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「どうする家康」第24回「築山に集え!」 瀬名の謀の脆さと勝頼の野心の愚かさ

はじめに

 第24回は、いよいよその全貌が明らかになった瀬名の謀(はかりごと)の顛末が描かれました。それは、何故、瀬名は悪女、築山殿として、信康は粗野な嫡男として、逸話に名を遺さざるを得なかったのか、その経過の一端が語られる回でもあります。

 ところで、今回の軸となる瀬名の平和主義的な計画を見て、夢想家、理想論、幼稚、浅はか、机上の空論と拍子抜け、あるいは小馬鹿にするように思われた視聴者の方々もいらっしゃったのではないでしょうか。また、革新的なその思想は、戦国の世には余りにもそぐわないと思った方々もいらっしゃるかもしれませんね。

 一方で瀬名の夢を家康たち同様に肯定的に見て、応援する方々すらも、榊原康政の「渡るには危なすぎる橋」に思わず頷いてしまったのではないでしょうか。

 そして、視聴者の危ぶむ思いどおり、勝頼に「ままごと」と断じられ、彼の野心によって裏切られ、この計画は頓挫することとなりました。しかし、彼女の夢を利用し、見事に裏切り破壊した勝頼の策略や判断が優れていた、あるいは正しかったのかとなれば、その後の武田家の命運からして正しいとは言えません。結局、彼は自ら乱世の論理に呑み込まれ、自滅の道を選択したに過ぎませんから。
 つまり、本作では、瀬名の夢もそれを砕いた勝頼の野心も空しいものとして同列に扱っているのです。


 このような脚本や演出のバランス感覚から考えると、作り手は、瀬名の企みが視聴者に幼稚な夢と思われることは想定済みで、更に劇中で彼女を叩く人間を信長ではなく勝頼にすることで双方の問題を炙り出そうとしているように思われます。つまり、瀬名の夢を肯定的にでも否定的にでも危ぶむ視聴者全員を巻き込み、現代にも通じる世の中の問題を問いかけようとしているのではないかということです。

 そこで今回は、瀬名の企みの詳細とその欠点、そして勝頼の愚かさを見比べることから、今後の家康が進む道について考えてみましょう。


1.慈愛の国~瀬名の描く将来の危うさ~

(1)瀬名の描く将来の中心にいるのは家康

 冒頭は瀬名の回想です。母、巴の遺言、お万の方から託された期待、絶望した大岡弥四郎、精神を病み尽くした信康、岡崎と信康を救えるのは貴方さまだけと言う千代の言葉と彼女の目の前で起きた出来事が連ねられていきます。以前のnote記事でも度々、触れてきたとおり、これらが瀬名の志の核となり、行動の後押しをするのです。


 ただ、瀬名はこの大事を家康には明かさず、秘密裡に進めていきます。彼女は、家康を信じていないのでしょうか。
 この点については、後の展開から分かりますが、先に少し触れておきましょう。瀬名は、「上手に出来ますように」(第1回)と願掛けをした初陣のときから、誰よりも家康を案じてきました。
 その心の傷の深さを常に共有できたわけではありませんが、元来、「泣き虫弱虫洟垂れ」の心優しい家康が心ならずも人殺しをしなければならない、勇ましい武将へと変わっていかざるを得ない、そのことにずっと心を痛めてきたのです。

    つまり、彼女の願う「戦のない世の中」は、心優しい家康を助けたいという想いがその始まり。とすれば、家康は、彼女の抱く「戦のない世の中」に絶対必要な人間です。ですから、家康から秘して進められるこの謀(はかりごと)は、家康を無視しているのではなく、寧ろ、その中心にあるべき家康を巻き込まず、守りながら進めようとしているのでしょう。
 だから「殿には最後に話すつもりでおりました」という台詞が中盤に出てくることになります。勿論、一人で抱えてしまう瀬名の独断専行の問題はあるのですが。
 彼女は第1回から根本の部分で全くブレていない人物と言えます。


 因みに本来ならば、家康だけではなく、息子、信康も巻き込むつもりはなく、これほど性急に事を進めるつもりもなかったでしょう。しかし、既に心を病んでいた信康を救うには謀に巻き込むしかなかった。それは、前回の記事で触れたとおりです。瀬名にかなりの葛藤があったことは、事を進めるにあたり「信康がやるなら」と彼に判断を委ねたことに窺えます。
 ただ、彼を巻き込んだことで、逆に瀬名の覚悟が強固になり、同志を得た安心もあったでしょうね。それは、武田方の諜報の将、滅敬(穴山信君)に向ける静かな笑みに表れていますね(対して信康はやや緊張の面持ち)。


 さて、瀬名と穴山との会談がどんなものであったかは映像のみで語られません。しかし、彼を説き伏せる瀬名の振る舞いを見つめる千代の眼差しに頼もし気な笑みが浮かんでいて、交渉が順調であること、また千代の心にも変化が徐々に訪れてきていることが察せられます。かつて「毒を飲まされる」と瀬名を警戒した千代もその大計に心惹かれてしまっています。
 それは穴山も同じで勝頼に報告に上がる際には、予想外の展開に言い澱みながらも瀬名のメッセンジャーに成り果てていますね(笑)

 

