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「どうする家康」第35回「欲望の怪物」 果たして秀吉だけが欲望の怪物なのか?

はじめに

 第35回は、いよいよ「どうする家康」も最終コーナー(残り約1クール)に入ったということで、今後に向けて種まきがなされた(伏線が張られた)回だったと言えるでしょう。


 オープニングも変わりました。黒々と塗りつぶされたかのような画面から始まるそれは秀吉への臣従を指しているのでしょうが、何度もその上を履き替えていく中でその奥から様々な色が混ざりあった青を基調とした深みのある豊かな色彩が立ち現れます。家康の重ねた苦労と人の縁が重層的に重なり合った結果なのでしょう。
 そして、その苦労と人の縁は、新しい街並みと人々の営みを映し出していきます。富士が見えるこの場所は江戸の町なのでしょう。そして、そんな街と人々を太陽と化したタイトルが照らしていきます。希望に満ちたこの先を仄めかす内容になっていますね。


 しかし、本編はそこに至るまでの苦難の準備段階とも言えるものです。ざっとあげれば、石田三成の登場、真田家との因縁の本格化、秀吉の唐入りの野望です。後半戦の主なイベントに関する伏線が随所に盛り込まれました。
 また、後半戦の主要人物も魅力的に描かれましたね。中村七之助くんの石田三成の穏やかさと爽やかさ、老獪な舌戦を繰り広げる表裏比興の真田昌幸とイカサマ師、正信との緊迫感。今後を想像すると興味深いものがあります。

 こうした中でワンポイントリリーフ的な登場となりそうな大政所も、高畑淳子さんの演技力もあって強い印象を残しました。今回、大政所は特別、政治的な発言をしたわけではありません。にもかかわらず、冒頭、中盤、後半とその言動がピックアップされ、話があちこちに飛ぶ第35話をつなぐ役割を果たしています。
 つまり、極めて政治的になりそうな今後の展開を、そことは一線を画す大政所の言動から炙り出そうとするのが第35回の構成なのです。

 そこで、今回は大政所の語る恐れと怯えから、第35回全体を俯瞰し、最終クールで家康が対峙しなければならない「欲望の怪物」とは何か、そして、彼の進むべき道は何かを考えてみましょう。


1.豊臣政権にとっての家康上洛の重要性

(1)大政所の愚痴から見える秀吉との距離

 冒頭は秀吉の元へ上洛することとなった家康と入れ替わる形で人質として岡崎にやってきた大政所の場面から始まります。喜び駆け寄る旭に「わしゃ足も悪いっちゅうに、こんなところに老いた母を追いやるなんて…はあ…」と意に染まない人質役に愚痴る大政所。本音を言える娘との再会に安堵した面と秀吉へのあからさまな不審が窺えます。


 大河ドラマにおける大政所は、秀吉を𠮟りつけ、心配しながらも、彼と家族への情が溢れる人物として描かれます。描き方の基本は、「おんな太閤記」(1981)の赤木春江さんでしょうか。晩年、朝鮮出兵に反対するという逸話はどのドラマでも採用されていますが、概ね秀吉に対しては協力的で、この徳川方への人質の件も『真田丸』(2016)の山田昌さんのように快く引き受けるのが定番でしょう(ネイティブの山田昌さんの尾張弁は完璧)。

 天下人となり傲慢になっていく秀吉に諫言する『秀吉』(1996)の市原悦子さんの大政所ですら、自ら乗り込み、家康と一世一代の駆け引きをしてみせます(圧巻の芝居!)。秀吉の出世についても「罰があたる」と悲観的だったのは、『江〜姫たちの戦国〜』(2011)くらいですね。
 そして、こうした大政所に対して、秀吉も母親思いとして描かれるのが常です。逸話では、あまりにも朝鮮出兵に反対する母親に遠慮し、一年延期せざるを得なくなっています。


 しかし、「どうする家康」の秀吉は、旭に大政所を人質にしたくなければ役に立てと迫ったことから、最初から大政所を徳川方へ人質に出そうとする算段が窺えます。そして、上洛しない家康に業を煮やして、母親を人質にすることに躊躇はありませんでした(ただし、直に自分から言うのは憚られたか、寧々や秀長に押しつけていましたが)。

 寧々や秀長の心配りあるアシストを見る限り、本作の秀吉は、決して肉親の情がない人間ではないものの、それ以上に自身の欲望を叶えることに忠実であり、そのためならばいざとなれば、肉親であろうともあっさり駒にしてしまえる人間性を持っています。

 ですから、大政所の愚痴からは、従来的な快く引き受けた体ではなく「追いやられた」となっています。そして、この愚痴に垣間見える不審が、長旅の疲れから一時的なものではなく、もっと根本的な問題であることが中盤に示されます。冒頭の大政所は、今回のサブタイトルにもつながる伏線になっています。



 そんな愚痴る大政所の目を引くのは、出迎えた自称:色男殿、大久保忠世の心遣いでも美声(イケボ)でもなく、その向こうにいる麗しき美青年、井伊直政です。不満げにしていた直政ですが、大政所が自分に色目を使っていると見て取ると、すぐに落ち着いた物腰で微笑みます。万千代時代から女性の扱いに手慣れていたことは描かれてきましたが、この1シーンのためだったのかもしれませんね。

 因みに、大政所やその侍女達が、直政に惚れ込んだという逸話は、『徳川実紀』『甫庵太閤記』、『塩尻』、などの史料に残っている話ですが、直政を饗応役に差配したのが旭だったというのは「どうする家康」のオリジナルの解釈。母親のイケメン好みのミーハーなところを重々分かっていたからでしょうが、人質になる母親の気持ちを紛らそうとする心遣いも感じられ、そこが本作の旭らしいですね。



(2)家康に対する秀吉の複雑な思い~羨望と嫉妬と打算と~

 一方、上洛した家康一行です。

 「敵陣真っ只中」という緊迫感あるナレーション、家康暗殺を危惧する家臣らの緊張とは対照的に泰然自若とした家康は、秀長から和やかな歓待を受けます。そこへ、秀吉来訪の報、間髪入れずに秀吉が現れ、流石に一同驚きます。

 このとき、正信だけが秀吉の奇襲にさほど驚かず、やや下からにやけながら覗き込んでいることは押さえておきたいところ。彼だけが場の空気に呑まれず、噂の秀吉の人となりを確かめようとしているのですね。「好奇心と冷静さ」、これが本作の本多正信の持ち味のようで、この冷静さは終盤の真田昌幸との会談でも発揮されることとなります。正信が、石川数正以上に家中の空気に呑まれないことは前回までにもずっと表現されてきましたが、それがいよいよ活きてくることになるのでしょう。


 さて、家康は秀吉の突然の来訪に驚いたものの、芝居がかった嘘泣きにかえって冷静になったのか「さような芝居はなしにしましょう」と笑顔で肩を叩きます。覚悟を決めたときの家康は腹が座り、余裕が見られますね。かつての敵であろうと、臣従を決めた以上は、礼儀を尽くし、信頼を得るという彼のスタンスも見えます。勿論、これができるのは、彼にかわって緊張を解かない家臣たちがいればこそです。

 猿芝居を見抜かれた秀吉は、悪びれることなく、家康の歓待を始めます。この、秀長宅に到着した家康を秀吉が秘かに来訪、歓待し、改めて臣従を誓わせるという逸話は定番ですが、寧々以下、女性らがその歓待に加わるというのは、ちょっとしたサプライズでしたね。秀長と寧々、この両翼があればこその秀吉ということを強調しています。



