見出し画像

ヒースロー空港とノルウェイの森

どうやら火事になったのはヒースロー空港内のバーガーキングらしい。

空港内の放送によると、その出火の影響で午後3時に離陸予定だった成田行きの飛行機は延期。次の便は何時になるかは全くの未定らしい。

約9か月振りに日本に帰る予定だった当時15歳だった私は、その全く予想だにしていなかった状況を全く受け入れることが出来ず、人でごった返すヒースロー空港で狼狽していた。

同じ便で成田に向かうはずだったHちゃんは、おばあちゃんの家が名古屋にあるということで、なぜかキャンセルにならなかった名古屋行の飛行機で帰国していった。

搭乗客のカウンターには、詳しい状況を聞きに来た客でごった返している。早く日本に帰りたい気持ちはあったが、そこをかき分けて状況を聞いたところでどうにもならなそうなことは明らかだった。

1997年12月、イギリスのヒースロー空港で実際に起こった出来事である。



とりあえず、搭乗客が集う免税エリアへと場所を移動した。同じく長期戦を覚悟した旅人たちが我先に寝れそうなベンチを占拠し始める。

火事が起こるなんて誰も予想してなかっただろうに、まるで予想していたかのようにベテランバックパッカーたちが寝床を作り始めるその様は、少しかっこよくもあった。

14歳でイギリスに単身留学で渡った後、9か月。全く知らない土地で全く知らない言語に囲まれながら、毎日頭をフル回転させて言語を覚え、毎日死にたくなるほど恥ずかしい思いをしながらへったくそな英語でコミュニケーションをとり。日本人と話すときも英語でしゃべれ、と厳しく言われ。

日本でも全寮制を2年間経験してからの渡英なので、若干の忍耐力はついていたが、言語も文化も異なる国での学生生活。心労からろくに食事もできなくなり、一日に食するのは数粒のカルシウム錠剤のみ。誰のせいでもない、ただの通過儀礼だ、そう心に言い聞かせながらなんとかかんとか・・・色んなものをすり減らしながら、しのいだ日々。

で、そんな日々をなんとか生き延びてやっと日本に一度帰れる。やっと帰れるんだ!・・・・・と、いうモードになっていた矢先の出来事が上記である。

成田行きの便のアナウンスはなにもないまま数時間が経過。免税コーナーでは空港の職員が、自分のような帰国難民向けにポテトチップスとパンを配り始めた。お腹は空いていたのでうれしい反面、これはまだ何も目途が立っていないんだろうなと確信するきっかけでもあった。

あぁ・・・早く日本に・・・・かえりてぇなー・・・・


飛行機の中で眠れなかった時に読もうと思って、手荷物に入れていた文庫本を手に取る。村上春樹「ノルウェイの森」だ。割と速読気味な自分にとって上下巻のボリュームはありがたく、12時間全く寝れなかったとしても旅のお供になってくれるだろうと思い、手荷物に忍ばせてきた。そもそも母から送られた救援物資の中に入っていた2冊だから、日本から届いて今日本に戻ろうとしているわけだが。

日本の母からの救援物資は、イギリスでの単身留学が終わるまで続いた。最後の方は頻度はだいぶ少なくなったが、毎回カップラーメンやおかゆのパウチ、日本のお菓子などが入っていて、悪名名高いイギリス料理への順応期間でもあった留学初期の自分にとって、それはとびきりのごちそうだった。

そんなジャンクフードに交じっていつも2~3冊文庫本が混入されていた。後に聞いた話だと「日本語を忘れないように」という意味を込めて入れてくれていたらしい。

母が好きなミステリー小説やその時話題だったヒット作などと共に、なぜかハードボイルド系もちょくちょく入れられていた。馳星周や花村萬月といったドギツイ系をイギリスの山奥の寮の部屋に寝転がりながら読み、「日本の裏社会ってこえぇー・・・」と思った記憶がある。


で、なんで今回の帰国のお供に「ノルウェイの森」を選んだのかというと、、、特に意味はない。少し前に「風の歌を聞け」を読んでから村上春樹が気になり始め、村上春樹が好きならこれをまず読みなさい、と誰かから勧められたので母に頼んで送ってもらった上下巻2冊だった。

