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クリスマス特別企画「狂牛病とリーマンショック 」をもたらした破壊のサンタクロースを追う

狂牛病とリーマンショックに共通するのは、誰がどこで何やってるか分からないという事実を強烈に世界に印象付けたこと。それから、異常なほどに倫理観のない人々がいるということも明らかにした。今振り返ると、人類はちっとも過去の教訓に学べないということも示している。社会システムのいたるところにトロイの木馬が仕掛けられている。

というような説明は誰でもできる。
これまでも話してきた。分業が細分化されると必然的に社会に見えない部分が増える。その見えない部分を縛る道徳をロジックとして社会に実装できなかった資本主義を採用した社会システムは、必然的に劣化する。

それから、現代は生態系におけるRNAの相互依存関係が国際金融システムにおける貸借の相互均衡関係に完全に従属している時代。しかも、基軸通貨であるドルがオイルにペッグされているので(最近少し変わってきてるけど)、必然的に生態系は石油やその化成品に従属する立場となる。このような構造の中で天然の真鯛が必然的に本来は模造品であるはずのゲノム編集真鯛と変わらなくなる未来は見えている。いやもうそなっている。表示義務が無い。ゲノムの特許を独占しようとしているのは化学メーカーなのだが、これは化学メーカーが悪いというより、構造の中で必然的にそうなってしまう。こんな感じなので、牛に牛を食わせていたことなど全く驚くべきことでもなんでもない。人類は狂牛病の教訓を、システムとして当然生かすことはできない。

ボードリヤールの視点は正しいけど、問題は、国際金融システムに囚われた構造によって必然的に模造品がオリジナルを超えてくるということ。レッジャー・システムはグローバルで理論上連結されているので、システムの支配者のなすがまま、オリジナルはすべて模造品に置き換えられ、シミュレーション社会の到来となる。彼が予想したよりもかなり酷い未来がやってきてしまった。

見えてない人は羨ましいな。
わたしは欠陥品かもしれない。見て見ぬふり出来る能力が備わっていなかった。いつも言っているが、何も知らないでボケーっとしてた方が幸せだった可能性がある。豚になってしまえば残飯を美味しく感じるんだからそれも悪くない。豚がそう主張しきてたらどう反駁したらいいのだろう。

金融システムとか生態系とか、ある種の均衡を保って効率的に機能しているはずのシステムを操作して利益を得ようとする人々がいる。だから結局は効率的ではないのだけれど、でもそれは必然で、この世界はこのようにして滅びに向かっている。彼らは愚かだからこそ巧妙で、いつもいつも忘れたころに私たちに襲い掛かってきて多くがやられてしまう。まあ、私だけは彼らの攻撃を全てかわせるのですが。でも私だけかわせても意味ないので、こんな記事を書いています。みさんと違って、私は世界が滅びるのは嫌なのです。わたしは体育会系ではないんです。だから豚にはなれなかったのかもしれない。帰宅部出身のイケメンかつ天才は豚にはなれない運命だった。

直感的な社会倫理や慣習的な社会規範を論理的でないと考えたり、おそろしいことにシステムの盲点をニッチな市場だと捉えて敢えておかしなことをやり始める頭の悪い人もいる。そういう人たちは為政者の走狗として世界を壊すことに一役買っている。自由競争によって社会が進化するという主張は完璧にペテンなのだが、ペテン師は饒舌なので、みな愚さも相まって多くが嘘に気が付かず結局は自らを鶏舎に閉じ込め死ぬほど卵を産み続けさせられている。

バカは学校で勉強した事だけが正しいと思い込むタイプで、詰まるところ論理バカ。数学的論理もある観点によりかかっているだけなのに、それに気がづかず盲信していて本当にどうにもならない人々。こういう人々は、いつも他人を欺こうと努力している。貨幣錯覚に踊らされるロボット人間。暗記バカは論外だけど、論理でしか動けない人間ももはやロボットと同じ。まじでアホ。努力すべきことが完全に間違えているのだが、そういう学問が用意されていて、社会的ミルグラム効果として彼らに罪悪感を与えない。本当に笑ってしまう。為政者は巧妙なのだ。コンクリートの鶏舎で育てたニワトリにエサをちらつかせて共食いするのを楽しんで見ている。共食いが正しいことだと教わっているニワトリが手を緩めることはない。くちばしで執拗に仲間をつついて殺してゆく。生態系と同じで、こういうのは容赦ない。ワニやハイエナがもがく獲物から内臓を嬉しそうに引きずりだすのと同じ。

バカはアホの典型なのだが、アホには自覚が発生せずに習ったこと以外理解できない。これをニーチェはサンチマンと言った。
弱者がシステムの前提を常に悪用して世界を崩壊に向かわせる。アホはそういうことをなぜか自分が優れている証左だと思い込むようで、これがどうにもならないところ。本当にニーチェの直感はすばらしい。

生物は腐ってなければ生態系のバランスをとる機能を直感的に身体に刻んでいるのに、それを認知バイアスと捉えて商売をする人まで現れるんだからもう世界は終っている。そんなことをやってる人たちが経済学のノーベル賞を取っている。社会をそう方向づけるために敢えてやってるのがもう完全に狂ってるのですが、みな気が付かない。それでみんな家畜の檻へGOTOトラベル。そういうことをやってしまう人も、やられてしまう人も、コンクリートジャングルに精神改変された究極のバカ。わたしは彼らをそう呼んでいる。バカは目の前に積まれた貨幣が錯覚でしかないことに気が付かない。バカが無数にいることによってフィクションがリアルに変わる。恐ろしい世界。生態系に取って代わったシステムの本質。

人として生物として、本来当たり前に備えているはずの認知機能や価値観を悪用して金儲けを企む人がいる。金融システムは生態系とは違って人工のシステムなので、その差は当然ながら認知バイアスとして浮かび上がる。とても興味深いのは、西欧合理主義は科学的な資本のシステムを正として生態系の規律の方を認知バイアスと考えること。本当に笑える。マックス・ウェーバーはどう責任を取るつもりなのか。こんな連中に無根拠な自信を与えて野に放った。いやむしろ、彼こそが大衆を檻に誘い込む走狗だったのだろうね。

もちろん生態系自体も、結局のところ愚かな人類を生み出したという点、自動調節機能が働いてないどころか、実は長い目で見ると自滅へと向かうようコードされている。これが世界の本質で、実は均衡は自発的に破られる。わたしはこれに抗って人類の滅亡を一人で食い止めようとして勝手にスーパーマンやっているけど、貨幣錯覚によってアホが無限に製造されているのでなかなか追いつかない。理解している構造について、とりあえずここでワーワー言っている。でも暗殺されたくないのでやんわり控えめ、だと自分では思っている。

滑稽なのは、実は同じ観点を為政者も持っていること。
善と悪は表裏一体と言ったところだろうか。やっぱり彼らも賢い。それから、どうやら彼らもまたスーパーマンになろうとしている。
笑える。いま書いててコミック版・ナウシカの最後のシーンと同じだと気が付いた。宮崎駿にだけは勝てない。
為政者は都合がよすぎるよね。

おわり


いつもと同じ話。
クリスマスに久々にお酒を買ってきて酔っぱらって書きました。
お酒を飲むといつも同じことを書いてしまいます。
でも途中でお酒が切れてかなりグダグダな文章。でもそのままポストしたのはわざとです。パクられるのも嫌だし暗殺もされたくない。
意味不明くらいでちょうどいいのかな、と最近思います。
フォローせずにいちいち文句いって来る人がいるし。見なければいいのに。
はやく限定アカウントにする機能を付けてほしい。





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