気持ちの制限速度
自分が今いる環境というものを正しく捉えられていない人間は多い。
かく言う、僕もそうだ。
ミクロとマクロの視点で見ることができているか、どちらも必要だ。
わかりやすく言うと、
弱小高校野球部で甲子園目指すぞ!って言って、めちゃくちゃ練習しようとするのは、マクロ(高校野球全体や、人生全体における努力の大切さ)の視点で見れば正しい。
勝つのが正義。努力が正義。いたって普通の考え方だ。
ただ、ミクロ(その野球部の雰囲気や、人間関係)で考えた時、こういう奴はやっぱり間違ってる。
そんなに意識高く練習したいなら他所に行けばいいし、着いて行けないから、俺たちは辞めるって話になる。
会社レベルでもそう。
例えば極小イベント制作会社が少し大きめの会場でのイベント制作を任されたとする。
本気でやりましょうよ。やれそうなことは全部やりましょう。SNSで発信しても、なかなか誰もひっかかりませんよ。駅前でひたすらチケット配りましょう。社内の人間をまず全員味方にすることと、自分の友達や家族をしっかり味方にするところから始めましょう。100人直で当たって一人ゲットする。それが、集客のキホンのキの一画目ですよ。何SNSの投稿だけして満足してるんですか、そんなんで集まるわけないでしょ。
って言ったら、それはマクロ(仕事の成果から考える考え方)の視点から見れば正しい。集客の基本に則って話をしているだけだし、結果や価値を生み出すことが本来の仕事であって、定められた時間勤務するだけを仕事とは呼ばない。
でも、その会社にいる人間たちが、もうそういうのんええって。とりあえずSNSで発信だけしといたら、何人か集まるねんやからそれでええやん。別にこのイベントは自分たちから企画持ってきたわけでもないし、集まらへんかってもしゃあないやろ。そんなことよりもみんなで馴れ合いながら仲良くやろうや。頑張ったところで大してええことないよ。
って人たちばっかりだったら、ミクロ(社内の雰囲気や習慣や人間関係)の視点で見た時に間違っている。
こういうのんは、要するに制限速度を見誤ったせいで起きる。
制限速度60km/hの道を30km/hで走っていないか?
周りがみんな30km/hだから気づかないだけで、それでは路上には出れない。
60km/hの道でも平気で80km\h出す車はいるし、国道とかなら制限速度60km/hでも100km/h出す車なんてザラにいる。
本来の仕事とはそういったものだ。
30km/hでしか走れないやつは路上には出れない。
ただ、実際の車の運転と違って、多くの仕事には免許がいらない。
そのせいで、本当は(マクロの視点で見れば)60km/hの道なのに、周りのみんなが30km/hで走っているせいで、制限速度を(ミクロの視点で見て)30km/hだと思い込み、事故になるまで、あるいは目的地への到着が遅れるまで、そのことにすら気づかなかったりする。
逆も然り。
1人で勝手に80km/h出していないか?
周りのスピード感や、やる気と行動力はしっかりと60km/hなのに、自分のスピードを押し付けていないか?
きちんと求められる水準や、自分たちの求めたい水準をクリアできるのであれば、それはだいたい制限速度近くで運転できているということだ。
それを無理に、もっと貪欲に!限りなく努力しましょう!っていうのは、制限速度オーバーの考え方だとも言える。
また、
制限速度60km/hで走ってても、道路標識は常に変わるものである。
40km/hに変わったことに気づかず、60km/hで走り続けたり、急カーブや登り坂などの減速すべきポイントでも速度を出し続けて、事故を起こしたり、スピード違反で捕まったりすると、それは間違いである。
こういうスピード感覚の話は難しい。
なんとなく周囲に合わせて上手いことやるやつ、すなわちミクロの視点で見たら正しいやつは本当に正しいのか?
成果を出さないんだったら、そんなのはただの馴れ合いだし、思考の放棄でしかない。
一方で、ひたすら頑張って結果を出そうとするやつ、すなわちマクロの視点で見たら正しいやつは本当に正しいのか?
