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「どうする家康」第26回「ぶらり富士遊覧」 家康の絶望からの野心が、秀吉の天下人への道を拓く皮肉

はじめに

 第26回は、哀しい結末を迎えた第二章を引き受け、遂に家康が覚醒するかもしれないという第三章の開始という重要回です。
 その重要回の中心として選ばれたのは、高天神城の戦いでもなく、武田家滅亡でもなく、その後、家康が甲州から安土まで帰る信長に心づくしの歓待をするという富士遊覧でした。前回の哀しい結末から一転した呑気な内容に予告編から呆気に取られた方もいらっしゃるかもしれません。

 富士遊覧は、「信長公記」巻十五に「信長公甲州より御帰陣の事」と詳しく記されるほどの大規模の凱旋旅行ですが、たかだか10日間程度の出来事だからか歴史ドラマでの扱いは小さいのが常です。山岡荘八「徳川家康」でもそれほど比重の高いものではありませんし、その映像化であった大河ドラマ「徳川家康」(1983)に至っては、信長の「安土までの道中、並々ならぬ接待を受けた」というような台詞のみの扱いです。しかし「どうする家康」では、これを重要な歴史的な転換点と捉え、作劇されました。

 敢えて、富士遊覧を中心に据えた回を作った、その意図を理解するには、甲州征伐からの凱旋という富士遊覧の立ち位置を考える必要があります。
 武田家を滅亡させた甲州征伐、信康がいつ終わるのかと精神を病んだ織田・徳川連合軍と武田家との決着は、彼の死後から更に数年かかりました。瀬名の企てた「途方もない謀」に心を救われることなく、信康が戦場に立ち続けていたら、その精神はボロボロになっていたでしょうね。それほどに過酷な長い戦いを家康たちは、瀬名と信康を失ってなお、信長の命に従いながら続けたのです。
 こうした経緯もあり、その論功行賞では、最前線で働き続けた労いとして家康には駿河一国が与えられました。家康は、ようやく今川の旧領の全てを自分の手に収めたと言え、戦国大名として海道一の弓取りとなる足固めができたのです。

 富士遊覧は、この信長からの褒賞に報いるものとして、企画されました。家康は、そのために甲斐から駿河に至る街道を整備し、要所、要所で手厚く歓待しました。特に富士の巻狩り(「鎌倉殿の13人」での大規模ロケが記憶に新しいですね)の旧跡を訪ねた後に泊まった大宮の御座所は、わざわざこのために新築され、金銀が散りばめられていたと言われます。家康の力の入り様が、伝わりますね。
 また街道の整備では、邪魔な石を除去し、木々を切り倒し、川には橋も架けます。特に大井川では多くの舟を使い、同河川で初めての舟橋を架けたとか。つまり、多額の資金を投入して、公共事業を兼ねた地域振興と領国支配のスタイルを見せるという徳川家の一大イベントだったと言えるでしょう。
 信長の目指す天下布武を体現したような盤石さ、それに支えられた歓待にいたく感激した信長は馬と秘蔵の太刀を贈っています。つまり、富士遊覧は、信長と家康の絆を深めたものとして後世に伝わります。

 ただ、信長と家康の絆が深まるのは結構ですが、築山・信康事変で泣く泣く妻子を斬る苦渋の選択をした家康の次の話としては、なんだか納得がいかない気がしてしまうのも事実。例えば、度々、あげる山岡荘八「徳川家康」では、事変以降、信長の暴君ぶりと猜疑心をかわすために知恵を絞って、自身の立場を確保する家康の様子が描かれています。
 つまり、家康と信長の緊張関係が描かれる中で、信長の横暴さが際立ち、光秀の謀反が起きるという展開になっています。こうした展開を考えると、信長と家康が仲良しこよしに見える富士遊覧は邪魔です。歴史ドラマで重視されてこなかったのも、分かる気がしなくはありません。

 しかし先に述べた通り、富士遊覧は、徳川家の一大イベントです。特に、これまで家康にとっての東国支配の重要性について、力を入れて描いてきた「どうする家康」ならば外すことはできません。また、富士遊覧は意図せず、歴史的重大事件の発端になっています。
 というのも、この富士遊覧の返礼が、信長による家康の安土城招待だからです。そして、この接待で起こった信長の光秀への叱責が、本能寺の変へつながったとする説の根強さは、ご存知の方も多いでしょう。つまり、富士遊覧こそが、築山・信康事変の後に起こる一大事件、本能寺の変編の幕開けに相応しいことが見えてきますね。

 そこで、今回は、一見、信長への行き届いた歓待の裏にある家康と家臣団の心情の揺れ、そして、それを飲み込もうとする信長や秀吉の存在から、今後の「どうする家康」の展開について考えてみましょう。


1.勝頼の末路と関心の薄い家康

(1)家康と家臣団の温度差と軋轢
 長々と続く高天神城攻めから始まるファーストカットは、家康の月代のアップからです。髪型の変化によって、家康の心境と彼らが置かれた状況の激変を表しています。そして、信長への臣従も暗示しているでしょう。そして、それを家康はどう受け止めているのか、それが次の家康の膝までを入れた全身ショットです。家臣に頭を剃らせている家康は、静かですが伏し目がちで本心が見えません。
 松本潤くんが芝居を大幅に変えてきたことに目を奪われるところですが、それを支えるような貫禄を付けるやや煽りのアングル、影多めのライティングとモノトーンの画面作りが秀逸ですね。何かが彼の中で起きたが、それが視聴者には分からない…不安を感じさせるようになっています。
 ただ、これが、第三章の家康、第三章自体のトーンになっていくかは、本能寺の変後まで分かりません。ただ、彼が見せる胡乱な雰囲気を前にした忠勝以下、家臣たちの苛立つような空気に徳川家自体が不穏な様子であることが窺えます。

