宣孝や為時はあずかり知らぬこと。実資が、申し分のない条件の相手であることに変わりはありません。

 そして、実資は、年齢的にも一回り上とはいえ、30歳とギリギリ若い。つまり宣孝は、可能な限り、まひろに合わせた相手を探してきたのです。この辺りは、彼が生来、気の利く人間であることを示しています。だからこそ女性にもモテるのでしょうし、また飄々と貴族社会を渡ることもできるのでしょう。そんな宣孝が、実資について「学識があり、人望があり、なにより財がある。まひろの婿に願ってもない方」と、特に資産がある点を強調し、太鼓判を押します。妙案だと言えるでしょう。


 蹴鞠の人脈を使うという宣孝は、善は急げと早速、実資に面会のアポを取ります。しかし、運悪く実資は赤痢に罹患していました。衛生状態の悪い平安期においては死に連なる疫病です。下男の肩につかまり、息も絶え絶えに厠へ向かう彼を目の当たりにすれば、「半分死んでおる、次へいこう」と早い変わり身も宜なるかな。この婚姻の最大の目的は為時の「家」の維持ですが、当時は女性には財産所有の権限を持っていませんから、現代のように遺産を狙っての婚姻とはなりません。死にかけの男に嫁ぐことに利はないのです。

 金、金というあさましさに「もうおやめください」と言うまひろに「お前一人の問題ではない。霞をくろうて生きていけると思っておるか」と宣孝は叱ります。生きていくことは綺麗事ではありません。現実を見ろという宣孝の言葉の「正しさ」には返す言葉がありません。


 おそらく、宣孝はこれからもまひろ一家が生きていくための良縁を持ち込んでくるでしょう。まひろにとって、婚姻が前回以上に現実問題として迫っています。そうなると頭を巡るのは「見知らぬ人の北の方となる」ことがどんなことであるのかということです。あの日、まひろは好いた男の妾になることについて「そんなの…耐えられない…!」と拒絶しましたが、ではその真逆、好いてもいない男の嫡妻になることは幸せなのか…

 あの日、まひろに拒絶された道長の「ならば、どうすればいいのだ」という言葉が心に響いてきます。彼が自分のために必死に考え出したことを、自身に眠る嫉妬心から拒絶し、彼の想いを踏みにじったことへの後ろめたさが心を占めたのでしょう。思わず、道長の問いかけ「どうすればいいのだ」が口から洩れたのは、彼の想いに応えるために自分も決断しなければならないと無意識のうちに思っているからではないでしょうか。彼女は、あの日の道長と共に自分に選択を迫ります。

 何かを犠牲にしてしか幸せは得られません。自分は何を犠牲にできるのか、どちらの不幸に耐えられるのか。いよいよ、彼女の心は惑います。
 その憂いは深く、乳母のやりすぎの指摘が耳に入らないほど、火吹竹を吹いてしまうところにも表れています。おそらく日常の家刀自のなかで何度も自問自答したのです。ただ、「北の方になるなら誰でもいいの?このままあの人を失ってもいいの?」との問いかけは、見知らぬ人間の嫡妻になるリスクだけを考えているものです。既に彼女の心は、道長の妾になることへ大きく偏っているのですね。

 妾になれば、共に暮らしてはいない夫をひたすら待つ寂しく、空しい日々が待っているかもしれません。嫉妬に苦しみ、涙する日もあるでしょう。しかし、高倉の人なつめがそうであったように、最期を迎えるその日まで自身を愛しぬいてくれたのならば、貧しくても身寄りがなくなったとしても幸せだと信じられる生涯になるのではないか。今のまひろには、そう思えているのではないでしょうか。


 また、母ちやは(彼女は嫡妻ですが)のように、嫉妬や待つことに苦しむことがあっても、家刀自で見つけた小さな楽しみがあれば、日々をそれなりに楽しく過ごせるのではないか、という考えもまひろの中にあるのではないでしょうか。つまり、皮肉なことに、家刀自をやる中で得たささやかな自信によって、まひろは自分の中に巣食う妾のリスクへの思いを軽くしようとしている可能性も窺えるのです。

 勿論、傍から見れば、実際の妾の生活は、そんな簡単な綺麗事ではないと思われます。しかし、二人のつながりを信じたい乙女心は、彼を失い他の男と過ごす無味乾燥の日々のほうがリアリティがなく、耐え難いものになってしまっています。


 こうしてまひろは「妾でもいい、あの人以外の妻にはなれない」と思い込み、道長の呼び出しに喜び勇んで、今度こそ彼に応えようと飛び出していきます。しかし、「妾になってでも、彼の妻になってやる」という肉食女子のような積極的な選択ではありません。追いつめられ、悩みぬいた挙句、なるようになれ!というような一種の捨て鉢がどこか漂っているのではないでしょうか。
 「必ず婿にしてみせる」と言える恵まれた倫子に対して、「妾でもいい」としか言えないまひろの選択は、どうしても消極的で刹那的なものにならざるを得ません。身分、家格の問題は、当人たちが思う以上に乗り越えがたいものであったことが、まひろの選択からも窺えるのです。このことは、終盤の逢瀬が悲劇的な結果を迎える一端にもなっているように思われます。



 余談ですが、「鼻くそのような女との縁談あり」と日記に書き記された実資のまひろ評は、前回の兼家の「虫けら」と並ぶ最悪のもので苦笑いするしかなかったことと思います。しかし、実資は桐子という仲睦まじかった若い伴侶を失ったばかりです。心痛も大きかったことでしょう。その上、今は赤痢からの病み上がり。心身のダメージを受けているとことに持ち込まれた身分の低い者からの縁談の話は迷惑千万だったに違いありません。
 どう考えても、自分の資産で生活することをあてにした浅ましい狙いとしか思えなかったはずです。ことごとくタイミングの悪い話を持ち込んだ宣孝が悪いのであって、彼の言葉もまひろに向けてというよりも為時の「家」に対する非難だと言えるでしょう。

 因みに実資の後妻となった嫡妻は、花山帝の女御(つまりお手付き)だった婉子女王(まひろより年下)です。彼女は、為平親王と源高明の娘との間に生まれた女性(明子女王の姪)ですが、花山帝の寵愛を失い、出家もあり、実家に下がっていました。そんな彼女への憐憫からか、実資は求愛に至ったのです。彼女は同世代の男性からの求婚を振り切り、15歳年上の実資と結ばれることになります。とはいえ、実資も家柄のよい女性を迎えているのですね。ただ心は尽くしていたようで、彼女が夭折して後、実資は決して後妻を娶ろうとはしませんでした。



