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プペル再上映

こんばんは。藤井です。

映画えんとつ町のプペルが、ハロウィン期間限定で再上映することになりました。

私は原作者の西野亮廣さんのファンであることを公言しておりますので、少し西野さんとの出会い(実物とお会いしたわけではない。見たことはある。)と、今の心境を書こうと思います。

タイトルは中身とは関係なく、宣伝を兼ねて「プペル再上映」です。

では、行きます。




キングコング西野は当然昔から知っていた。

漫才師キングコング西野や炎上絵本作家芸人西野亮廣ではなく、絵本作家でありエンターテイナーの西野さんを知ったのは2020年の10月6日、2017年出版の西野さんの著書『革命のファンファーレ』を読んだ時だった。

2020年10月10日が私が前職を退職した日で、読み終えたのはその1日前の10月9日だった。

彼の著書との出会いは、人生や自分自身を何とかして変えようともがいていた当時の自分にとって、もしかしたら必然だったのかもしれない。



前職では「どうすればいいのかわからない」を何度も経験した。いや、配属されてしばらく経ってからはずっと、どうしたらいいのかわからなかった。

本当に何をしてもダメだった。自分でもダメなのはわかっているし、日頃の行動を改めなければいけないとも思っているが、とにかく何もできなかった。

上司やチームリーダーとの関係も良くはなかった。

在職中のことを頑張って書いていたのだが、自分がずっと目を逸らしてきていた過去だったせいなのかうまく文書にできない。

今日は時間がなくてできないが、きちんと向き合って、過去を精算して、糧にして、前に進みたい。いつかきちんとNoteに前職の時のことも投稿する。




転職が決まって、次の仕事までの1ヶ月間の休憩期間のことだ。

せっかく会社を辞めたのにもかかわらず、結局、自分はこれから何をどうしたら良いのかがわからなかった。

当時の自分は、実質ニートで休憩期間にも関わらず、次の会社に入社前からちょいちょい仕事っぽいことをさせられていたりもして、そんなに休憩はできなかった。のんびりと旅行に行きたかったのだが、結局2泊3日の九州旅行ぐらいしかできなかった。

当然だが、新卒で入った会社をネガティブな要因で退職し、次の会社で働き始めるまでの間は心が落ち着かず不安だった。いつものようにテニスをしても、嫌な感情を忘れられるのはテニスをしているときだけだった。テニスが終わってから少し時間が経つと、また不安が襲ってくる。

そんな時に心を落ち着かせる術が当時の自分には読書しかなかった。もともと読書家だったというわけではない。
でも、当時の自分はまるで本能的に理解していたかのように、読書に救いを求めた。

そもそもの読書スピードが遅いので、あまり読めてはいなかったが、自分なりにたくさんの本を読んだ。

読書は自分の中にあるネガティブな言葉や考え方を掃除してくれる気がした。実際に心が救われた。




たくさん読んだ中でも、特に印象的だった一冊が『革命のファンファーレ』だった。

サクサク読めるという事実と、他の誰にも書くことができない、西野亮廣にしか書けない唯一無二性、それでいて全員が共感できるような論理的で数字や事実にも裏付けされた考え方、どれをとってもこれほどまでに衝撃的な本に出会ったのは初めてだった。

高1の頃、友達ができなくて文字通り何もしていなかった私に母が勧めてくれた『7つの習慣 TEENS』という本以来の衝撃だった。

西野さんの考え方は人類や社会のこれまでの歴史を元にしていることが多いので、もともと「生物的に考えて」とか「歴史的に考えて」という考え方をよくする私は、すんなりと受け入れることができた。

ただし、西野さんは歴史をさも当然の普遍の真理として受け入れるのではなく、常に常識を疑ってかかり、誰よりもたくさん行動して、誰もしたことがないチャレンジを繰り返して、常識を覆していた。それが衝撃的だった。