 穴山たちとの交渉を上手く進められた瀬名と信康は、築山より書状を各地へと飛ばし、久松長家×於大夫妻、そして今川氏真×糸夫妻が築山へと招かれます。両親の敵である氏真すら招くことができるあたりに瀬名が近視眼的な恨みつらみに囚われず、大局を見ていることが窺えますが、何よりここに集ってきた二組は、弱肉強食の論理が支配する乱世の大舞台から降りたことで、穏やかに仲睦まじく暮らす夫婦たちというのが重要です。
 ここで、以前の記事でも触れた家康の初陣に際しての瀬名の台詞(第1回)を再度、見てみましょう。


  瀬名は殿を戦に行かせず、共に隠れてしまおうかなどと思ったくらいに 
  ございます。
  どこかにこっそり落ち延びようかと。
  誰も知らない土地で小さな畑をこさえて世の騒がしさにも我関せず。
  ただ私たちと竹千代とこの子だけで静かにひっそりと。


 瀬名は、お手付き問題(第19回)を片づけた後、家康に「いずれ二人で暮らしましょう」と将来について語っていましたが、この世間から隠居然とした夫婦のあり方こそ彼女の理想形なのです(信康らは大人になりましたかた二人きりに変わっています)。
 そして、長家×於大夫妻と氏真×糸夫妻は、その理想を体現している二組と言えます。二組は、瀬名と同じく、乱世の論理を憂いています。だから瀬名が信頼して、この大計の相談相手として、仲間として声をかけたのですね。こうした点にも、瀬名の思い描く「戦のない世の中」の中心に家康がいることが分かってきます。

 そして、こういうところからも、瀬名というキャラクターが第1回から入念に構築されていることも見えてきますね。「どうする家康」にて家康と瀬名が恋愛結婚することについては、当初、時代考証の方々が反対したという話を漏れ聞いたことがあります。反対を押してまで、脚本家の古沢さんがそれを貫いたのは、今回の展開を見据えてのことだったのでしょう。



(2)現実に生きる家康の憂鬱~家臣の報告と信長の発破~

 とはいえ、瀬名の大計は、家康には秘密裡に進められます。瀬名の想いは届きようがありません。家臣たちから伝えられるのは、築山の不穏な動きばかり。信康の近臣以外は誰も入れず、家康の股肱の臣として浜松に置かれる平岩親吉も、信康の正室、五徳も例外ではないという鉄壁の守り。更に謎の書状が各地を飛び回り、訪れる者たちも怪しい者たちばかり。岡崎の離反だけは避けなければならないと数正は言います。

 この数正の弁は、築山・信康事件の原因が家康、信康の対立によるものという近年の説を踏まえてのものですね。つまり、浜松と岡崎という二元政治が双方の軋轢を生むことになったというものです。抱えている問題(最前線の浜松、信長との交渉窓口の岡崎)が違うにもかかわらず、同等の権限を持っていて、更に意思疎通が上手くいっていなければ歪みは起きます。「どうする家康」では、大岡弥四郎の謀反も含めて、そうした歪みが描かれていますね。

 

 さて、予想外の異常事態に目を白黒する家康ですが、どこまでも瀬名を恋女房としか思いたくないばかりに「妻と子を信用したい」「築山はそういうところではない」と抵抗します。
 これに対し、康政は、かつては民の声を聞く場だった築山は今や謀略の砦かもと危惧し、忠勝は浜松が故郷、岡崎と、自分たちの家族と戦うという事態を避けるよう訴えます。事は家康が思っている以上に切羽詰まっているのです。
 それにしても、家臣たちの状況分析はそれぞれ一々正しく、当初は凸凹だった徳川家臣団が有能な集団へと進化していることを窺わせます(おいら呼びの万千代が空気の読まない発言をしていますが、放置しときましょう(笑))。

 さて、こうした家臣団の諫言の中で注目したいのは数正の「信じれば物事は落着するわけではござらん」という一喝です。「信じる」とは、三河一向一揆のときに家康が「家臣や領民たちを信じるしかない」と悟ったこととつながることですが、それは単に無防備に無条件に信じていればよいということではありません。万が一のため、あるいはその人を信用するためにもきちんと現実を把握し、対処することが不可欠なのです。

 その用意を怠る危うさ、無条件に信じ切ってしまうことの愚かさは、今回の瀬名の謀が瓦解する顛末が示すことになります。数正のこの言葉、実は第24回を象徴するものになっています。哀しき築山事変の顛末と、古今東西、そして今なお戦争が無くならない理由が、この言葉に集約されているとも言えます。


 話を戻しましょう。こうした家臣団のもっともな主張に頭を悩ませる家康のもとに、久々に信長から鷹狩のお誘いが来ます。次の場面がナタを振るう信長という物騒な雰囲気であるのは狙い過ぎた演出ですが、それ以上に今の徳川の様子を問う信長の言葉が家康に刺さります。
 不安が顔に出るものの「変わりござらぬ」と答えますが、信長は「岡崎とか」と追求の手を緩めません。当然と応じ、忠次もそれを補足しますが、「五徳が色々申してきておる」と敢えて監視させていることを信長は伝えます。これにも夫婦は色々あると家康はとりあえず躱しますが、信長は「水野(信元)のようなことはあれで終わりしたいものじゃ」と追い打ちをかけ、釘を刺します。
 睨む眼力に本気が表れていますが、何せ信長は瀬名と武田の関係を知っているのですから、呑気そうに見える家康を心配して苛立つのは当たり前。相変わらずツンデレを拗らせている信長です。