 その不穏の正体は、高天神城を守る岡部信元からの自身の命と引き換えに降伏するという書状への対応によってはっきりします。敵の降伏の意向に暗くなりかけていた陣中も、遂に高天神城を取り戻すという悲願成就に湧きます。これで無益な戦いが終わるからです。しかし元忠の「受け入れましょう、殿」に対する家康の返答は降伏を許さぬ、皆殺しにせよという非情なものでした。
 これまでの家康からすればあり得ない言葉に耳を疑う家臣団に、家康は伏し目がちに、そして冷ややかに「降伏は受け入れぬと上様から言われておる」と信長の言葉を繰り返すだけです。家康の恨みの深さからかと勘違いした忠勝は、我らも武田は憎いが無益な殺生をすることは武士として恥であると抗議しますが、「嫌なら帰っていいんじゃぞ」と高圧的で釣れない言葉のみです。
 そして、高天神城の皆殺しは無意味ではなく「助けを送れなかった勝頼の信用はなくなり武田は崩れる」という戦略的な意味を説きます。そして、惨ければ惨いほど良いと嘯くと改めて皆殺しを厳命します。

 因みにこの降伏の拒否が、信長の指示だったのは史実通りであり、勝頼の信用を無くすという目的も同様です。というのも、高天神城に詰めていた諸将は武田領内各地から招聘された混成軍。それゆえに、ここを見捨てることは、勝頼が各領内の国衆を守れないと喧伝するも同然だったからです。当然、それは勝頼にも分かっていたことですが、それでも上杉の御方の乱で上杉景勝と和議を結んだことで、北条と手切れ、緊張関係が高まる中、援軍を送る余裕はなかったのです。
 更に言えば、度重なる戦で戦費の捻出もままならず重税をかけるばかりでしたから、人心は離れていくばかりです。結局、瀬名の謀に甲斐の運命を預け、それを裏切ることに抗議した穴山の言動は正しかったのです。外交によって領土を拡大したのですから、同盟が維持されている間に内政を整えるべきだったのです。しかし、「どうする家康」のゴードン勝頼にとって同盟は所詮、出陣するために後顧の憂いを無くす以上の意味を持たなかったのでしょうね。


 こうして勝頼自身の戦を優先する政策によって高天神城は攻略され、勝頼の運命は決定づけられるのですから、家康が上様の意向に従うことは、大局的に見れば、結果的に双方の犠牲を最低限で済ませることができる点では正しいと言えます。しかし、多くを餓死させ、弱り切った相手を皆殺しにするだけの戦いは惨い以上のものではありません。直接、手を下す家臣団の気持ちはやり切れず、悲願の達成に何の感慨もありません。

 そのやり切れなさは、変貌した家康への戸惑いとして表れます。幼少期から彼を知る親吉は「殿は変わられたの、そのような惨いことを…」と絶句。万千代の「頼もしくていいのでは?」はという返しは額面通りではなく皮肉。彼は、領民を笑顔にする家康に期待したのですから当然です。康政は「腑抜けた」「気骨が無くなっただけ」と辛辣です。信長に逆らえる者はいないと慮る忠世も「賢くなられたのだ」という元忠も、家康の現状を飲み込もうとしているだけです。この場面、各キャラクターらしい割り台詞の掛け合いですが、どの言葉も全員の思い、家臣団の総意なわけです。

 そして、誰よりも家康に期待していて、殿が大好き(忠真)な忠勝は、それだけに周りの面々以上に失望が大きく「二言目には上様、上様、上様」と苛立ちをますます募らせ(このとき、振り返り信長のショットが三連続繰り返されるのは笑ってしまうのですが)、「賢くなられたのだ」という元忠の言葉に「結構なことじゃ」と吐き捨てます。立ち去る彼を見る康政の目線の心配そうです。彼の思いもまた忠勝と一致しているのでしょうね。
 初期の頃のように、いつでも家康を斬り捨てかねない忠勝の剣呑さ、家臣団の戸惑いには、高天神城奪回の悲願成就の達成感は全く見られません。ただただ、今後が思いやられるだけです。やはり「どうする家康」では、勝利に酔うことが許されませんね。
 
 そして、家臣たちの思いをよそに、家康は一人、瀬名の形見と思われる薬研で独り、薬草の調合に勤しみます。薬研を引く彼の姿を斜め後ろから捉えるショットは、彼の本心を隠し、孤独感と寂しさを強調する役割があります。前段で、生来の良さを失い変わり果てた家康を痛々しく見つめる家臣団の忸怩たる思いが醸し出されたことで、誰にも理解されない家康の孤独感と絶望が際立つ…その作りが今回の全体を支配しています。


(2)秀吉との会談に見られる家康の腹芸
 さてオープニング後に挿入された秀吉との鷹狩は違和感の塊です。天正7年以降の秀吉は、播磨など中国地方の攻略に手一杯で他のことをしている余裕はありません。まして、三河まで出向き、家康と鷹狩など「上様に知られたらえらいことだわ」と秀吉が言うとおり論外です。
 しかも、二人の仲は、特に家康は、金ヶ崎で「クズじゃな、お前は」と言ったほどの秀吉嫌いです。何故、秀吉の誘いに応じたのかは不思議です。そして、そもそも、何故、ありえない会談をわざわざ創作してまで挿入したのか。それだけにこのシーンは、作り手の意図があると言えます。

 
まず、「一羽も取れませんでしたな」という家康の台詞からして示唆的です。秀吉は武勇に長けた人物ではありません、つまり、大事な戦局を置いて。自身が得意でもない鷹狩に家康を誘った理由を詰問しているのです。薄く笑いながら軽い調子で問う家康からは、既に以前の彼ではなくなりつつあることが窺えますね。以前なら、ストレートに「なんでわしを呼んだんじゃ?」と聞いていたでしょうから。腰を据え、一対一で秀吉と腹芸をする覚悟ができているということです。

