家族と旅する

子どもの頃、家族で県外に行ったことはほとんどない。なのに、こんなに豊かな経験があるのはなぜだろう。

祖母と東京に行く……2歳

 初めて東京に行ったのは2歳の時だ。祖母が連れて行ってくれた。と言っても私はほとんど覚えていない。後から聞いた話である。

 その日、家族(祖父と両親)が出勤すると、祖母はタクシーを呼び、私を連れて駅に行った。30分くらいかかる。そこから特急で3時間で上野駅。動物園でパンダを見せて、お猿の電車に乗せる。また特急とタクシーを乗り継いで帰宅する。何事もなかったような顔をして夕飯の支度をして、家族を出迎える。還暦の祖母の大冒険だったはずだ。

 2歳だった私はほとんど覚えていない。かすかにある記憶はチョコレート。車内販売で買ってもらった。2歳児にとって、大きなチョコレートが食べられるのはすばらしいことだった。大喜びで食べたものの、すっかり車酔いした私は、ぐったりしながら絵本を眺めていた。ピーターラビットだった。青い服を着たうさぎの絵を覚えている。

 「今日のことはみんなには内緒だよ」と祖母は私に言ったらしいが、そんなことは2歳児には無理である。夕飯時に「今日、本物のパンダを見たの!」と騒ぎ、祖母の冒険はあっというまにばれたそうだ。
 
 はりきっていたんだね、おばあちゃん。おばあちゃんが子育てをしたのは戦中戦後。動物園どころではなかったものね。初孫の私と冒険してくれてありがとう。 

家族で東京旅行……15歳

 中学3年の春、家族で東京に遊びに行った。「卒業記念旅行」である。あちこち連れて行ってもらった。ディズニーランドにも行った。Eチケットの価値を知った。しかしながら、この旅行の一番の思い出はディズニーランドではない。

 寄席。小学校の頃から落語が好きだった私にとって、本物の落語を聞くのは夢だった。それを知っている父は、いくつかの寄席の電話番号を私に見せ、自分で電話をして当日出演する噺家について調べるように言った。緊張しながら調べ、有名な噺家が出演する予定の末広亭に行く計画をたてた。「有名」というのは、「テレビに出ている」という意味だ。田舎に本物の噺家はめったにやってこない。

 その日は雪が降っていた。せっかく調べていったのに、出演予定だった噺家さんたちはいなかった。代役の人たちが高座に上がっていた。最初はちょっとがっかりしたのだが、すぐにそんなことは気にならなくなった。代役の噺家さんたちの落語は本当に面白かった。司会の方もユーモアたっぷりだ。「えーー、〇〇線は雪で不通になりましたあ」と言うたびに観客席からは笑いがおきた。私達も笑っていた。落語を満喫していた。

 笑っている場合ではないと分かったのは寄席を出てからだ。本当に地下鉄のほとんどが不通だった。出演予定だった噺家さんたちが来ないわけである。ホテルは近くだからいいとして、夕食はどうしたらいいのだろう。

 あの時、父が連れていってくれた店は、最初から予約されていたのだろうか? それとも、雪で身動きできなくなったので急遽行くことになったのだろうか。ともかく、夕飯を食べたのは高級中華料理店であった。ふだん、中華料理など食べていない。ラーメン、餃子、焼売、麻婆豆腐ぐらいである。それが東京のきらびやかな中華料理のお店に入った。こうやって書いていても田舎者にもほどがあるのだが、事実なのだから仕方がない。雪景色の中、その店は輝いていた。ぐるぐるまわるテーブル、プロ意識たっぷりの店員さん、いかにも中華なインテリア、おいしい料理と、私には何もかもがすばらしかった。私だけではない、妹も感動していた。母は店員さんが来るたびに目を輝かせて「このお料理もおいしかったです!」と話しかけていた。

 自分で調べて決めた寄席と、その後の素晴らしい中華料理。東京旅行の思い出はこの2つに集約されてしまい、次の日のディズニーランドが大雪のおかげで空いていて、とってもラッキーだったという話がかすんでしまうのだった。

祖父と中国に行く……16歳

 私が中学生の時、祖父は事故で大怪我を負った。その時の話は別に書いた。

 その後、祖父はすっかり元気になり、漢詩を学ぶことに夢中になった。私が高校2年の時、その漢詩の勉強会のメンバーで中国に行くという話が持ち上がった。祖父はなんとしても行きたがった。
 あれだけの事故の後、しかも高齢である。家族は心配し、反対した。私は冗談で言った。「私が一緒にいけばいいじゃん」
 この冗談が「そりゃいい、お前がついていけば安心だ」ということになり、私は祖父と一緒に中国に行くことになってしまった。高校を1週間休むことになる。帰ってきたら、今度は修学旅行だ。

 無茶苦茶である。でもなぜか、それがいいそれでいいということになってしまった。慌ててパスポートを取得し、中国語を勉強したが、結局何も覚えられず、私は祖父と一緒に北京、西安、上海を巡った。もともと漢詩の勉強会の人たちだから年配の方が多く、無理のない日程である。名所旧跡の解説は、勉強会の講師をつとめていらっしゃる元大学教授の先生がやってくださる。添乗員さんもいた。特に問題なく、私は初めての海外旅行を満喫した。

 祖父と一緒に北京のホテルにいた時のことである。早朝、霧が深かった。当時のホテルの厚ぼったいマグカップに日本から持参した緑茶のティーバッグを入れ、湯を注ぐ。これまた日本から持ってきたカリカリ梅を出し、二人でお茶を飲んだ。何を話したのかは覚えていない。しかし、あの時、確かに私は祖父との二人の時間を味わっていた。

 祖父が亡くなってからよく言われたものだ。「あなたはお祖父様と一緒に中国に行ったんでしょ。最高の思い出になりましたね」と。行ったときは、これが「最高の思い出」になるなどとは思っていなかった。しかし、今考えると、確かに貴重な経験をしたと思う。
 
 また、旅をしよう。私にとって、家族にとって、最高の思い出になる旅を。

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