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心を操縦する技術

日本の年間自殺者の数をご存じでしょうか。2018年の統計で約2万人です。
人口10万人あたりの自殺者数は、先進国でもワーストレベルの水準であり、国民の暮らしが豊かになったことと、「人の生きやすさ」とは未だに大きな距離があるのかも知れません。日本は生きていることが切なくなるぐらい、自分を追い込んでいる人が多いのです。

それほどムリをする必要がないように思える状態でも、人間は自分を追い込む癖があるようだ。特に日本の社会ではどうしてもムリをしがちだし、周囲もそれをたたえる。はたから見ると、ムリが好きな人種にさえ見える。

これは『自衛隊メンタル教官が教える心の疲れをとる技術』で指摘されている現象です。
僕は日本人の精神性のルーツとして、四周を海に囲まれた国土特性から、自然国境と政治国境が一致していた点に着目しています。大陸には自然国境が存在せず、より豊かになるために武力闘争により政治国境を拡大し、開発を繰り返す行為が発展の手法でした。翻って日本は国土自体が所与のものであり、与えられたコミュニティにムラを形成し、集団で農耕開発する発展に立脚しています。この「集団による発展」が互いの強い連帯や同調性の起源となり、ともすれば監視や同調圧力、果ては本人のキャパシティを超えた「過度の献身性」を求める雰囲気に繋がっているように思います。日本人は「ムリを称える精神性」を遥か昔から文化にインストールし、アップデートを繰り返して、僕たちの生きる時代に受け継いできたのです。

屈強な自衛隊ですら、ムリから生じるメンタルの問題に悩んでいるようです。大震災や大災害の後、退職する警察官、消防士、そして自衛官が増えることが知られています。彼らは度を過ぎたムリを行使することにより、「自分の力では使命を全うできない。」「皆が頑張っているのに、自分だけ休んだら迷惑がかかる。」という自責の念から職場を去るといいます。彼らの献身に救われている僕たちからすると、胸を締め付けられるような思いです。

このように鍛錬を重ねた人間でも、ムリによるメンタル不調は避けられないのです。メンタル不調は断じて「人間的な力量不足」ではありません。そもそも測定不能な問題に「力量」の概念を持ち出すことは全く科学的ではなく、信じるに値しない論理です。メンタルの安定とは「心を操縦する技術」なのです。
学校教育では操縦方法は教わりません。僕たちは教習を受けることなくハンドルを握らされ道路に放り出されているようなものです。だから、自衛隊メンタル教官にその秘訣を教わろうではありませんか。

ムリを溜めやすい人の特徴

本書では、ムリを溜めやすい人の特徴として、以下の二つを挙げています。
ひとつは「短期目標で乗り切る癖がある」こと、もうひとつが「子どもの心の強さしかない」ことです。順に考えていきましょう。

まず、「短期目標で乗り切る癖がある」ことは、どんな弊害を生むのでしょうか。短期目標はやる気を瞬発的に出すことができ、その高揚感で自信を感じやすくなるという利点があります。必死にならざるを得ないので、他の悩みを考える暇がなく、嫌なことが忘れられる効能もあります。
ただし、短期目標で発揮される力は長続きしません。まさに短距離走のようなもので、持久力が問われる長距離走で同じ走り方をすれば、たちまち息切れします。つまり短期目標自体が悪いのではなく、短期目標を連続させて走り続けることに問題があるのです。

このタイプは、たまたま複数の課題が重なった時や、終わりの見えない長期の課題に向き合わなければならない時、どうしてもムリが溜まってしまう。

もうひとつ、「子どもの心の強さしかない」とは、どういうことか。本書では心の強さを「子どもの心の強さ」と「大人の心の強さ」の2種類に分けられるとし、前者をこう説明しています。

子供時代は、大人になって社会で生活する準備段階として「鍛える」ことが必要だ。その時に必要な心の強さは「我慢する」「あきらめない」「全部やる」「一人でやる」「完全にやる」である。

一括りにまとめると「根性」のような概念でしょうか。少なからず僕たちの幼い頃、周辺にあった精神性に合致する内容です。では、そうではなく僕たちが発揮するべき「大人の心の強さ」とは、どんなものでしょうか。