 そして、家康の笑顔の裏にある訝しむ気持ちが分からない秀吉ではありません。秀吉の恐ろしいところは、目的のためならば、相手に見抜かれて詰問されてもなお平気で笑い、お為ごかしを言い続けられる度胸です。ですから「会いたかったに決まっとるわさ〜」と白々しいことを言うわけですが。家康もまた怒るではなく「おやめくだされ」と軽く笑顔で返すに留めますが、秀吉は「おつれぇときはこの秀吉を頼ってくだされ」とお為ごかしを重ねます。

 そして、「わしゃ徳川殿が心配で心配で」と心にもないこと…いや、そうでもないですね。家康の動向が気になるというのは嘘ではありませんから。甲州征伐が終われば、家康は確実に領土を広げて信長配下の随一の大名の一人になるのは間違いありません。その動向には気を配っておく必要があります。ただし、それは信長のためではなく、今後の自分に役に立つかどうかという意味においてです。信長に内緒で家康に会う、このことがそれを証明していますね。
 以前のnote記事でも触れましたが、彼は徹底的に合理的な現実主義者です。信長も含め、全ての人間は自分の利益のための道具に過ぎない。目的のためなら何でもする男です。既に彼は何らかの独自の将来像を抱いているのでしょう。ですから、腹芸を収め、「心配」を梃子に、妻子誅殺の件で信長を「恨んどるだないきゃ?」という確信を突いた一言で家康を遣えるか否か見極めようとします。

 ただ、まだ経験不足の家康では、秀吉の信長すら駒と考える本質までは見抜くことはできていないでしょう。ですから、信長に直通する男の鎌かけと見てすっとぼけます。
 そして、秀吉に真正面から向き合って静かに「私が決めたことです。全ては我が愚かな妻と息子の不行状ゆえ」と返答します。この嘘は虚実が入り混じっていますね。妻子が愚かであること、全てが妻子のせい…その点は全くの嘘です。寧ろ、最愛の彼らをそう言わねばならぬことは苦しいことでしょう。一方で「私が決めたことです」は、妻子が死を選んだのは彼らの選択という点では事実と異なりますが、彼らを死なせたことは自分の責任であると考えていることは真実でしょう。虚実が入り混じるからこそ、この嘘には真実味があります。

 とはいえ、三河一向一揆で空誓に嘘をついたときは、誤魔化しきれなかった彼が妻子を悪く言う嘘がつけるようになったことは驚きですね。ただ、これは腹芸ができるようになったという成長ではなく、胸に秘めた覚悟がそれを言うことを可能にしていると言うべきでしょう。腹芸とは裏腹、まだまだ未熟な家康なのです。瀬名ならば、こうした言葉を笑顔で言えたことでしょう。彼女は笑顔で「本心を隠すことがお上手」(千代)ですから。

 ですから、秀吉はその返答を聞いた瞬間、一瞬だけ真顔になって「ほう…」と一言だけ言い、焚火に目を落とします。彼は、家康の腹芸から、家康に一物ありと見抜いたのです。勿論、その真意や目論見までは見抜けないでしょうが、粛々と信長に従うつもりがない男であることまでは見抜けたでしょう。
 今までの家康ではなくなったこともここまでの話から分かりますから、それなりに信長に腹芸をして見抜かれない可能性もある。万が一、家康がしくじって滅ぼされたとしても、この会談はどのみち内密ですし、彼自身が家康の存念に気づいたとは口にしていませんから被害を被ることはありません。 

 だとすれば、好きなようにさせて、その結果を自分が利用するのが一番だと、そこまでは一瞬にして判断できたでしょう。寧ろ、この家康の変化を駒として使えると思ったのであろうことは、後半の弟、秀長との会話ではっきりしてきます。

 つまり、この会談、秀吉のような権謀術数な輩を相手に、腹芸を使って対等に話ができるようになった家康を描くと見せかけて、秀吉の底知れぬ恐ろしさ、家康ではまだまだ秀吉には勝てないという格の違いを見せたシークエンスだと言えます。
 第三章の敵が秀吉である…それは史実どおりですが、ドラマ的にもそれが示されたと言えます。


(3)家康の武田家への思い
 さて、高天神城が落とされたことを機に武田家の滅亡は決定的になりました。穴山に述べた「行きたいものはどこへでも行くがよい止めはせん」との言葉からは、自身の自己満足に家臣を巻き込む愚は避ける気持ちも察せられますが、それ以上に、どこまでも自分のプライドばかりで孤高という自分の立場に酔っているような恰好をつけているだけの部分も感じられます。何故ならば「どこへでも行くがよい」などと言う前に既に家臣たちは次々と勝頼を見捨てて離反しているからです。彼が家臣たちを逃がすのではなく、彼が家臣から見捨てられているという現実があるのです。
 「我は武田信玄が育てた至高の逸材」と徹底抗戦を唱える豪語には、最早、信玄の呪縛にすがることしかできず、その傲慢こそが武田家を滅亡させるということに気づくことすらできない哀れな姿だけが際立ちます。事ここに至っては、穴山の尽力も意味を持ちません。本来、諏訪勝頼だった彼への「諏訪神社のご加護を」との手向けの言葉も虚しく響くばかりです。

