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ラオス・タイ イサーンを歩く旅 1


ラオス ルアンパバーン




コロナ禍でのはじめての旅


コロナ禍ってものが始まってから、
それまで1年に何回かあったおれのアジアの旅はぱったりとストップした。
世界中が非常事態で海外はおろか、不要不急の外出を控えないといけないなんていう状況になることがあるなんて当然思ってもみなかったことだし、
"外こもりタイプ"  のおれにはかなり辛かった。


2022年7月1日。
今までタイ政府がじりじりと緩めていた入国規制が、ばしっと廃止された。
それまでに入国に必要ビザみたいなものや、入国時の隔離や検査。
おまけに国内での屋外マスク着用や、施設に入る時の検温の義務と、一気に撤廃された。


いよいよ旅に出られるかもしれない。


コロナ禍直前にうっすらと計画していた旅のひとつが、ラオスとタイの東北部、イサーンの旅だ。

タイの国鉄には、首都バンコクからまっすぐにイサーン地方を突っ切ってラオスとの国境まで続く路線がある。

タイの地図
赤い丸がバンコク、塗りつぶされたエリアがイサーンというエリアでその大部分を囲んでいる北東の国がラオス


そして今、列車の旅をしたい理由。
それがバンコク、フアランポーン駅の廃止。

バンコクからタイの地方や隣国への列車の旅の拠点となる、フアランポーン駅(国鉄バンコク駅)が2021年中に廃止されて、新しくできたターミナル駅にその機能を移すという話があったんだけど、
住民たちの声やコロナ禍の影響で、すでに新ターミナル駅は機能しているにもかかわらず、ずるずると廃止が先延ばしになっているのだ。
タイの政府がやることなのでいつ急に廃止になるかわからない。

おれは今まで何回もタイに行っているけど、フアランポーン駅からの旅をしたことがなかった。

100年以上もの間、大都市バンコクの玄関口であるフアランポーン駅。
タイの地方や近隣国からいろんな思いを背負ってバンコクにやってきた人たちがまず降り立つ場所。

東京で生まれ育ったおれには日本のそれすらぼんやりと想像してみることしかできない。
一体どんな気持ちでどんな景色を見たんだろう。

彼らと同じようにしてこの駅を使って鉄道で旅をすれば少しはそんな気持ちに近づけるかもしれない。
そんな気分でこの旅を待ち侘びていた。


フアランポーン駅からタイをずーっと東北に抜けた先にあるのが、東南アジア最後のユートピアといわれる秘境国ラオス。

ラオスは東南アジアでもかなり手付かずで、貧しい国。
ディープな東南アジアの文化や景色が残っていて、秘境好きなバックパッカーに人気な国。

貧しさからタイに出稼ぎに出てきている人も多い。
村上春樹さんの  "ラオスにいったい何があるというんですか?" なんて紀行文集があったなあ。


そのラオスの手前にあるタイの東北部、イサーン地方はもともとラオスにルーツを持つラオ族の暮らすタイの中でもディープで独自の文化の残るエリア。

タイの中でもかなり貧しい地域で、
バンコクの肉体労働者や、売春置屋やゴーゴーバーで働く女の子たちの多くもイサーンの出身。
言葉の訛りや人種の違いで差別の対象になることも多いらしい。

そんなイサーン地方には、独特の文化がある。

バンコクの屋台でもわりとよく見る、ソムタムやガイヤーン、サイクロークイサーン(イサーンソーセージ)なんかはイサーン料理。
イサーンレストランなんかも多く、イサーン料理はすっかりバンコクの風景に溶け込んでいる。

数年前からタイのトラディショナルなダンスミュージックにハマってあれこれ聴きあさっている。

どのアーティストも共通する独特な声調でいかにも民族音楽って歌い方なんだけど、
ドラムやベースがバチバチなビートを刻んで、その上にタイの弦楽器が乗っかる。
ヒップホップにも通ずる歌い回しに、トランスっぽいビート。

その音楽は"モーラム"と言われるイサーンの伝統的なダンスミュージック。

田舎の農村なんかの出家式では、耕運機かなにかを改造して、ドラムセットやサウンドシステムを載せて、爆音で演奏しながら村をねり歩いて、それに合わせて老若男女がひたすらに踊る。
まさにアジアの秘境のレアグルーヴだ。


そんなディープな文化を育てた土壌を肌で確かめたい。
広大な田舎イサーンには一体どんな風が吹いているのか。




2022年7月に入った段階での出入国の規制。

ワクチンを打っていないおれはタイ入国時、ラオス入国時、タイ再入国時、全部で3回のATK検査と日本帰国時のPCR検査。
4回の検査があるので少しハラハラする感じだ。