 オープニング後は、秀吉による家康を下にも置かぬ歓待とはしゃぎぶりです。寧々の手を取り、次々と家康の家臣たちを紹介していきます。宿老である左衛門尉忠次、小牧長久手の戦いでの「檄文の高札」の署名人である榊原康政に声をかけるのはともかく、帰参して日の短い本多正信もきっちり押さえている点に抜かりがありませんね。寧々すら正信を「徳川様の知恵袋」と応じ、彼の価値を徳川家中よりも理解している節があります(因みに正信は例によって食い物を意地汚く、しこたま抱えています)。

 譜代の家臣でありながら、一人、秀吉に記憶されず、鳥居元忠が憮然としていますが、彼の真面目さを知った上で、からかっていると思われます。秀吉は、酔ってふざけているように見えて、人をしかと観察し、それに合わせた振る舞いをしているのです。その点においては、いつもどおりの秀吉だと言えるでしょう。
 秀吉は、一人一人に声をかけ、「家康殿~」と下にも置かぬ歓待をしたうえで、家康たち徳川家の人間は全て自分の家臣ゆえに「一つの家だわ」とはしゃぎます。旭を娶った家康と秀吉は義兄弟の関係ですから、その言葉は間違いでありませんが、一方で秀吉と徳川家の関係は主従であることをそれとなく示すのが秀吉の目的です。


 それにしても、「一つの家」とは、かつて元康が「家康」と改名する際に、家中を守っていく決意としてその名に込めた誓いと願いです。そして秀吉は、その家康の発想を信長と家康との鷹狩で聞いているんですよね。もしも秀吉がそれを覚えていて、わざわざ主従関係を強調するために引用したのであれば、ちょっとした嫌がらせにもなっていますね。秀吉の意図はわかりませんが、覚えている視聴者には皮肉に聞こえたことでしょう。家康は腹芸の笑顔で受け流すだけです。


 また、徳川家中の内情をよく知っているのは、数正が話した可能性もありますが、秀吉は数正からの情報がなくとも、このくらいの諜報はやってのけるでしょう。そして、それを寧々も共有している…やはり油断のならない夫妻のようです。一方で寧々は、秀吉が康政を欲しがる口ぶりをしたときは、しっかり窘め、手綱を絞ります。いかに秀吉の悪癖をおさえ、寄り道することなく目的を達成させるか、これまでも余程に心を砕いてきたのだろうと察せられます。まさに糟糠の妻なのですね。

 だからこそ、宴も終わり、秀吉が寝入る(狸寝入りですが)横で寧々は「夫がここまで羽目を外したのはひさしぶり」と秀吉にとって家康の存在が特別であることを示唆して、秀吉をアシストします。

 阿吽の呼吸で秀長も会話に加わり、「人を知るには下から見上げるべし。兄が昔からよう言っとりました。人は自分より下だと思う相手と対する時、本性が表れると」と秀吉の人心掌握におけるからくりの一端を明かします。以前、数正が「みっともない訛りをわざと使い、ぶざまな猿を演じ、人の懐に入り込み、人心を操る」と恐れた振る舞いの正体です。

 「人は自分より下だと思う相手と対する時、本性が表れる」…この秀吉の人間観にはうなずけるところがあります。会社でも家庭でも優しい常識人な人が、お店に客として訪れたとき、横柄な態度、恫喝するような物言いに豹変して、呆気に取られたことはありませんか?身なりのよい紳士淑女が飲食店で店員を罵倒するというのも珍しくない光景でしょう。まさにこうした例こそが、秀吉の言わんとするところです。

 人間が慎ましやかであるのは善意からとは限りません。世間体、報復、負わされる責任を恐れているからでもあります。だから、責任が負わされない、相手が抵抗してこないという確証が得られたとき、人はどこまでも冷酷になれるのです。実際、一定の条件下におかれた場合、普通の平凡な市民でも非人道的な行為を行うことはミルグラム効果と呼ばれ、スタンフォード監獄実験などで実証されています。


 話を戻しましょう。注目しておきたいのは、秀吉がこの人間観に至ったのは、生き延びるための必死の処世術、その結果であろうということです。彼は「何も持たない」貧しき底辺層の民でした。ですから、彼は常に他人様を下から見上げるしかなかい半生を歩むしかありませんでした。そして、彼を下に見る人々から、馬鹿にし、罵倒し、暴力を振るうなど筆舌に尽くしがたい非人道的な行為の数々を延々と受け続けたことでしょう。秀吉は10歳で家を飛び出して後、ただ貧しい農民の出身というだけの理由で、ありとあらゆる人の悪徳に蹂躙され、犠牲になってきたのです。
 そうした中で彼は、どうすればめっちゃめちゃにされずに済むのか、そして自分が生き延びられるのか、それを体得せざるを得ません。以前のnoteでも触れた、「相手の欲望を見抜き、それに合わせた振る舞いをする」秀吉の行動は、苦難の末に編み出された処世術だったのでしょう。より正確に見抜けば、相手に気に入られ、よしんば自分の望みも叶えられます。必然的にその眼力は磨かれることになったでしょう。


 そして、所詮、人間は自分の欲望のためだけに生き、そのために他人を貶めることなど何とも思わない存在であることを思い知ったとき、その磨かれた眼力によって、彼の目はまったく笑わないガラス玉のようになります。彼は人を信じなくなってしまいました。何故なら、人は生まれながらにして、他人を蹴落とす悪人だからです。

 秀吉の人間観とは、性悪説です。そう信じるからこそ、彼は飴と鞭を巧みに使い分け、人の欲望を刺激し翻弄し、思うままに操ることができるのです。そして、これまで受けてきた多くの屈辱の数々が、コンプレックスとなり、時に際限のない欲望に駆り立てるのです。



 さて、寧々によれば、秀吉の相手の本性を見極めるための言動で信用してよいとの判断に至ったのは、信長と秀吉だけなのだと言います。この二人だけは本音と建前といった裏表がないのだと。家康は意外そうな顔をしますが、そういう正直な表情を思わずするところですよね、裏表がないというのは(笑)

 年齢と苦労を重ねた結果、だいぶ出来るようになったとはいえ、家康の腹芸はまだまだです。前回、前々回を見ても、秀吉と戦うことに固執する理由を数正に看破される、結局、家臣の前で泣いてしまう、など隠し事の得意な人間ではありません。相手に割と心情が筒抜けです。まして秀吉は、若い頃の家康の、狼狽し慌てるだけでなく、逆に怒りのあまり信長に食ってかかる場面を見ています。火に油を注ぐだけになるような姿に半ば呆れたことでしょう。

 一方、理想と信念に生きる信長は、そのために自分すらも犠牲にできる純粋さを持っています。その純粋さゆえに滅びてしまいました。また、ぶっきらぼうで上手く表現できませんが、彼の家康への特別な心情は、無骨な柴田勝家にすらバレバレで、気づかぬのは鈍感な家康ばかりでした。彼もまた、正直な人間であったと言えるでしょう。だからこそ、家康にとっての兄貴分なのです。



 ただ、秀吉は、自分を取り立ててくれた信長と家康とでは、全く違う思いを抱いています。信長には感謝はあれど、その苛烈なまでの純粋さは畏怖の対象でもあり、彼をしても緊張を強いられる存在でした。だから、中国攻めで見せていた消えてほしいと願う気持ちも正直なところでしょう。
 一方で、信長は家康以外の他人をまったく信用していない男でした。人を信用しない、油断ならないと見ているその人間観は、まったく同じというわけではないものの、秀吉の人間観と相入れるところがあったでしょう。信長は、理想に生きていても、現実を「この世は地獄」と直視し、そのための具体的な方策を立てることができる冷徹なリアリストなのです。だから、秀吉も利用できる間は、おとなしく従うことができます。


