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樹堂骨董店へようこそ⑯

当時の森は霧が発生していた。その地に住む者さえげんなりするほどの濃霧だった。明るいが視界は五メートル程度しかない。昼間はあんなにいい天気だったのに、高原の天気は変わりやすい。

「間に…合うか…」
森の中だというのにスーツに革靴の青年が胸から懐中時計を取り出した。ちらりと見やると前方に視線を戻して再び走る。濃い霧の一部に地面から空に向かってチリチリとプラズマのような光が立ち昇っている場所があった。流(りゅう)は迷わずその光に体を滑り込ませた。

自然現象というと信じられないかもしれないが、この森は空間に裂け目が発生しやすい。理由はわからないが古くからその裂け目によってたくさんの人々が予想もできない運命になることが多かった。最も多いのは行方不明だ。次に多いのは記憶喪失。

流は人間ではなかった。だから普通の者には彼の姿は見えないし、会話もできない。ただ、まれに勘の鋭いものが流に気付いてしまうことがあるゆえに常に人の姿に見えるように自身に細工していた。
彼の仕事は森の空間の管理だ。

「ママぁ!」
小さい女の子が風穴の多数ある区域で叫んでいた。流はこの子を知っている。
「那胡…ちゃん」
ふいに声をかけられて女の子は振り返る。そこにはスーツ姿の青年がいた。
「おうちに…帰ろう」
手をのばすと女の子は首を振った。
「ママがいないの!森のどこかに行っちゃったの!」
「…」
流は困った。この子の母親を知っている。そしてなぜ居なくなったのかも知っている。だが話すことは禁則事項だ。
「一緒に…探す…か?」
「…うん」
流は女の子を抱っこすると歩き出した。泥だらけの小さい手が流の肩をつかんでいた。流はゆっくりと森の奥へ進んでいった。


樹堂骨董店は骨董店だけではなくさまざまな小さい仕事を展開している。それは人間相手だけではなかった。
「イツキさーん、まだ一か月たってないのに娘さんに『もののけタクシー』をずいぶん利用してもらってますわ」
ほうづき屋のタヌキはうれしそうにしている。
那胡はいやがらずに活用しているようだ。イツキは黙って頷いた。
「…わかった。…で、何の用だ?」
「流を知りませんか?奴が昨日からいなくて」
「彼なら十年いなくなってもおかしくない仕事してるからなぁ…」
イツキは遠い目をした。
「困ったなぁ…もののけ道や、イツキさんちの近くに修復してほしい場所があるんすよ」
「今年は多いなぁ」
「多いなんてもんじゃないすよ。あれに吸い込まれたら俺たちだってどうなるかわかったもんじゃないすから」
タヌキは困った顔をしている。
「じゃあ…私も探すよ」
イツキはパソコンを閉じると椅子から立ち上がった。





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