シロクマ文芸部掌編小説「ある先生との会話」
「紅葉鳥という言葉をキミは知っているか?」
「いいえ、知りません。先生。」
僕と先生は秋風に吹かれながら
夕暮れの赤く色づく公園沿いを歩いていた。
「名前の通り、鳥のことではあるんだが、もう一方で鹿の異名として使われることもあるらしい。」
先生は白く生えた顎髭を少々触りながら
「恥ずかしいことだが、私はこの歳になるまで紅葉鳥という言葉を知らなかったわけだが。」
「キミ、生きていれば、生きている限り、こうして知らない言葉を知ることができるんだよ。」
と厚い眼鏡の奥から、絶え間なく僕を見つめた。僕はその目線をもみじの葉に移して
「でも先生。紅葉鳥という言葉を知ったところで、それが人生の何の役に立つというのでしょう。そうしてこれから先、紅葉鳥のように知らない言葉を知ることが、果たして生きる意味などになるのでしょうか。僕はどうしてもそう思えません。」
と呟いた。
先生は一瞬困ったような顔をしたかと思えば、
秋の夕暮れに揺蕩うように静かに笑って、
その目尻の皺を濃くしながら銀杏の木を眺めるために立ち止まった。
「紅葉鳥という言葉自体を知ることはキミの言う通り、何の意味もないかもしれんな。だけど、言葉は点であり、色んな言葉を知っていくことでその全く違う点同士が結びつくこともあるんだよ。」
「どうすれば、結びつくのです?」
僕は先生の言葉一つ一つが紅葉のように美しく色づいてるように感じ、熱心に耳を傾けていた。
「それは勿論、人との関わりや、様々な経験。つまりこの先、生きていれば、思わぬ形で自ずと結びついていくものだよ。それが人生というものだ。」
先生はそう言うと再び歩き出した。
僕はその白衣の後ろ姿をしばらく見つめる。それからその赤く染まった秋の道を、真っ白な白衣へと追いかけるように僕も続いた。
「私はこのまま病院に戻るがキミはどうする?」
先生の優しい言葉が僕の胸へ落ちる。
「家に帰ります。」
そう言って、僕と先生は別々の道を歩いていった。
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