それでもそれまでの規制に比べたらかなりイージーな気分なので、タイの入国規制緩和の正式決定のニュースを待って、切れていたパスポートを再発行して、受け取ったその日にチケットを買った。

最後の旅から2年半という時間が経っていた。

バンコク アソーク交差点


2年半ぶりのタイ入国

新宿の嘘みたいに簡素な検査施設で手に入れた抗限定検査の陰性証明を持って成田空港へ。

7月に入ったばかりでタイの入国情報が錯綜していて、本当に入国できるのか半信半疑だった。

成田でチェックインする段階で証明書を見せる。
係のお姉さんは、おれが陰性証明書を見せるやいなや、めんどくさそうにため息をついた。
なんだかよくわからないみたいで、確認しにどこかに行ってしまった。

この時期出国する日本人のほとんどがワクチン証明書を持っているんだろう。

それにもう一つ、今タイをノービザ滞在できる期間は30日。
おれの復路のチケットの日付は30日以上先だ。

「タイから一旦陸路でラオスに出国するんで大丈夫ですよね?」とおれが聞くと、
お姉さんは「リクロ? ラオス? ラオスってどこ、え?」と勝手にテンパっている。
明らかにめんどくさい奴扱い。

ただおれはこんなことはタイに入っちゃえばなんにも問題にならないという根拠のない自信があった。
飛行機が着いちゃえばもうそこはタイランド。
絶対どうにかならないことはないはず。

あちこちに確認をしたりして散々待たされた結果、
「乗せてあげてもいいけど、もしかしたらタイに入国するときに30日以内の航空券をその場で買わないと入国拒否されるかもしれません。それを了承してください。」
とのことだった。
「はーいわかりましたー」と空返事をしておいた。
日本側をクリアしちゃえばあとはこっちのもの。

スワンナプーム空港


やっぱりビザのことは全くツッコまれずにタイ入国。
初めてのスワンナプーム空港。

久しぶりの旅すぎて、今夜の宿を予約するのを忘れてた。もう夜も遅いのに。

街に向かう電車の中でいつもの拠点、スクンビットエリアの宿をスマートフォンで予約した。

2年半振りのスクンビット。
そうそうこの感じ。
少しずつ旅のフィーリングがじわじわとつま先まで行き渡る。

夜のスクンビット通り


駅前でバイタクが捕まえられなかったのでとぼとぼ歩いて、街に着いた頃にはすでに23時過ぎ。
この時間でもスクンビット通りにはたくさん屋台が並びあらゆる人種のたくさんの人が行き交っていた。

タイパンツを履いた欧米人。
路上のバーで飲んでる黒人女性。
アダルトグッズ屋台に興味津々なアラブ人。
援交バーの前の立ちんぼレディボーイ。
物乞いの親子。暇そうなトゥクトゥクのおっさん。
スクンビット通りのこの猥雑さは2年半前となにも変わってない。

このあたりがコロナ禍で空きテナントだらけのシャッター街になってる光景をネットで見ていたけど、全然元通りで安心した。

ひとまずいつもの拠点で数日、体を東南アジアに、旅モードに整える。

念願のピンクのカオマンガイ屋


コロナ禍のバンコク


バンコクの人たちは、日本か下手したらそれ以上の割合でマスクをしてる。

年中暑いタイでは日本の夏よりも屋外でのマスクも辛くないんだろうし、元々大気汚染なんかもあってタイ人はマスクが嫌いじゃない。

欧米人やアラブ人の観光客はほとんど誰もマスクなんてしてなかった。

屋台街やナイトマーケット、地元民向けのモールなんかはコロナ前となにも変わらないくらい密に賑わっていた。

マスクをしている以外はコロナ前と同じ光景だ。

プラトゥーナム

バンコクのローカル楽園マッサージ


バンコクで川を眺めながら激安タイマッサージが受けられるいい感じの寺院があるって情報を聞いて、
気になっていたので確かめに行ってみることに。


都心からスカイトレイン、BTSでサパーンタクシン駅まで行って、
駅前から乗り合いバスで5分、そこから路地を5分くらい歩く。
都心からのアクセスはよくない。ローカルなエリア。
静かな路地をチャオプラヤ川に向かって歩いていくと川沿いにワット・ウォラチャンヤワートという寺院が見えてきた。
その周りにはマッサージ屋が点在してる。

ワット・ウォラチャンヤワート
プミポン前国王が寄贈した涅槃仏


この寺院の住職が、寺院の敷地をマッサージ屋に安く貸し出したことをきっかけにマッサージ店が集まった。
それに寺院の中に無料でマッサージを学べる学校をつくり、ここで学んだ人が寺院の中のマッサージ屋で働くことで、職のない人たちに職を与えるということで成り立っているらしい。