 さて、その勝頼との決戦を前に家臣団も色めき立ちます。瓢箪酒をグイ呑みする康政の「遂に武田を滅する時が来たな」に対する忠勝「勝頼の首は…俺が取る」、そして康政の「負けんぞ」という相棒感溢れる戦友たちの会話に、その高揚感が窺えます。
 この二人、実は三方ヶ原合戦では忠真と夏目広次から家康と後事を託されています。また、前回は、瀬名から直接、瀬名に変わって家康と共に平和な世を作るよう命じられ、その上、家康と共に瀬名の死を見届けています。つまり、実は忠勝&康政は、家康同様に、武田家との戦いで散っていった多くの人々の願いを受け取っている若手武将たちなのです。それだけに、家康の築く世の第一歩となる、この戦いにかける想いは強いのです。
 そして、この想いがあるからこそ、瀬名たちから願いをしかと託されたはずの主君、家康の信長一辺倒の盲従ぶりが歯がゆく、そして腹立たしくなります。彼らの物言いが、他の家臣たちに比べて特に辛辣になるのには訳があるのです。
 その想いは、家康の不甲斐なさに耐えられなくなった康政の後半の台詞「お二人が報われん」に凝縮されることとなります。

 
 さて、意気込むの二人だけではありません。ここぞとばかりに留守居ばかりの大久保忠世も、戦場での出番がなかなかない万千代も出陣をせがみます。が、勝頼の首に全く関心のないといった感じの家康はそれをいなし、呼び出された於愛と二人に「格別なお役目」を与えることになります。命じる際「近う寄れ」と多少、面白がったふうに見せ、さも自身が信長に心から尽くして、接待したくてたまらないという雰囲気を出している辺りは、敵を騙すにはまず味方からといった家康なりの腹芸が見えます。が、家臣たちにとっては、それが憤懣やるかたないものになっていきます。

 その後、家康方に寝返った穴山信君改め梅雪に迎えられ、躑躅ヶ崎館に入った家康は、信玄が座していたという不動明王像の前に座ります。そして、不動明王を介して「ようここまで来たな、三河のわっぱ」と信玄から労いの言葉を受けます。勿論、これは家康の心中での対話に過ぎませんが、家康が腹芸ばかりの第26回では、家康の本心が直接的に描かれる数少ない場面ですから見逃せません。信玄からの労いを頭に浮かべるのは、これまで払った犠牲の数々と苦難の連続に対する感慨、その既にようやく彼の元へたどり着いたことに対する万感を通した信玄への敬意が見えますね。

 劇中で信玄から遠方にいる家康へ語りかける場面が多く描かれましたが、これは家康が信玄との戦いをとおして多くを学んできたということに他なりません。確かに多くの大切なものを失いました。しかし、それも互いが生き延びようとした結果に過ぎません。一瞬の夢で終わったものの、瀬名が見せてくれた武田家と手を携えられるかもという希望も家康は知っています。
 ですから、彼の武田家への心情とは、積年の恨みのような単純な感情では言い表せないものがあるのではないでしょうか。ついぞ、好敵手の家系を滅ぼすことになってしまった慙愧すらあるかもしれません。だからこそ、万感の思いで信玄と向き合うのです。

 家康は、本能寺の変後に起きた天正壬午の乱を通して、甲斐を支配した信玄の偉大さを更に知ります。勝頼父子の鎮魂のため、景徳院という菩提寺を寄進したのは、武田の名をもって領民の慰撫、安堵を指向したからです。また多くの武田の遺臣を抱え、武田家が行った政策や軍略を受け継いでいきます。家康が、いかにしてかつての敵やその思想を自分の内側に取り込んでいくのか、その後の展開を予期させるような場面が、この対話です。史実の家康の武田家の取り込みは、瀬名が指向していたものよりも遥かに老獪なものですが、少なくとも「どうする家康」では瀬名の発想の先にあるものなのかもしれませんね。
 となると、今回、家康が甲州征伐に積極性を見せず、信長の命で仕方なくやっていた体を見せていたのも、武田家を滅ぼす気の無さを見せ、後々、取り込もうとの算段があるという展開にするつもりだからかもしれませんね。とにかく、本作の信長は逆らった者を許さないという設定ですから。

 さて、そこに勝頼が信長の嫡男、信忠に討たれたとの報が届けられます。穴山信君の驚愕と無念の入り混じった苦悩の表情が、その死の無残さを象徴しています。勝頼の死は自刃とされますが、本作のゴードン勝頼は、ルシウス武田信玄が育てた至高の逸材ですから、戦場で華々しく、荒々しく散っていきました。役者的には、眞栄田郷敦くんの父、千葉真一が大河ドラマ「風林火山」で演じた板垣信方が上田原の戦いで獅子奮迅の働きをして散っていった場面を彷彿させてくれる最期になっていましたね。

 しかし、その最期に家康は然して関心を示すことはなく、直接討ち取れず無念だと言う忠勝に「信忠どのが功を上げられ、良いことじゃ」と逆撫でする一言だけです。
 信玄との対話を見ている視聴者は、その無関心が演技であることは分かりますが、知らぬ忠勝はただただ家康の腑抜けぶりを悔しがります。康政がすかさず止めに入るのが良いですね。しかし、家康からすれば、後々のことを考慮し、そして、信長に徹底的な恭順を示すことで油断を招かねばなりませんし、武田の遺臣に関心があることも見せるわけにはいかないのですが。

 家康の武田家への表向きの無関心は、一貫しています。甲州征伐を成し遂げた信長に謁見し、勝頼の首実検に際しても変わりません。阿諛追従の明智光秀から、勝頼の首を「気の済むようになされませ」「積年の恨みをこめて」など鬱憤を晴らすよう言われますが、「首級は上様のもの」としそれを乱暴に扱うのは非礼に当たるとし、更には「恨んではおりませぬゆえ」、「死ねば皆、仏でございます」とまで言います。この言葉は、半ば本気であることは、先の信玄の対話で示されています。だから、このとき、勝頼の首をナメる形で信長にひれ伏す家康が映されるのは示唆的です。勝頼に対して礼をしているようでもあり、信長のモノである首級にすら頭を垂れる従順さの演出にも見え、様々な意味を思い起こさせる画面構成になっていますね。ここでも虚実入り混じった嘘を言う家康です。