 しかし、家康の人間観は真逆です。そもそも、三大危機である三河一向一揆の発端である不入の権利の侵害も、それが成功すると思ったのは、彼が国のためにやっていることを家臣も領民も理解してくれるに違いないと信じていたからです。無論、この独り善がりな発想は改めることになり、家臣や領民の声に耳を傾ける方向になりますが、そこでは裏切られても家臣と領民を信じ抜くという選択が背景にあります。

 つまり、失敗も成功も、人を信じているところに立っています。人は信じられる者…彼は性善説に立っているのですね。それゆえに、家臣たちとも友垣のような関係も結べるのです。また瀬名の慈愛の国構想にも乗る判断をしたのも、家康の中の性善説がなせるところがあるでしょう。彼女の想いは、貧しさから抜け出せば人は戦をせずに済む、人は国を超えて共生できるという人の善性によったものでしたから。そして、一時的に封印したとはいえ、今なお、彼はその瀬名との約束を大切にしています。天下一統も「戦の無い世」を信じるからです。


 こうした家康の性善説は、秀吉の人間観とは相容れるものではありません。そして、その人間を安易に信じられるその甘さは、彼の育った恵まれた環境によるところが大きいのです。食うことに困らず、兄弟と家督争いをするようなこともなく、人質とはいえ高等教育を施され、主家の親類衆として厚遇を受け、彼を心から思う家臣たちに囲まれ、そして両想いの幼馴染との婚姻が容易に許される…家康は全てを持っています。更に、信長とは無条件に弟分扱いです。

 苦労に苦労を重ねて織田家の足軽大将となり、その後も周りにバカにされながらも、その才覚と実力だけでのし上がってきた秀吉とは対照的です。秀吉からすれば、こんな甘えた坊ちゃんは許しがったに違いありません。信長存命中、秀吉は事あるごとに家康を小馬鹿にするように揶揄しますが、一方で弄ぶように助言し、利用しようともしてきました。そのスタンスは、今も変わらないと思われますが、その二律背反には嫉妬と羨望があるように思われます。

 また家康は全てを持ち合わせるがゆえに、秀吉のような際限のない欲望はありません。私利私欲に走らず、理想に邁進するという信長と似た面を持っています。こういう人間は、秀吉の使う相手の欲望を刺激するということが通じにくい。だからこそ、懐柔策もなかなか上手くいかなかったのです。秀吉にとって家康は、実は扱いにくい人間だと言えるでしょう。


 このように、家康のことは裏表がなく信じられる反面、その裏側にある育ちの良さと自分の意に染まない性善説の人間観と無欲さが腹立たしいほど憎く、妬ましい。しかし、それは秀吉自身にないものだけに、自分のものにしたいものでもあります。だから、家康の家臣を欲しがりますし、また家康との親戚関係もとことん利用したいという打算も働きます。秀吉と徳川家の主従関係を強調した「一つの家」発言は、案外、本気で言っている側面もあるかもしれませんね。秀吉の家康への心情は、打算と羨望と嫉妬がない交ぜになっていて、様々な色合いを見せてくれるようです。



(3)秀吉への最敬礼という猿芝居の意味

 そんな秀吉の心境を知ってか知らずか、寧々と秀長は家康の上洛で戦が避けられたことを喜び、また秀吉が家康を特別視することを鑑みて「どうか末永く」と頭を下げます。基本的に人柄の良い秀長と寧々は、実際は性悪説に立ち、人を信用しない秀吉の冷酷さの緩衝材になっています。秀吉にとって最善の動きをしてくれています。

 そんな二人に感じ入るお人好しの家康は「腹を割って話してみれば」秀吉は恐ろしい人ではないと評し、自身と家臣たちのつながりに引き寄せるように「よいお身内をお持ちでございますな」と誉めそやし、彼と共に歩むことを確約します。そして、狸寝入りする秀吉に優しく「起きておいででございましょう」と声をかけます。

 序盤の嘘泣きに対しての「さような芝居はなしにしましょう」と狸寝入りへの「起きておいででございましょう」、秀吉の面倒くさい猿芝居への静かな言葉は、そのような猿芝居をせずとも、自分は天下一統のため胸襟を開いて従うという、家康なりの覚悟と達観がありますね。だから、寝たふりを止めた秀吉に「二度と陣羽織を着させない」(戦に出させない)という、「戦無き世」の実現に向けた覚悟を粋に語ります。この余裕は、彼のお人好しでもあり、また頼もしさでもあるでしょう。

 


そして家康のその申し出を「ええな、それ」と気に入った秀吉は、陣羽織ネタを再度、謁見でするよう依頼します。謁見の際に、秀吉が着用していた陣羽織を所望し、今後秀吉が陣羽織を着て合戦の指揮を執ることはさせず、自分が矢面に立つという表明する件は、『徳川実紀』によるものです。謂わば、家康の誠意を描いたエピソードは、結局、前日の打ち合わせによる大芝居とされました。まあ、秀吉の親類ですから猿芝居にも一枚噛むしかないのでしょうが、翌日、家康の手元にカンニングペーパーまで用意された妙な周到さがおかしいですね。呆れる左衛門尉忠次の気持ちもわからないではありません。


 さて、この謁見のシーン、猿芝居までの秀吉と家康のアイコンタクトや秀吉の大仰な芝居などユーモアたっぷりですが、家康に対する居合わせた諸侯の「おお」といったどよめきが、何度か挿入されていたことにお気づきでしょうか。実は、これこそが秀吉が妹、母親を人質に送ってまでも家康に対して懐柔策を取った理由です(きっかけは天正地震ですが)。

 秀吉は、その調略の才覚とスピード感のある軍略をもって、あっという間に関白の地位につき、名実共に天下人となりました。しかし、豊臣の姓を朝廷から賜ろうと、関白になろうと、政治・経済で実質的な成果をあげていようとも、つきまとうのは秀吉自身の出自の卑しさです。ですから、各大名たちは秀吉に平伏しつつも、心の底では彼を「猿のくせに」と小馬鹿にしています。人の本性を見極めることが習い性になっている秀吉には、それが分かってしまいます。彼らに心から臣従させるにはどうすれば良いのか。


 そこで家康の登場です。奇しくも家康は、小牧長久手の戦いにて秀吉に完勝しています。無敵の徳川軍を擁する家康の実力は誰もが認めるところです。また、家康は源氏の系譜を受け継ぐ由緒正しい家柄です。まあ、彼の源氏姓が怪しいのは、第10回で描かれていますが、結果的に朝廷で認められて徳川姓を与えられ、それが定着しているのでよしとしましょう(笑)

 つまり、由緒正しい家柄で、秀吉に戦で完勝、最後まで降伏を拒み続けていた海道一の弓取り、武門の誉れ高き大名というのが、全国の諸侯の徳川家康の認識です。この家柄と実力からして秀吉の風下に立つ必要のない家康が秀吉に平伏し、最敬礼をすれば、諸侯は驚き、自然と「あの家康をして、頭があがらない、勝てないとなれば、秀吉は本当にすごい」と思うようになることは必至です。
 挿入された諸侯のどよめきには、そうした驚きの感情が含まれています。この謁見は、家康の臣従以上に、それを形として見せることで、諸侯の気持ちを完全に掌握することが目的だったのです。



 一方で、この謁見は家康にとっても有益でした。公式の場で、秀吉から陣羽織を受け継ぎ、その行為を「武士の鑑」と称されたことで、その誠実さを政権下で示し、また政権ナンバー2の座を確実にしたからです。

