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妹のパーキンソン病治しましたが、それが何か? その1 手のひら先生の高麗手指鍼療法 16


鍼灸学校入学

身内を治せるようになったら1人前、こう先生は入学してすぐにおっしゃいました。
あなたは身内が重い病気と診断された時、治してやろうと思いますか?それとも諦めてしまいますか?
どうやら妹のパーキンソン病の進行を止めて治せたので、今は先生の言ったような鍼灸師に一歩でも近づけたかなと思っています。

そこで今までどのような軌跡をたどってきたのか考えてみました。誰かの参考になればと思います。

自分の王道をさがす

鍼灸師になる道はこれが王道だというものはいままで1つしかありません。それが「弟子入り」と言うものです。
しかしそのほかにこれをやれば鍼灸師として完成するという方法はありません。

ほかの業界にはこのようなことがあるでしょうか。職人とか技術者と言われる職業は同じだと思いますが。

医師ならどうですか?

まず偏差値を上げるため勉強しなければなりませね。

難関の医学部に入学したらまた希望の学科に入るためにまた競争をして、さらに上を目指すならその道のトップを調べて学ぶことになるのでしょう。
大学に残ってもいいし海外に留学してもいいはずです。

東洋医学の場合漢方薬は医学部をでるか薬学部を出るか、それでも学ぶためには過去の業績や文献から目指す方法学ぶところは明確でしょう。

しかし鍼灸とあんまに関してはそのような方法は取れないのです。

本を何冊も出版しているとか、何店舗も展開しているとか、患者数が多いとかマスコミで良く見かけるとか、それが自分の病気を治してくれるバロメーターにならないからです。自分の進むべき道はまず先を見つけて、その方向に向かうために手助けをしてくれる師匠を探すのです。

ほとんどの生徒も一般の方も、鍼治療はツボと言う特別な体のところに鍼を刺せば、病気は治せると考えているでしょう。
確かに1本の鍼を刺すだけで様々な治療ができる人もいれば、1本の鍼で痛みをとる方法も世の中にはあります。

やっていることは全く違うのに外からは同じにことにしか見えないので、これが理解を難しくさせています。

1本の鍼で関節リウマチやがん治療を出来るはずはないでしょう。でも様々な病気に対して効果を上げているのは、もう一つ要になることがあるのです。

それが「気」なのですが、あらゆるところでその情報は手に入り文献も数え切れないほど存在します。
でも分らないのです。

言ってみれば医学部に入るぐらいの勉強をしても、なおかつ分からないし手に入れられないかも知れません。

と言いながら簡単に手に入れている人がいるので、この世界は本当に理解しがたいのです。


鍼灸学校入学動機

昔から先輩の中には鍼やお灸で治ったので入学された方もいました。

結核が戦後は多かったのです。ペニシリンが出現しても肺炎球菌を眠らすことは出来ても、死滅させることが出来なかったようです。そこで療養所から退院した後、お灸で免疫を上げると全快したそうです。
私の先生山下詢先生や立川志らく師匠のお爺さんも、同じような経歴からこの世界に入られて業績を残された方たちです。

私の場合は虚弱体質で育ってきて、働き初めて転職を目指して無理をしたことで、ひどい蕁麻疹になりました。その治療法は西洋医学にはなく、民間療法漢方薬を試していく中で鍼灸まで治療が広がったところで治りました。

その時は40歳手前だったので将来を考えました。

当時定年は60歳で再雇用を入れても62歳までで退職になります。未婚でしたので親の年齢も考えると、第2の人生に鍼灸資格を取得しようと突然閃いたのです。30年前のことでした。

鍼灸師の当時の社会的評価

いまと違って当時の社会的評価は低いものでした。国立病院のリハビリ部長をされていたマッサージ担当の先生でさえ「病院にいると看護婦があんまさ~ンと我々を蔑称で呼ぶんだ」と仰っていました。

江戸時代の鍼灸師は庶民にとって今のホームドクターの存在でしたので、あんま師についてもそれほど差別はなかったのではないでしょうか。

恐らく富国強兵のため急遽できた医師国家制度によって、東洋医学全般が貶められる状況になったと思われます。

私が鍼灸学校に通うと言ったら家の中では大騒動が起きました。身分制度の最下層に落ちるんじゃないかと思われるぐらいです。今の生徒はそのようなことはなく、専門学校進学しその先に就職が決まるぐらいのおもいではないでしょうか。

スポーツが産業の一つに数えられる現代では、メディカルトレーナーとかコンディショニングトレーナーとか国家資格ではないものの、社会的には認知され始めた職業もあります。

昔は日本も貧しかったので障碍者の福祉は貧しく、視覚障碍者の多くがあんまを職業にする時代が長く続きました。

証明する証拠もないのですが、医師制度を急いで国民に知らしめ社会的評価を高めるため、漢方医・鍼灸師・あんま師を相対的に低くするようにしていったと考えます。

2部の夜間のクラスでしたが、入学すると先生方が「今年は大卒が多いなあ」と感想を漏らしていました。そして仰ったのは「自分が入学すると言ったら、親戚の縁は切ると言われた。一切これからは親戚づきあいはしない。兄弟の縁を切る」などと言われたそうです。

30年前の我が家でさえ大騒ぎだったのに、それより遡ること30年40年前の時代は大変な社会事情であったことが分かります。

そこで先輩たちの努力で我々から国家資格が授与されることになったのでした。そんなことなあ~ンも知らないで入学したのでした。

しかし40歳のおっさんが、20年ぶりに一応大学レベルの試験に備えるには大変でした。日本史国語はいまさら準備できないので、生物は進歩しているだろうと久しぶりに「旺文社大学受験講座」のカセット問題を購入しました。

当時試験の倍率は17倍ぐらいあったと聞いていたので、結果発表までは眠れない夜がありましたが、お蔭様で生物はほぼ満点、日本史・国語は60点ぐらいの出来で、これはてっきりもう一年と思いました。もしもう1年の準備はきついなあと考えましたので、不合格だったら諦めていましたきっと。


その後小泉首相の規制緩和によって、鍼灸クラスが増えて今はまた受験生が減ったのでほとんど入学出来るそうですね。ただし入学しやすく資格も取りやすいようですが、資格取得者は当時の倍もあり職業としてやっていけるのでしょうか。

私のホームページはこちらです。「手のひら先生のリウマチ相談室」


次の本は「手のひら先生スタイルの高麗手指鍼療法」がどのようにして生まれたのかを書いたものです。
他の鍼灸書のようにこのツボを使えば治るというような本ではありません。手のひらのツボのことや治療法については
「高麗手指鍼講座」柳泰佑著 たにぐち書店 刊 日本語訳がありますのでご覧ください。鍼灸は見たり読んだりしても身につくものではありません。

一般の方には病気を治す鍼治療とはどういうものか理解できるように書いてあります。さらに私なりの簡単自律神経調整法を図解しております。

サポート頂いたら最先端の医学雑誌と、最先端の進化論本を購入し難病治療研究に役立てる予定です。