 そんな家康を不甲斐ない、気骨のない者と見下す光秀の浅はかさが際立ちますね。相変わらず酒向芳さんの嫌味全開の光秀の芝居は、振り切れているという点で惚れ惚れしますが、それだけに光秀の人間性の卑しさは最低ですね。
 一方、信長は単純ではありません。前回のnote記事でも触れたように信長は、瀬名たちの死を聞き、彼なりに家康を慮り、その悲痛に思いを馳せ、自身がそれをさせたことを内心気にしていました。だからこそ、信長は「恨んでおるのは別の誰かか?」とわざわざ口にして、その心底を吐かせようとします。
 しかし、信長のそんな思いなど露ほども知らない家康は、秀吉に対して同様、すっとぼけますが、これがかえって信長の不信を招くことになります。腹芸が少しできるようになった家康ですが、光秀くらいならばともかく、信長や秀吉には一物ありと見抜かれてしまっていますね。この点は、まだまだというとことでしょう(苦笑)



2.豪華接待の裏で行われた家康×信長の腹芸による暗闘

(1)豪華接待についていけぬ家臣団
 さて、とにもかくにも信長の追求を一旦はかわした家康は、安土までの帰り道を恩賞で頂いた駿河の道中にて「お祝いをさせていただきます」と全力の接待を申し出ます。そして、いよいよ今回の本題、富士遊覧が始まります。
 既に「格別なお役目」として準備を進める、於愛、忠世、そして万千代(やる気なし)の元に来た家康は、「富士じゃ、街道の要所要所でおもてなしするのじゃ」と家臣一同に大号令をかけます。

 接待の手引書まで作った於愛がすごいですね。家臣たちに下調べをさせ、自身で筆を取り、挿絵まで添えた入魂の出来には家康も感心しています。家康のやろうとすることにとやかく言わず、まずは全力でサポートしようとする、その真心が於愛の良さなのでしょう。瀬名が見抜いたその才は、着実に家康のためになっていると思われます。それにしても、於愛、笛は下手くそですが、手引書を見る限り絵心はあると思いませんか(笑?

 さて、こうした準備は武骨ものの家臣たちだけでは手に負えません。ですから、京より馳せ参じた茶屋四郎次郎が八面六臂で動いています。そして、張り切る茶屋四郎次郎が音頭をとって、成功のために「エイエイオー!」と号令をかけます。しかし、応じる人々のそれはバラバラで統一感がありません。家康の信長への恭順ぶりに対する不満が膨れ上がり、家中は空中分解を起こしそうです。

 さて、劇中での富士遊覧は、まずはなんといっても富士山を見せることですが、やはりここは後に『富嶽三十六景』「甲州三坂水面」でも題材にされた逆富士ですよね。流石にどの湖からかは、私には分かりませんでしたが、今回は甲斐からの凱旋ですから山梨県側からの美しさで見せたのでしょうね。教養人である光秀、信長以上に感動しているのが、これまたらしいですね。
 すぐに飽きた信長は、信玄の隠し湯にも興味を示さず、家康を慌てさせます。というか、「テルマエ・ロマエ」に出演した阿部寛が演ずる信玄の隠し湯ですから、実在のものとは違うお笑いシーンになると思ったのに…ちょっと残念です(笑)

 イレギュラーに大わらわになる中、的確に指示を飛ばす於愛、周りを鼓舞し積極的に立ち回る数正、忠次の両宿将、年長者である忠世に比べて、若い家臣たちはやる気がありません。
 万千代は、自身を九郎義経に喩えて女性を口説いていますし、眠り呆けていた康政は「平八郎(忠勝)が帰ったから」と自分も帰ろうとします。接待も大事なお役目だという年長者の家臣に対して、遂に康政も不満をぶつけます。忠世は「だとしても、我らの主だ」と説きますが、「お二人が報われん」と返し、男たちは、黙り込みます。
 瀬名の謀に対して、親吉以外は割と危険視していた家臣団ですが、実際のところは彼らもまた心惹かれていたのでしょうね。先に持述べたとおり、康政は瀬名から託された願いがありますから尚更です。何故、家康は瀬名たちの無念を胸に前へ進んでくれないのか…その忸怩たる思いが切ないですね。


 しかし、そんな康政に、あそこまでしなければならない家康の気持ちを「そなたらには分かるのか」と𠮟りつけるのが於愛です。情けなく見える恭順の姿勢を家康が平気でやっているわけがないだろうことを指摘します。
 側室だからこそ見えるものがあるのと同時に彼女は、まずは家康を信じることから始めているという点が全く違います。自分たちの期待を押し付ける前にやるべきことがある、そう言うのです。彼女の言葉と重ねるように忠次も、家康のこの行動には何か訳があるに違いないと諭します。それにしても、家臣団の分裂の危機を、於愛が収めるとは「どうする家康」らしいですね。彼女の能力は未知数ですが、いずれ家臣たちの信頼を得ていけそうです。


