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場面緘黙*経験談


「場面緘黙」この言葉を知ったのは、28歳の時。

その時に「これ、私だ⁈」って衝撃を受けたのを覚えてる。

場面緘黙になったのは小3〜小6の4年間。
本当に辛かった。

私は学校で笑わない子になっていた。
私は、学校で笑ってはいけない子なんだって、その時思ってた。
そして、学校っていう場所でだけ、言葉が話せなくなっていた。

家では普通の小学生の女の子。
むしろ、お喋りだった。
明るくて、よく笑うし家族を笑かすくらいの。

親や家族には、学校で話せないことは一切言わなかったし、悟られないように上手に過ごしてた。

母親だけには小6卒業間際にバレて車の中で大泣きされてしまったけど、(要望あれば書きます。母親も私も場面緘黙って言葉すら知らない状態)他のメンバーはリアルに今も知らない。
家族にはこのまま知られたくない。

だけど、リアルで繋がってない、他の人には少しこんな経験した子もいたんだよって知ってて欲しいなって。

今、場面緘黙になった理由がわからずに苦しんでる人も、理由があって場面緘黙になった人も、千差万別だけどこんなパターンの人もいたんだなぁって。

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学校で場面緘黙になったきっかけは今でも鮮明に覚えてる。

本当に単純でシンプルで、えって思うようなきっかけ。

男か女かは忘れたけど、休憩時間に
「〇〇(←私の名字)が笑った」
って驚きながら、いたずらっぽく言われた。

意味がわからなくて「えっ???」って状態。
その時になって、
私って笑ったらいけなかったの?って..。

そんなに私が笑うことが珍しいの?って。
笑う笑ってないなんて意識したことがなかった。

今思えばそんなの全く気にしなくて良いし、
ムシすれば良いのに、
当時の私は変に友達に反発することとかが出来ない性格で、言われた言葉がすごくグサってなって、そこから急に笑いづらくなった。

笑いづらくなると連なって表情がなくなってった。
今思うと何で⁈⁈って思うけど、
あの時の自分には「〇〇(←私の名字)が笑った」
って驚きながら、いたずらっぽく言われたことが、本当に悪い魔法をかけられたみたいな言葉だった。

無表情になると同時に喋れなくなった。
そこから、小3〜小6まで4年間、学校で喋れなくなった。
場面緘黙になった。

世の中、場面緘黙でもその原因がわからない人は多いのかもしれないけど、私は原因があった。

いじめられても喋れないから、やられっぱなしで、服汚されたり、つねられたり、鞄に草入れられたり、暴言はかれても、口で何も抵抗できなくて、親にも先生にも言えなくて、

本当に心の中で無事に今日がいじめがひどくなく、時間が過ぎますようにって神や仏に拝んでた。
本当に。
自分でつくった変な呪文も心の中で唱えてた。笑

帰り道に自分を入れ替えて、ケロッとした顔で元気に「ただいまー!」って家帰って、
全然楽しくないのに、学校の話を楽しく親に話す小学生の自分、まじで女優だったって思う。

家族のことが大好きだった。
大好きな家族に学校で自分がこんなことになってるって、死んでも知られてたくなかった。

3者面談とか家庭訪問とか担任は
「学校では大人しくて、優しい子です」くらいしか言ってなかった。

本来、先生ならちゃんと学校で喋れてないこと親に言うべきだろう。
だけど、何も言わない担任にあの時は救われてた。歪んでた。

学校では自由に喋れない。
頷く、首を横にふるで意思表示。
国語の音読、授業で当てられた時は小さい声では答える。必要最低限のことだけ。
休憩時間の友達とのたわいもない会話は出来ない。

喋りかけられたことには心の中で答えてた。
辛いのは「ありがとう」って言いたいのに、声に出して言えないから、無視しているみたいになって、相手が嫌な気持ちになること。

心の中では本当に申し訳なくて、心の中で何度もゴメンって繰り返して、ありがとうって言って、でも、当たり前だけど声に出さないと伝わらなくて、でも声は出なくて、辛かった。

「「あ」って言ってみて」とかよく言われたけど、
辛かった。

小6の時、当時の担任が「笑ってはいけないゲーム」っていうのを学活か道徳かの時間で提案してきた。
担任は私を笑かしたいって思いがあって、それを提案してきたのが手に取るように伝わった。

担任は良い意味で提案してくれたんだろうけど、当時の私からしたらとんだありがた迷惑で、本当に苦痛で尋問の時間だった。

学校で笑えない話せないのに、学校という場で無理矢理に真逆の状態をつくる。

本当は笑いたい。
けど、もう複雑な色んな要因が絡みまくって、そんなシンプルなゲームで解決する問題じゃなくて、4年間もこの状態なのに、それを自分の意思じゃなく無理矢理に崩される恐怖。