 また、この謁見の後、家康と秀吉が、九州征伐の計画及び北条対策について話し合っていますが、実は家康は秀吉に臣従したものの北条と手が切れたわけではありません。お葉(西郡局)の娘おふうが北条家に嫁いでいます。つまり、家康は、北条氏の婚姻同盟関係は継続し中立を守っているのです。
 結果、秀吉は徳川氏の軍事的協力と徳川領の軍勢通過の許可が無い限り、北条氏への軍事攻撃は不可能になりました。そのため、秀吉は東国に対しては家康を介して干渉する他なくなり、九州征伐を優先することになるのです。
 つまり、家康は秀吉に降ったにもかかわらず、一面においては不完全な主従関係に止まったことになります。

 その微妙な関係ゆえか、家康は秀吉に、自身の厄介事である真田昌幸に関してのお墨付きをもらう際に、誰かが裏から真田に餌を与えたから厄介になったと揶揄しています。臣下でありつつ、どことなく対等性が窺えます。

 このように家康は、結果的にその軍事力と共に豊臣政権下で独特のポジションを築くことになるのですね。まあ、これも本作では、数正の裏切りがあればこそですから、数正の功績は大きいと言えます。



2.秀吉という欲望の怪物が生まれたのは何故か

(1)幸せを問いかける大政所

 話はまた徳川領へ戻ります。大政所はすっかり直政にメロメロで魚の骨を取ってやるなど甲斐甲斐しく世話をしています。嬉しそうな母の姿に旭も満足気です。そんな大政所を受け入れるように上手くあしらっている直政の元に薪が次々と運び込まれてきます。訝しむ一同に直政は、微笑みながら、大政所のための寒さ対策であると嘯きます。

 「直政は気が利くのう」と感心しきりでますます直政に惚れ直す大政所ですが、旭だけはこの直政の動きに察するところがあるのか微妙な顔をします。母のためにイケメンを残したのですが、苛烈な彼の忠誠心にも彼女も気づいているでしょう。それでも何も言わないのは、家康が大阪で上手くやるだろうと信じるからです。前回の家康からの「そなたはわしの大事な妻じゃ」との心からの讃辞は大きいですね。


 因みに案の定、直政は「大阪の殿の御身に何かあらば、これ(薪)に火をつけて、婆さんを焼き殺す」と真顔で物騒なことを言っています。なんとなく聞いていた忠世も「焼き…焼き…!や…やり過ぎであろう!」と呆れますが、直政の顔はマジです(笑)因みに、薪を積んで、大政所を焼き殺そうとしたのは「鬼の作左」、本多作左衛門重次の逸話。山岡荘八「徳川家康」では中盤までを引っ張る重臣として活躍する重次は、何故か「どうする家康」では登場していないため、このエピソードは直政の仕業になりました。

 笑えるのは、直情傾向の直政ならば殺りかねないという違和感の無さです。幸い、旭は何も言いませんし、知っているのは忠世だけですから、秀吉方に知られなくて良かったですね。逸話元の重次は、これが母親思いの秀吉に知られたことで失脚する道へ転落してしまいますから。
 まあ、気づかれたとしても、あの推しにメロメロな大政所が庇いそうですけどね(笑)



 さて、直政の心配は外れ、上洛が上手くいった報せが於愛の元に届いています。朝廷へ謁見も済ませ、家康が正三位に叙されたとの件も知らされ、於愛たち女性陣は歓喜に湧きます。この正三位の件を見ても、秀吉の朝廷対策が万全であることが窺えます。因みに左衛門尉忠次は従四位下、康政、正信も従五位下に叙せられています。秀吉が、徳川家中に色目を使っていたことが窺えますね。
 そんな話を興味なさげにそしてだらしない恰好をして聞いているのが、稲行儀見習いをさせられている(小松姫)です。一向に改まる様子がないため「父親に言いつけますよ」と叱られていますが、それだけはやめてほしいと懇願します。父親に対して、わずかな怯えが見えます。



 場面は、また大政所たちに戻ります。大政所は満面の笑みを浮かべ「あ~ん」と直政に団子を食べさせています。そして、そのイケメンぶりに母に感謝せねばならぬという大政所に旭もまた「ご自慢の息子」だろうと言います。直政は、自分は悪童で母に迷惑をかけていたと苦笑いしつつ「出世ということでは」秀吉こそが「天下一の孝行息子」であり、さぞお幸せでしょうと何気なく、そつなく返します。

 しかし、大政所は「わしは幸せなんかのう」と独り言ちます。そして、続くように大阪城にずっと閉じ込められ自由がないこと、小さな畑いじりをし、「要らない菜っ葉や大根なんぞこさえ」て生き甲斐もない飼い殺しの日々であることを滔々と語ります。

 彼女は貧しい農民でした。生活も苦しかったことでしょうし、不満もあったことでしょう。しかし、朝起きて畑を耕し、農作物を育て、それを売り、日々の糧を得る…そのことを恥じたことはありません。ひたすら懸命に農作業に勤しみ、生活の糧を得ることは、彼女の人生の本分であり生き甲斐だったのです。大阪城に行き、要らないと分かっていても農作業に勤しむのは、自分の人生として全うしたかったことを少しでも忘れないため。

 そして、いざとなれば、それすらも許されずに「人質に差し出される」のが今の大政所という身分。生活の苦しさは免れ、瀟洒(しょうしゃ)な着物をまとい、食べるものに困ることもないが、それと引き換えに、彼女は自分の生きていく実感と自由を奪われてしまったのです。だからこそ、彼女は再び「わしは幸せなんかのう」と繰り返します。


 第33回の「綺麗なべべ着て、白粉塗って、あまーいもの食べる」と秀吉が語る女性の幸せについて、以前のnote記事で女性を「綺麗に着飾り、スイーツを楽しむだけのお飾り」と捉える一方的な女性観としました。そして、その女性観は、「どうする家康」に登場する自ら自分の人生を選択し、その選択に責任を持ち、能動的に生き抜こうとする女性たちとは齟齬をきたすと指摘しましたが、それは外れてはいなかったようです。
 大政所の嘆きは、秀吉の女性観が、いかに男性目線の一方的なものかを端的に示していますね。

 生き甲斐などを人間としての本然を望む人々の気持ちは、誰よりも裕福で高貴な生活を追求する秀吉には理解できません。愚かで貧しい弱者である農民が、自身の生業に見出す生き甲斐などくだらないものにしか見えません。秀吉は、農民たちの矜持を知る前に、貧しさと人を人と思わぬ扱いに耐えかねて、飛び出してしまいました。母と子の価値観の溝は埋めがたいものがあるでしょう。


 ただ、秀吉の大政所への行為は、当初は親孝行のつもりであり、老いた母親に楽をさせてやりたいという善意によるものだったのでしょう。あまりにも貧しく何もなく、搾取され、人間的に扱われない農民の生活に絶望したからこそ、10歳で母の元を飛び出した彼からすれば、家族をそんな生活から抜け出させるのは夢だったはずです。

 しかし、家を飛び出した秀吉が、人間らしく扱われて生きるには、農民という身分を捨て武士になり、堂々と人々から奪うしかなかったのです。秀吉は、弱肉強食の世界を生き抜く中で、先の性悪説の人間観を得ます。そして、欲しいものは実力で奪うのが当たり前という傲慢さも次第に身に着け、人のものも自分のものとすることに何の躊躇もない人間性へと変わっていったのかもしれません。その傲慢さは、結局は母親にすら向けられ、こうし徳川家の元に送られているのです。



(2)家康に希望を与えた石田三成との出会い

 一方、上洛による諸々のことをつつがなく終えた家康一行らと彼らの接待をする秀長は和やかに談笑しながら廊下を進みます。特に秀吉の元へ送られた秀康(於義丸)が息災であることに安堵する家康が印象的です。秀吉との徹底抗戦を唱えていた家康ですが、内心、息子のことは捨て置けず気がかかりだったのでしょうね。つくづく秀吉への臣従は、結果的に家康の心を救ったことになっていますね。