とてもタイらしいヒストリー。
タイ人のお寺との親しみはこういうことから来ているのか。
タイ人はお年寄りだろうがギャルだろうが、日常的なノリでお寺に行き、熱心に手を合わせている。
そんな町のお寺で普通に見ることができる光景は、
大好きなタイの光景のひとつだ。

奥に見えるのがリバービューなマッサージ屋


寺院のすぐ横の2階のマッサージ屋へ。
階段を上っていくとたくさんマットレスが並んでいて地元の人たちが施術を受けている。
日本の町の鍼灸と同じ雰囲気。

ちょっとした更衣室で着替える。

すぐ目の前にチャオプラヤ川


最初おじさんが担当になってマッサージが始まった。
かなり力が強く痛みに耐えていると、なぜか途中でおばちゃんに交代した。
タイマッサージはおばちゃんが一番。

それでもやっぱり所々痛い。
それでもしばらくすると痛みは鈍くなっていく。
そうするとどんどん体の芯がとてもぽかぽかと熱くなってきて、それと一緒に外側は涼しくなって汗が引いていく。不思議な感覚。

英語が通じないおばちゃんとは、「どこからきたの?」「イープン(日本)です」くらいの会話。
あとは定期的に「サバーイ?(気持ちいい?)」と聞いてくるのに、「サバーイサバーイ」の返すだけ。
そんな雰囲気がまたサバーイだった。

川を通る船が水面を割く音、古いファンがカタカタと回る音。川から吹き込む緩やかな風。
バンコクにこんなに静かでスローな場所があったのか。

1時間たっぷり全身、文字通り頭の先からつま先までマッサージしてもらって体が整った感覚。

これで120バーツ(バーツ高の今でも450円くらい)。
おばちゃんには、100バーツのチップを渡した。

都心のマッサージ屋だと300とか400バーツくらいしたりする。

安い上にロケーションが素晴らしい。
おれの密かな楽園を見つけてしまった。

お寺から見えるチャオプラヤ川


寝台列車でラオスを目指す

フアランポーン(国鉄バンコク)駅


フアランポーン駅からラオスとの国境ノンカーイまでの列車のチケットは2日前に駅まで出向いて買った。

フアランポーンを20時発、翌朝の6時25分に終点ノンカーイ着。
10時間半で走り抜ける寝台列車。

上下2段の寝台は下段の方が少し高いけど、窓があるので断然快適だと思う。
2等エアコン付きのスリーパークラス。
下段でノンカーイまで998バーツ(3800円くらい)。


ちなみに陰性証明書は、
バンコクでおそらく最安値であろう300バーツ(1100円くらい)のATK検査場、
バンコクの都心からすこし外れた病院の駐車場の特設テントで検査した。
ウォークインで行ったけど、トータル20分で検査して陰性証明書を手に入れた。

駅構内の売店
待合スペース


バスステーションからの旅よりも圧倒的にわくわくする大きな鉄道駅。

始発駅なので列車はすでにプラットホームに停まっていて定刻通り発車。
列車が発車してすぐに乗務員が回ってきて座席をベッドにしてくれる。
ちゃんとシーツが敷かれて枕とブランケット、コンセントもついてる。
仕切りのカーテンもあってほぼ個室で快適。

思えば寝台列車といえばインドくらいでしか乗ったことがなかったから、そんなのを想像してたらめちゃくちゃ快適だった。

プラットホーム
寝台は身長180cmのおれで、横になってちょうどぎりぎりくらいの長さ

車内の明かりが夜通しついていたこと以外は快適だった。

列車はひたすらに雑木林の横なんかを走り、たまに田舎町の駅に停車する。

都会で生まれ育ったおれはやっぱりすでに居心地の良い都会、バンコクを懐かしんでいるんだけど、
馴染みのない田舎を列車で駆けるということは、馴染みがないからこそとてもディープな旅情を強く感じるし悪い気はしなかった。
ミッドナイトエクスプレスとはまさにこれのこと。

