御本拝読「雨だれの標本」吉永南央

 「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズの最新刊。七十代後半の珈琲屋店主・杉浦草が町や人に関する謎を解く、毎年楽しみに待っているシリーズのひとつ。謎解き、ではあるが、いくつも死体が出てきたり壮大なトリックや陰謀があるわけでなく、家族や友人という小さいコミュニティの関係のもつれや秘密を解いていくシリーズだ。
 失礼を承知で、それでも忌憚のない言い方をすれば、このシリーズは巻によって好き嫌いがはっきりと分かれると思う。全部読んでいる私でも、「……この回はちょっと……」となってしまう巻がある。草さんの相棒・久実ちゃん好きとしての意見だが。すべて大団円が良し、ということではないにしろ、納得のいきづらい展開や結末であることも多い。それが、とてもリアルでもある。現実的にはこうなるよね、という淡々とした切なさがある
 今回の巻、とても私が好きな一冊になった。先述した通り、このシリーズは大量殺人や陰謀が主軸ではなく、小さな人間関係のもつれや秘密を、無関係の人間(主人公のお草さん)がゆっくり優しくほどいていくのが見どころだ。本書は、そのシリーズを通したエッセンスが惜しみなくぎゅっと詰まった一冊だと思う。もう一つの理由は、大好きな久実ちゃんがフィーチャーされるからだ。いや、もちろんお草さんも大好きなのだけど。
 話の中心は久実ちゃんではなく、またまた新しい登場人物たちと新しい謎。不思議なアートを作る青年や、真摯な作品を作る映画監督、彼らを取り巻く人たち。メインテーマが映画になるので、架空の映像作品の描写が多いのだが、その表現が的確なので読みやすい。
 このシリーズは、毎回のように新しい登場人物(ゲスト)が謎を連れてくる。そのゲストに好感を持てるか、が割と私はミソなのだが、それは性格の良さや雰囲気がよろしいということではない「現実にいてもおかしくないか」という点である。人にはいろんな面があって、良い面も悪い面も強いところも弱いところも全部ひっくるめてその人である。あまりにも善良すぎるとシラケてしまうし、あまりにも卑劣で自分勝手すぎると物語自体の底が浅く見える。その点で、本書に出てくる人物たちは、満遍なくみんなとても「人間らし」かった
 本シリーズの中には、日本縦断するような大冒険や殺人事件、胸糞の悪い犯罪がテーマになる巻もある。そちらの方が派手で結末へのカタルシスも大きいのかもしれないが、私は、今回のように「会いたい人探し」という地味なテーマからじんわりと人間性や繋がりが浮かび上がる方が好きだ。書ききるのも、難しいだろうと思う。特に今回は話が二転三転したりフェイクがあったり、特にラストの章で色んな事がひっくり返っていく。一気に読んでしまえるほど、面白かった。
 さて、私の好きな久実ちゃんの話だが、ついに一ノ瀬さんとの関係が新しく一歩動く。この二人は、シリーズを通してゆっくりと進んではいたが、本書が一番大きな一歩になるのではないだろうか。
 私自身、結婚や同棲が男女の愛の最終形態であるとは思っていない。というか、異性同性に関わらず、愛し合う人たちのゴールは結婚ではないと思っている。日本で「成人二人」「+子ども」が税制や住居等の生活面で、金銭的・手続き的な恩恵を最大限受けるための制度として優秀だとは思うが。自分も失敗しているから、そもそも性格的に向き不向きもめちゃくちゃあるものだと痛感はしている
 本書のテーマが「家族」であることは大きい。「これまで」の積み重ねで捻じれてしまったいびつな家族のかたち、もつれた家族の愛や葛藤が描かれる中で、久実ちゃんと一ノ瀬さんが選ぶ道は「これから」だ。ある意味、二人は今回お草さんが解明する謎にはあまり接触しておらず、ひたすら自分たちのことを見つめて煩悶し続けた回である。そもそも、主人公のお草さん自体、結婚生活が幸せだった人ではない。
 家族って、結婚って、どういうことなんだろう。自分の何かを我慢したり、完全にどちらかの意見に従ったり、どういうかたちならうまくいくんだろう。考えすぎて、二人はすれ違っていく。お草さんも、謎解きの傍らそれを見守ったり背中を押したりはするが、「これが正解!」「こうしなきゃダメ!」とは押し付けない。選ぶのは、二人自身だからだ。
 今回のように「命の危険」がかかった時の選択は現実的には極端かもしれないが、真理だなと思った。自分の緊急事態に、連絡してほしい人。その人の緊急事態に、仕事も何も投げ捨てて駆けつけたい人。それはやっぱり二人が積み重ねたことの結果で、「結婚したいから」という理由ではなくてもっと大きくて深いものがある。
 間違っているとは言わないが、けっして思い合っているとは言えない家族の話の中に芽生える希望の光のような二人。個人的には、どんな大冒険よりも尊くて感動できるものだと感じた。

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