(2)挑発する信長と笑顔を貫く家康
 さて、いよいよ饗応の宴です。茶屋四郎次郎が太鼓、於愛も得意かどうかわからない笛で参加しています。宴も酣(たけなわ)となろうとする頃、信長は酔ったふりをして家康の御旗「厭離穢土 欣求浄土」に対して、仏教用語特有の古臭さを指摘したのか「ありゃあ気味が悪い、気分が萎える」と言い出します。突然の罵倒に、接待の音楽も全部止まってしまいます。家康は「ありがたい言葉で」と言い訳するものの「陰気臭い」と更にケチをつけます。言うまでものなく「厭離穢土 欣求浄土」は徳川家のスローガンであり、そして家康と瀬名が夢見たものです。謂わば、信長は徳川家のプライドと家康の妻とその夢を愚弄したのですから、家康の心中は穏やかではないでしょう。
 しかし、酔った勢いのことと受け流しますが、更に三河武士は田舎者と指摘し、そんなことだからバカにされる、気をつけろと家臣たちを嘲笑います。これまた、家康の最も嫌うところです。また家臣たちを信じ守ろうと思ってきた家康の半生をもこき下ろされたと言えます。

 これまでの家康であれば、何が信長の機嫌を損ねたのかと狼狽えるか、愛想笑いをするか、はたまた金ヶ崎や長篠前夜のときのようにキレて激昂するはずです。怯えか怒りか、どちらにせよストレートに感情を表してしまうのが、家康の特徴でした。しかも、今回は家康にとって最も触れてほしくない点について、わざわざ信長は触れたのですから、そういう展開はあり得たのです。もし、この反応をしたのであれば、信長は家康に抱いた疑念を改め、今までどおり白兎として接したでしょう。つまり、これらの発言は、家康の心底を見抜くために彼を試しているのです。

 しかし、家康は意に介すことなく受け流し、逆に駿河の支配を氏真に任せてはどうかと進言します。予想外の申し出に怪訝な顔をした信長は「お前はたわけか」と返します。数正が「この駿河は未だ今川家への愛着があるため」と家康の発言に言葉を足し説明を加えます。しかし、信長は「氏真は無能だ」と一蹴します。そして「無能だから国を滅ぼした」と断じます。
 家康からしてみれば、かつてのコンプレックスの塊だった氏真ならばいざ知らず、今の氏真ならば上手くやれる可能性があります。また、かつての敵とも手を携えてやっていこうと考える家康は、適材適所もありなのでしょう。しかし、信長の返事は一度の失敗で他人を断じる、過酷な能力主義があるだけです。そして、自身の価値に合わないものは決して許さないことも暗示しています。家康は、この件を持ち出すことで。信長の覇道が何かを再確認しようとしたのだと思われます。

 結局、信長は、家康が兄と慕った氏真を単純にバカにしただけになってしまいます(当然、信長はそんなことは知らないのですが)。信長からしてみれば、せっかく与えた駿河を人に渡そうとする家康の心中は理解しがたいばかりです。
 因みに、家康が駿河支配を氏真に任せたいと言い出したのは、実際は唐突なことではありませんでした。高天神城攻めで氏真を諏訪原城の名目上の城主にして、増改築を行っているのですね。つまり、今川家の力には意味があったということです。その件を、信長との手切れを家康が決心するための腹芸と繋げたのが脚本的に巧いですね。

 機嫌を損ねる発言をする家康を注意するため、光秀は「伊賀国の件は心得ていらっしゃいますな」と振ります。これは天正伊賀の乱のことです。これは引き合いに出し、信長が決して自分に逆らう者は許さないことを暗に仄めかします。そして、「銭次第で動く」彼らは信用がおけないとし、徳川家にいる伊賀者も全部、始末するよう助言します。伊賀者は銭次第で動く、その独特の倫理観の持ち主だというのは、和田竜「忍びの国」(2017年に大野智くん主演で映画化されましたね)でも描かれていますが、自身の価値観に合わないという理由だけで皆殺しにしてしまう信長の方針は、非情です。また家康が飼っているであろう忍びについても殺して忠誠を示すよう要求しています。
  光秀の言い様に、そのとおりに致しますと従順に返す家康ですが、敵対する者は皆殺しという発想、そして都合が悪くなれば弱者は切り捨てるやり方は、家康の嫌うところです。

 このように家康は、信長の挑発を受け流しながらも、信長の目指す天下一統が、独善的な面、過酷な能力主義、自分以外の価値観を認めず皆殺しにする冷酷さを持っていることを一つ一つ確認していきます。何ためにこれをしていたのかは、第26回の最後に見えてきます。
 とはいえ、このようなやり取りのおかで、場の空気は殺伐としてしまいます。場を和ませるため、忠次が得意の海老すくいを踊ろうとすると家康が差し止めます。そして「上様の天下を祝し、三河のめでたき舞をご披露いたしまする」と自ら、満面の笑みで願い出ます。忠勤に励む一家臣であることを改めて、口上として述べ、場を収めます。信長は「全力でやれ」とだけ述べ、これまた家康の心根を図ろうとします。

 仮にも一主君が、他の主君とその家臣の前で笑われるために踊るというのは、へりくだりの極みです、それを堂々とやり切る度胸が家康にあるのかということです。果たして、かつて皆と交わらず、踊ろうとしなかった海老すくいを、家康は、完全に覚えていて堂々とした仕草で舞い始めます。
 今まで松本潤くんにこれを躍らせなかったのは、このときのためかと感心しましたが、忠次がやるような皆を巻き込む楽し気なものではなく、今の家康が内に秘めた哀しみをひた隠した上で笑顔をで舞うという演技がきちんと織り込まれた踊りになっているところが真骨頂。
 惜しげもなく、信長に媚びを売るように「天下布武!天下布武!」と歌詞に入れていく見苦しいまでのあざとさと滑稽さには、腹芸を見抜かれようとも、そして周りに嘲笑されようとも、今は追従を笑顔で貫き通すしかないのだという家康の静かな覚悟が見て取れますね。