 因みに信長は、天正4~6年にかけ集中して吉良に鷹狩りを名目に訪問してきたとされていて、今回の鷹狩は史実を踏まえています。実際に信長は、徳川家中の不穏な空気を察していたのでしょうね。これまでの鷹狩描写も巧い使われ方していますが、今回の描写への伏線でもあったかもしれませんね。

 とにもかくにも信長にここまで釘を刺されては、流石の家康も自身の尻に火が点いていることを認めないわけにはいきません。服部半蔵を使い、内定を進めるしかありません。


 そう言えば、半蔵が、大鼠に求婚していますが、傷が治らず焦り一刻も早く職務に復帰して稼ぎたいと願う女性に「おなごの幸せっていうのは、男にかわいがってもらうことだろ」というプロポーズの文言は最悪ですね。しかも花を手向けて気障なつもりなのが、最悪に拍車をかけています。大鼠の「殺すぞ」という返事は過激ですが、令和の女性陣の言葉を代弁したものかもしれません。

 女心の分からぬ半蔵は、自分がこうあって欲しいという勝手な願望、あるいは一方的な性的役割に女性たちをはめ込んでいる男性そのものとしてここでは描かれていますが、それは家康の瀬名に対する言動にも当てはまります。ユーモラスではありますが、男女のズレを象徴する場面になっていますね。


 大鼠による内定の結果、築山での様子は家康たちにとって不穏なものだということが明らかになります。瀬名にとって理想の夫婦を体現した二組も、家康にとっては、長家×於大は親族であった水野信元誅殺以来、疎遠な関係、氏真夫妻にいたってはかつての宿敵…どちらも信長に敵対しかねない胡乱な連中です。そして、武田の間者との密談も明らかになりました(千代が大鼠を見逃しますが、交渉相手である徳川の手の者を殺す必要がないと判断してのことでしょう)。

 彼らが、築山を訪れていること自体が問題、内容如何にかかわらず、知られただけで水野信元の二の舞です。信長の弁からして、五徳に感づかれていることも計算にいれなかればなりません。事ここに至り、家康は兵を内々に集め、大樹寺に集まる苦渋の選択をするしかなくなりました。

 

 この密談の流れで、家康と万千代が築山の話をしていることを聞きつけ、「いいなあ」「お方さまと読みものの話をしたい」と無邪気に語る於愛のほうが、築山の本質を語っているというのは皮肉が効いていますね。敵か味方かの二元論だけに生き、物理的に見えるものでしか考えられない家康たちには、瀬名の持つものが見えないということを表しているのでしょう。
   それにしても、今度は「伊勢物語」…於愛は六条御息所の件を見ても悲恋好きですから、男と二条后の別れを書いた「芥川」のくだりを意識しているかと思います(駆け落ちした姫を鬼に食われる話)。愛する男女が運命に引き裂かれる…家康と瀬名の結末の暗示ですね。
    こうした於愛による古典の引用を見ると「光源氏=家康」「男(在原業平)=家康」とも言えます。光源氏も業平も女性と深く関わった御仁。家康もまたそうして女性らと深く関わるのでしょう。



(3)瀬名の謀の正体~東国一円の貿易圏~

 大樹寺に集結した家康は、武田方が築山を訪れている現場を押さえにかかります。

 その直前にやってきた五徳が「わたしはこのことを父に伝えなければなりません。されど、それはしとうありません。五徳は信康さまをお慕い申しております」と自身が監視、内通の役割を持っていること、そしてそれでもなお信康のために生きたいと懇願するのが良いですね。第21回以降、一人で苦悩を抱えてきた彼女にも僅かながらのカタルシスが与えられます。
 築山・信康事件において、五徳はあまりよい扱いで描かれませんが、女性の生き方を掬いあげるように描く「どうする家康」では、やはり悪女一辺倒に描かれることはありません。


 さて、滅敬と千代との密談の場に家康らがいよいよ推参します。大鼠に見られたときから、既にこの事態を覚悟していた瀬名を始め一同は落ち着いた反応を示します。滅敬こと穴山も、誑かすつもりが誑かされたのはこちらだと笑って応じます。自らが危険な中でも険のない穴山の様子には、瀬名がいかに彼を信用させ説き伏せたかが窺えます。彼女の人徳と努力の賜物です。



 一触即発になりかけたものの、瀬名と信康の懇願もあり、家康たちは瀬名たちの言い分を聞くことになります。この際、瀬名が、ぽつねんと立っている五徳に「五徳も聞いておくれ」と声をかけ、ないがしろにすることなく気遣うのは、流石ですね。

 さて、瀬名は、書物と多くの人々から教えを請う中で一つの夢に至った旨を語り、家康に「人は何故、戦をするのでしょう?」と問います。家康は「わしが生まれたときから戦ばかりじゃ。考えたこともない」とはぐらかそうとしますが、瀬名は無言で再度問いかけます。こういう時の瀬名の頑強さをよく知る家康は気圧されるような阿吽の呼吸で、慎重に「貧しいからじゃ」と答えます。家康も瀬名も三河一向一揆を経て、戦の根源が貧しさにあることを実感しています。だから、それを無くすには、民を富ませるしかないことは分かっているのです。それゆえに家康は「民が貧しければ、他から奪うしかない。そして、奪われれば奪い返す」と続けます。