ここで「ノルウェイの森」のあらすじや批評をする気はなく、するほど思い入れがあるかというとそうでもなく。ただ、この作品が「青春群像劇」と評されていることを何度か見かけたことがあるが、今思えばそれはあまりにもピントが外れた表現のような気がする。

15歳の私は、ヒースロー空港免税エリアのベンチに腰掛け、「風の歌を聞け」のような、繊細で、どこか現実感がなく漂っているような、独特な文章と雰囲気の作品なんだろうな、と期待を込めつつ上巻の表紙を開いた。


1960年代特有の開放感と共存するひりついた空気の中で語られる、愛、性、友情、倫理。そして登場人物の精神崩壊、自殺。そしてこの作品の一番のメッセージ「死も生の一部である」。

15歳にもなると、死生観というものを考え始めない歳でもない。特に留学初期の本当に辛かった時期は、何かにつけて人生の意味のようなものをやみくもに探し続けていたような気がする。なので、そういうものに触れる事にも少なからず耐性があったはずだ。

ただ、それにしてもだ。やっと日本に帰れるはずだったのに。本来であれば今頃ロシア上空あたりだったはずなのに。今、私はヒースロー空港免税エリアのベンチに座り、配られたパンをガジガジしながら、、、、語弊を生むことを恐れずに言えば、「圧倒的に暗い名作」を真正面から体に吸収し、深夜のロンドン郊外の暗黒の夜空にそのまま吸い込まれるんじゃないかという不思議な感覚に陥った。

飲み込まれるように読書に耽っていたが、ふと、少しだけ周りを見渡した。もう深夜だが、空港内はまばゆい光に包まれている。行きかう人々はそれぞれ違う便で違う到着地に向けて出発すべく、出発ロビーに吸い込まれていく。ここはまるで人間交差点だ。それぞれの人生の中でそれぞれの死生観があり、とても他人からは知る由がないほど悲しい出来事があった人も、まるでそんなことなかったかのように笑ったり喜んだりしているんだろう多分。そうやって世界の色んな事が成り立っているんだろうな。そうなんだろうな。


そんなことを思っていた。


直子の自殺がたった一行で語られた衝撃の少し後、ついに成田便の時間がアナウンスされ、同じエリアにいた日本人グループから歓声が上がった。

続きを機内で読み終わり、ヨーロッパ圏内を出る前に深い眠りに落ちた。目が覚めた時、飛行機は日本到着まであと1時間のところまできていた。


あれから20年以上だった今でも、あの日の事を鮮明に覚えている。「ノルウェイの森」はあの日から一度も読んではいないが、映画は観にいった。役者が素晴らしいのと、劇中音楽をRadioheadのJohnny Greenwoodが担当していてそれがまた素晴らしいので、是非観てほしい。特に、直子が亡くなった時のワタナベの心理描写をノイズで表現しているのだが、私は映画館でそのシーンの際に鳥肌が止まらなかった。是非観てほしい(2回目)。

今思えば、死生観、というより人間の倫理観を取っ払った人間の行動や心理描写、というか、人の退廃的な思想のようなものに初めて触れたのがこの作品であり、空港での時間だったような気がする。「ノルウェイの森」と「ヒースロー空港」がどんな相乗効果を生むのか、果たして生んだのか定かではないが、その経験がきっかけで一人の15歳の日本人の少年が


マジョリティーとは?
マイノリティーとは?
反体制とは?
Punkとは?

・・・・・皆と同じであるということはいいことなのか?


と、、、、もしかしたら知らなくてもよかったことを真剣に考え始めるわけだが、ヒースロー空港にも、もちろん村上春樹にもなんの責任もない。


帰国したのはクリスマス直前くらいのタイミングだったような記憶がある。正月を日本で過ごし、またイギリスへと戻ったのは1月初旬。

その時は、また1か月ちょい後に、父の訃報を受けて帰国することになるとはもちろん思ってもいなかった。




父亡き後、遺品の中から父の作詞ノートが出てきた。ギターをたしなんでいた父だったが、母によるとどうやら本気で音楽家になりたかったらしい。

そのノートにつづられた歌詞は、いわゆる"反体制"であり"Punk"を匂わすものが多くあり、最初呼んだ時にニヤッとしてしまった。


今でもたまにふと思う。
こんな若干ねじ曲がりまくった「思想」の話を父とお酒でも飲みながらしてみたかったなぁと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?