 こうした家康の在り様を遠巻きに見つめるのが、忠勝、康政、万千代です。彼らは痛々しい表情で家康の振る舞いを見続けています。特に口をへの字にした忠勝の目には涙が溜まっています。これは、主君の不甲斐なさを嘆いた冒頭の悔しさではありません。何かを内に秘め、追従を貫く家康の我慢強さに感じ入り、そしてそれを信じなかった自分の愚かさに対する申し訳なさ、そうしたものが押し寄せているのでしょう。そこへ見計らったように、数正が一緒に踊るぞと声をかけるのが良いですね。こうして、瀬名たちが死んで以降、ギクシャクしていた家中がようやく一つにまとまろうとします。

 因みに家康が滑稽な踊りで周りから嘲笑されるのは、後年、聚楽第で開かれた秀吉の能楽の宴で太った家康が「船弁慶」中の義経役を舞い、笑いを取ったという逸話を使ったのではないでしょうか。この逸話は、家康は普段武芸に勤しむからこそ踊りをしている暇がないということだとその生真面目さを誉めたという秀吉の評価と、バカな振りをして相手を油断させる家康の老獪さを見たという清正の評価がありますが、今回は後者かもしれません。

 一方で、家康の海老すくいの滑稽さについ失笑してしまった光秀が、信長の大笑いを見届けてから改めて爆笑しているのが印象的ですね。金ヶ崎でも見られた光秀の信長への顔色窺いですが、自身の追従の見苦しさに気づいていないことが致命的ですね。信長の大笑いは、家康の覚悟を見て取り、その場を収めるものなのですが、彼はこれに気づいていません。そして、この家康の舞が、自身の姿であることにも気づいていませんね。

 事を収めて以降は特に問題もなく、早駈け、茶の湯など様々な歓待を滞りなく済ませていきます(早駈けだけは本音で楽しそうでしたから、あれは素の松本潤くんと岡田准一君に見えますね)。そして、遂に本能寺の変への道を開く「すぐに来い。今度は俺がもてなす」と安土城招待を信長は口にします。そして光秀は「私めが、饗応役を務めさせていただきます」と。このとき、光秀を見る家康の目つきに不穏なものがあるのは気のせいでしょうか。

 一方で信長は家康と別れて以降「あれは変わったな。肚のうちを見せなくなった」と述べ「化けおったな」と感心するかのような言動をしています。富士遊覧の返礼としての安土城招待は妥当なものですが、彼が本心を見せぬ家康を招く意図は何か気になりますね。改めて存念を聞くのか、安土城の威容で脅すのか、それとも成長を認めて胸襟を開くのか…全ては次回以降です。

(3)明かされる家康の本音と秀吉の暗躍
 さて、富士遊覧を終えたある夜、再び、家康は自室にて薬研を引き続けています。そこへ服部半蔵が現れ「伊賀国から逃れてきた伊賀者、100名ばかり匿っております。皆、信長に恨みを持つ者ばかり。いつでも動けるようにしておきます。」と報告します。家康が、信長の意向に反して伊賀者を匿ったことは事実ですが、そこに「皆、信長に恨みを持つ者」というあり得る情報をわざわざ付け足すことでこの匿ったこと自体に意図を感じさせますね。

 しかし、話を聞く家康は表情を変えることなく薬研を引きますが、ここで家康の心中が直接描かれます。それは瀬名に薬研の引き方、薬の調合の仕方を学んでいたときの記憶です。浜松へ拠点を移す際に教えてもらっていたあの日々でしょう。手取り足取り教えてもらう幸せな日々、そして瀬名の「相手を思って、心を込めて」薬研を引くのだという言葉が響きます。家康は人を想い、その人のために心を込めていた瀬名の生き方を思っているのです。信玄との対話といい、瀬名との対話といい、第26回で家康の心情が直接描かれるのは死者との間だけです。

 おそらく家康は薬研を引くたびに心の中に住んでいる瀬名の言葉を繰り返しているのでしょう。既にその思うべき相手を永遠に失われていますが、それでもなお彼は瀬名の抱いた夢を抱え「相手を思って、心を込めて」薬研を引き、何をなすべきかを考え続けてきたのだと察せられます。

 そこに忠次、数正、忠勝など主だった家臣らが揃って現れ「そろそろ存念を聞かせてほしい」と聞きます。彼らも耐えに耐え、そして築山・信康事変を彼らなりに背負い、ずっと悩んできたのです。改めて、家康と共にあるためにも、ここらが潮時と言うのです。そして、鼻をつままなければ飲めなかった薬を一気に飲み干します。彼が、味わった苦みは薬の苦みの比ではありませんから、最早、薬は苦にならないのでしょう。あるいは、薬研を引き、薬を調合するのは、心の中の瀬名との対話ですから、その薬を苦いと思うことはないということかもしれません。


 そして、「ワシもそう思っておった」と語り、家康は決心を二つ語ります。一つは、「信長を殺す」こと、そしてもう一つは「天下を取る」ことです。「信長を殺す」という発言は衝撃的ですが、信長への恨みと取るのは早計です。その後に続く「天下を取る」という言葉のほうに比重があり、「信長を殺す」のはその過程でしかないからです。しかも、信長を「殺す」のであって「討つ」とも言っていません。敵討ちということではないとわかります。そして、この言い様には直接、手を下す以外のニュアンスが盛り込まれていると思います。

 信長の言った「恨んでおるのは別の誰かか?」という指摘は正しかったのです。ただし、それは信長ではありません。何故、瀬名と信康は死んだのか、何故、彼らを「愚かな妻と子の不行状」として死なせたのか。自分自身の不甲斐なさへの絶望と怒りが、数年経てもまだ家康の根底で燃え続けていたに違いありません。決意を語る家康の暗い横顔、伏し目、そして彼の影を際立たせるライティングが、それを象徴しています。恨むべきは自分だからこそのこの表情なのです。

