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$戦艦大和ノ最後 吉田満


$戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫ワイド)

単行本 

吉田 満 (著)

$解説
戦後70年を経て読み継がれる鎮魂の書。巨体四裂し大海に没した「戦艦大和」に乗船し、生還した若き士官が綴る真実の記録。

https://youtu.be/uc9JHQJ0f3s?t=21

$読者レビューより引用・編集1
これは非常に優れた戦記文学であり、歴史的名作。
漢字カタカナ表記で、文語体で綴られているのだが、それが作品の格調を高めている。
このことは、発表当時成された、「戦争を美化している」という批判と無縁ではないのだが、読めば、この作品は決して戦争を美化してはおらず、ありのままの戦争の姿を描き切ることによって、結果として優れた反戦文学になっている。
これは散っていった仲間に対する鎮魂の書であるが、そのことと反戦文学たり得ているということは決して相反しない。この二つは高次元で一体化している。
作者は学徒出身のエリート士官であるが、それゆえに冷静で客観的な眼で戦争を見られた。
この作品を昭和20年代に初めて発表したのちも、作者は戦争とは何か、戦後社会とは何かと考え続けた。
そのような真摯さが多くの人々からの尊敬を集めたことは事実である。しかしそこに驕りはない。
作者は太平洋戦争に参加した自分への反省の念を、一生持ち続けた。
この作品は戦争の実相をありのままに淡々と記述。
そしてそこに平家物語のような諸行無常の念が浮かび上がる。
声高に反戦というイデオロギーを唱えることなく、文学作品としての格調を保ちながら、読む者の心に自ずから反戦への思いを喚起することを成し遂げてる。
現在ウクライナ戦争の真っ只中であるが、私はこの作品を読んで、戦争の悲惨さを思い、一刻も早く戦争が終わって欲しい。
戦争とは人殺しである。許してはならない。


$読者レビューより引用・編集2
評者が先に読んだ山本七平著『「空気」の研究』より興味深い文章の一部を下の・・・・・内に転載する。
 ・・・・・
 驚いたことに、「文芸春秋」昭和50年8月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言がでてくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデーター、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。(『「空気」の研究』P15~16より)
 ・・・・・
 少し前に読んだ半藤一利氏と佐藤優氏の対談本『21世紀の戦争論』の「昭和史を武器に変える14冊」https://item.rakuten.co.jp/mottainaihonpo/4166610724/?variantId=34656106&scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868&icm_acid=255-776-8501&gclid=Cj0KCQjwmZejBhC_ARIsAGhCqnfP0TDCMI2O44Y4x66yk1S4VEHvN2NFb_v8-cxxWqj5DcGjJEX1cQsaAveEEALw_wcB&iasid=wem_icbs_&icm_cid=18637993114&icm_agid=

のなかで両氏が挙げていた吉田満著『戦艦大和の最期』を読みながら思い出した。
 特攻出撃を当然と思う吉田満氏の戦艦大和出撃から奇跡の帰還までを記録した本書を読み、一途に死を覚悟して無為な作戦と知りながら任務を全うする姿(精神と肉体の)を克明に記録している貴重な戦争記録であることは間違いない。
 大和最期の時を目の前にして、著者も伊藤司令長官の心情を語りながら、「官ヲ賭するスルマデノ反対ヲ遂ニ押シ切ラレタル作戦ナレバ、長官トシテコレヲ主導スルヲ潔シトセザリシカ 開戦史ニ残ルベキ無謀愚劣ノ、最高責任者トシテ名ヲトドムル宿命ヘノ無言ノ反抗カ 竹ヲ割ッタル如キ気風、長身秀麗ノ伊藤長官」と、記述している。(P69~70)
 やはり、そこにあったのは恐ろしい「空気」だったのだ!
 「空気」だけで三千余名の人が無為に死に行くことの不条理を思い悩んでしまう?
 確かに戦争を知るための資料として貴重な書であるが、評者はなにか納得できない気持ちを感ずる。
 納得できない気持ちがなんなのか判然としないまま巻末の古山高麗雄氏の「作家案内――吉田満 寡言の人」あとがきのなかに少しだけ見つけたのです。
 以下にその文章の一部を下の・・・・・内に転載したい。
 ・・・・・
 <前文略>吉田さんは立派な方だけれども、今後、私たち下級兵士のところにも降りて来て、物を考えてみる必要があるのではないか。吉田さんに対して、そんな見方をしたこともあった。<後文略>(P198)
 ・・・・・
 これは古山高麗雄氏の書いた本『兵隊蟻が歩いた』にたいして吉田満氏が書いた反論みたいなことに触れながら古山高麗雄氏が書いた感想の一部。
 評者は、かって戦記物を何冊か読んだが、士官クラスの人が書いたものに共通する何かを本書『戦艦大和の最期』のなかにも感じたのです。
 「私たち下級兵士のところに降りてきて、物を考えてみる必要」と、書いていた古山高麗雄氏のあとがきのなかで、本書に対する違和感の何かを少しだけだが感じ取ることができた。
 確かに本書は、後世に残さなければならない貴重な記録であるから、「昭和史を武器に変える14冊」のなかへ入れなければならない書であるだろう。
 が、古山高麗雄氏の『兵隊蟻が歩いた』https://www.amazon.co.jp/%E5%85%B5%E9%9A%8A%E8%9F%BB%E3%81%8C%E6%AD%A9%E3%81%84%E3%81%9F-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-291%E2%80%901-%E5%8F%A4%E5%B1%B1-%E9%AB%98%E9%BA%97%E9%9B%84/dp/4167291010

も読んでみたいと思いながら、本書を感慨深く読み終えた。

$商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

昭和二十年三月二十九日、世界最大の不沈戦艦と誇った「大和」は、必敗の作戦へと呉軍港を出港した。吉田満は前年東大法科を繰り上げ卒業、海軍少尉、副電測士として「大和」に乗り組んでいた。“徳之島ノ北西洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス”今なお光芒を放ち続ける名作の「決定稿」に、新たに小林秀雄、三島由紀夫、吉川英治らの跋文をワイド版収録。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

吉田/満
1923・1・6~1979・9・17。小説家。東京生まれ。東京府立四中、旧制東京高等学校を経て、1942年、東京帝国大学法学部入学。43年に学徒出陣、44年に海軍予備学生となり東大を繰り上げ卒業、少尉に任官され戦艦大和に副電測士として乗艦。45年4月、沖縄特攻作戦に参加するも奇跡の生還を果たす。敗戦後の9月、両親疎開先の東京都西多摩郡に復員。同地に疎開していた吉川英治に会い、彼の勧めで『戦艦大和ノ最期』を執筆。その後日本銀行に入行し、国庫局長、監事などを歴任。在職中に肝不全のために死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





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