 そこで「それでは多くの者が犠牲になります」とピシャリと言い返す瀬名に、家康もまた「それは致し方のないことじゃ」と現実的にはそれしかないと伝えます。おそらく、瀬名の言った犠牲は、三方ヶ原合戦を経験した家康には痛いほど分かっています。それでもそう答えるしかないところに家康の諦めが見えますね。しかし、そんな家康に、なお瀬名は「そうでしょうか?」と余裕をもって否定します。


 訝しむ家康に瀬名は「もらえばよい」と説き、それぞれが得意の分野で補うことを提案し、「相手が飢えたる時は助け、己が飢えたる時は助けてもらう。奪い合うのではなく、与え合うのです。さすれば戦は起きませぬ。」とまとめます。

 度々、描かれてきた瀬名たちの共に手を携える、手を取り合うというあり方の究極は、この与え合いのことだったのですね。思えば、ここに至る伏線はそこかしこに散りばめられていました。分かりやすいのは、駿府時代の瀬名と田鶴ですね(第11回)。ここで二人は団子を買い、笑いながらお互いにそれを与え合おうとしています(対する信玄と家康は団子に見立てて、領土の奪い合いの約定をかわします)。

 そして、信康も「私はもう、誰も殺したくはありません。戦をやめましょう」と続きます。この際、ピントがあっていなくてボヤけていますが門番をしている山田八蔵が頷く細かい演出が良いですね。岡崎クーデターで死んでいった謀叛人たちの思いも引き受けた言葉になっています。

 彼らの思いもよらない大計に呆気に取られ、真摯な思いだけに言うべき言葉を失う家康の表情が印象的です。それができたら…という思いが内心芽生えている、その揺れが窺えますね。


 しかし、現実主義の家臣らは簡単でありません。その非現実的な甘い考えに、忠次は「それは理屈です」と返し、数正は、徳川と武田は既に殺し合い過ぎて恨みを持ってしまった以上、手を携えることは不可能だと付け加えます。そして、何よりも覇道を歩む信長に知られたらひとたまりもないことを恐れます。
 これを受け、ようやく瀬名は、武力で弱者を併合せず、助け合うシステムを備えた慈愛の国の構想を信康と共に語ります。



 瀬名の構想は、簡単に言えば、東国一円を囲う貿易圏という構想でしょう。政治も合議的な協力体制を取るとの信康の発言からすれば、発足時の欧州連合(EU)の発想に近いかもしれませんね。あくまでイメージの話ですが。勿論、全ての必要な者のところに必要なだけ分配されることは、利益の分配としては理想的ですが、実際はそうなりません。かなり素朴な経済観念と性善説によって成り立つ実現不可能な策と言えるでしょう。ですから、そうした問題点を言い出せばきりがありませんし、またそれをあげへつらうことも揚げ足取りに過ぎず、ドラマを観る上で生産的とは言えません。


 そこで、瀬名のこの提案が、今後の家康にどういう意味をもたらしたのかという今後のドラマを見据えた意味を考えてみましょう。
 彼女の構想で重要なのは、天下を治めるには全国規模の流通、経済活動が必要性を示したことです。これまでの家康の領国支配では、米の取れ高など内向きにしか経済を考えてこなかったのでしょう。それは、瀬名の構想の要である貿易圏における統一貨幣の制定という信康の言葉に、忠次や数正すら呆気に取られている様子が象徴しています。


 後に家康は征夷大将軍になった際、徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ五街道の整備を始め、二代秀忠の代に完成させています。この整備というのは、具体的には道路制度の改革、道路幅の拡張、宿場の設置、一里塚、朱印状で宿場ごとに伝馬を常備などがあります。軍事的、政治的な目的もありますが、流通の要になっていくのも事実です。

 また同時期に貨幣制度も武田の四進法の制度を使って統一し、また大きさや重さ、金銀の含有率を揃えた大判、小判、一分金、丁銀、豆板銀といった金銀貨を発行しています。

 つまり、瀬名の構想は、家康に天下という大局を経済的な側面から考える視点を与えたことにあるのでしょう。そしてこの経済的な基盤の充実が、260年ほどの泰平の世の礎になるのも事実です。

 もっとも、貨幣経済は、瀬名の考えるような慈愛では動かないことを我々は知っていますが、それはまた別の話です。


 ともあれ、領民をいかに富ませるか、そのシステムが構築できれば、武力に頼らず、徳治による政治が可能になるという視点は、家康には極めて新鮮に映ります。ただ、それは信長の覇道とは相いれないものですから、五徳は心配を口にします。そこで、もっと多くの人々を引き入れ強固なシステムを作るために動き出している証拠として、瀬名は二つの書状を家康に渡します。一つは、久松長家、もう一つは今川氏真です。



 実は、瀬名が、家康に語った「途方もない謀」、彼女一人の力で今の形になったのではありません。彼女に賛同した人々の思いがそこに重ねられています。例えば、瀬名の企みを聞いた於大は「素晴らしい考えじゃ」と絶賛し自ら国衆たちへの根回しを買って出ます。応じた長家は「信長さまに気づかれぬが肝要」と助言し、更に「大きな大きなつながりにしましょう」と実現のために広く人脈作りと根回しをすることを提案します。
 このとき、瀬名は「大きなつながり」という言葉に軽く驚いた表情を見せます。瀬名は自分の考えたことが自分の考えている以上になることを長家の言葉から気づいたのですね。