 そして、二人を供養するには、自分自身が天下人となり「戦のない世の中」を実現するしかありません。それには、自分以外の価値観を許さない覇道に生きる天下人の存在が邪魔です。一方で彼の元で天下が集約されつつあり、自分はその元で有力な大名です。だとすれば、彼を取り除いてしまうことが、自身の天下取りの最短ルートです。しかし、自分が直接手を下せば、「戦のない世の中」を実現する者がいなくなってしまいます。必然的に誰かに殺させるしかありません。
 ある種の後ろ暗さも自らが引き受けようとする覚悟。それゆえに、家臣にすら容易に本心を明かさなく、いや、明かせなくなったのかもしれないですね。

 さて、こう考えていくと、実際にどこまで描かれるかは別として、家康自身が本能寺の変、あるいはそれに類するものを画策していくことになるのかもしれませんね。そうなると、家康の三大危機として知られた伊賀越えも様相が変わって来るでしょう。例えば、光秀に信長討たせておいて、自らは伊賀越え、最短ルートで岡崎に帰還し、光秀を討つ。この方法ならば、労せず天下は家康の元に転がり込みます。そうなると、「何故、家康が伊賀越えか出来たか」ではなく、「最初から伊賀越えは計画されていた」という別解が出てきますね。

 ただ、問題は秀吉です。序盤の鷹狩で彼は、家康に一物ありと見抜きました。だから、弟秀長に「弟よ、家康から目ぇはなすな。ことによるとおもしれぇことになるやもしれん」と相変わらず、死んだ魚の目でほくそ笑みます。既に信長の死を予見し、秀吉もそれを望んでいるのでしょう。秀吉が上に行くは、どうあっても信長は邪魔ですしかありませんから。彼は、自分のためになるならどんなものでも利用する冷酷さがありますから、信長に恩義を感じていません。家康が思う駒になりそうなことが嬉しいぐらいでしょう。

 となると、家康の計画が事前に漏れていたら、中国大返しもよりスムーズに済み、出し抜かれてしまうかもしれませんね。どちらにせよ、秀吉の信長を除きたいという本心は、家康の「信長を殺す」という思いが開いてしまったのかもしれません。そして、それは秀吉の天下取りという史実の幕開けです。だとすれば、家康にとっては最も皮肉な展開になる可能性がありますね。

 もっとも、どういうルートで本能寺の変が起こり、彼らがどう関わるのかは、実際はわかりませんので、余談は許しません。家康はいずれ殺すぐらいのつもりだったのが、事態が自身の予測を急転直下を迎えてしまい、おろおろと伊賀越えする羽目に…という情けない展開もあり得ます(笑)
 とはいえ、色々想像する楽しみは増えましたね。



おわりに
 第26回、表向きは、富士遊覧という凱旋旅行を背景に、未熟ながらも腹芸を見せ、瀬名に託された夢を自身への怒りと悔恨から指向していく家康の転機が描かれました。しかし、その中で際立つのは、実は、富士遊覧に参加した家康でもなく、信長でもなく、中郷地方にいるはすの秀吉という皮肉ですね。つまり、家康の思いが秀吉の野心の実現の道を拓いたという構成によって、秀吉が家康以上の策士であることが示唆されたというのが、第26回の裏シナリオです。

 ここで考えるべきは、何故、家康は秀吉に利用されるのか、あるいは出し抜かれるのか、ということです。一つは、家康が最短ルートで天下取りを実現しようとする性急さに、彼の未熟さがあるということです。物事には不可抗力が多いことは、瀬名の謀の瓦解で見えているはずです。それでも、なお思い詰めているのは、家康はまだ瀬名と信康の死を完全に克服し、天下を取ると言っているのではなく、哀しみを引きずり続けているということなのでしょう。

 そして、哀しみを引きずり続ける限り、冷酷で人を利用することしかしない究極の自己中心的な人物である秀吉には発想でもスピードでも追いつけないでしょう。そして、この事実こそが、瀬名の謀が破れた本当の理由です。本作の作り手は、瀬名の謀を志の高いものとしながらも夢想家の思いとして儚く散らせました。それは、瀬名には決定的な視点が欠けていたからです。

 以前、note記事で瀬名は性善説に立つがゆえに、信長や勝頼の気持ちが分かっていないという話をしました。彼女は戦から離れられない人間の愚かさや欲望を知らなさ過ぎたのです。
 人殺しはいけない、だから戦争はいけないという素朴な平和主義の考え方があります。尊いですが、これが実現しないのは、その逆の戦争のことに対して全くの無知だからです。戦争を熟知する者しか戦争を止める方法は思いつけない、つまり平和は戦争を熟知した上での産物なのです。哀しいことですが…

 話を戻します。秀吉は、自分のためなら何でも利用し、誰でも使い捨てる冷酷さを持っている自己中心的な人物です。それでいながら、妙なカリスマを持っている。こういう人間を俗にマキャベリストと言いますが、この語源であるルネサンス期の思想家マキャベリの言葉に「天国へ行く最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。」というものがあります。この言葉、まさに先ほどの戦争と平和の問題と相似を成していますね。
 となると、瀬名たちのことを胸に想い続ける心優しき家康は、秀吉に勝つため、秀吉のマキャベリズム的な側面を呑み込まれないようにしながらも、学んでいかなければならないことになります。

 つまり、第三章における家康のテーマは、「戦のない世の中」を作るため、自身の心の優しさの対局にいる秀吉の冷酷さを学び、そして平和な世のため、いかなる戦にも勝てるよう戦も熟知していかなければならない、ということになるのでしょう。しかし、これを学んだ松本潤くんの家康の先は、「人に上に立つ者は心に鬼を住まわせねばならない」と言った「葵 徳川三代」の津川雅彦さんの家康しかないかもしれません。独自の答えを彼が見出すのを期待したいですね。

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