成果を出しても、たくさんの人間が傷つくなら、何のための仕事かわからないし、成果を出そうと努力することが、人間付き合い下手な自分を正当化する理由になっているだけでしかない。
でも、今の僕みたいに、今はまだ先輩とか先生とかが付いてくれる立場にある人間たちに求められるのは、ブレーキではなくアクセルだと思っている。
先輩や先生は教習所の教官みたいなもんだ。
我々が間違えたら、必ずブレーキを踏んでくれるし、ハンドルを操作してくれる。
絶対に、先生や先輩が我々を事故なく目的地まで連れて行ってくれる。
だから、60km/h出そうとする意思が大切だ。
ブレーキばかり踏んでいないか?
教官はブレーキは踏んでくれるけど、アクセルはあまり踏んでくれない。
それは君の役割だ。
だから、社会人生活半年とか、部活を始めて一年とか経った人は、もう自分は仮免が出ている状態だと思って、頑張って少しアクセルを踏んでみよう。
そして、60km\hを出せるようにしておこう。
そして、少しでも速く走って、少しでも遠くの景色を見に行こう。
60km/hも30km/hも
両者一長一短。
だから、大切なことは、もっとちゃんとぶつかることだと思っている。
車と違って、真っ正面からぶつかっても車体が凹んだりはしない。
日本人は本当に議論が下手だと言われる。
きちんと話し合いたい人間は面倒くさいやつとか言われる。
これは本当に危機感を持った方がいい。
意見をぶつける人がいなさすぎると、意見を言える人間はますます自分に対して、変なプライドや使命感を抱く羽目になる。
その人間の辛さは、いつも黙ってるだけの人間には絶対にわからない。
なんとなくこれまで通りにやるだけの人や、結果から逆算して考えない人や、頭を働かせない人にも絶対にわからない。
きちんと話し合いたいだけなのに、攻撃的なやつとか頑固なやつと言われてしまう。
すると、そのレッテルを貼られた人間はますます攻撃性を増していったりする。
だから、多くの人間が制限速度を見誤る原因は、(仕事やスポーツにおける正しい速度感を測ることは出来ないので、何を持って見誤るとするのかは判断が分かれるけど、)
きちんと議論ができないこと。
車じゃないのに、正しくぶつからないから、お互いに周りが見えなくなる。
しっかり人と人とでぶつかりあって、ここは危ないからスピードを落とそうとか、この道は人もあまり通らないからもっとスピードをあげようとか、あなたの運転技術だとまだここは走らない方がいいとか、あなたはスピードを出そうとしすぎで危ないからこの道はやめた方がいい
といった、お互いの気持ちや思考の、交通整備をすることが必要である。
後、正しいぶつかり方、すなわち意見の伝え方や相手の意見の否定の仕方はとことん考え抜く必要がある。
それができないのであれば、それは黙っているだけの人と何ら変わらないし、そのせいで黙る人が出てくることに気づかなければならない。
藤井個人に関して、具体的レベルで言うと、やはり相手を傷つけてしまわないかどうかと、お願いや藤井のおちょけが誰かを不快にしていないかを意識して、思ったことをそのまま伝えないという訓練が必要である。
誰よりも想いが強いし、誰よりも行動力があるし、誰よりも知識が多いし、誰よりも前例通りなだけには意味を感じないし、誰よりも先生に言われた通りでは満足しないし、誰よりも頭を働かせている。
それを扱い切れずに、スピード違反や衝突事故に繋がってしまっている。
それがダメな自分を正当化する理由にもなっている。
もちろん、どれだけ本音を曝け出せるかもとっても大切だから、そこは大切にしなければいけない。
でも、バカで本音しか話せず人を傷つけるのと、自分の声を届けるべき人に届けるための本音とは違う。
たぶん、もうなるようにしかならない。
自分の声は誰にも届かない。
それは30km/hだよと、どれだけ叫んだところで、30km/hでしか走れず、ぶつかることをしない人たちには理解してもらえない。
だから、60km/h出そうと言って、ひたすら煽るのではなく、少しずつ一緒に60km/h出していき、60km/hは怖くないことを教えてあげることが必要である。
一度高速道路を経験すれば、車への恐怖はかなり消える。
本来、それは僕の仕事ではないが、30km/hの人にイライラし、自分がどうしてもスピードを上げたいのであれば、煽るのではなく、そういった努力が必要だ。
伝え方や接し方を、あれやこれや工夫しよう。
自分たちはどこまで行けて、どんな景色が待っていて、その景色はどんな人たちと見るのだろう?
難しいことが多いけど、もう少し頑張ろう。
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