2.道長を追い込む周りの思惑と自分自身の言動

(1)道綱の優しさが与える気づき

 今回の道長の最初の登場シーンは、腹違いの気の良い兄、道綱と酒を酌み交わすところです。ほろ酔いの道綱は「俺ね、従四位にしてもらったのはいいのだが、誰も相手にしてくれぬのだ。どうすればいいと思う?」と弟に素直に悩みを打ち明けます。変なプライドに凝り固まっていないところが気持ちのよい人柄です。昇進は史実どおりですが、本作の場合は、あの母上の猛プッシュにタジタジとなった兼家が昇進させたように見えますね(苦笑)

 とはいえ、当の本人の「してもらった」という言葉には、摂政家の人間というだけで分不相応な昇進をしてしまった戸惑いとそれゆえの人間関係の難しさを抱えていることが窺えます。おそらく陰口を叩かれ、無視されているのでしょう。人がよい彼は、そうした人の悪意に対する機微がないため、それを上手く捌くような腹芸や処世術ができないでいると察せられます。何と言っても「内裏は騙し合い」(兼家)ですからね。

 「はあ…」と生返事の道長に「俺は道長より11も年上だがうつけだからなぁ…」と自虐的になります。人の顔も覚えていない人ですからね。如才ない道長は「ご自分のことをそのような」とフォローはしますが、心ここにあらず、であるのは明らかです。


 彼の胸にあるわだかまりの一つは、前回のラストに兼家に切り出した「お願い」のせいです。前回、伏せられたその内容は、兼家から考えるように言われていた左大臣家の一の姫との縁談を進めてほしいというものでした。おそらく多くの視聴者が、何故そんなことを言ってしまったのかと疑問に思っているのではないでしょうか。
 しかし、彼が何を思って、この決断に至ったのかは語られていません。ただ、兼家への進言が、まひろとの逢瀬の直後と思われる前回の構成からすれば、あの逢瀬のショックがもたらしたものであることだけははっきりしているでしょう。ただし、その思いは、様々なものが複雑に絡み合っているように思われます。

 一つは、まひろが望む世の中を作る第一歩を踏み出すということですが、それも志を優先しているかのように見えるまひろの思いに応える決意なのか、「そんなに俺を拒絶するなら見ていろ、後悔するなよ」というような当てつけなのかはわかりません。おそらく両方が絡み合い、彼自身にもよくわかっていないかもしれませんね。もう一つは、まひろの拒絶によって二人が結ばれないと絶望したからでしょう。その場合もヤケクソなのか、あるいは彼女を忘れようと無理をしたからか判然としません。


 とにもかくにも、彼は自身の「ならば、どうすればいいのだ」という言葉どおり、本当にどうしていいのかわからなくなり、激しく溢れ出す感情の数々でぐちゃぐちゃになったまま、とりあえず行動してみた結果が、倫子との縁談を兼家に進言するになってしまったのかもしれませんね。そこには、先に述べた様々な可能性の全ての思いがあったでしょうし、また自分で感情がコントロールできなくなった今の彼には、すがる先が父、兼家しかなかったということでしょう。
 といって、素直に打ち明けても、兼家が虫けらと呼んだ為時の娘が相手と分かれば、一笑にふされるだけ。思いあぐねて出た台詞が、左大臣家の娘との縁談だったのだと察せられます。


 要するに、前回のまひろの前から走り去ったときの道長は、誰かに助けてほしかったのではないかということです。本来、彼を助けられるのは、魂で結ばれたまひろですが、今回の懊悩と絶望の原因はまひろですから、それはかないません。直秀が生きていれば、なにか言ってくれたかもしれませんが、彼はこの世にはいません。信用できる二人がいない道長は、彷徨するしかなく、さまよった挙句が、この縁談の話ということになるでしょう。こう考えると、彼の心情からすれば、どうしようもなかったのだということは見えてきます。

 しかし、勢いでしたその行動は取り返しのつかないことでした。冷静になれば、その言動が果たして良かったのか。これでまひろを諦められるのか。自分は本当に志に生きる覚悟を決めているのか。まひろは自分をどう思うだろうか。そもそも、あいつは何を考えているんだろう。俺を好きなんだろうか。様々な疑問が、彼の脳裏には浮かんでは消え、浮かんでは消え…となっていることでしょう。気のいい兄の真摯な悩みにも上の空にならざるを得ません。


 しかし、道綱との気の置けない会話が、流れで道綱の母のことに及んだとき、この兄は、道長の悩みの核心を突く話を始めます。彼は母を見ていると「俺にも妾はいるし、それなりに大事にしているけれど、妾の側から見るとまるで足りぬのだ」ということがわかると言います。その言葉に「それはお母上のお考えなのですか?」と道長が問うたのは、まひろに妾になるよう言い出しながら妾がどんな気持ちでいるのか考えたことがなかったことに思い当たったからですね。

 この後の道綱の「何も言わないけど見ていたらわかる。嫡妻は一緒に暮らしておるが、妾はいつ来るかわからない男を待ち続けているんだよなぁ…」との言葉は、母の暮らしぶりを横でずっと見てきた道綱の実感であり、そこには彼女の日々のリアリティが感じられるはずです。

 おそらく、彼は、母が自分の昇進について執拗に兼家に脅迫、懇願することについても、息子への愛、あるいは将来を心配してのことだけではないことを見抜いていますね。彼女の懇願の裏にあるのは、兼家の愛情への飢えです。嫡妻は既になく、未だに彼女の家への渡りがあろうと、彼の思いに確信は持てません。息子の昇進という形だけが、彼の愛情を確かめる唯一の手段になっているのです。前回、息子の昇進に執心な母を諫めたのも、母のそんな心情を察し、痛々しくて見ていられなかったのかもしれませんね。

 しかし、父兼家のことも好きな道綱には、父を恨む気持ちはありません。ですから「男は精一杯かわいがっているつもりでも…」と父を庇いながら、寂しく笑うのです。その上で、万感の思いを込めて「妾は常に辛いのだ」と断言します。「常に」と言い添えているところに、道綱がいかに母の気持ちを慮っているかが伝わってきますね。


 道綱は、人の顔は覚えていないし、漢籍などの教養面での知識は足りない人物です。しかし、それはバカとイコールではありません。その代わり、人の心の機微にはすぐれて力を発揮するのです。彼は人柄、心映えの人なのです。道綱を「一文不通の人(何も知らない奴)」と言ったのは実資ですが、その一方で和泉式部は彼を「あわれを知る人」と評価しています。こうした逸話が巧く使われて、本作の道綱は気持ちのいい人間になっています。

 今回登場したさわと役割がよく似ているのが、興味深いところですね。


 そんな嫌味の無い兄の率直な言葉だからこそ、道長の心に響きます。妾がどんな気持ちで日常を過ごしているのか、それが長い年月になれば尚更どうなるのか。自分がそのことに今の今まで思い至らなかったことにようやく気づきます。思い出されるのは、あの日のまひろの拒絶です。「そんなの…耐えられない…!」と叫んだまひろに、道長は「お前の気持ちはわかっておる」と言いました。「わかっていない!」とまひろは返しましたが、彼女は正しかったのです。

