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更科の月

秋の和菓子はシックな色合いのものも多い中、先日店先で目を奪われたこのお菓子。

とらやさんの「新更科」というお羊羹、普段遣いには勿体ないですが、美しさに一目惚れして思わずハーフサイズを購入してしまいました。
山に月の絵柄、菓銘からも明らかですが、
 
 我が心なぐさめかねつ更科や姨捨山に
 照る月を見て
 (『古今集』巻十七〈雑上〉詠み人知らず 878)

に因んだものでしょう。この歌、大学の演習の授業で、友達が発表したものだったので思い出深いのです。というのも、竹岡全評釈に、

いま、この景を具体的に脳裏に思い浮かべてみよう。「さらしな」という名の付いているように、一望のもとに見渡される領斜地は、見渡す限り田畠や原野などが段々になってずうと続いている「千枚田」だ。地理学者によれば安山岩質集塊岩の崩壊地で、土壌が深く地下水が豊かだということであるから、当然早くより水田化されていたろうし、又たとえ水田化されていなかったとしても、月の映るような水が地表に湧き出ていたと考えられる。すれば、後世「田毎の月」と称して鑑賞しているのと同様の景がこの当時にも見られたにちがいない。見渡す限りの「さらしな」形の地形、その一枚一枚に一つ一つ月が映っているのである。それは京都や奈良などでは全く見られぬ異常な光景であった。そのうえ、そこに黒々と聳える山の名は聞くも無惨な「姨捨山」という。それは、この人間界ならぬどこか世界の果てにでも来あわせたような、ぞっとする景観である。私たちは、この「さらしな」から喚起される異常な地形の景観と、「をばすて」という語に漂う惨酷な語感とを、もっとなまなましく読みとる必要があるのである。

竹岡正夫『古今和歌集評釈』

棚田の一枚一枚に、一つずつ月が映る」。授業で彼女がこの説を紹介した際、「え…、そんなこと物理的にありえるの…?」と聴衆一同がざわめいたのが印象的でした。ううむ、どうなんでしょうか。竹岡氏の洞察力には敬意を払いたいとしても、ちょっとそれは想像しにくいかも。
要は、「照る月を見れば普通は心が慰められるはず、なのに『慰めかねつ(=結局慰められないままだった)』というのは、なぜ?」という疑問に対し、「異様な光景だったから」という氏のアンサーなわけですが、他にも穏当な解はあり得そうです。

別解として有名なのは、『大和物語』の棄老説話ですね。親を早くに亡くした男は、叔母のことを親代わりに慕っていた。男は結婚したが、妻が叔母を厭わしく感じていて、「山に捨ててこい」とまで言う。命じられるがまま、男は叔母をだまして山中に置き去りにするが、徐々に後悔の念がきざし、山の上に照る月を見て和歌を詠み、結局引き返して叔母を連れ帰る、というお話です。

この山の上より、月もいと限りなく明(あか)く出でたるを眺めて、夜ひと夜、寝も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
 わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て
と詠みてなむ、また行きて迎へもて来にける。
それよりのちなむ、姨捨山といひける。
慰めがたしとは、これが由になむありける。

『大和物語』

つまり、男が叔母を棄ててきた山の月を眺めるから「慰めかねつ」だというわけです。俊頼は、棄てられた叔母の方の独詠だと解したようですが(『顕註密勘』。後世の能にも繋がりそう)、いずれにせよ、棄老説話が下地にあるがゆえの悲しみだと言いたいようです。ただしこの説話、姨捨山の名前の由来譚になっている点が非常にアヤシイ。「おば棄てたる夜やがて姨捨山と詠める事もいかが(叔母を棄てたその夜即座に『姨捨山』と歌に詠んでいるのはどういうことか)」(『古今栄雅抄』)とツッコまれることになるわけで。この説話自体、和歌先行で創作されたものだった疑惑は拭えません。

さて、そうなるとやはり一番落ち着く説は「信濃国を訪れた旅人が、異国の月を見て、心を慰めるどころかむしろ悲しみに耐えきれなくなった」という作歌事情でしょう。月を見て故郷を思う和歌は、

 唐にて月を見てよみける 阿倍仲麻呂
天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
 この歌は、昔仲麻呂を唐に物習はしに遣はしたりけるに、数多の年を経てえ帰り詣で来ざりけるを、この国より又遣ひまかり至りけるにたぐひて詣で来なむとて出で立ちけるに、明州といふ所の海辺にて彼の国の人馬の餞しけり、夜になりて月のいとおもしろく射し出でたりけるを見て詠めるとなむ語り伝ふる。

『古今和歌集』巻九〈羇旅〉406

が有名ですし、漢詩でも、

牀前 月光を看る、疑ふらくは是れ地上の霜かと。
頭を挙げて山月を望み、頭を低れて故郷を思ふ。

李白「静夜思」

も有名ですね。
姨捨山の歌は、これらの歌や詩に通じる「故郷を思い出させる月」を詠みながら、それでもなお「慰めかねつ」とうたいます。通常月を見れば、故郷との繋がりを感じて安堵する所が、今は月よりも旅愁が勝る、「月<旅愁」ということです。この不等式はもちろん、月の方の値が大きくなればなるほど旅愁も大きくなる、すなわち、「照る月」は美しければ美しいほど、裏腹に悲嘆が増す。何が言いたいのかというと、月を詠む自然詠としてこの歌を解釈するのであれば、このような形で自らの悲嘆の気持ちを表現することで、間接的に「月誉め」の和歌になっているということなのです。
これ、すんごく「古今集的表現」を感じる。素朴な古歌に見えて、意外と、時代の先端を行く和歌の一つだったかもしれないな〜、なんて。

そんなことを考えながら、美しくもおどろおどろしい(もしかして、ちょっとハロウィン要素もある??)お羊羹を堪能いたしましたよ。

はあ〜。ほんま、和菓子(+和歌)って、良いものですねぇ。
あ、ところで「新更科」の「新」って、どういうことなんでしょう。謎が残りました。。。

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