 因みに長家は、隠居後、三河一向一揆で破却された寺院の復帰など領民たちに尽力したとされています。瀬名の謀のために民や国衆たちに広く人脈を作ろうとしたという今回の展開は、それなりに説得力がありますね。良心の呵責から隠居した「どうする家康」の長家にとっては、この企みに乗ること自体が、贖罪にもなり、救われることになったでしょう。こうして、瀬名の計画は、国衆というミニマムなレベルで広がりを見せ始めます。


 そして、協力を申し出た氏真と糸のほうは、国同士が結びつくというマクロレベルでの話です。糸は徳川と武田が結べば、必ず北条も乗り出すからきっと結ばせて見せると請け負います。これは、実現すればかつての甲駿相三国同盟の再来を意味していますから、実現不可能とは言えません。そして、氏真は駿河、相模、甲斐、奥州、越後など東国全体の結びつきを想像し、「これほど夢のある謀があろうか」と顔を綻ばせます。
 この氏真の反応に得心したように頷く瀬名が印象的です。東国一円を結ぶ貿易圏の発想が、瀬名の中で確信に変わった瞬間です。このようにミクロ、マクロ双方から実現へのつながりを作り始めているのです。

 おそらく、穴山と千代とのやり取りや信康とのやり取りの中にも瀬名が学ぶべきところがあったはずです。彼女一人から始まった企みは、多くの人の意を受けてより明確な形となり、名実共に「途方もない謀」へと成長したのでしょう。周りの思いにも支えられ、瀬名の謀は独善的な面を残しつつも、それでもより確かなものへと進んでいきます。その確信があればこそ、家康や五徳、忠次、数正といった家臣たちに共に夢を見てほしいとの懇願できるのです。



 それでも、この計画は、完成にこぎつけるまで信長に気づかれないことが肝要です。極めて、危険なことです。その不安を拭い去ることは不可能です。ですから、瀬名は「全ての責任は私が負います」との一言を添えています…これを思い上がりと取る人もいるでしょうが、皆の責任を持つという意味ではありません。
 瀬名のこの言葉は、万が一の場合は、自分を謀反人に仕立て上げて切り捨てろという意味です。武田に通じた独断専行の裏切者の悪女という築山殿の逸話は、こうして瀬名自らが申し出たことから生まれたのです。

 その発想のスケールの大きさと覚悟に、家康も瀬名への見方を「なんというおなごじゃ」と変える以外にありません。


 一方、家臣たちの反応は様々です。岡崎に留まり、武田の侵攻もありボロボロになっていく故郷を実感する鳥居元忠は瀬名を絶賛し、無条件に賛同の意を表します。一歩引いて大局を見る康政は実現に向けてのハードルの高さを気にしています。ただ、危ぶむものの明確な反対は避けています。
 恨みが多くて無理だと言うのは万千代です。同意を求めた忠勝が「わしは恨んではおらん。武田の兵の強さには敬意を持っておる」と武人らしく返します。これは、忠勝が、設楽原で散った武田の勇将を「これほど血が騒ぐ」相手は二度とないと悼んだとされることを引き受けての台詞です。彼の職業軍人的気質と割り切りが興味深いですね。こうした敬意を持つ人々がいるからこそ、武田の遺臣たちが徳川方に降れたのかもしれませんね。もっとも、その遺臣たちを配下に加えることになるのは万千代なんですが(笑)

 こうして、全ては家康に一任され、家康は自らの思いを確かめるべく築山へ戻ります。



2.途方もないがゆえに瓦解する謀

(1)ようやく向き合うことができた家康と瀬名~束の間の幸せ~

 ところで瀬名は何故、「殿には最後に話すつもり」だったのでしょうか。先に述べた通り、危ない橋を渡る危険から家康を最終段階まで遠ざけておくつもりであったことが大きいでしょう。

 しかし、一方であまりにも大きい謀です。それだけに「家康に相談することもなく独断専行したためにその後の悲劇を招いたのでは?」とか「家康に相談してから事を進めていれば、別の選択肢があったのでは?」という疑念を招きそうです。


 しかし、この夫婦、似た者同士ではあり、お互いを想い合ってはいますが、分かり合えている夫婦だったのでしょうか。そう考えると、「殿には最後に話すつもりでおりました」には、信頼と不信の両義性が見えてきます。

 そもそも、瀬名が家康に最初から相談することが出来たでしょうか。そのためには、お互いの夢を共有し、実現する仕事のパートナーとしての関係が成立していなければいけません。しかし、家康は彼女にそうしたパートナー的なものは求めていませんでした。

 これまでの記事でも何度か触れていますが、三河一向一揆では、家臣や民の思いや家康の強硬手段の問題点についての瀬名の的確な助言に、家康は聞く耳を持ちません。寧ろ「おなごは政にかかわるな」という叱っています。然るべき身分の男だけが政治にかかわるものであるという姿勢は、家康に一貫しています。だから、現在も小姓である万千代が評定で思わず発言することについて、その言い分が何であるにせよ発言自体を許していません。


 また、瀬名が家康の政のために、民の声を聞き、それを伝えようとしても真剣に取り合って聞いてはいません。瀬名に求めるのは癒しだけです。そして、どこまでも家康が守るべきか弱い存在として見ているのは、前回の「瀬名はただ草花が好きなたおやかな妻じゃ」という言葉が象徴していますし、自身の妻の有能を今更知り「なんというおなごじゃ」としか言えません。家康は完敗です。