 「お前の気持ちはわかっておる」と知ったようなことを言いましたが、それはあの場で激昂する彼女をなだめすかすためのおためごかしでしかありません。彼は何にもわかっていなかった、いや、わかろうとしていなかったのですね。それは、彼が反論する彼女の話を聞こうともしなかったことに表れています。まひろの気持ちに寄り添おうとしなかったのです。


 それどころか、自分の言い分をわかろうとしない彼女の言葉を単なる我儘と断じた道長は「ならばどうすればいいのだ」と対案を求めました。彼女の希望を聞くかのようにも見える台詞ですが、その後に続いた「勝手なことを言うな!」という腹立ちまぎれの台詞からすれば、彼の真意が「他にいい案もないくせに我儘を言うな」という彼女を責める気持ちが先行していたと言えるでしょう。

 まひろは自分の思いがわかってほしかっただけです。また、彼女の世を変えてほしいという願いは、呪いとも言えますが、根っこにあるのは素朴なものです。今の彼女に何かを実現できる力などあるはずもありませんから、方法論など言えるはずがありません。そんな彼女に、力のある裕福な家柄の道長が対案を求めるように「ならば、どうすればいいのだ」と返すのは、ずるいのです。返す言葉がないことをわかって、言っているのですから。

 こうして道長は「ならば、どうすればいいのだ」が、まひろを追いつめてしまったことにようやく気づいたのです。「ならば、どうすればいいのだ」が、道長の脳裏で2回リフレインされたことは、彼の後悔の深さを物語っています。


 興味深いのは、この道長×道綱の酒宴のシーンの直前のシーンで、まひろが「ならば、どうすればいいのだ」を思い返しているということです。これは、二人の気持ちを対比的に描く演出ですが、まひろが道長の気持ちを慮り、自分の選択を考えるものとして「どうすればいい」を考えているのに対して、道長は自身の言葉がまひろを追いつめたと後悔し、彼女の気持ちに寄り添わねばという思いに至ります。
 「どうすればいいのだ」という台詞は、お互いの気持ちに気づくツールでもありながら、その結果、進んでいく方向性はすれ違っていくツールにもなっているのですね。


(2)外堀が埋まっていく倫子との縁談

 後悔先に立たず。道長の後悔はともかく、倫子との縁談は着々と進められます。兼家は、雅信を呼び出し、人払いをして、縁談話を強引に進めていく兼家のさまは遣り手の彼らしさが出ているのですが、溢れ出す笑顔は決して腹芸だけではなく、ようやく道長が家のために動くことを決意したことにほくほくしている喜びもあるように感じられます。「息子の願いなんとか叶えてやりたいとも思い」との言葉もあながち嘘ではなく、是が非でもものにしてみせるという父親らしい気概もあるのではないでしょうか。


 ただでさえ、巧妙な辣腕を振るう兼家が、摂政という地位の自信に溢れ、そして父としての喜びまでそこに重なっているのです。気の弱い雅信は呑まれるばかり…その様子が面白いですね。「左大臣さまのお胸のうちをお聞かせいただきたく」と言いながら、「光栄にございますが…」と当たり障りのないことを言いかけた途端、先まで言わせず「これから道長にも左大臣家の婿に相応しい地位を与えていきますので、どうか道長にご厚情を賜りたくお願いいたします」と返答を封じてしまいます。
 ここから、カメラが兼家を中心に回り込みながら、彼をやや見上げるアングルで撮っていきます。この場を支配するのが兼家の威厳であることを象徴しています。

 兼家の言葉に冷や汗のような顔をしつつも「さてさて過分なお言葉…」と無難な言葉に濁そうとするのですが、またまた最後まで言わせず「道長にご承諾いただいたとお伝えしてよろしいですかな」と核心を突いた一言で返答を一択にします。ここで兼家を極端なクローズアップにすることで、彼の辣腕が極まります。

 事なかれで誤魔化そうとして追い込まれた雅信は、いよいよ泡を食って「ちょっとお待ちくださいませ。娘の気持ちも聞きてみませんと…」と言うのが精一杯。兼家はすまし顔で「どうかお力添えを賜りたくお願いいたします」と静かに一礼します。「ああ…はああ…」と狼狽えるしかない雅信。勝負あったとばかりに顔をあげた兼家の満足気な顔のアップでこのシーンは終わります。


 兼家の剛腕に目を白黒させ、百面相になってしまった雅信は気の毒ですが、彼の災難はこれで終わりではありません。二人の密談で縁談の言質をとった雰囲気を作ってしまった兼家は、早速、道長に文を持たせて、土御門殿へ挨拶にやります。道長は知りませんが、彼の持たされた文にはただ一言「此者道長成」だけ。一方的に道長を紹介し、「よろしくね~」という意味です。仮にも源氏、左大臣家であるにもかかわらず、相手の意向などお構いなしに猛プッシュ。反駁を許さない強引さに「すばやいのう、摂政さまは」と苦り切ります。

 たしかに、兼家のやり方は、あまりにもあからさまで、あざとい方法ですが、何事も勝負時が大切ですし、また腹芸に長けた貴族社会であれば、曖昧にせずにあの手、この手とはっきりとしたことをやっておくのは効果的です。勝負師として兼家は正しく、だからこそ彼はこの政争ゲームに生き残れたのです。雅信が、そのがっついた姿勢を品がないと嫌がるのはもっともなのですが、一方で今の左大臣家がより繁栄するためには、そのがっつきがもっとも足りない。対する摂政家は高貴な血が欲しい。雅信には申し訳ないのですが、結構、互いの利益にかなった縁談なんですよね(笑)


 道長が訪れたことは、彼を婿にと願う倫子にとっても好機でした。母、穆子に道長を品定めさせるに丁度よい機会だったからです。この母娘は通じたところがありますから、面通ししてしまえばまず大丈夫。果たして御簾の奥から道長を眺めた穆子は「涼やかだこと」と好印象。道長を見られる喜びだけでなく、まずは母を味方につけられた倫子は嬉しげです。やんごとなき姫ゆえに行動的なことはできませんが、倫子はその強い意志をもって、自分の願いを叶えようとするしたたかさがあるのですね。


 そして、「なめておる…」と苦る父の元へ思い詰めた表情で表われ、駆け寄ると、これまたストレートに「父上、私は…藤原道長さまをお慕いしております」とはっきりと口にします。思わぬ娘の一言に呆然とする雅信の顔が可哀想やら、面白いやらですが、父に構わず「打毬の会でお見かけして以来、夫は道長さまと決めておりました」と、その思いが瞬間的な激情ではなく、ずっと長く秘めてきたものであり、並々ならぬことも告げ、本気度をアピールします。

