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エッセイ「生と死」(中2 T・Yさん)

 私が中学一年生の時、祖母が亡くなった。持病だった肺炎の悪化のためだ。祖母が亡くなる一週間前、祖母の体調が悪化したことを知った。私はショックで言葉が出てこず、父や母が泣いているのを励ますこともできず、ただ見つめることしかできなかった。自分が死んでもいい、命をささげてもいいから、祖母を助けてほしい、生かしてほしいと思った。そんな小さい祈りが叶うわけもなく、祖母は亡くなった。それからしばらくは、立ち直れず、祖母のことを思い出すだけで胸が苦しくなった。

 話は変わって、中学二年生の五月。私のおじと、そのおくさんとの間に、かわいい女の子が生まれた。父によると、その子は祖母の生まれ変わりだそうだ。まぬけで、好き嫌いが多くて、おっちょこちょいなあの人の生まれ変わりなんて、可哀想だ、と思った。私は生まれ変わりという言葉が大嫌いだ。あくまでその人は、その人のままでいてほしい。亡くなってからも、私とその人の記憶を忘れないでいてほしいと思ってしまう。

 父が、赤ちゃんに会いに行った時の話だ。おじと父は、何を思ったか、祖母の仏壇に赤ちゃんを連れて行ってみた。すると、赤ちゃんは、ただじっと祖母の仏壇を見つめていたみたいだ。それを見て父は、祖母は、祖母としてこの子を見守っているんだと思ったらしい。

 生と死は全く反対のものと思っていたが、この一年で、生と死は同じであるのかなと思った。

講師のコメント

教室では、「エッセイ」として、抽象度の高いキーワードから連想するイメージや体験、考察を文章にする課題に取り組むことがあります。

今回のキーワードは「生と死」でした。
Tさんは、物事を見通す澄んだ眼差しを持っています。
気づいたことから目をそらさず、粘り強く、ことばにすることができます。

そんなTさんでしたが、書き上げた時は「途中から何が書きたいのかわからなくなった」と、自信なさげなご様子でした。
しかし、その文章からは、Tさんの祈りや、「生きること」への姿勢が伝わってきます。

人がいなくなること。新たに生まれてくること。
その不思議さに向き合おうとするTさんの勇気を、講師も持ちたいと思います。

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