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【傑作】Netflixでグリム組曲第3話『ヘンゼルとグレーテル』まで観ましたー。



はじめに

 Netflixでグリム組曲第3話『ヘンゼルとグレーテル』まで観ましたー。先週、第1話の『シンデレラ』を観て、その内容はシンデレラがサイコパスだったら?というもので、斬新な新解釈に思えて結構楽しめました。
 第2話の『あかずきん』も似た感じで、未来の仮想現実世界を舞台に、性行為の際に女性を殺害している男性(狼)を少女が返り討ちにする作品でした。

 しかし、第3話のヘンゼルとグレーテルからこれまでのエログロテイストな作風ではなくなり、急激に話のレベルが上がったように感じました。
 ヘンゼルとグレーテルに関しては、口減らしのために母親に森に置き去りにされた双子の兄妹が、散々迷った挙げ句、魔女の住むお菓子の家に行き着くものの、その魔女は宮沢賢治の注文の多い料理店と同じくヘンゼルとグレーテルを食べようとしていて、そこから逃げて家に帰る話である…という程度の認識しかありませんでした。

 子供の頃、私がヘンゼルとグレーテルから得た教訓は『兄妹は助け合わなければならない』『どんなときも知恵を絞って最善最良を尽くすべきである』『親でも困窮が原因で子供を捨てる可能性がある』などの思想でした。
 ところが、本作は原作のヘンゼルとグレーテルの思想を昇華させたハイレベルな作品になっていたので、是非とも記録しておきたいと思い立ちました。

 個人的に、ゲームでいう『化石の歌』、アニメでいう『Serial Experiments Lain』『シャドーハウス』に似ているかなと感じました。


第3話の前半の概要(ネタバレなし)

 内容的には、双子の兄妹ヘンゼルとグレーテルが孤児院で暮らしている描写から始まります。孤児院にはヘンゼルとグレーテル以外にも多くの子供たちが共に生活しています。
 孤児院は学校も兼ねていて、パパと呼ばれる施設長らしき男性が日中は授業をしてくれます。(子供の頃観たような気がする若草物語ナンとジョー先生など思い出します)

 観ていてすぐに「ん?」と違和感に気づきます。小学生と思われる年齢層の子供たちの授業なのにも関わらず、「ヘリウムが核融合するとどうなりますか?」という質問から始まるからです。
 この時点で、特別頭がいい子供たちを集めた施設なのかな…という推定が働きます。

 また、子供たちは礼儀や作法を厳格に、しかし無機質に躾られており、施設を囲っている柵からは決して外に出てはいけない、と釘を差されています。
 ヘンゼルとグレーテルもその教えを守り続けてきましたが、ある晩日頃の抑圧のせいか床に落書きをして、一晩森で過ごすように命じられます

 ふたりがあてどなく森の中を彷徨っていると、一軒の廃屋に行き着きます。恐る恐る中を開けてみると、そこには広く豪華な無人の部屋に美味しそうな大きいケーキが用意されていました。
 ヘンゼルとグレーテルが千と千尋の神隠しのお父さんとお母さんのようにケーキを貪っていると、「美味しいかえ…?」と、ひとりの老婆が唐突に現れました。

 無断で家に入ったこと、勝手にケーキを食べたことが悪いことだと分かっているふたりは、急に声を掛けられて吃驚して恐縮し謝罪しますが、老婆は意に介すことなくヘンゼルらの聡明さを褒めます。すかさず老婆に一晩泊めてもらえませんかと交渉すると、何日でも泊っていけと快く承諾されました。

 寝床を確保し安心するグレーテルに対し、ヘンゼルは勝手に入ったのに怒られないうえに、宿まで借りれるという虫のいい話に不安を覚えます。
 そこに老婆は得体の知れない温かい飲み物をもってきます。警戒するヘンゼルはそれを顔に出さないように「スープですか?どんな味がするの?」と柔らかく尋ねますが、「さあ、飲んでみれば分かるんじゃないか?」と答えるだけで老婆は教えてくれません。

 ふたりが口にしてその美味しさに舌鼓を打つと、老婆は「ココアという飲み物だよ」と正解を教えてくれました。
 そして、「お前は賢い。でも賢いだけじゃダメだ。まだまだ知らないことが多いようだね」と付け加えました。
 悔しくなったふたりは、ベルチェ効果(異なる金属を接合して電流を流すと、熱の吸収・放出が起こる現象)、ゼーベック効果(異なった金属でできた2本の導線 が、両端で接合された状態で、その両端に温度差があると、熱電気回路に電流が流れる現象)、レイノルズ数(流体の慣性力と粘性力の比を表す無次元数で、流れに対する粘性の影響の度合いのこと)、フーリエ変換(実変数の複素または実数値関数 f を、別の同種の関数 F に写す変換のこと)など孤児院で教わった物理知識を諳んじます。

 しかし老婆は「もっと大事なことがある。この世界の果てのことだよ」と語ります。それに対し、ヘンゼルとグレーテルはトスカネリの地救球体説を持ち出して老婆の主張を否定します。
 しかし老婆はふたりの反論をいなしたうえで、「その目で見たことがあるのかい?」と問いかけるのでした。

 そして、世界に果てがあるかどうか、確かめてみたければ施設の柵を越えてみろと、自分で考え自分の意思で日常と違う行動をとることを勧めるのでした。
 果たして、老婆の言うとおり世界の果てはあるのでしょうか。また、老婆の目的も分かりません。ヘンゼルとグレーテルはどうなっていくのでしょうか。
  

感想

 新世紀エヴァンゲリオンの使徒アラエルの精神攻撃以外でハレルヤ(メサイア)が流れる作品を初めて観ました。

 ハレルヤとは感謝の意味ですが、『メサイア』はイエス・キリストの誕生から死、復活を表現した有名な宗教音楽です。
 おそらく、この曲の作曲者がゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルであることから選曲したものと思われます。

 ”グリム組曲”という作品タイトルの意味がようやく理解できた気がしました。

 個人的には、以下の箴言が想起される素晴らしい作品でした。

万人に通ずる真理は存在しない。自分で掴み取った悟りだけが真理である。

『精神の考古学』より

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