 どうやって断るかをずっと考えていた雅信は「…ま、待て。そなたは猫しか興味がないのではないのか?!」と真剣に驚き、慌てます。哀れなほどの狼狽ぶりですが、24歳にもなる娘をいつまでも子どもと見ているのも親バカが過ぎるというものですね(笑)「道長さまをずっと…ずっとお慕いしておりました。それゆえ他の殿御の文は開かなかったのでございます」と、恋愛に興味なさげだった理由も得心のいくように説明されては、口をばくばくさせる以外にありません。


 こうして着実に追い込んだところで、倫子は「道長さまをどうか私の婿に…倫子の生涯一番のお願いでございます」と願いの核心を明言します。雅信の「摂政家でなければ、良いのだがのう…」という反論が弱々しいのは、娘に対する甘さと反論材料が単に摂政家が下品で嫌いという個人的な思いだけだからです。渋る父に「叶わねば、私は生涯猫しか愛でませぬ」と父をハラハラさせる言葉を投げかけ、トドメとばかりに「父上のお力でどうか…道長さまを私の婿に。お願いでございます」と跪いて畳みかけます。

 愛娘を溺愛する雅信が「道長から文は?」と聞いたことだけが、まともな反論でした。お前だけが一人、思いを募らせても叶うものではないということなのですが、静かに首を振り「私が道長さまの目に止まっているかもわかりませぬ…」と哀しい顔を見てしまった雅信は、慰めようようとついつい「止まったようではあるがのう、そのようなことを摂政さまが仰せであった…」と正式に縁談を持ち込まれたことを仄めかしてしまいます。それでも、さめざめと泣く倫子。「泣かんでも良いではないか、わしは不承知とは言っておらんのだから…」と必死に宥めます。


 そこへ「良かったわね!倫子」と現れたのは、母、穆子。目を見開いて「なんだ、お前…」と驚愕する雅信に「父上は今、不承知ではないと仰せになりましたよ。この話、進めていただきましょう」と言質を取ったとばかりに、倫子の味方をします。明らかに彼女は事の成り行きを見守って、ここぞとばかり出てきて、娘を援護しましたね。
 「母上~」と子どものように泣きじゃくる倫子を抱きながら「貴方、よろしくお願いいたしますね」とにっこり…確約させます。兼家と娘と妻に振り回された疲れ果てた雅信は最早「泣くほど好きでは致し方ないの…」と自分に言い聞かせるように諦めるしかありません。こうして…道長と倫子の縁談はまとまったのです。


 喜びに泣き、抱き合う母子の間には猫の小麻呂がちょこんといてかわいいのですが、倫子はこのとき、そっと小麻呂の前足をにぎり愛撫します。猫好きの倫子らしい無意識のものと捉えることもできますが、喜びに感極まりながらも、一方で小麻呂を気遣う余裕があるようにも窺えます。もし、そうだとすれば、この雅信を籠絡する一連の一幕は、倫子と穆子の策略だったかもしれないとほのめかしたことになります。

 雅信が目を白黒させながら諦めていくさまをざっと書き出しましたが、倫子はかなり的確に雅信を追い詰めています。そして、完全に心が倫子へ寄った瞬間の失言を逃すことなく、穆子が追い討ちをかけて、仕留めています。以前のnoteでも触れましたが、左大臣家においては、穆子と倫子の発言権が強く、入内すら彼女らの意向に雅信が従うようなところがありました。この母娘は、雅信の扱い方を心得ています。勝負どきを逃さないしたたかさがあって当然と思われます。


 勿論、倫子の道長への恋慕は真剣なものです。ですから、父に見せた思い詰めた表情も、語った言葉の数々も嘘ではないでしょう。ですから、策略といっても芝居ではありません。あくまで、自分の本心を伝え、願いを叶えるため、その使い方を倫子は身体で覚えているのではないでしょうか。倫子の恐ろしさは、その無垢さとある種の計算が矛盾することなく、マッチして場に合わせた振る舞いとして自然にできてしまうところのような気がします。

 そう考えると、倫子が、サロンで空気を読み、的確に場を盛り上げ、人の心をつかむ才に長けていることも納得できますね。それは、恵まれた環境が生んだ天性のものであると同時に、環境に頼り切るのではなく。それを生かし切るだけの強い意思を持っているからでしょう。そこが、彼女を生まれついての姫のように見せているのかもしれません。なんにせよ、彼女は、そのしたたかさをもって、宣言どおり道長を婿にすることに成功します。



(3)道長を巡る周りの思惑

 縁談がまとまったことを報告に来た道長に詮子は「左大臣の娘というのは悪くないけど、道長の好みは?」と聞きます。相変わらず、道長には明け透けな姉ですね。元々、道長を雅信の娘と結婚させることは、彼女も兼家と同意見でしたから、依存はありません。とはいえ、兼家と同じ発想に留まっていては、詮子が彼を出し抜くことはできません。ですから、次の一手が必要です。

 道長は「好みは特にございません」と相変わらず、つまらない返事をします。これは、道長が、女性を出世の道具にすることへの後ろめたさを持っているからでしょう。ですから、こういうことを表明することはトラブルのもとになると嫌っている節があります。まあ、今はまひろという本命を悟られないようにしているというのもあるかもしれませんが。


 まあ、詮子は道長の好みを本気で聞いているわけではありません。というか、どうせつまらない返事をすることなどお見通しでしょう。ですから、道長がどういう返事をしようと彼女は「ね、とっておきの美女がいるんだけど見てみない?嫌なら無理は言わないから見てみてよ」と言ったはずです(笑)最初から、女性を引き合わせることが目的です。

 果たして、その女性は以前、道長が遠くから見かけた源高明の娘、明子女王です。前に見たからと渋る道長に、悪びれることもなく「醍醐天皇の御孫君よ、もう一回見なさい、妻にする気分で」と有無を言わせません。一々、「妻にする気分で」と念押した挙句、「妻を持つなら一人も二人も同じでしょ」とまで言ってしまう割り切りぶり。もう野心家としては、感心するしかありませんね。
 入内した経験を持つ彼女は、嫡妻だの妾だのという次元を超えたところで過ごした経験がありますから、「一人でも二人でも同じ」と言えてしまいますし、自身もそうであったように婚姻も「我が家」のための政治の一環であるということを疑うことがありません。
 そういう意味においては、極めて男性的な要素を持っていると言えるでしょう。ですから、さわやかな笑顔とはきはきとした物言いで、ろくでもないことを言い、自信満々に謀を進めていくところは、兼家にどんどん似てくるようですね。本人が聞いたら嫌がるでしょうが、血は争えません。


