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最初から無理といわないで なんのためかを忘れないで

拙著『「定年後」はお寺が居場所』(集英社新書)を7月に上梓してから2カ月。おかげさまで、批評やお褒めの言葉などいろいろな反応をいただいた。書評もいくつか出た(「もしもドラッガーがお寺のマネージャーだったら」「ビジネスパーソンの必読書」「浄土宗本願寺派総合研究所」など)。書評の題からもわかるように、反応は大きく分けると、お坊さん側からと、「居場所」を求める中高年男性からの2つの系統があった。

お坊さん側の反応にも2つの系統があって、一つは「応援歌」と受け止め、「勇気をもらった、自分もがんばろう!」的なもの。もう一つは、「取り上げているのは有名で特別な僧侶ばかり。自分のところでは無理。そもそも寺院経営の観点からみたら、社会に開いたところで何の役にも立たない」といったものだ。

有名どころが多かったのは事実
後者について少し書きたい。確かに、今回はメディアで取り上げられることの多い寺が多かったのは事実だ(こうした有名なところでさえ全く知らないという僧侶が少なからずいることがわかるできごとがあって、そのこと自体にちょっと驚いたのだが。拙著で「僧侶は浮世離れ」と書いたが、要は自分たちの置かれている状況に無関心な人がやはり多いのだろう。釈迦に説法だけれど、火宅のたとえ話をしたい気持ちだ)。

あまり世間には知られていない地道な活動をもっと取り上げたいとも考えたが、基本は僧侶ではない一般の人たちに向けての書籍だ。それだけに、特徴がはっきりしていて、一般の方にも「わかりやすい」ことを重視した。「お寺って、いいね。ちょっと行ってみようかな」と思えるようなところを選ぶと、目立つところに偏りがちになった。これは自身でも認識しており、いささか残念なところだ。

なんで「自分のところでは無理」と言ってしまうの?
ただ、そのことが即「自分のところでは無理」とイコールになる感覚は解せない。有名なお寺やお坊さんにしたって、最初は有名でも何でもない。ゼロから試行錯誤して、できる範囲で活動し、その範囲が広がっていった。課題に気づき、なんとかしようと努力や工夫を積み重ねたうえでのいまの姿であることに思いをいたしてほしい。努力なしにいきなりスターになる俳優なんて、よほどの幸運が重ならない限りありえないだろうし、実が伴わないスターなどあっという間に世間から忘れられてしまうだろう。それと同じだ。

まずは「できる範囲」で「やりたい。やらなければ」ということをする。それこそが大切だと考えるし、そういう気持ちで書いたつもりだ。伝わらなかったのは筆力不足と反省する。同時に、最初から無理という言葉を口にしないでほしいと切に願う。

「経営に役立たない」には「そうですか」
寺院経営には役に立たないという言葉には、一言「そうですか」と返す。逆に問いたい。そもそも何のために社会とつながろうとするのか、社会課題と向き合うのか。金儲けのため、寺院経営のためなのですか、と。

拙著でも寺院消滅について触れ、存続問題は大きな課題だとした。僧侶だって食えなければ活動できない。そのことを理解したうえで書いている。それでも、檀家制度や葬式仏教に頼っているだけでは、寺は先が見えている。でも、世の人たちから必要とされるための存在であってほしい。そのためにはやはり社会と向き合うしかないということを拙著では書いたつもりだ。そこからしかブレイクスルーはないだろうということを。

いまがこうだから将来も、は思考停止だ
絶対数はまだ少ないかもしれないが、仏教への関心はマインドフルネスなどを通じて広がっていると感じる。そんな人たちの関心にこたえられる存在であってほしい。変化は常に周辺部、少数から始まる。こうした変化に応じた必要とされる寺には将来、何らかの経済的な基盤が必ず生じるに違いないと思っている。いま葬式と霊園で経営が成り立っているのだから将来もずっとそれ以外には経営基盤は考えられないというのは、思考停止以外の何物でもない。

無責任の誹りは甘んじて受けるが、具体的に新たな基盤がどんなものかは、いまここでは書けない。ただ、2500年もの長きにわたり仏教は伝わってきた。その役割を担う僧侶を養うための経済的基盤がいつもしっかりしていたわけではないにもかかわらずだ。なにか時代に応じた知恵や工夫が必ず生まれるに違いないと信じている。わたしも考えたいと思っている。

社会とつながる、課題と向き合う一番の目的は何かをもう一度考えたうえでなお、「寺院経営には役に立たない」と声高にいうのなら、それはそれでいいと思う。ご自由に、だ。先述の通りやはり、「そうですか」と一言で返すことにする。

長文になった。中高年からの反応についてはまた機会をあらためて。

#寺 #僧侶 #お坊さん #葬式 #居場所 #仏教 #お寺


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