 そして、三方ヶ原合戦直前の築山での語らいでは、「戦は何故なくならぬのでしょう」という瀬名の問いに「乱世で弱さは害悪じゃ」と瀬名の願いとは逆の答えを残し、瀬名に弱さの象徴たる木彫りの白兎を預けていきます。瀬名は、その弱さと優しさが家康の本然だと説き、いつか取りに戻ってきてほしいと伝えましたが、その想いは通じているでしょうか?信長に従い、粛々と戦い続けるばかりです。


 このように家康と瀬名は、政治的な想いについては、向き合うことなくすれ違い続けてきていました。それは、家康が瀬名に自分のイメージだけを押しつけていたことに大きな原因があります。角を立てなかった瀬名にも問題があるかもしれませんが、家康は仮にも主君ですから立場を立てないわけには行きません。

 ですから、この計画を家康に話しても、おなごの戯言と一笑に付されただけでしょう。念入りに計画し、準備し、お膳立てしなければ、とても信じてもらえそうにないというのが瀬名の立場だったのです。それは徳川家臣団の体質でもあるのでしょう。だから、瀬名は家康と通ずる股肱の家臣たちにも一切、話を漏らしていません。

 


 後、仮に聞いてもらえたとして、この家康が信長に計画を気づかれないように振る舞ってくれるかどうかに自信がなかった可能性はあります(苦笑)家康は割と顔に出て、腹芸が出来ませんから。まして、長篠前夜の岡崎城での罵り合う大喧嘩を見ては、ちょっと無理そうと思ったかもしれません。
 その場合は、瀬名のほうに多少の侮りがありますね。瀬名にとって、家康はいつまでも「泣き虫弱虫洟垂れ」だったということになります。まあ、夫婦が互いに昔のイメージのままでいるというのは、往々にしてあるかもしれません。


 ただ、瀬名は一方で家康を、その優しさという本質をとても信頼しています。瀬名が、家康なら「厭離穢土欣求浄土」を実現できる気が「なんとなく」すると言ったのも、彼の優しさがいつか人々を救うと信じての発言ですし、また築山に庵を結ぶこと、岡崎で信康らを見守る選択を尊重してくれること、瀬名のワガママの数々は家康が寛大だからこそ叶えられてきたことです。

 だから、全てのお膳立てが出来て、話をすればきっと理解してくれるに違いないと思い、また最後は優しい家康の手でこの夢を叶えてほしいと願っているのではないでしょうか。そうした甘えもまた、「最後に話すつもり」という言葉からは察せられると思います。

 そもそも、彼女は家康の寛大さのおかげで、様々なことを学び、「途方もない謀」という夢を抱けたことを自覚しています。それゆえ家康に、いつから考えていたのかと聞かれたときに「私なのかしら」「あなた様の中にもあったもののような気がします」と答えるのですね。駿府で会った時から「泣き虫弱虫洟垂れ」の優しい家康をずっと変わらずに愛してきた彼女だからこその言葉です。

 そんな彼女の言葉に、家康の脳裏にこれまでの命がけの苦しい選択の数々、苦い思い、家臣たちの死がフラッシュバックします。ようやく彼の中で瀬名の思いが得心できたこの瞬間、夫婦は同じ夢を見ることが出来たのです。

 

 結果、徳川家一同は武田家と示し合わせて、戦っている振りをするという長い年月をかけた芝居を打ち始め、その間に水面下で交渉を進めることになります。

 勝頼が応じたことを確認した後は穏やかな夫婦関係、親子関係が描かれます。父に本音が言えた信康は、ようやく家康と向き合い、夢に向かって語らえるようになりました。
 優しく息子を見守り、心から笑うような松本潤くんの自然な表情が魅力的ですが、これは、お互いが深く傷ついたからこそなんですよね。信康は無辜の僧侶を自身の乱心で斬り捨ててしまっています。このことに対する後悔と戦場で多くの者を殺してきたその贖罪の気持ちが、母の語る夢に邁進することで救われているのです。
 そして、息子をそこまで追い詰めてしまったのは、信長にひたすら従順であった自身の政策であったとわかる家康もまた息子に申し訳がなく、埋め合わせをしようとしているのだと思います。


 こうして数年経つうちに信康と五徳の間には次女が生まれ、一家団欒を過ごします。ようやく信康に、瀬名に、家康に本音が言えて、名実共に心から徳川家の一員になれた五徳の完全に打ち解けた幸せそうな笑顔が印象的ですが、この後の信康の悲劇を思うと素直に「良かったね」と言ってあげられないのがなんとも…

 因みにこのとき、信康と五徳の婚姻の日が大変だったということで「鯉が…」と話していますが、これは信康・五徳婚姻の信長からの引き出物として大事にせよと言われた鯉を家臣が食べてしまうと山岡荘八「徳川家康」のエピソードですね(笑)元ネタは講談「鈴木久三郎 鯉の御意見」。細かいネタを入れてきますね。


 徳川×武田の戦う振りをするだけ策はしばらく通じたようですが、流石に安土にいる信長は未だに高天神城すら落とせないことを訝しんでいます。通説では、高天神城を奪取出来なかったのは武田方の守りの堅牢さだけでなく、徳川方の失策も大きかったのですが、それを戦う振りをするだけでやる気がなかったからとしたのですね。因みにこの件について「慎重すぎるのでは」という書状を信長は送っており、この件で佐久間信盛も叱責されています。ですから、この場面は通説に従った場面なのですが、岡崎の動向を疑うことに使ったのは巧いですね。