 「嫌ならいいから」と繰り返す、強引な彼女に「では見るだけということで」と道長はしぶしぶ答えますが、実はこの返事も詮子は全然、まったく聞いていません。滔々と「このままでは高明の怨念で帝や我が家に災いが起こると思うのよ。高明公の娘を妻にして慈しみ怨念を静め、高貴な血筋を我が家に入れる。最高じゃな~い?」と語り、道長に同意を求める始末です。おい…「嫌なら無理は言わない」「嫌ならいいから」はどこにいった??道長に選択肢は最初からありません。皇太后という地位が、詮子をより大胆にしているかもしれません。

 何を言っても無駄とわかった道長は、その場逃れも含めて「わかりました。お任せします!」と明子との結婚も半ば承諾してしまいます。道長の抵抗が薄いことに「何よ…投げやりね」と口を尖らせるのは、抵抗する道長を楽しんでいるからですが、なにげに道長の本心の核心を突いていますね。

 倫子との婚姻が決定的となった今、彼は自身の逃れられない運命。がんじがらめになった現実に内心は辟易しているのでしょう。そこに姉から舞い込む新たな縁談、彼の逃げ道はふさがれるばかり。何も考えたくなくなるのもわからないではありません。今、道長は、詮子の言った意味とはまったく別のニュアンスで「妻を持つなら一人も二人も同じ」なのですね。どのみち、二人とも自分が心の底から愛するまひろではないのですから。愛情など持てない、形ばかりのものと考えているだろうと思われます。
 まあ、見ようによっては、この投げ槍は女性にとっては最悪ではあるのですが、思い定まらぬまま状況だけを進めてしまった彼の悩みと言えるでしょう。


 姉を黙らせるため快諾した道長ですが、実は彼を明子女王と引き合わせるのは今すぐでした。流石に「え?今日ですか?」と声が裏返る道長がおかしいのですが、道長がなんだかんだ言って逃げる可能性を考慮した詮子の策は正しいと言えます。流石は、かわいい弟をよく知る姉ですね。


 さて、不自由はないかと気遣う詮子に、縁もゆかりもない自分の後見をすることを訝しむ明子は「何故よくしてくださるのですか」とズバリ聞いてきます。身の上を案ずるからだと通り一辺倒の理由は言うものの、冷たく固い表情に薄い笑いを張り付けた明子の様子に大きな変化はなく、間が持ちません。表情に乏しいクールビューティの扱いづらさといったとこでしょうか。

 しかし、鋼の強さを持つ皇太后、詮子はまったく怯むことなく、あっけらかんと「突然でございますが、私には道長という弟がございます」と話をぶった切り、自分が彼女を世話する理由は、自分のかわいがっている弟、道長と夫婦にさせるためであると目的を話してしまいます。いらぬ腹芸をして回りくどいことをする必要はないという咄嗟の判断ですが、これは侮れません。どのみち明子に後見人はいないので、婚姻を切り出しても断ることはないだろうとの見通しがあったと思われるからです。


 そして、詮子の目論見どおり、「(道長との結婚の)お世話させていただいてもよろしいでしょうか」という申し出に「お願いいたします。行く宛もない身でございますので」と予想通りの答えを返します。喜んだ詮子は、目合わせようと御簾をあげますが、いつの間にか道長は逃げ出してしまっていました。

 道長は、御簾の外で女二人の会話を聞いていましたが、それは自分の意思とは関係なく、さらに明子の意向も関係なく進められていく、貴族の婚姻の実態でした。道長は倫子の気持ちは知りませんから、彼にとっては左大臣家の一の姫との婚姻も似たようなものであると思っているでしょう。貴族の婚姻の実態を体感する中で、自由にならない貴族という身分、愛してもいない人間との間に子をなしていくという役割、これから訪れる様々なことを思い浮かべ、居たたまれなくなったのではないでしょうか。マリッジブルーなどという言葉では片づけられないような、彼のつらさは今の我々の想像の及ぶところではないでしょう。


 しかし、道長はその逃れ得ぬ宿命を受け入れようとも考えています。それは、自分の勢いで進めてしまった自業自得もあるのですが、それ以上に、道綱との会話で教えられた妾の哀しさに気づかなかったことで、まひろを追い詰め哀しませたことが彼の頭を占めています。何故、まひろが、世を正すという志を叶える道長を見続けると言うしかなかったのか。自分と魂のつながりを感じ、愛してくれているからこその彼女の想い。愛するからこそ、自分の幸せよりも、道長の将来を思う思い遣り。そういったものが、改めて彼の心に染みているのではないでしょうか。

 その思いを反芻しながら、道長は、行成の指導のもと、仮名の書写を学んでいます。その軽口とは裏腹に筆を運ぶその表情は真剣で、「甘えていたのは俺だ。心残りなど…断ち切らねばならぬ」と独り言ちます。まひろの願いに応える決心を固めようと、自分に言い聞かせているのですね。自分の思いをまひろに受け入れてもらうためには、まず、「世を正す」ため自分が覚悟を決めたことを証明しなければならない。もしも、まひろと結ばれることがあるとすれば、その先にあると言い聞かせたのではないでしょうか。

 そして、仮名の書写を学ぶのも、やるべきことはやるという覚悟であり、また今のこの決心をまひろに伝えようという思いがあるからと考えているのでしょう。彼は。道長の中の何かが変化したことを感じ取っている行成もまた真面目に付き合っているのがよいですね。

 ただ、この書写のシーンの直前では、まひろが「妾でいい」と彼とは逆の決心を固めているのがやはり皮肉ですね。お互いの気持ちを知り、それゆえに自分の思いをそれに寄せようと考えた結果、また彼らはすれ違うのですね。


 ところで、道長の変化は、まひろとの関係からくる内的なものなのですが、傍から見ている人間にとってはそう見えていません。

 例えば、詮子の提案を快諾した明子女王はしたたかにも、それを利用して父を失脚させた藤原一門に復讐を果たそうとしています。道長との婚姻によって、氏長者である兼家に近づき、髪の毛を手に入れ呪詛しようというのです。現実主義の明子の兄、源俊賢(公任、斉信、行成と並び道長を支える四納言となります)は「最早、藤原に取り入らずして生きる道はない。お前も道長の妻になり、幸せと栄達を手に入れよ」と窘めますが、「私の心と身体なぞどうなっても良い」と望む明子の暗い情念は、父の無念を晴らすことに凝り固まっています。

 そんな彼女の目には、道長は詮子の腰巾着、ただの道具でしかないでしょう。この暗い情念と解き放てるのは、道長だけですが、まだ彼はそれをしりません。


 また、道長の書写に挑む様子を見て「道長がやる気になっているのを初めて見た」と危機感を抱くのは公任です。三男の道長すらやる気になったことを見て、いよいよ摂政家が政を意のままにしようとすると恐れます。道長の内的な変化は、一族に関係あって、関係のないものですが、公任にはそうは映りません。上昇志向の強い公任であれば、その危機感は正しいでしょう。現に彼は出世で道長に追い抜かれることになります。

