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がん患者は周りに甘えていい

前回、がん患者の集いに参加したことを書いた。

その中で、自己紹介タイムの時に泣き出してしまった女性のことを紹介した。
自分が乳がんになったこと自体もつらいが、それよりも副作用で家事ができず、夫に対して申し訳なくて心苦しいという理由で泣いていた。

分かる!分かるよ!!
その気持ちは同じ女性としてよーく分かる!!

私もかつて仕事が忙しすぎて家事が全くできなかった頃、あるいは適応障害になって仕事を辞めて毎日寝て暮らしていた頃、自分は女として欠陥のあるポンコツな生き物だと自分を責めて苦しんでいた。
夫に家事をやらせるダメな妻だと思っていた。

でもよくよく考えてみると、女が家事をやる前提で考えていたのは間違っていた。
もし病気になったのが男性だった場合。
あるいは仕事が忙しいのが男性だった場合。
それらを理由に家事を妻に任せていたとして、そのことを理由に自分を責めて苦しんだり泣いたりする男性ってどのくらいいるだろう。

逆に病気で働けなくなった場合、「仕事もできず情けない、相手に申し訳ない」と思う気持ちは女性よりも男性のほうが強そうだ。
だけどそれも当然ながら間違っている。

共働きが多くを占める今の時代に、これではおかしいと思うのだ。
まずは性別に基づく役割、いわゆる「ジェンダー」の呪縛から解放されないといけない。
男性であれ、女性であれ、やれるほうがやればいいのだ。

それにもし病気が理由で働くことができなくなっても、家事もできなかったとしても、それが男性であっても、女性であっても、人間としてポンコツなんてことは絶対にない。
それを言ったら、寝たきりの人なんて立つ瀬がなくなってしまう。

私の母は今、施設で24時間介護をされている。
ベッドから起き上がる時、着替える時、夜中にトイレに行きたい時、介護士さんたちが助けてくださっている。
仕事ができない、家事ができないどころの話ではない。
だからといって母が人間としてポンコツなわけでは絶対にない。

なんて言ってるけど、これが自分のこととなると、どうしても自分を責めちゃうんだよねー。
母も「申し訳ない」と常に言っている。

だいたい「自分が役立たずで心苦しい」って考える人は真面目なのだ。
真面目だし、もともと周りに尽くしてきたタイプなのではないだろうか。
周りの人にお世話してもらうことが当たり前だと思って生きてきた人は、病気になっても心苦しくならないだろう。
ゴロゴロしながら「ご飯まだー?」とか言っていたタイプの人が、まさか「家事が手伝えなくて申し訳ない」と言いながら泣くはずもない。

心苦しくなる人は、もともと周りのために頑張っていた人なのだろう。
誰かの役に立つことが好きだったり、もしくは自己肯定感が低くて人の役に立たない自分には生きる価値がないという認知の歪みがあったり(私のこと)。

いずれにせよ、周りにあまり甘えずに頑張ってきた人なのだ。
だけどこれまで頑張ってきたんだから、病気になった今は家族や友人など周りに甘えていいのである。

私も人に頼ることが苦手なのだが、今は「病気なんだから仕方ない」と自分を甘やかすよう心がけている。
夫や親戚や友人の親切心に甘えるようにしている。
彼らも私に頼られると嬉しいようだ。

手術や薬の副作用のせいで以前みたいにうまくできないことがあっても、それは仕方のないことだ。
そこを悩んでいても回復するわけではないのだから、自分にできることをできる範囲でやるしかない。

自分にできること。
それは十分な睡眠を取り、できれば三食しっかりと食べ、足の上げ下げ程度でも何でもいいので無理のない範囲で身体を動かし、映画を観るとか漫画を読むとかゲームをするとか何でもいいけど好きなことをして、心身共に健やかに過ごすことだ。

それに「今は体調が悪いんだから仕方ない」と自分を甘やかす気持ちは、回復していくために必要なことだと思っている。
心が健やかだと、身体の回復も早い。
少なくとも私はそれを実感している。

私の父は、脳梗塞で身体障害者となった母に毎日ご飯を作らせ、しかもご飯の内容にグチグチと文句ばかり言っていた。
手足の障害が進んで歩くこともできなくなると、寝てばかりいるとガミガミ怒っていた。
足の指が壊死してしまって毎日薬を塗る必要があったが、立ち上がることもボタンを掛けることもできないほど手足が不自由になってしまった母は、父に塗ってもらうしかない。
母は毎日毎日文句を言われながら塗ってもらっていた。
俺は毎日これを一生やらなきゃいけないのか、と。

そして母は自殺を図った。
今から半年前の出来事である。
幸いにも一命を取りとめた母は、救急車で病院に搬送されて以降、一度も父と会っていない。

もし私の父のような人と結婚した場合は、すぐに逃げたほうがいい。
ただでさえ身体が動かなくてつらいのに、メンタルまで追い打ちを掛けられたら、母のように死ぬしか逃げ場がなくなってしまう。

母は今、施設で優しい介護士さんたちに24時間ケアしてもらいながら穏やかに暮らしている。
たまに電話で話すが、とても幸せそうだ。

父はどうして母が自殺を図ったのか分かっていない。
「身体が不自由なことを悲観していたのだろう」「自分は毎日薬を塗ってあげるなどあんなに尽くしてきたのに」といったところだ。

話があっちこっちに飛んだが、何が言いたいかと言うと、もし結婚した相手が私の父のような人間だった場合は逃げるに越したことはないが、そうでない場合は思いっきりお世話になっていいと思う。
もし相手が快くサポートしてくれている場合、その優しさが返って心苦しくなるのも事実だ。
だけど相手は本当に快くサポートしてくれているので、気にしなくていい。
もし自分が逆の立場だったら、と考えれば分かることだ。

毎日「ありがとう」という言葉を心を込めて伝えればいい。
人間関係とはお互い持ちつ持たれつなので、自分がお世話できる時はお世話して、逆にお世話になる時はお世話になればいい。
それが男であれ、女であれ、できるほうができることをやればいい。

と、あの時泣いていた女性に伝えたい。
不要なおせっかいかもしれないので、もしまた会える機会があったとして、もし仲良くなれたとして、もし会話をしている中で良さそうなタイミングがあれば伝えてあげたい。

そして同じことで悩んでいる人がいれば、このnoteを通して伝えたい。
私の母のように周りにお世話になりっぱなしだったとしても、それでいいのだと。
健やかな心で生きてくれていると思うだけで、私はとても嬉しいのだから。

それに、自分が周りのためにできることは家事以外にもあるはずだ。
仕事の愚痴を聞いてあげる、おもしろい話をして笑わせてあげる、一緒に映画やYouTubeを観て感想を語り合う、とかでも十分なのではないか。
大きな家事ができなくても、洗面台を拭いたり、出しっぱなしになっている物を片付けたりするだけで相手は助かるはずだ。

とは言っても、自分のこととなるとどうしても自分を責めちゃうんだよねー(2回目)。

だけどそんな葛藤を繰り返しながらも、周りの優しさに感謝しながら甘えるという練習を少しずつでもしていけたらいい。
そのほうがずっと生きやすくなるし、メンタルが健やかになって身体も回復していく。

だって、がんの治療中なんだよ?
周りに甘えるくらい、許してよー!

というわけで、私は今日もこの記事のトップ画像のように堂々とゴロゴロしようと思う。

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