 しかし、叱責する信長が「家康に何かあったら、責めを負うのはお前だぞ」と主体の対象が「徳川」ではなく「家康」になっているのが苦笑いですね。心配の対象と理由が完全に個人的事情になっています。もっともそれゆえに、瀬名と信康の命で事が済まされるのかもしれませんが…
    どちらにせよ、信長の深すぎて暑苦しい家康愛に振り回される佐久間信盛は、その鈍さも含めてちょっと気の毒ですね。



 ところで、家康の優しさから、家康を守りたいという思いから生まれた瀬名の謀は、夢としては美しいですが、決定的な弱点を持っています。慈愛の国…それは、彼女は人の良きところしか見ていない証拠です。確かにその慈愛があればこそ、貧しさが戦の原因と見抜き、安心して暮らしたいという民のささやかな願いを掬いあげ、人々の厭戦気分を巻き込むことには成功しました。論理的に考えれば、相手が強ければ迂闊に攻めてはこないのも道理でしょう。


 しかし、人は理屈ではありません。人には、飽くことのない欲望があります。そして聡明ではなく愚かです。仲良く分配などはしない。自分が必要以上に人より沢山得ようとするものです。その理由は様々です。また、既に手に入れたものを手放したくないという欲望もあります。瀬名の頭には朝廷がありませんでしたが、彼らのような既得権益の塊は、力づくでない限りそれを手放すことはありません。その飽くなき欲望こそが、弱肉強食の論理を支え、乱世を終わらせないのです。


 ささやかな生活を願い、足ることを知る瀬名ゆえに、信長や秀吉や勝頼のようなあり方を理解しきれないのです(信長は乱世を終わらせる理想が当初ありましたが)。そして、彼らと共にある男性的なホモソーシャルな社会は、彼女の発想を受け入れられない強固さを持っています。そして、そんな勝頼をただ信じたことが、決定的なミスとなって、瀬名の計画は瓦解することになります。


 また、彼女の構想は、あまりにもスケールが大きく、その展望は遠大で果てしないものです。ですから、現状は、おそらく、様々な国衆に思想を理解してもらい、同意をもらう根回しが精一杯であり、その構想の基盤となる統一貨幣の問題などの具体的な案は整っていなかったのではと言う気がしています。

 だとすれば、風呂敷が大きすぎて畳めない…それが瀬名のもう一つの欠点です。言い換えるなら、強力に推し進める力と具体策を立てきれていない志なのです。それらを伴わなければ、人は夢を共有し続けることが出来ません。ですから、常にどういう利があるのか、どう実現が進んでいるのか、相手が求める現実的な何かを提示する必要があります(穴山や千代に対しては出来ていたようですが)。
 数正の言うとおり、相手を信じるだけでは解決できません。相手を裏切らさせない力、また相手を信じさせ続ける具体策がない理想は無力です。

   ただ現実主義的な目線が欠けていることを攻めるのは、政に関わらせてもらえなかった瀬名には酷かもしれません。この点において、瀬名の頭が良すぎ、かつ他人を慮るゆえの独断専行の弊害があります。
  現実を知る家康ともっと早く向き合い夢が共有出来ていたら、違った方策はあったかもしれませんが、それが出来ない夫婦であったのですから仕方ないところです。




(2)信玄の思想を履き違えた勝頼

 一方の武田家ですが、何故、穴山は瀬名の策に堕ちたのでしょうか。瀬名の人徳、理想のスケールの大きさに圧倒されたこともあるでしょうが、それ以上に武田家の内情が厳しかったことが大きくあります。

 だからこそ、彼は勝頼に「戦い続けて先に倒れるのは武田」という見通しを示しています。この指摘は、かなり的確で設楽原の敗戦以降、外交を駆使し領土内を安定させますが、一方で戦によって大きく他者から奪えないこと、金山の枯渇の可能性から税の徴収が上がり、民衆の不満も高まりつつありました。こうした領土内の引き締めるために、信玄以来の慣習を変えて新たな法の制定を行い、自身の権力強化を行いましたが、これはただでさえ敗戦で同様していた旧来の国衆たちへの求心力の低下につながっていきます。
 そもそも、信玄の西上作戦が甲斐のジリ貧状態の打破から行われた作戦であることを考えれば、戦えば戦うほど余裕がなくなるのは当然でしょう。

 ですから、勝頼がこの提案を渋々ながら了承したことは、家中のために見えたはずで、それを疑う者は誰もいなかったのでしょう。



 しかし、二つの内々の同盟が数年をかけ確かなものになりつつあることを確認できたところで、突如、勝頼は「築山の謀略、世にぶちまけよ!」と流言(事実ですが)を織田方に流し、双方が潰し合うように仕向ける命を穴山と千代に下します。