 そんな彼を後目に父、頼忠は形ばかりの太政大臣は生き恥と引退の意思を告げ、摂政家の元につくことを促します。摂政家の勢いに逆らうことは無意味であるとの判断は、彼が見せる最後の老獪さです。そして、摂政家の中でも次男、道兼につくことが賢明との助言を残します。このことは、道兼が前回、兼家の助言を真に受けた道兼が、長兄道隆を出し抜くために人脈づくりにせいを出していることを意味しています。

 道長の内的変化による、二つの婚姻は現実的な政治的な動きの一つとして、彼の意図しない政争に巻き込まれていくことが予見されているのですね。そのためにもまひろとの関係は、今回でひと段落つけざるを得なくなっています。事態は、二人の気持ちをよそに逼迫しているのです。


3.タイミングを逸した二人の思いの果て

(1)自分の想いに逸る道長のミス

 皆が三尸(さんし)の虫に天帝に罪を告げられることを恐れ眠らないという庚申待の夜、それぞれに悩み切った思いを告げるため、道長とまひろは、再度の逢瀬を遂げます。さわに天帝に告げられては困る罪はあるかとの質問に「母が死んだのは私のせいだし、そのことで父を散々傷つけた。嘘もつくし、好きな人も傷つけたわ」と寂しく笑ったまひろは、既に道長の妾になってくれとの思いに今度こそ応えたいという気持ちが胸を占めているということが端的にわかります。

 ですから、彼の呼び出しを再度の妾の誘いと信じ、「妾でもいい、あの人以外の妻にはなれない」と笑顔で駆け出していくのです。刹那的な結果しか訪れないとしても、その瞬間を彼の愛情と共に生きられたらとすら覚悟していたかもしれませんね。後ろ向きですが、賢いまひろにはそうしか思えないのが哀しいところです。もっとも、道長が呼び出した理由はもっと残酷なものでしたが。


 喜び勇んできたまひろは、道長の「すまぬ、呼び立てて」の言葉にも「いえ、私もお話したいことがあり、お逢いしとうございました」と強く頷きながら微笑みます。今度こそ…そんな決意が窺えるのですが、呼び出した道長には、前回、前々回のような熱いものは見受けられません。激情に駆られて抱きすくめる、逢った途端に熱い口づけをかわす…書いているだけでも恥ずかしい二人のやり取りがないのです。それは、ひたすらに暗く、つとめて表情を出さない道長の態度に表れています。笑顔の零れるまひろとは対照的な道長の様子が、既に二人の想いの決定的なすれ違いを予感させています。

 とはいえ、ここで道長が切り出す話が「左大臣家の一の姫に婿入りすることとなった」だったのは、まひろでなくても驚いたことでしょう。いずれ、まひろが道長と倫子の婚姻を知るとはいえ、今回のこの場とは思っていた人は少なかったと思われます。暗がりのシルエットから話し始めたこと、「お前にはそのことを伝えねばと思い、参った」とうつむく彼の様子からは、話したくない話をしなければと思う誠意と苦悩が窺えます。

 しかし、ここ最近の道長は、何故、何の段取りもなく、唐突に重大な決断について話し出してしまうのでしょうか(苦笑)最初は「遠くの国へ二人で行こう、今すぐこの場で決めてくれ」、次は「結婚してくれ。妾だけどいいよね、覚悟決めてね」、そして今度は「左大臣の娘と結婚することになっちゃった」です。聞いた側が即座には受け止めきれない衝撃の情報ばかりです。聞く側の立場に立って並べてみると、ことごとくダメだこりゃとなりますよね。

 これは道長の判断が、自分の想いが先行しすぎるあまり、まひろのことを考えず、一方的なものになっていることを意味しています。厄介なのは、彼の中ではいつもまひろのことを考えていますから、まひろの気持ちも考えていることになってしまっていることでしょうね(苦笑)まあ、若いときには…いや、男性にはありがちなことかもしれません。相手をいつも思っているけど、それは独りよがりで相手に寄り添うことにはなっていないというやつです。身に覚えが(以下略←

 相手の話を聞く前に何もかも決めてしまって、結果だけを持ってくる…これが、このところの道長の失敗の原因なのですね。せっかく、前回のまひろの気持ちには気づけたのにこの根本的な姿勢が直っていないのですから、全てが台無しになるのは自明というもの。まして、今回は「私もお話したいことがあり」とまひろが言っているのです。まずは彼女の話から聞こうとするのが甲斐性というものです。そして、もしも彼がまひろの話から、まひろの決意から聞いていたのであれば、二人の想いは通じ合い、ひとまずのハッピーエンドだったでしょう…まあ、史実が大変なことになりますし、修羅場間違いないしにはなりますが。


 道長の告白を受けたまひろの表情は目まぐるしく変わります。衝撃による無表情から放心…そして内容を理解したのか、涙目の驚きとなり、それを落ち着かせようとしています。思っていた以上に早かった道長の婚姻、しかもそれが敬愛する倫子であるということ、ダブルの衝撃がまひろを襲います。最悪のタイミングで最悪の情報が二つ連ねられたのです。まひろのほうは、妾を承諾するつもりでここを訪れていますから、その想いと真逆のことが起きていることに理解が追いつきません。この衝撃をまひろが正確に理解するのは、この少し後、道長に「お前の話とはなんだ?」と問われて答えられなくなったときでしょう。

 今はこの状況に動揺しないよう努めて冷静に、この婚姻を祝福しなければならないという対応だけです。そして、「倫子さまは、おおらかな素晴らしい姫様です…どうぞお幸せに」と、この場に相応しい最適解の祝辞をひねり出します。彼女の顔が必死に思いを押さえつけようとしているのがわかるのですが、道長はここで彼女が倫子とつながりがあることを察してほしかったところです。「おおらかな素晴らしい姫様」と、その人柄に触れているのですから、明らかによく知った仲なのですね。ここに気づけば、彼女の話を聞く方向へ修正できたかもしれません。

 しかし、道長は祝辞の末尾にまひろが精一杯添えただけの言葉「どうぞお幸せに」に過剰反応してしまいます。「幸せとは思わぬ。されど、地位を得て、まひろの望む世を作るべく、精一杯務めようと胸に誓っておる」と、自分の幸せを犠牲にした覚悟と決意を一気に話し切ります。これが、前回、前々回のまひろの願いに応えずに、自分の気持ちだけを押し付けてしまったことへの罪滅ぼしの言葉なのです。
 ただ、妾になってもいいと思っている今のまひろには、この罪滅ぼしの言葉が、罪の意識を刺激してしまいます。「楽しみにしております」と無理に笑顔を作ろうとしながらも、無表情に戻ってしまうことを止められないのは、恋の終焉を感じ取り、道長をこのように決意させたのが自分自身であることを改めて自覚したからです。