 そんな一行の進む先に何やら夜空に向かい、手で筒を作るかのようにしている男がいます。妙に思う一同に秀長は、優秀だが豊臣家中で最も変わり者の男と笑いながら答えます。この変わり者こそ、石田三成ですが、まだこの時点では、二人とも互いを誰かを分かっていません。つまり、家康と三成は、身分もその名声も関係なく、ただ一対一の人間として惹かれ合うのです。

 さて、秀長の言葉とは関係なく、その変わり者の様子に興を惹かれた家康は思わず「何か見えますか?」と声をかけると、「星が見えまする」と応じた男(三成)は目を輝かせて「南蛮では星々に神々の物語を見出すといいます」と知識を披露し始めます。元々、学問好きとして知られる家康は、彦星、織姫のようにかと興味深い話にすぐに乗ります。


 相手が乗ってきたことを知り、ますます舌が滑らかになる男は「星と星を様々につないで、色々なものを形づくるのです」とやや早口で語り始め、例として柄杓の形になる星座、大熊座を説明します。「ほう!」と素直に感心する家康が良いですね。この根の素直さが彼の持ち味です。そして、純真なのは、三成もまた同じです。だから、自然と二人は純粋に教養系の話に盛り上がってしまうのですね。

 調子に乗る三成は、次に世界地図を丸め、「この世はまるい球のような形をしているとも」と更に知識を披露します。相手の反応に嬉々として話が止まらない三成…ああ、こいつは間違いなくオタクですね(笑)三成の言葉に世界が丸いとは俄かに信じがたいと答えた家康ですが…京で浅井長政と会った際、信長に地球儀を見せてもらったはず。それを完全に失念しています…ここは、ダメ出ししておきましょう(笑)


 そして、こうした教養話の果てに三成は「古い考えに凝り固まっていてはものの真の姿はつかめませぬ。政(まつりごと)もまた新たなるやり方、新たなる考え方が必要と存じます」とズバリ本音を切り出します。こうした想いは、変わり者ゆえに、そして加藤清正、福島正則のような武断派が幅を利かせる豊臣家中で共有することもできなかったのでしょう。話の合う相手に出会い、思わず口をついて出たと察せられます。

 瀬名の夢のような理想を叶えようとし、信長が難しいと言った天下一統後の日ノ本を考えようとしてきた家康は、これまでの弱肉強食の論理だけではいけないことを知っています。ですから、革新的な考えの必要性を唱える三成のこの言葉に「その通りだ!」と目を輝かせます。
 家康の我が意を得たりの表情を読み取った三成も「気が合いそうでござるな」と声を弾ませます。このとき、家康と三成は、徳川家、豊臣家という互いの所属を超えて、確かに通じ合ったのですね。


 その後、秀長から相手が家康だと知らされた三成は恐縮、あらたまって石田治部少輔三成であると挨拶します。「なにとぞお力添えを…」と懇願する三成に、対する家康も「切れ物と噂の…」と驚きつつ、その人となりに感心し快く応じます。そして、二人は再び、満天の夜空を見上げ、自分たちで勝手に星をつなぎ、新たな星座を作り出し、尽きることなく語り合います。

 南蛮で星々に神々の物語を見出すように、彼らは彼らで自分たちの物語を夜空に見出そうとするのです。それは、まさに見えないものを見ようとするがごとき行為ですが、それこそが混迷の弱肉強食の戦国時代を終わらせ、新たな世界を築くことです。
 二人の星々に関する語らい自体は他愛のないものですが、彼らが厳しい現実を前にしながらも、その将来に夢や理想を持ち、それを描こうとする人物であることを、この語らいは象徴しているのです。そして、こうした将来へのビジョンは、秀吉やその他の戦国大名らのような利己的な野心家にはないものです。家康にとっても、三成にとっても、ようやく出会えた相手だと言えるでしょう。



 そして、彼らを見守る左衛門尉忠次ら家臣団の様子が良いですね。康政の「楽しそうじゃなあ。殿は」の言葉に「ああ、楽しそうじゃ」と応じる忠次に「我が家中にはああいう話ができる者はおらんからな」と皮肉っぽい口を挟む正信。
 正信は知恵者ですが、その本質は合理的で利己的な謀略家であり、家康の純粋な好奇心や教養話の相手をするには向いていません。また、忠次、あるいは今はいない数正はそれなりに教養人ですが、主君らしくあれと家康の尻を叩いてきた彼らも向いていません。家中では比較的、知恵が回り家康との年齢も近い康政もその本質は武将であり、その無骨さは抜けません。
 一方、家康は今川家のもとで雅やかな教育を受けてきた教養人です。おそらく家康と穏やかに教養に溢れる話が出来たのは、同じような教育を受けた瀬名だけなのです。

 忠次は、家康の元来、優しい性質を思い返し「ああいう話がしたかったお人なんじゃな…」としみじみ呟きます。そして、家康が本来の自分を取り戻す様子から「戦なき世がそこまで来ている」と実感します…が、家康と三成のその後を考えるとこの台詞は哀しい皮肉として響きます。ただ、忠次のこの台詞は、三成と満点の星で語らう家康の実感を代弁してもいます。


 翌日、秀吉のもとへ帰国の挨拶に訪れた家康の顔は明るいことには注目したいところです。何故、彼はこうも明るいのか。それは、まず、彼に上洛を決意させる一端を担った正室、旭の人柄です。また、寧々と秀長、秀吉をサポートする家族たちの人間性も信頼できるものと映ったでしょう。そして、豊臣家中にいる胸襟を開き語り合える理想主義者、石田三成の存在、これらが家康に秀吉の下で天下一統に粉骨砕身する決意を促したのでしょう。

 それゆえに秀吉に北条対策を念押しされ、「無益な戦をいたしませぬ、この世を戦なき世にいたしましょう!」と心から力強く、秀吉に呼びかけたのですね。


 しかし、実は既に秀吉には異変が見られます。一つは、家康の言葉に「戦なき世か…」と無感情にオウム返しに応えたその言葉です。その台詞の真意は、後に明かされます。

 そしてもう一つは、帰国前に家康が話題にしたお市の娘たち三人のことです。お市を助けられなかった家康にとって、その娘たちの処遇もまた気になるところでしたから話題にするのも当然です(最も茶々に逆恨みされていることは、まったく知らないでしょうが)。秀吉は、彼女らが問題なく育っていると応じますが、特にその中でも茶々が美しく育っていることを満面の笑みがこぼれるように話します。

 お気づきでしょうか…この場面、珍しく秀吉が心から笑っているのです(ムロさんの演じ分けがすごいですね)。そして、秀吉は思わず、何かを言い出そうとするのですが、秀長が慌てて話題を逸らし、手綱を引き絞ります。しかし、それでも秀吉はニヤけて言い出そうとするので、ますます秀長が必死にそれを食い止めるため話題を逸らします。

 秀吉が茶々をどうしたいかは、劇中でも北ノ庄城落城の際にそれとなく示されていましたから、秀吉が切り出そうとした話が茶々の側室話であるのは言うまでもないでしょう。しかし、お市と家康の関係性を考えれば、家康は面と向かって反対はせずとも良い顔はしません。有能な実務家でもある秀長が、せっかくの和睦に水を差しかねない秀吉の発言を言わせないようにするのは当然です。しかし、秀吉は自分の欲望を優先し、家康に話そうとしています。
 これまで秀吉は人を下から窺い、己の本性を隠し生きてきました。しかし、天下人となった今、その本性を隠せなくなっているのですね。誰も自分に逆らうことはできない、その傲慢さゆえに自分の欲望に歯止めがかけられなくなっているのです。

