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大阪都構想の出発点は、大都市の悩み

僕の住んでいる大阪では、先般の統一地方選で大阪府知事と大阪市長が入れ替わる、極めて珍しい事態が起こりました。発端はご存知の通り「大阪都」を巡る政治の綱引き。大阪都については、2015年の住民投票では否決された一方、選挙では支持されているようで、民意が定まっていません。

地方自治の課題を考える時、規模の小さな自治体は比較的わかりやすいと思います。予算規模が小さく、道路、交通、文化教育等の都市機能を維持していくのが困難である上に、住民は高齢化し医療・福祉サービスの負担が高まっていく。しかし税収は伸びないため、資金繰りが悪化の一途を辿ります。2007年には夕張市が事実上、経営破綻し、財政再建団体に指定されました。

一方、大規模な人口と税収を抱える大都市になると、その課題をなかなか言い当てられない方も多いと思います。都心には様々な企業がオフィスを構え、住居地域とは便利な鉄道で結ばれています。学校、図書館といった教育施設は各地に散らばり、休日は商業施設で最新の服が買えますし、有名な画家の絵が鑑賞できる立派な美術館も建っています。地方都市にみられる郊外の寂れた商業施設、廃校跡、一向に埋まらない広大な空き地のような、一目で分かる都市の空白が大都市ではあまり観察されません。まるで、大都市の運営は全てうまく回っているような錯覚すら覚えます。

行政学者の北村亘さんの書いた『政令指定都市 百万都市から都構想へ』では、こうした大都市の背後に潜む深刻な課題が丁寧に解説されています。ともすれば感情的な批判の応酬に陥り、地方自治の未来という最も重要な問題が忘れられがちな大阪都構想についても、アカデミズムの見地から冷静に論じてられています。

大都市の悩み

そもそも、大都市とは国家においてどんな存在なのでしょう。本書ではその位置づけをこう説明します。

大都市は、活発な経済活動や消費活動で生じた成果を近隣都市、農山漁村といった地域に波及させることで、全国経済の発展を牽引する存在である。

つまり大都市は自身の発展のみならず、それ以外の都市にも良い影響を及ぼすために存在しています。そのため、本書のタイトルにもなっている政令指定都市のように、大きな権限を与えられているのです。実は、ここに大都市の抱える問題の根本である「スピル・オーバー」の問題があるのです。大都市は納税者からの税を財源に行政サービスを構築するのですが、それを利用するのは納税者だけに限定されないという問題です。たとえば大阪市は大きな財源のひとつである大阪市民の住民税を用いて、道路整備や交通インフラの整備を実施します。ところが、その利用者は大阪市民に留まりません。昼間には大阪市外から仕事や教育、高度医療を求める近隣の人たちが流入し、行政サービスを利用します。この人たちを昼間流入人口といいます。

特に昼間に通勤してくる人たちは、大都市で行政サービスの恩恵を享受しているのに、大都市で得た所得を自らの居住地で納税している。

大阪市の人口は270万人です。ところが昼間の大阪市内の人口は約1.3倍の354万人に達しています。言い換えれば、270万人の税収で354万人分の行政サービスを維持しなければなりません。受益と負担が不一致になっていることが大都市の悩みなのです。そして、大阪市は日本でもっとも悩みが大きい都市なのです。

大阪府と大阪市の思想対立

大阪市は大都市として、周辺都市に恩恵を与えるためにも、まず第一に経済・消費活動を活発にさせる責務があります。前述のように受益と負担の不一致がある以上、行政サービスを最小限の投資で持ちこたえ、民間の経済活動を徹底的に底上げして法人税収やサービス利用料を増やす他ありません。大阪市は域内投資による生産拡大に邁進したい考えを持っています。一方、大阪市の周辺都市を管轄する大阪府は事情が異なります。大阪府は周辺都市間で生じる格差を是正し、全体のバランスを整える役割があるのです。したがって、大阪府は大阪市の成果の再分配を望むのです。民間投資による生産拡大と再分配の対立、これは「小さな政府」と「大きな政府」の思想対立そのままです。

政令指定都市は広域自治体の7~8割程度の権限を有しているとされます。こうした大都市と広域自治体の思想対立は大阪に限りません。ただ、大阪はそれが極端なのです。たとえば横浜市と神奈川県にはそれほど大きな対立は聞きません。というのも、横浜市は昼間の東京への通勤流出が大きく、市民からの税収で域内の行政サービスを維持できるためです。いわば東京のスピル・オーバーの恩恵を受けており、横浜市は大都市でありながら周辺都市に近い構造なのです。また近隣に川崎市という産業集積地域を有しており、神奈川県内だけでバランスが保たれやすい特性があります。

もともと政令指定都市の起源は1889年の市政特例に端を発し、東京市、大阪市、京都市が自治権を得たことが始まりです。市政特例は10年程度で撤廃されますが、1947年の特例市制度を経て、1956年に政令指定都市制度が誕生します。この時は前述の3都市に加え、横浜市、名古屋市、神戸市が政令指定都市に格上げされています。政令指定都市ができるまで、大都市は広域自治体からの権限移譲、独立を主張し続けてました。大阪府市の対立はこうした経緯も背景にあるようです。