 一方、まひろの反応を聞きながら、道長は「妾でもよいといってくれ」と念じています。ここで、彼の罪滅ぼしの言葉は「俺はお前のために幸せを捨てる覚悟を決めて、既に実行に移している。だから、俺の気持ちを助けると思って傍にいてくれ」というのが本音であったとわかります。罪滅ぼしの言葉は真実ですが、一方で俺の気持ちをわかってくれという懇願をカッコつけた形で言ったというようなニュアンスもあったのでしょう。

 しかし、結婚が決まったと言われて、愛人にしてくれと言えるはずがありません。言えるのは、相当イカれているか、倫理観の破綻した人間だけです…どうしてまひろが惚れ直してついてきてくれるのではという一縷の望みを抱いたのかは理解に苦しみます。
 せめて、「妾を考え直してほしい。何故なら、お前の願いを叶えるため無理な結婚をするからだ。せめて心が壊れそうな俺を傍で支えることはできないだろうか」であれば、まだまひろは「妾でいい」という自分の想いを吐き出すことができたかもしれません。どのみち、相手が倫子では断ったかもしれませんが、少なくとも、今回も、道長はまひろの話を優先しなかったという致命的なミスを犯すのですね。


(2)まひろの弱さ

 間が持たなくなった道長は、ようやく「お前の話とはなんだ?」と聞きますが、順序を間違えた問いは何の効果もありません。また道長は一番伝えなければならない思いだけは飲み込んだまま…ですから、まひろはもうこの恋は手遅れなのだと誤解します。道長に不本意な婚姻をする決意をさせたのは自分の願いであり、自分が妾になることを拒絶して追い込んだからです。無論、道長のヤケクソのような暴走が、道長と倫子との婚姻を望む人たちの欲望を刺激し、その結果、道長の手に負えないところまで一気に進んでしまったのですから、実際はまひろだけの責任ではありません。しかし、道長はその経緯の説明はおろか、言い訳すらしませんから、まひろはそれを知りようがありません。

 婚姻が決まったという事実だけが、彼女の自業自得を責めるだけです。加えて、その相手が敬愛する倫子であったことも彼女には致命的でした。他の知らない女性…例えば明子女王であったのであれば、まひろの衝撃はもう少し違ったものだったでしょう。前回noteで触れたように、まひろは前回の逢瀬で、まだ知らぬ道長の北の方への嫉妬する自分を自覚してしまいました。自身の醜い心を知ること自体、彼女にはショックだったはずですが、その嫉妬の対象が倫子だったことはさらなる追い討ちとなったでしょう。

 それは、倫子が全てにおいてまひろに優れていること、摂政家の三男に相応しい完璧な家格と教養を備えていることへの敗北感ではありません。ガールズトークの中で倫子がまひろだけに打ち明けてくれた秘めたる恋心。倫子が静かにそれを大切にしながら日々を過ごしていることは、恋路を走る最中のまひろには痛いほど伝わっています。そんな大切なものを自分に披露してくれた倫子の信頼も、まひろには喜びでした。元より倫子を慕うまひろですから、なおのこと心から彼女の恋が叶うことを願い、本気で「楽しみ」だったのです。

 しかし、運命は残酷でした。まひろは、打ち明けてくれた倫子の無垢な恋慕を祝福するどころか、汚す立場にいるのです。道長がまひろへの未練を残したまま、倫子と結ばれること。そして、それを知らぬまま道長のプロポーズを真心と倫子が信じること…これはまひろに温かい心配りをしてくれた倫子を何重にも裏切ることです。もしも倫子が、このことに永遠に気づかなかったとしても、まひろ自身はこの裏切りから目を背けることはできません。
 自分の願いが、道長ばかりか倫子までをも傷つける…深く絶望的な罪の意識が、まひろを苦しめたのではないでしょうか。その罪の意識が、「妾でもいい」という消極的な彼女の本心をなおのこと怯ませます。


 ここで考えたいのは、倫子が逆の立場だったらどうだろうかということです。倫子も同じく悩みはするでしょうし、哀しくも思うでしょう。しかし、彼女は友情を優先して、道長を諦めるでしょうか。今回、母と共に父を籠絡せしめた一件だけを見ても、それはあり得ません。彼女は必ずあらゆる手を遣い、道長をものにしようとするはずです。友人を裏切り、失うことになっても道長を慕う気持ちは譲れないからです。
 結局、恋愛を成就させるのは、なりふり構わない強い意思です。その成就で必ず傷つく人が出ることが避けられないからです。躊躇した人は優しい人ですが、敗北者にしかなれません。
 恋愛の結果、友情が瓦解するさまを端から見たことは何度もありますが、それこそなるようにしかならないものです。恋愛は弱肉強食のサバイバルであるということを改めて感じさせますね。

 つまり、まひろは「妾でいい」としか思えなかった時点で最初から倫子に負けています。「妾になってでも道長の心を北の方から奪う」…これくらいの野心でなければ、この逆境は乗り越えられなかったと思われます。つまり、まひろは道長のせいだけではなく、己の弱い心からこの恋を諦めようとするのですね。
 勿論、それは彼女の優しさの裏返しですが、そのためにつく嘘は、道長とまひろ自身をさらに傷つけるのですから、見てはいられませんね。

 まひろは自身の未練を断ち切るため、道長の決意を後押しして覚悟させるため、思いとは真逆の言葉「道長さまと私はやはり、辿る道が違うのだと私は申し上げるつもりでした」を述べます。この言葉を予期していたのか、道長は無表情の中に諦めを見せます…が、ここは、まひろが嘘つきということを思い出して欲しかったですね。まひろがギリギリの心情で、嘘をついていることは、その表情から窺えます。道長がただ一言「嘘だ!」と叫ぶだけで、彼女は嘘を突き通す前に泣き崩れたことでしょう。
 しかし、今宵は二人が結ばれた満月ではなく、三日月。彼女の表情をくわしくは見せてくれません。淡々とした言葉だけが、道長に届いたのかもしれません。

 哀しいのは続く「私は私らしく自分の生まれてきた意味を探して参ります」の言葉です。この言葉は、恋に破れ、自分の生まれてきた意味を見失ってしまったという慟哭に他なりません。その哀しみを一人抱えていく絶望が込められたこの言葉は嘘ではありません。「道長さまもどうぞお健やかに、では」の言葉に最後を予感した道長は、たまらず近寄りかけますが、絶望した彼女は彼をかわすように走り去ります。スローで映されるそれは二人の未練そのものを表しているのでしょう。
 二人を見下ろす三日月は、この恋慕がタイミングを逸して、何もかも手遅れであったことを象徴していますね。