 前回の妹と母親を家康に差し出す行為にも、彼らの心情を慮ることなく、自身の欲望を優先していることは描写されています。今は、寧々や秀長がそれなりに抑え、コントロールしているものの、いずれそのタガが外れるであろうことが予見されています。そして、そのことは、次の大政所の場面ではっきりするのですが、残念ながら人の好い家康は、欲望が止められない秀吉の異変と恐ろしさにに気づくことなく帰国の途についてしまいます。



(3)大政所が怯える秀吉の本性から見えるもの

 家康が帰国することになり、入れ替わりに人質の役目を終えた大政所が大阪に戻ることになります。浮かない母の姿に旭は気を利かせて、お供に直政をつけることにし「母を頼みましたよ」と声掛けします。直政も心得たもので、礼儀正しく快諾します。

 にもかかわらず、大政所から漏れるのは「帰りたにゃあのう…」との言葉です。大久保忠世は「関白殿はの日本一の孝行息子」と誉めそやし、帰りを待っているだろうと促すのですが、大政所はあろうことか「関白とは誰じゃ?」とまるでボケたことを言い出す始末。しかし、その真意は「ありゃ、わしの息子なんかのう?」という不審です。


 この言葉に、はっとした表情を見せる旭は見逃せません。彼女自身が、感じていながら他の誰にも語ることができなかった兄・秀吉への違和感と恐怖。前回描かれた、旭の抱えていた思いと母の言葉は符合するところがあるのです。つまり、ここから大政所が述べる秀吉への思いは、年寄りの繰り言、あるいは飛び出した我が子を育てなかった言い訳などの個人的なものではなく、現在の秀吉への本質的な恐怖が何かという問題なのです。その客観的評価を旭の表情が保証しているのですね。


 大政所は独り言ちるように。秀吉のことを「なーーんも知らん」上に秀吉は10歳で飛び出していったため「躾もしなかった」と言葉を続けます。つまり、そもそも育てた実感も薄いのですね。そそして、突如戻ってきたときには、農民ではなく足軽大将になっていますから、戸惑ったことでしょう。そして、どんどん出世し、遂には天下を統べる関白へと上り詰めました。

 そこへたどり着くため、秀吉は、秀長初め、使える親族を巻き込み、ひたすら自分のために他者を利用してきました。時には、自らの命の危険すら、自分の利益のために燃料としてくべてみせます(金ヶ崎で描写されていますね)。自己の命より欲望のほうが上というのは、既に人間とは言えませんね。

 自分の命すらそうなのですから、自分の家族を省みることもあまりなく、ただただ、結果の利益だけを孝行と称して与えてきたのかもしれません。結果、母子らしいコミュニケーションを取ることもなく、秀吉の満足のために大政所は大阪城から出ることもできず、自由を奪われています。


 そして、そして今なお、満足することなく、次から次へと欲望を満たそうとしていく秀吉。日に日に肥大化していくばかりの彼の際限のない欲望を、彼女は間近で見続けています。息子が他人を犠牲にすることも何とも思わない欲望の権化として日々変わっていくその様を見る大政所の気持ちはいかばかりでしょうか。「己の欲のままに生きている」(第30回)と秀吉を嫌悪し、怒りを向けたお市よりもつらいかもしれませんね。あれは、既に人でなくなったのだと思う以外、自分を納得させる方法がなかったでしょう。

 それでも気の晴れるものではありません。だからこそ「ありゃあ何者じゃ?」「わしゃ何を生んだんじゃ?」と繰り返し「とんでもねぇ化け物を生んでまったみたいで、おっかねぇ…」と自分の罪に震え戦慄きます。彼女は大阪に帰れば、再び自由はなくなり、その自分の罪を感じざるを得なくなります。帰りたくないのも当然ですね。

 そして、短いながらも旭と過ごし、イケメン直政の世話ができた徳川領での日々が、息が詰まるように大阪で過ごす彼女のわずかばかりの息抜きであったとわかります。そう考えると、直政にメロメロになっている姿も哀しいものがありますね。


 秀吉が欲望の権化を超え、怪物化していくことへの大政所の恐れは、「誰かが力ずくで首根っこ抑えんとえらいことになる!」との悲痛な叫びでピークに達します。近くで見ているからこそ、そしてそれが息子であるからこそ、誰よりも秀吉の先が見えてしまうのかもしれません。彼女の恐れと予見は、結局、朝鮮出兵として具現化されます。

 そして、秀吉自身が自分の欲望のコントロールを失いかけていることは、先の茶々の一見を話してしまいそうになること、あるいは冒頭で見せた見境なく他人の家臣を自分のものにしようとすることに表れています。今は寧々や秀長が何とか抑えていますが、結局は秀吉に勝てません。息子に逆らうこともできず大阪城に閉じ込められる無力な老母には、尚更、術がありません。それゆえに彼女は「徳川殿に伝えて下され」とすがるしかないのです。



 さて、母が欲望の怪物として恐れた秀吉は、一人、家康が天下一統の目的と称した「戦の無い世」というフレーズを再び口にしながら、「戦がなくなったら武士をどう食わしていく」「民もまっとまっと豊かにしてやらなあかん」と呟きます。
 そして、秀吉は、それを考えるがゆえに「日ノ本を一統したとて、この世から戦がなくなることはねぇ」と断言します。この台詞の際、カメラは秀吉を斜め後ろからアップで収めつつ表情は見せません。こうすることで視聴者は、彼の真意を読めなくなり、この台詞の意味自体を推し量ることになります。


 一連の秀吉の台詞は示唆的です。「この世から戦がなくならない」との台詞は、大政所が恐れた秀吉自身の欲望から出た面もありますが、それ以上に人間の欲望自体に際限がないことを自分自身が一番よく知るからこその台詞です。瀬名の慈愛の国構想が脆くも崩れたのは、彼女が人の善性のみを信じ、その際限がなく、理屈では捉えられない欲望の強大さを見誤ったからです。

 人が戦を起こすのは「貧しいから」だけではありません。今よりももっといい生活がしたいからです。そして、その「もっといい」には上限がありません。身分にかかわらず、人は満足することを知らないのです。だから、秀吉は「民もまっとまっと豊かにしてやらなあかん」と言うのです。そして、弱肉強食の戦国において、豊かになる手っ取り早い方法は、他から奪うことです。そして、奪われれば奪い返すのみです。だから、戦はなくならないのです。

 

 そして、戦がなくならないもう一つの理由、「戦がなくなったら武士どもをどう食わしていく」は、半農半武士から職業軍人化し、生産階級ではなくなりつつあった武士階級の本質的な問題と欺瞞を指摘しています。彼らは戦って奪うことが仕事です。あるいは戦いの功績によって、新しい領地を与えられ、本領を安堵されるのです。裏を返せば、戦がなくなれば、武士階級は生活の糧を得る術がなくなるのです。それどころか存在意義自体が失われます。今更、彼らが帰農することは容易ではありません。人は上げた生活レベルを下げることがとても苦手だからです。


 このように秀吉が敢えて望まずとも、多くの人間が自身の欲望に忠実であるがゆえに戦はなくならないのです。その先に待つのは滅亡と知ったとしても、人は賢明ではなく欲望を選ぶのです。しかし、問題は天下一統が実現された後は、奪い取るべき領土がありませんし、また家臣に何かの功績があった場合に与える領土もありません。