そして、この本を読んで、見落としていた自分自身の一つの事実と向き合うことができた。

「努力が足りていない」

どこか、楽に生きようとしていた。なんとなく良い会社に入って、財テクとかにも手を出して、お金を稼いで人に対してやんわりとマウントを取る人生を送ろうとしていた。

そんなところに幸せなんて絶対に落ちてはいなかった。

自分がそういった生き方を選ぼうとしているという事実すら、この本を読むまで気づくことができなかった。

自分らしい人生、幸せな人生のためには努力をしなければならない。

努力して、失敗して、どうすれば良いのかを考えて、また行動しなければいけない。


行動して、その結果から得られた情報を元に自分の価値観や得意なこと、叶えたい夢や理想の暮らし方を明確にしていかなければならない。

そんなことの繰り返しでしか幸せなんて得られない。

そう気付かされた。





とはいえ、間違いなく人生には運も大きく関係している。貧しい国で生まれ育った少年に勉強しろ、行動しろ、考えろとか言ってもそもそも不可能である。


日本に生まれて、きちんと教育を受けれている時点で全員ある程度運が良い。普段自分の周りやネットで見かけるような、上手く人生をやれている人はただ自分よりもずっと運が良かっただけかもしれない。


だからと言って、既に27歳になった男が今更運を嘆いても仕方がない。人生を切り開く力がない自分の要領の悪さや知識の少なさ、頭の悪さ、みっともなさを嘆いても仕方がない。

なんでも良い。何か一つ行動を起こさないと。

色んな選択肢が考えられた。転職という選択肢は正しかったと思う。でも、やっぱり転職をしただけでは満足感を得ることはできなかった。

心の底に押し込めていた「エンタメをしたい」という想いが、突沸寸前だった。「エンタメをしたい」という想いと一緒に沸騰石を入れておくのを忘れていた。理科の先生に怒られるやつだ。

かといって、今後どんな道を歩めば良いのかもわからなかった。努力する人生を歩みたいとは思うが、大して何にも考えずに、転職を繰り返したり、上手くいかなかったら社会や周りの人への愚痴ばかり言ってる、そんな惨めな人生も送りたくはなかった。

27歳という年齢は勢いだけで行動して良いかどうかギリギリの年齢であり、思い切った勢いだけの再転職というのも考えものだった。

そこで、自分が取ることができた唯一の小さな一歩がYCAへの入学だった。

YCAに入って、エンタメを経験させてもらって、(←学ぶというよりかは、経験するという表現の方が適切な気はする)気づいた。

表現することでしか幸せを感じることができない人間がいる。自分もそのうちの一人だ。

ある程度のお金は欲しいし、西野さんや宮崎駿さんとかほどではなく、程よく表現をできればそれで良いのかもしれないとも思っている。ただ、ポスターやOPV、サムネ、Tシャツのデザイン一つとっても、楽しさを抑えきれない。配信の企画を考えたり、授業の課題で脚本やネタを考えたりするのも楽しくて仕方がない。

もしかしたら、仕事ではないから楽しいだけかもしれない。

でも、絶対に間違いなく、表現の手を止めてはいけない。努力の足を止めてはいけない。この先どんな環境でどんな仕事をしていたとしても、表現は続けてゆくと決めた。

藤井ごときが使うには表現という言葉は大袈裟かもしれないが、少なくとも、自分でアイデアを考えて形にするということをしなければ自分は幸せにはなれないようだ。



YCAに通う生徒には同じ類の人もそこそこ多いだろう。

それゆえに就活に悩み、自分の人生に迷いかけている人もいるだろう。

大丈夫。会社が全てではない。絶えず自分と向き合って、どんなことであれ誰よりも努力をしていれば、きっと人生は切り拓けるはずだ。

まだ、私自身が自分に自信を持ててはいないが、今後の自分自身の行動指針を指し示すという意味でも、Noteに書かせていただいた。


一緒に素敵な人生を作りましょう。




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