笑えなくて、笑いを堪えるのが苦痛で唇噛みまくって、耐えて。下向いて唇噛んで必死に笑いを耐えて。ゲーム感覚じゃない、ケタの違う心からの耐え。

ゲームに対して堪えきれなくて楽しく笑ってる同級生が興味本位で私が笑ってるかをチラチラ見てくる。

なんてことをしてくれるんだ。
もう止めてよ!!!止めてよ!!
心の中で叫びまくってて、担任が笑かしにかかったとあるワードは今でも頭の中に残ってる。

これが、小3の「〇〇(←私の名字)が笑った」って言われた次の日とかだったら良かったのにね。

こんなと考えてたんだなぁ、小学生なのに。


こんな生活が続いてた。


場面緘黙から脱したのは中1。
このままじゃダメだって小6の終わりに自分で思った。

中学は近隣の4つの小学校がくっつき、4分の3は初対面の人になる。
4分の1は小学校の私をしってるメンバー。

中学でいきなり喋ったらびっくりされないか、
不安もすごくあったけど、
それよりもこのままじゃダメだと言う気持ちと、中1の最初をこのままで行くと中学3年間も場面緘黙のままいってしまう確信が自分の中にあった。

メガネをコンタクトに変えてもらって、
新しい制服、新しい学校。
腹くくって割り切って緊張しながら行ったのを覚えてる。

最初に喋った時には同じ小学校の子には驚かれた。
けど、私が想像してたよりもずっとリアクションは大きくなくて、案外こんなもんなんだなって。
少し安心したのも覚えてる。
勇気出して良かったって。

ただ、4年間全く友達と会話をしてなかったから、変に気を遣い歪んだ優しさ「嫌」って言葉が友達に対して言えなくて、友達に対して反論も出来ない性格になってて気が付けば、いじりが増えて、いじめに変わっていった。

家では必死に隠して、
今思うと自分にイライラするけど、
あの時はいじめられても学校ではヘラヘラして、部屋で泣いてた。

書けないような酷いことも、中学女子特有のグループ内でたくさんされた。

自殺が頭をよぎることもあって、誰もいない台所で包丁を手首に当てたこともあった。
けど、それを思い止らせたのは大好きな家族の存在で、私が死んだら悲しむ家族の顔を想像したら出来なかった。
逆に家庭環境が悪かったら死んでたと思う。

早く大人になりたかった。
自由になりたかった。

クラス替え諸々があってからいじめはなくなった。

学校では話すけど、家ほど心から自然に上手には話せない。ニセモノの自分。
部活だって、中1春にグループの子に合わせて入った全く興味のない部活。
中2からは部活に行かなかった。


高校は行きたい私立の高校があり、偶然にも同じ中学からは誰も行かない高校だった。

最初こそ緊張したけど、
そこでやっと心からの自分、自然な家と一緒の自分で学校生活を過ごせるようになった。

心からやりたい部活にも入った。
友達が入らなくても1人でもその部活を選ぶって決めてた。
高校は本当に心から楽しかった。


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今、私は接客業をしている。
週5日の8時間、スタッフやお客様と会話をし、部下さんの教育係も任され、自分で言うのもなんだが売上げも上位である。

今の私と会う人は場面緘黙経験者だなんて、全く思わないだろう。

今となっては嫌なことも普通に嫌と言える。
プライベートでは気の進まない相手とは絶対会わない。

大人になったきっかけで知ったのは自分がHSP気質だってこと。
HSPは4つにさらに分類されるが、自己診断のチャートではHSE。

「〇〇(←私の名字)が笑った」って言う場面緘黙になったきっかけの言葉。
とにかく自分は繊細だった。

この言葉一つで小学校4年間+中学、苦しんだ。
勝手に。

HSE+場面緘黙を経験したことで、人の顔色や気持ちは人一倍汲み取れるし、洞察力も人より強くなった。
だからこそ、いつでも優しい人でいたいし、自分のことも大切にしたい。
「ありがとう」はしっかり言葉に出して伝える。
出来るなら過去の自分を抱きしめてあげたい。


場面緘黙でも色々な人がいる。
皆んなが全く一緒の苦しみではない。

私の今まで詳しく誰にも言えなかった経験。
(さらに詳しくも書けるけど、とりあえずはこれくらいで。)

場面緘黙で検索してる人、本人や保護者の方、些細なこの記事が少しでも誰かの参考になればと思った。

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初note投稿記事。
ずっと書きたかったこと。
書きたいと思ってから、なんやかんや行動に移すまで1年以上経過してしまった。笑
誰が見るかはわからないけど、投稿することができて良かった🌱
場面緘黙支援がしたい。

読んでくれてありがとうございました🙇‍♀️


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