 無いのであれば、その領土を新たに作るしかありません。ここで一気に「切り取る国は、日ノ本の外にまだまだあるがや」と秀吉はドヤ顔で振り返ります。しかし、ギラギラした表情とは裏腹にかっと見開いたその目には何の感情もありません。ガラス玉のような目の視線の先にあるのは、明国の地図です。俗に言う「唐入り」、現在の中国への侵攻を考えているのです。史実の「唐入り」の動機は未だ確定されておらず、謎とされていますが、本作では武士のための領土拡大政策とするようです。
 因みに1585年には、唐入りの計画に関する文言が史料に表れてくるので、家康上洛の1586年に秀吉がこうした振る舞いをしていることは間違ってはいないのです。


 このように秀吉は単に自分の飽くなき欲望を満たすだけでなく、武士の存在意義を守り、そして民を豊かにするため、利己的で合理的な判断をしているとも言えます。実際、「唐入り」の計画の流れで起きた文禄・慶長の役という二度の朝鮮出兵は、家康や三成のような反対者はいたものの、半島に渡った武将たちの多くは嫌々、参陣したのではなく、自身の領土拡大を求めて、積極的に参加しています。

 人々の欲望を刺激し、それを叶えることで人心掌握を図ってきた秀吉は、自身の欲望のみならず人々の多くの欲望をも自然と吸い上げていっているのです。謂わば、秀吉は、豊臣政権下の時代の欲望を一手に引き受けているとも言えるでしょう。天下人になったことで、その欲望の権化としての本性を抑えきれなくなっていることは、既に触れましたが、そういう秀吉という器に多くの人々の欲望が注ぎ込まれていくとすれば…想像を絶するものがありますね。


 もしかすると、秀吉は欲望のままに生きているというよりも、肥大化した自身の欲望と人々の欲望に呑み込まれて、主従逆転、半ば欲望に操られているのかもしれませんね。最早、理性や理屈では止まれなくなるのも道理であり、また大政所が「誰かが力ずくで首根っこ抑えんとえらいことになる!」とまで直感的に恐れる理由も分かる気がします。

 つまり、第35回のサブタイトル「欲望の怪物」とは秀吉を指すだけではなく、実は信長死後、秀吉の下であまりにも急速に進んだ利己的な利益追求型の社会がもたらした歪みそのものなのかもしれません。以前のnote記事でも指摘しましたが、秀吉の天下一統には、義元が掲げた王道の理想も、信長や信玄が掲げた覇道の大義もなく、まして、瀬名の掲げた全ての民への慈愛もありません。
 ただただ、己が満たすべき欲望があるだけです。目指すべき指針を失い、際限なく大きくなっていく欲望の行く先はどこなのでしょうか。


 明国征服を想像し、虚ろな目になっている秀吉の下へ来た秀長の反応は、秀吉の政治の行く先の恐ろしさを象徴しているかもしれません。彼は弟であると同時に秀吉の股肱の臣でもあります。ですから、彼の遠大な計画も大枠は分かっているでしょう。一気に出来ることではありませんから、実務担当として順序だてて緩やかに物事を進めています。

 ですから「先々のことはおいおい(考えるとして)…」と言いかけて、部屋に入ってきたのですが、そこで野心剥き出しで見開いた目の秀吉と目が合います。そのとき、凍りついたかのようにぎょっとした秀長は、言葉を失ってしまいます。一番の理解者たる秀長ですら、時代の欲望を全て引き受ける今の秀吉の本性に絶句するのです。
 暴走しがちな秀吉をフォローし、その手綱を引き絞ってきた寧々と秀長ですが、既に欲望の怪物と化した秀吉を抑えることはできなくなっていることが暗示されていますね。



(4)家康の理想と現実~浜松城下の領民と真田昌幸との会談~

 豊臣家中の不穏な空気はさておき、浜松城では駿府への引っ越しにてんやわんやです。駿府へ移った理由は諸説あり、出奔した数正が浜松城に詳しいという情報漏洩の理由、浜松城は辛い思い出が多いからという感傷的理由、北条氏の連携という軍事的理由などがありますが、本作の展開では北条氏との交渉のしやすい場所ということかもしれません。


 またも目の悪い於愛に間違って尻をはたかれてしまう家康ですが、そんな於愛を大切にしているのですね。浜松の民に「礼を言いにいかんか」と誘い、今まで世話になった礼として餅を振る舞います。浜松に移った直後、老婆に石入りの餅を振る舞われた家康が領民に餅を配り、受け取ってもらえるまでになったことに浜松における17年に渡る治世が、徳に溢れたものであったことが窺えます。家康と家臣団は勿論、於愛の尽力もあったと察せられます(瀬名は岡崎から動きませんでしたから)。

 さて、人々が喜んで家康から餅を受け取る中、ひたすら逃げ回る老婆がいます。そう、あの石入り餅の老婆です。結局、かの餅を口にした元忠につかまり、家康もやってきて観念した彼女は、かつて三方ヶ原合戦の折に団子を食い逃げしようとしたという「とんでもねぇ噂を」をまき散らし、笑いものにしたことをひたすらに謝ります。彼女がそう謝るのは、その後の家康の治世が民にとって悪いものではなかったからですよね。続いて慌てたように、脱糞した噂をまき散らした者も謝罪に出てきます。

 しかし、家康はそんな彼らを許すどころか。あのとき本当に恐ろしくて少しは漏らした、団子を食い逃げしたのもわしだろうと話を合わせ、「わしが情けない姿を見せたのは本当のこと」とそうした話を今後もどんどん広めよと笑いかけます。三方ヶ原合戦における家康のみっともない話を、「どうする家康」では民たちの流言飛語としたのは妙案と思いましたが、そこを更に家康の公認としたことは巧いところです。こうなれば、後年、山岡荘八「徳川家康」に採用されるほどの逸話になったのも納得です。


 そして、家康がこれを公認したのは、第20回で井伊直政(当時は虎松)が家康に仕官を決めたときのやり取りがあるからです。家康は、当時、これらの流言を「民はわしをバカにしておるらしい」と自虐しましたが、直政は「だからこそ」と応じ、「民を恐れさせるより、民を笑顔にさせる殿様のが、ずっといい。きっとみんな幸せに違いない」と返しました。家康には、目から鱗だったに違いありません。その後の統治の中で彼はそれを実感したのですね。

 こうした浜松での様々な出来事が響き合うように民との別れが描かれていきますが、家康は、領民たちと分け隔てなく語らえるまでになった、この浜松での治世を天下一統の中で広げていかなければならないのです。彼の地に足のついた理想と目指すべきものが、示されていますね。


 さて、そんな中、民に配るべき餅に手を出し、於愛に叱られた揚句、逃げ回るのが忠勝の娘、稲です。飛んだお転婆ぶりに「父親譲りじゃな」と笑う家康は、「お稲、逃げろ逃げろ!」って楽しげに声をかけます。家臣団とその家族との程よい距離感も描かれ、徳川家中の理想的な絆が窺えます。



 しかし、駿府城へ移った後は厳しい現実が待っています。

 それは沼田問題で揉める真田昌幸との会談です。傲岸不遜な昌幸は、連れてきた信幸共々、家康に挨拶もせず平然とただ座ります。イライラとした大久保忠世が咳払いをして、平伏を促しますが一向に応じる気配を見せず、今にも斬りかかりそうな雰囲気を見せます。ここで忠世が真田にイラつくのは当然です。そもそも、上田城の築城で指揮を取ったのは忠世です。その城を騙し取られた挙句、上田合戦では煮え湯を飲まされたのですから、不倶戴天の敵です。そんな、忠世の態度は徳川家中の空気感を象徴しており、一触即発の体となっています。


 挨拶をせぬことに関して、昌幸は「(約束を守らない)徳川殿は言葉を存じあげぬのかと」とあからさまな揶揄を口にして挑発します。家康は挑発に乗ることなく「何故、沼田を渡してくれぬ?」と用件のみ伝えます。