大人は体力・知力の飛躍的な伸びはない。今の「自分」を愛し、認め、上手に使いこなす能力が必要になる。また、世の中は、不公平や不平等、理不尽にあふれ、努力しても報われないことが多い。それでも、めげずに、生きていかなければならない。社会や人のために(人に合わせて)活動することと、自分のために活動することのバランスを取るのは難しく、プレッシャーのかかる作業だ。

周囲と自分のバランスをとる作業、これを「大人の心の強さ」としています。「頑張れば何とかなる」という自他ともに潜む期待から抜け出せずにいると、ムリを生む環境からも抜け出せなくなる、ということです。
サッカーの中田英寿は日本代表でのプレーを「自分のため」と表現していました。日本代表になれば嫌でも周囲の期待を自覚します。彼の発言は利己的な思いからではなく、「周囲の期待」と「自分の思い」のバランスを取るためだったのかも知れません。

少し話は逸れますが、「世の中の理不尽」で思い出すのが、オウム真理教に傾倒した高学歴の幹部信者たちです。彼らは小さな頃から成績が優秀で、卓越した頭脳を持ち、難関国立大学も難なく卒業しました。傍から見れば、道を踏み外した理由が分かりません。
小説家の宮内勝典は「彼らは社会の理不尽に耐えられず、オウムに自らの価値観の延長を見た」と分析します。彼らは小さな頃から頑張れば頑張った分、報われる世界でした。しかし学校を卒業して社会に出ると、様相は一変します。頑張らず、ズルした人でもうまくいくことがある。一方、愚直に頑張っても成果に繋がらず、価値が認められないこともある。学校の勉強や受験と異なり、社会には潔癖な評価の尺度はないのです。

しかし、オウム真理教は信仰を深めるほど階層が上がる、ある意味で学校と似た「明瞭な」システムでした。社会の理不尽さにつまずいた彼らは、オウム真理教の「明瞭さ」にあるべき姿を投影したのでしょう。心の強さという文脈で言えば、受験エリートの彼らは「子どもの心の強さ」を極限まで高めることができた一方、「大人の心の強さ」は身に着けられなかったのです。「子どもの心の強さ」だけで生きる大人は、カルトを盲信している状態と変わらないのかも知れません。

軍隊に学ぶ心の操縦技術

この本の面白い点は、著者が一般の心理学者や精神科医ではなく、自衛隊勤務という点です。よって、軍隊に準えた思考の切り口からメンタル不調への対処を講じています。軍隊という言葉の強度からすると、なんだか効き目がありそうですね。

かいつまんで紹介すると、まず「ダメージコントロール」という発想を持つこと。おお、なんだか強そう…。
ダメージコントロールとは、軍艦などが敵の攻撃にやられたとしても、被害を最小限にして、活動を続けられるよう工夫すること。近年、組織運営で重視されているBCP(災害時の事業継続計画)の概念は、民間組織のダメージコントロールと言えます。
メンタルのダメージコントロールで特に重視されるのが、怒りの感情です。怒りといえば、アンガーマネジメントと呼ばれる心理プログラムがありますが、こちらは「怒りの予防」に重点が置かれ、ダメージコントロールは「怒りが発生した後」を問題視します。

怒りという感情は「発動後すぐに最大値に達し、長時間継続する」特性があり、心理に与えるダメージが非常に大きいのです。瞬発力があり、周囲に発露してしまうと、もはや自分では制御が効かなくなります。職場でも学校でもSNSでも、いつも何かに怒りをまき散らしている人がいますよね。あれは怒りの対象の問題ではなく、怒りを制御できていない自分自身の問題なのです。近寄らない方が賢明です。

怒るのは仕方がないが、怒りをできるだけ早く鎮静化する方法を学ぶのだ。怒りをできるだけ「短時間にし、外に出さない」ことがダメージコントロールの主眼になる。

つまり、怒りを発生させないようアンガーマネジメントを行うに越したことはないが、それでも怒りが発生した場合は「短時間に留め、外に出さない」よう制御する考え方といえます。

このダメージコントロールを具体的な手順に定めることが肝要です。イチローの打席に入る仕草がいつも同じように、ある決められた手順を取るようにすると余分な感情を抑制する効果があります。これを手順効果といいます。制御不能な外部環境の中で、制御可能なものを抽出して確実に実行する。あとは流れに従うのみ、という境地にメンタルを移動させる、心の操縦術です。具体的な手順については、ぜひ本書を手に取り実践してみてください。