(3)道長の諦観
 道長は去っていくまひろを、これが最後かもとわかりながら、追いかけることができませんでした。それは、これまで自分が彼女を追い詰め、苦しめたと自覚するがゆえの優しさなのですが、本当に大切な時こそ強引に引き留めるのが相手の気持ちを汲むことになります。しかし、それができる強さが道長にもありませんでした。誠意をもって、倫子との婚姻について切り出すことが、彼の精一杯だったのでしょう。結局、似た者同士の二人は、相手を思い遣りすぎて、最後の一歩を踏み出す勇気を持てなかったのですね。若さと優しさゆえの結末は、リアリティのあるものですが、残酷で哀しいものですね。

 それにしても、その傷心を引きずったまま、土御門家へ押しかけ、夜這いをかけるとは、これまた予想外でした。想い人に振られて、結婚前の婚約者に夜這いをかける…字面だけ見ると、かなり最低なのですが(苦笑)
 傷心に囚われた道長は救いを求めていたのでしょうか。それとも、まひろの様子を見て、最早、自分は愛なき結婚に進むしかないと自覚し、それなら早く未練を既成事実で振り切ってしまおうと覚悟したのでしょうか。もしかすると、文もなく訪れ、その無礼から婚姻が破綻すればよいと捨て鉢な気分が、わずかでも頭をかすめたかもしれませんが、彼の真意はその表情からは読み取れません。

 穆子は道長の来訪に驚いたものの、「いいわ、入れておしまい」と承諾します。彼女自身が道長を気に入り、娘の想いを遂げさせても構うまいと思ったのでしょう。そして、この婚姻を既成事実で確かなものにしてしまえという打算も同時にあったと思います。
 しかし、倫子にはそんな余裕はありません。眠れぬ夜に道長を思っていたら、彼が忍んできたというのが、倫子の側から見た状況です。既に父からは、彼女を見初めていると聞かされています。そこまでして、自分に逢いたいのかと思い込み、切ない気持ちで待ちかねている倫子がたまらないです。演ずる黒木華さんの表情を見ているだけで、その爆発しそうな心臓音まで聞こえてきそうです。
 御簾をあげて忍んでくる道長の顔を見たくても恥ずかしさから目を伏せてしまいますが、初めて殿方に手を触れられた瞬間、想いは弾けて、逆に道長を押し倒してしまうのが最高ですね(笑)二人の関係の主従が、倫子優位であることは最初から確定してしまったようです。彼の胸にすがりつき、「お会いしとうございました」との言葉には積もりに積もった万感があります。その想い、まひろの道長への想いとも遜色ないものであることが伝わってきますね。

 そして、女の側から押し倒された瞬間、呆気に取られた道長は思わず空を見つめる形になります。このときの彼の複雑な表情が、今回の柄本佑くんの芝居の白眉ですね。まひろへの未練、それをいよいよ断ち切ることへの無念、あの夜の契りを裏切ることへの後ろめたさ、何故こうなってしまったのか自身の不甲斐なさを呪う気持ち、己をこうさせてしまったまひろの願いと薄情を責める気持ち…こうした様々が一挙に去来したと思われます。その瞬間、この先の人生への諦観が彼を貫いたのではないでしょうか。まひろの願いを叶えるために無味乾燥な人生を歩むしかないのだ。それが、自分の罪なのだと…
 道長への想いを炸裂させる倫子が彼の胸元にいるだけに、その絶望感と諦観が際立ちますね。しかし、彼はまひろの願いのためにも、この胸にすがる女を慈しまなければなりません。決して、今のこの顔を、その本心を悟られてはいけません。彼が空を見たのは、刹那。すぐに覚悟を決めると、倫子に向き直り、抱き寄せます…こうして、道長と倫子の婚姻は、成ったのですね。苦しい道が彼を待っています。

 そんな彼のことをつゆ知らず、自分の行為を数々をひたすらに後悔しながら家路についたまひろは、惟規から酒を勧められます。「酔ってしまうかも」という彼女に詳細を聞くことなく、笑顔で進める弟の様子、彼女の傷心を察したさわの「堪えずともようございますよ。まひろさま」の言葉が染みますね。酒を飲み、涙をこらえるように見上げた先には三日月があります…しかし、倫子と過ごす道長は、もうその月を見ていません。こうして、二人の恋は終わりを告げました。

おわりに
 二人の激しい恋は、その身分差から刹那的なものでした。亡くなった直秀が「やめておけ」とうそぶいたことが、哀しく思い出された人も多いのではないでしょうか。結局、二人はこの問題を乗り越えられませんでした。
 それは直秀の死から二人の魂をつなげた、この世の理不尽を変えたいという願いが、彼らをただの男女としてつなぐことを拒んだのだとも言えますが、根本的な問題はそこではないように思われます。

 今回、想いを遂げられなかった二人をよそに倫子、兼家などが、その手管によって自分の想いを実現していくさまが描かれました。彼らは、何故、それができたのでしょうか。彼らが上流貴族だから?それだけではありません。
  思えば今回、兼家にせよ、倫子にせよ、詮子にせよ、明子女王にせよ、共通するのは、勝負を決めるタイミングを決して逃さない勝負勘と、手に入れるべきものは必ず勝ち取るという強い意思です。それこそが、物事を成すうえで最も大切なことだと言わんばかりに、立場も思惑も全く違う人々が、自らの強い意思を貫き、同じようなことをしているのは興味深いですね。

 それを考えると、まひろと道長にこの勝負勘と強い意思があったのかと言われると、どうにも大事なときを逃しまくり、あと一歩を踏み出す勇気がなかったと思われます。結果、最初は満ちていた月も三日月となり、全ては手遅れとなってしまいました。また、その勇気のなさから、それぞれが勝手に思い込んでしまったことも敗因です。
 結局、何かを手に入れるためには、ときにはなりふり構わず、犠牲も厭わず、そして機会を逃さずに行動できることが重要なのですね。タイミングと強い意思…その大切さを見せつけるような結果だったように思われます。

 しかし、彼らがタイミングを計りかね、勇気を出せなかったのは、互いを思い遣る優しさによるものです。ですから、互いを深く傷つけながらも、彼らの縁は決して切れてはいません。
 そして、勇気が出なかったことで手に入れたもの、保たれたものもあったはずです。いつか、二人が経験を積み、この優しさを忘れず、それでいてタイミングを生かし、そして強い意思を貫けるようになったとき、再び、二人に機会が訪れるかもしれません。

 とはいえ、まずは道長が後生大事に持っていたまひろの文が波乱を起こしそうですから、その機会はずっと遠い未来になりそうですね(笑)

 




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