 しかし、これに対し、昌幸は突如、立つと家康の背後にある花瓶を取り上げ、次男にやろうとします。家康が真田にしたことは、人のものを自分のものとして人にやった、まさに泥棒であるとし、挑発に挑発を重ねます。

 周りは激昂しかかっていますが、家康はこの挑発にも乗りません。秀長から「真田は表裏比興」「我らも困っております」と聞いていますから、家康は慎重に見極めようとしています。激昂による脅しは家臣らに任せておけばよいのです。このあたり、家康も随分、しっかりした交渉をするようになりましたね。


 ここで激昂する家臣たちの空気にも呑まれず、ひたすら昌幸を面白がるように見ていた正信が「さ~な~だどの!」と芝居がかった癇に障る口調で話しかけ「ハハハハハ、言葉が通じんのは貴殿の方では?」と嫌がらせで返し、「徳川の与力である以上、その命に従う必要がある」と理屈をこねます。屁理屈で返す昌幸に関白殿下の命と凄みますが、どこ吹く風、簡単にその名を使うべきではないと返します。

 残念ながら。これは、昌幸のほうが一枚上手ですね。秀吉の名を出すのは最終手段であり、それを見せるのは手札がないと言っているようなものだからです。また、秀吉の名を出して事を収められなければ、一重に家康が無能であり、関白の威信を傷つけたことになります。
 秀吉は領国統治の失敗には苛烈な対応をしており、後年、佐々成政はそれを理由に切腹の憂き目にあっています。ですから、ここは正信、慎重になるべきなのです。


 いよいよ、そこかしこと昌幸を斬らんと家臣たちが集まり始めたところで、ようやく家康は「面白き御仁」と昌幸の豪胆を誉めそやし、沼田は北条に譲らざるを得ないが代わりの領地を渡すことでどうかと提案します。落ち着いた家康の対応をいきり立つ家臣らの隙間から面白がるように見る正信が良いですね。家康の提案がまずまずであるからの表情です。家康は、これまでのやり取りから昌幸の狙いは自分にとって都合のよい領地を得ることだと読んだのです。

 しかし、それだけで引き下がる昌幸ではありませんでした。いくら代わりをくれると言っても、既に沼田を北条に切り渡そうとした家康です。その領地の割譲を確約させる必要があります。ですから、信用できぬから家康の元にいる姫を長男の嫁としてもらい受けたいと逆提案をします。体の良い人質でもあり、また家康との縁戚関係を結んでおけば、今後何らかの形で発言力を得られる可能性も出てきます。

 最大限の利益を得るため、ありとあらゆる手を常識や信義や善悪に囚われず、繰り出すのが、真田昌幸の老獪さです。彼もまた利己的な欲望にのみ生きる男なのです。あまりに自分の都合だけを考えた提案に「身の程をわきまえよ」といきり立つ忠世たちに「我らをないがしろにしたのはそちらだ」と悪びれる様子もありません。

 先の浜松城下での領民たちとのやり取りは家康が目指すべき道です。一方でその実現のために相手をしなければならないのは、自分のことをしか考えない利己的で合理的で老獪な欲望の権化たちだということです。家康は秀吉という「欲望の怪物」と対峙せざるを得ませんが、その前に真田昌幸という「欲望の怪物」との前哨戦を行わなければならないのです。



 ともあれ、結局、現在、妙齢の姫がいない家康は家臣の娘を養女とし、真田に嫁がせるしかなくなりました。その候補が忠勝の監視のもと、行儀見習いを於愛から学ぶ羽目になっている稲(小松姫)となることを暗示して今回の幕は閉じられます。彼女と忠勝の関係は既に面白く描かれていますが(特に忠勝の親バカぶり)、彼女の人物像は詳しく描かれるであろう次回に回すとしましょう。



おわりに

 秀吉を「欲望の怪物」にしてしまったのは何でしょうか。

 一つは母親である仲(大政所)との関係が適切に築かれなかったことがあるでしょう。秀吉が勝手に家を出てしまった以上、どうにもならないことでしたが、秀吉はどこかで愛情に飢えているところがあります。

 二つ目は弱肉強食の戦国の論理です。極端に虐げられ貧しかった彼は、そうした虐げる者を憎み、妬み、見返すため自身もその才覚で人から奪うことを覚えました。その負の感情と他者から奪うことの快感が彼に出世街道を歩ませます。

 そして、三つ目は信長の敷いた徹底した能力主義でしょう。ここには忠義も人情も人間性もなく、ただひたすら利害関係のみがあります。


 こうして見ていくと、秀吉にあるのは個人的で、それでいて際限のない欲望を満たすことだけ。理想や将来性といったビジョンがないことが見えてきますね。ですから、無軌道に欲望だけが肥大化していくことになります。それをコントロールする術を学ぶことなく、寧ろ全面的に開放することで秀吉は力を発揮し、ここまで来てしまいました。
 そんな彼を頂点とする天下一統は、当然、自身の欲望のみを追求する危うい利己主義が横行します。更に秀吉はそれを刺激することで人心掌握し人々を操り、終わりの無い欲望の世界がそこに立ち現れます。秀吉は、戦国という欲望の時代が生みだした時代の申し子と言えるかもしれませんね。

 だからこそ、彼を媒介として、多くの人々の欲望が彼に集まり、増幅され、それは後に朝鮮出兵という大きな戦争へとつながっていくことになります。


 人間にとって欲望を持つことは、生きていく糧であり、また自然なことです。しかし、それは理性的な自己管理ができなければ破滅か行き詰まりを見せます。秀吉の場合であれば、国内に留まれば行き詰まりでしたでしょうし、国外へ領土を求めれば、いずれはより大きな力と欲望を持つ大国に滅ばされることになったでしょう。
 それは現代も同じことです。バブル時代の欲望に忠実な放埓な生き方は結局、短い盛りで終わり、後に残るのは今も続く閉塞感です。どこかで歯止めが必要なのですね。

 

 となると、家康が今後、対峙しなければならないのは秀吉自身というよりも、「欲望の怪物」とどう切り結ぶかということかもしれません。例えば、秀吉の言った「戦がなくなったら武士どもをどう食わしていく」といった問題は江戸時代になっても続きます。最終的に、武士は支配層という官僚に移行することで俸禄をもらうという特権を確立することになりますが、そこに至るまでは紆余曲折があります。
 例えば、大阪の陣で多くの浪人たちを始末できたという結果論、国替えを多く行い、賦役を課すことで金銭を使わせ、大名の力を削ぎ戦えないようにしたこと、改易によって武士そのものを減らしたこと、これらを皮肉にも徳治ではなく、武力を背景に行えたことは、武士の官僚化の一端を担っているでしょう。
 それでも明治維新のときには、多くの士族の失業者が現れ、同じ問題に直面しますが。


 「どうする家康」では、その道筋をどうつけるのかは、今のところは、わかりません。しかし、逸話の中の家康の哲学には、そのヒントがあるかもしれません。例えば、「老子」の「足るを知る」と言う言葉を好んだ家康は若い武士たちに説いた五文字と七文字の心がけがあります。前者は「上を見な」で、後者は「身の程を知れ」だったそうです。上ばかり見て身の程を知らず、際限のない欲望を抱くと、いずれは身を亡ぼすという教訓なのですね。こうした思いが今後の物語にも生かされてくるかもしれません。


 ところで次回は「於愛日記」と遂に彼女の主役回が来ます。しかし、その笑顔が演技であること、「殿はお慕い申し上げる方ではない」という予告での描写が気にかかります。というのも、史実では彼女の退場は間近だからです。あるいは、数年飛んで、死後、彼女の日記を家康が読むという展開になりはしないかと今からヒヤヒヤしています(苦笑)

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