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これは私の特性。普通って何?オバサンのヒトリゴト。

昭和生まれの来月還暦の私が、ここ数年感じている事をお話したいと思います。

潰瘍性大腸炎が持病になってしまったのも私の特性
子供が一人っ子なのも私の特性
HSPも私の特性
仲間作りが苦手も私の特性
引っ込み思案も私の特性

息子のAPD(聴覚情報処理障害)も特性

同性婚だって特性
発達障害だって特性
夫婦別姓だって特性

男性か女性かだって特性
そもそもはっきりした基準があるわけでないし。

いろんな特性があって決してマイナスではない。

みんな違う特性を持っている。


昭和のマニュアルを引きずってる 

【友達100人できるかな】

昭和に流行った小学校入学のCM。

元気で明るくて友達がたくさんいて活発で、それが良い子と勘違いしていた時代。

小学生の頃、先生との面談で、引っ込み思案を治しましょうとよく言われた。

子供の頃、一つの枠の中に収めようとする何か、同じ色に染めようとする何かに違和感は感じていた。
しかし、その枠から外れる勇気もなかったので、自分の気持ちを抑えていたように思う。

なんだかやりにくかった。

高校または大学を卒業して、就職して、嫌々ながらも辞めずに働いて、結婚して子供が産まれて孫が産まれて、そんな昭和の頃の幸せマニュアルが生きづらさをもたらしていたのではないかと、近頃思う。

特性とは少し別の話

結婚してからも仕事がしたかったし、旅行もしたかったからしばらく子供は作らなかった。その時、親族からは子供ができないと思われていた。
結婚したら子供ができるのが普通。
子供がいない、または2人いないと完成された家庭ではないような圧を周囲から感じた。

子供が産まれても一人っ子はかわいそうだと言われた。

もう一つ。
今から約20年前の話。
子育てを舐めんなよと、思った事がある。
息子が小学3年生になった時、パートを探そうと面接を受けた時、
『体は丈夫か』
『病気は持っていないか』
『子供が具合悪くなった時に預ける実家は近くにあるか』
と、数社から聞かれた。
私は、20歳の時に母親を35歳の時に父親を亡くしているので実家はない。
それに、潰瘍性大腸炎の寛解期であった。

そんな事を聞くんだ!
唖然とした。

色々と考えさせられ、そして徐々に気づき、昭和の幸せマニュアルを外していこうと思った。

普通って何?

普通という基準でもあるのだろうか。
もしあるとしたら、その基準もみんな違うはず。

その人の特性を自分の基準の枠の中に入るかどうかを測る人がいる。

そういう人の基準なんていいかげんだよね。

だから、『普通はこうだよね』と言われても気にしなくていい。

多様性という言葉は出てきているが、その分複雑な社会になったから、私の若い頃と比べて今の若い方達は大変だと思う。


特性を活かす事ができなくても、
特性で苦しむ事がないように。
特性で生きづらさを感じないように。

心からそう思っている。

毎回、拙い文章ですが、ここまでお読みいただきましてありがとうございます。

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