政令指定都市の乱立の舞台裏

はじまりは6都市だった政令指定都市、最近では各地に乱立している印象があります。政令指定都市の人口要件はよく100万人以上と誤解されがちです。正しくは50万人以上です。もともと戦前の百万都市を対象としていたのですが、神戸市は戦争で人口を大きく減少させ、100万人を割り込んでいました。そこに配慮したため、「50万人以上」という要件となったのです。実は、政令指定都市の法的要件は人口規模以外に特に定められていません。結果的に、これが後の市町村合併に伴う政令指定都市の乱立に繋がっていきます。このため、もはや百万都市でもなければ地域の拠点都市でもない都市まで政令指定都市に含まれてしまっているのです。

政令指定都市になりたい動機とは何でしょうか。一言で表現すれば「ステータス」です。もちろん、中核市や特例市に比べて大きな権限を手中に収められるのも魅力ですが、何よりも政令指定都市というステータスは優秀な職員確保と企業誘致にとても有利にはたらくのです。

1963年、6都市以外で初めて政令指定都市となったのは北九州市でした。これは戦前より政府が門司市、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市の5市の合併を政府が支持していた経緯があったようです。特筆すべきは1972年に札幌市、川崎市とともに政令指定都市となった福岡市です。合併後の北九州市、札幌市、川崎市は法定人口が100万人を超過しており、一般的な政令指定都市のイメージする規模と相違ありません。ところが、当時の福岡市の人口は85万人程度でした。法律的な要件はクリアしているとはいえ、当時の通念としては小さな規模です。

福岡市が政令指定都市を切望したのは、北九州市への対抗意識からでした。福岡県の県庁所在地であるにも関わらず北九州市の後塵を拝したという劣後意識が、大きな原動力になったのです。ここまでくると、大都市の経済成長や行政の効率化という本来の目的とはかけ離れた政治目標になってきます。福岡市の政令指定都市が認可されたことで、政府にも行政にも「85万人以上」という相場観が浸透しました。「50万人以上という明文要件は神戸市に配慮した建前、本音は85万人以上」という日本らしいダブルスタンダードが福岡市の政令指定都市の認定で確立されたのです。そして、その様子を固唾を飲んで見守っていたのが、広島市と仙台市でした。両市は1980年以降、85万人要件という暗黙のルールに則って、政令指定都市に移行します。

こうした、ある種の移行ブームに安易に飛び付かず、政令指定都市に向けた計画を周到に準備していたのが、大阪市の南隣に立地する堺市でした。堺市は人口40万人にも達していなかった1961年時点で、当時の河盛市長が百万都市構想を打ち出し、政令指定都市移行を意識していたといいます。早くから区役所の原型として、「出張所」を整備します。1983年には市内6ヵ所に「支所」という総合出先機関を行政決定し、組織形態も区割りの原型を確たるものとし、業務分担等を詰めていきます。2005年に美原町を併合し、7支所と本庁の業務運営の二層化を進め、バーチャルな政令指定都市としての業務経験を積み、2007年に政令指定都市に移行したのです。堺市はそれまでに仙台市や千葉市と連絡協議会を設立し、移行のノウハウを共有するほどの用意周到ぶりです。これは想像ですが、広域自治体である大阪府からの激烈な抵抗を予期して、国に対するアピールも兼ねていたのではないでしょうか。

このあたりの政令指定都市への移行に関する舞台裏が、本書の見どころのひとつです。

大阪都構想を問う前に

本書では40ページを費やし、「大阪都構想とは何か」を論じています。そもそも、なぜ大阪都という府と市の垂直統合が必要なのか。もっぱら取り上げられる「二重行政の解消」ですが、実際のところ二重行政は首長間の調整で回避できるケースが多く、垂直統合の動機としては弱いと言わざるを得ません。ましてや事業の実施者が府か市かなど、住民にとってさして興味のある問題ではありません。

大阪都構想とは、長らく利害の一致を見なかった府と市の関係を新たに見直す、という観点が最初の出発点です。自律発展を望む大都市とバランスの調整を望む広域自治体、それぞれの役割に特化させる姿を模索する大前提が、住民はおろか政治家の先生方も理解されていないように思います。これは政治問題ではなく、都市の統治論なのです。

府と市の垂直統合の手法も、ひとつではありません。広域側の調整機構に取り込む形と、大都市側の独立を広域が補完する形など、様々な方法論が考えられます。どうも、こうした議論も端に追いやられているように思います。「なぜ統合が必要なのか」「どんな手法があるのか」そこをクリアにした説明が十分に為されているとは到底思えません。大阪都構想の信を問う以前に、住民は判断するだけの材料を持てていないのが現状ではないでしょうか。また、残念ながら日本では都市に関する義務教育が郷土史程度で留まり、都市計画が大学の専門課程に丸投げされているのが現状です。都市の未来像を住民が議論するために、情報・知見の非対称性は解決すべき問題でしょう。この点に関し、大学は地域社会に対する情報拠点としての役割をもっと自覚すべきだと思います。

政令指定都市制度の歴史はたかだか半世紀ちょっとであって、今の都市の統治の枠組みも決して盤石ではありません。僕たちは生活している環境を所与のものと認識し、必然的に今の形になっているものだと思いがちです。しかし実際には、絶えず問題が起きては修正し変化し、それを繰り返ししている途中の断面に、僕たちはたまたま出くわしているだけなのです。今を基準に考えると新たな統治の枠組みを考えること自体がドラスティックな変化に見えますが、俯瞰してみると必然性に乏しい統治機構を見直すだけに過ぎません。

漠然と捉えている都市という存在が、どんな歴史を紡ぎ、どんな問題を抱えているのか。それを知ることで、もしかすると明日から身の回りの世界が違ってみえてくるかも知れませんよ。

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