 勝頼がいつから、そのつもりだったのかは、様々な憶測ができるためわかりません。最初から頃合いを見て裏切るつもりだったのか、それとも数年の間に武田家のジリ貧が進んだからだったのか、そして、勝頼の言葉どおり「おなごのままごとのごとき、はかりごとには、乗れん」と我慢がならなかったのか。
 戦闘民族として描かれる「どうする家康」の武田軍団は、ヤクザ集団の織田家と同じく極めて男性的なホモソーシャルとして描かれています。そのトップに立つ勝頼にとって、女性の意のままに生き延びることはプライドが許さなかったことだけは「仲良く手を取り合って生き延びるくらいなら、戦い続けて死にたい」という言葉からも察せられます。平和主義を絵空事としてなじるというよりも、ぬるま湯のような関係に甘んじてプライドが傷つくのが嫌という非常に個人的な思いだけがそこにあります。


 ようやく拓けてきた武田家が生き延びる道を失うと抵抗する穴山に、勝頼は「信長と家康の仲が壊れれば、わしらはまだ戦える」(信長の家康への偏愛を知っていれば、この可能性はないんですが)と説き伏せようとしますが、穴山は失望を隠さず「それでは人心を離れまする…」と苦言を呈します。卑怯なやり方に対して求心力を失うこと、税の徴収も厳しく、戦費も賄いきれないなど様々な事情が、穴山の脳裏をよぎったのでしょう。しかし、「それも構わん」の一言。


 最早、勝頼は、武田家家臣、国衆、そして領民も気にしていません。ただただ自分の意地を通すため「この世は戦いぞ。戦いこそが我らの生きる道ぞ」と続けます。この発言は、信玄の真意を履き違えていますね。武田ルシウス信玄は、民や家臣が戦わないと生き延びられない環境だから、彼らを戦闘民族にしたのですし、また彼らを食わせるために他国への侵略という覇道を選んだのです。彼にとって戦いとは生きるための手段です。戦うために生きているわけではない。
 しかし、勝頼は本末転倒、手段が目的化しています。それどころか、自身の名誉とプライドをそこに重ね「天下を手に入れ武田信玄を超えることのみじゃ」と叫びます。


 この台詞を聞いた瞬間の望月千代女の表情が印象的です。「もうコイツはダメだ」という勝頼へのあからさまな蔑み、そしてようやくここまで来た「途方もない謀」がこんな主君のワガママで潰されてしまう哀しみ、それが瞳にわずかばかりに光る涙に凝縮されています。
 この表情には、千代が瀬名とのやり取りの中で一人の人間として心を取り戻したこと、瀬名の絵空事に自身の本心を重ねるようになった想い、そして夢の実現のため奔走した日々、それらが垣間見えますよね。古川琴音さんの芝居の巧さに脱帽です。


 「天下を取る」という勝頼のこの言葉は極めて空虚です。彼が天下を取るのは、父親信玄を超えるためだけです。信玄を超えた瞬間で終わるそこには、天下を取った後、どういう世の中を築いていくのか、どういう夢を皆に与えていくのか、将来に対するビジョンが全くありません。結局、彼は信玄に囚われ、敗北した設楽原の戦いから何も変わっていない、何も学んでいないのです。
 知略に長け、武術にも長けるがゆえに徒に自身の権力を強化し、領内を安定させる能力と手段は持っていても、彼には未来のビジョンがない。だから、穴山も千代も彼に失望し、彼から離れる最初の人心になるのでしょう。

 つまり、今の勝頼の本質は、将来への展望が全くなく武力を弄ぶ存在ということです。こういう力はひたすらに周りを不幸にする害悪にしかならないことは武田家滅亡でも明らかですが、その最初の犠牲者が、穴山や千代が武田を救うと信じた大きな将来を描く無垢な夢であることは皮肉としか言いようがありません。



おわりに

 瀬名の抱く慈愛の国構想は、その理念の気高さと関東一円を貿易圏にするというスケールの大きい経済戦略の二点が興味深いものでした。勿論、これは具体性がまだまだ伴わず、人の善意に頼るだけの稚拙なものでしかありません。それゆえに、勝頼のような独善的な野心家を封じ込めることすらできず、瓦解してしまいます。

 とはいえ、戦いに明け暮れ、奪うばかりの乱世の理屈を変えようとする確かな意思と方向性が、それに呑み込まれる強者たちからではなく、弱者たちから上がってきたことは家康にとって大きな意味を持つはずです。自分が考えたこともなかったアイデア、そしてそれを共有して実現しようとしたこと、その体験も大きいでしょう。


 瀬名が描くような理想論を笑う人は多くいます。しかし、平和主義的なことを願うことは、それほど愚かなことでしょうか。何の努力もすることもなく、最初から諦め、知ったかぶりで斜に構え冷笑する人が賢いのでしょうか。実現不可能な遠い理想に少しでも近づこうと、何か出来ることはないかと努力するようであってほしいし、そういう人たちを笑いたくない、そんな意思が今回の脚本からは感じられるような気がします。そのために、瀬名を、大きなスケールの夢を持てる人間として初回から長い時間をかけて育ててきたのかもしれませんね。


 ところで、瀬名の夢と勝頼の野心は対照的です。力なき志は無力であり、志なき力は他人に対して過酷です。どちらに寄り過ぎてもいけません。瀬名の描き二人で共有した慈愛の国を叶えるため、家康は何を考え、行動していくことになるのでしょうが、「どうする」を繰り返した先にその答えはあるのでしょうか。
 史実では、家康は結局、武力で関ケ原を治め、豊臣家を滅ぼしますが、その後、戦の無い世の中の大枠を完成させます。その葛藤は、これから本当に始まるのでしょう。

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