自衛隊の「ムリ」への対処として、もうひとつヒントになりそうなのが「予備」の発想をもつこと、「冗長性」といわれる概念です。スケジュールにせよ戦力にせよ、ギリギリの状態でいると少しの環境変化で即座にムリが発生します。

軍隊では、3分の一から4分の一が予備、と相場が決まっている。例えば、4個中隊を指揮する大隊長は、3個中隊を並べて防御し、1個中隊は不測事態への対処として、「予備」という任務を与える。逆に言えば、10の力があっても、7か8の行動しかとらないという事だ。

冗長性は組織論ですが、個人の姿勢に当て嵌めても相違ないでしょう。つまり70点主義の発想です。70点で合格、というと「80点や90点だとより良い」という発想に繋がりますが、そうではありません。70点を目指し、「80点や90点、ましてや100点ではダメ」という発想に転換することです。
建築家のミース・ファンデルローエは「Less is more」という概念、少ないほど豊かであるという、現代のミニマリズムにも通じる概念を提唱しました。ファーストリテイリングの柳井社長は「企業は不足によって潰れるのではなく、過剰によって潰れる。」と説きます。
どちらも個人のメンタルに対する言葉ではありませんが、少しの余裕や余白も消費し、進んでムリに傾倒する日本人にとって、生き方にパラフレーズできる発想です。自分に対しても、他人に対しても、70点主義を保つことがメンタルにおける「予備」の発想です。

僕たちをムリへと駆り立てるもの

生存の危険の少ない、経済的に発展した現代において、僕たちをムリの境地へと駆り立てるものは何でしょうか。心理学者のアドラーによると、人間の悩みは全て対人関係の悩みのようです。僕は、この「対人」の対象が他人だけではなく、自分自身も包摂していると考えています。本書では「アイデンティティの問題=自責、自信のなさ」と表現されています。人は自分自身に「こうありたい」という理想像を押し付け、実際の自分との乖離を埋めるためにムリをするのではないでしょうか。「勉強のできる自分」「友達の多い自分」「キラキラした生活を送る自分」、今も昔も、人はこうした自分の理想像を描くものです。自尊心の形成、挑戦心の醸成、ひいては人生を充実したものにするために、理想を描くという行為は必要なことです。

ただ、時にそれが過度な競争心を煽り、やみくもに理想へ直走りする暴走が目につきます。また、それを無責任に称賛する風潮さえ感じます。特に現代では、SNSがアイデンティティを過度に可視化します。若年層を中心に、潤うことのない承認欲求の渇きに苛まれ、ムリを重ねているように映ります。
加熱するムリの応酬に対し、ツイッターの創業者は「過去に戻れるなら、『いいね』機能など実装しなかった。」と述懐していました。また、インスタグラムは「いいね」数の公開中止を検討しているようです。

基本的に、今の自分の姿は現時点での技能・知見の範疇に制限され、一足飛びに目指していた場所には辿り着けません。理想までの距離を正しく見積もれず、無謀なムリに身を投じ続けていると、何を目指していたのかさえ分からなくなります。

本人は真剣に悩み、不安に思い、怒りを感じているが、傍から見たら、だからといって命に関わるほどのことではない。本人のこだわりだけ、つまり、「感情のムダ遣い」なのだ。

SNSでも現実社会でも、僕は人がメンタル不調に陥る最大の引き金は「人前で自身の無力が露呈される」ことにあると見ています。人から無力と思われたくない、自分を無力だと思いたくない、その一心で多くの人が進んで「ムリ」を始めます。そして、冒頭の「ムリを称える精神性」がガソリンを投下し、火だるまになるまで人を「ムリ」へと駆り立てるのです。

こう書いておいてなんですが、僕自身は自分の理想像などあまり描いたことがなく、他者からの承認や評価に大した価値を見出していません。
人から貶されても自分さえ満足できれば、布団の中で「ムフフ」と思い出し笑いするぐらい幸せです。逆に人から褒められても自分自身が納得いかないと、朝から晩まで眉間に皺を寄せて考え込む癖があります。僕をムリに駆り立てるものは、自分のアウトプットが自分の求めるクオリティに達していないことです。自分の理想像は特にないのに、自分の作るものに対する理想は極めて高い、面倒くさい思考癖があると自覚しています。
70点主義、そう、僕も70点を目指すことにします。率先垂範です。

早速、今から実践。
結びの段落に入るところでしたが、ここらで中途半端に筆を置きます。

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