フアランポーン駅


ラオスとの国境の町 ノンカーイ

朝6時半のノンカーイ駅

バンコクから10時間半。
ほぼ定刻でノンカーイに着いた。朝6時半。
駅前にはコンビニの一つもなく、魚や丸鶏を焼いている屋台がぽつりぽつり並んでいる。

この駅からラオスとの国境を目指す人たちは次々にトゥクトゥクやソンテウ(乗り合いバンみたいなもの)に乗り込んでいく。

イミグレーションまで徒歩15分くらいの距離。
早朝で涼しいのでおれは歩いて目指すことにした。

タイ側のイミグレーション


静かな田舎の朝。
朝露のひんやりとした空気が心地よかった。
結局イミグレーションまで歩いてるのはおれ一人。



陸路での国境越えはとても簡単なもので、すぐにタイ出国。
それから国境のメコン川にかかるタイラオス友好橋をバスで渡ってラオスのイミグレーションへ。
簡単なイミグレーションカードを書いて陰性証明書とパスポートを見せたら即入国。



今日の予定では移動はまだこれから。
ここから一気にラオスの奥地ルアンパバーンまで目指そうと思っていた。
ルアンパバーンからひたすらに南下する今回の旅のスタートまで早く行ってしまいたかった。


この国境の町、ラオスの首都ヴィエンチャンからルアンパバーンまではバスだと10時間くらいかかるんだけど、
去年末、ついにラオス初の鉄道ができたのだ。

タイとの国境ヴィエンチャンからずっとラオスを北へ突っ切って中国雲南省との国境までいく、中国ラオス鉄道だ。
中国が一帯一路構想のために、ラオスに強引にお金を貸してつくったものだ。

ルアンパバーンまで10時間のところを鉄道で2時間半でいけるらしい。
せっかくだしこれは鉄道一択ってことで、このまま鉄道に乗り換えて今日中にルアンパバーンを目指すことにした。

国境で声をかけてきたタクシーに
「トレインステーションまで行きたい」
と伝えて乗り込んだ。
運転手のおじさんは生返事だったけど、この時まではすべてが順調だったからなにも気にしてなかった。

ラオスの洗礼

世界一なにもない首都ヴィエンチャンの中心エリア


しばらく走って着いたのはバスステーションだった。
「おれはトレインステーションって言ったんだけど」
と言っても運転手はぽかーんとしてる。
最初からそんな気はしていたけど、英語が全く通じてないのだ。

10時間半の鉄道旅の疲労と重い荷物。
とにかくさくっと鉄道に乗ってルアンパバーンを目指したかった。少しイライラしてしまう。

しばらくなんとか伝えようと試みるも、らちが明かない。
すると運転手は誰かに電話を繋ぎ、おれに電話を差し出した。
誰だかわからないそいつはラオ語に少しだけ英語を混ぜて話してるみたいだけど、なにを言ってるのかさっぱりわからない。

駅の場所は調べてあるのでGoogleマップで指を指して伝えるも、地図も読めないのかぽかーんとしている。勘弁してくれ。

そこに集まって来ていた人たちが勝手になにかを話し合っている。
それを見つめながらしばらくぼけーっと待っているとどうやら、このトゥクトゥクに乗り換えろ、ということになって言われるがままに乗り込んだ。
「トレインステーション?」と何回も念を入れて確認すると、おっさんは「Yes」と頷く。
さっきのおっさんとも同じ会話したんだけどね。


マップを見ていると今度はどうやら鉄道駅に向かっているみたい。
空港かってくらい町から離れた鉄道駅まで、荒地をボロくてスピードの出ないトゥクトゥクで目指す。
マップの情報だって本当かわからない。

こんななところに本当に駅なんかあるのか、疑いながら走っていくと舗装もされていない赤土の道の脇に、デカデカと電車の写真が載った嘘みたいに胡散臭い看板が見えてきた。きっと駅だ。

町から1時間近く走った荒野の中に無機質で真新しいどでかい駅が現れた。
広大な砂漠で干からびて死にそうな時に見るオアシスの幻覚みたいに嘘みたいな光景。

駅舎の真ん中にはラオ語と中国語。
おそらくヴィエンチャンって書いてあるんだろう。


駅に近づくとあり得ないくらいの大行列ができていた。
広いチケットカウンターから横5列はあるくらいぶっとい人の列がうねりながら駅の外まで溢れて出していた。

ここにおそらく何時間も並んでチケットを買えってことか。
それよりこの大行列に並んでもはたして今日のチケットは残ってるのか。
一体何時に電車があるのか。現金で払えるのか。アナウンスもなくて、なにもわからない。
駅員に助けを求めるも、やっぱり英語がまったく伝わらない。

なんの情報もなく数時間並んで、チケットが買えなかった時の精神的ショックを考えると鉄道での移動は諦めたほうがよさそうだ。

がくっと疲れがきて駅前でうなだれているとトゥクトゥクのドライバーが、「ルアンパバーンならバスで行け。バスターミナルに連れていってやる。」と声をかけてきた。

ルアンパバーンまで10時間かかるバスで行くんなら、今日はとりあえずヴィエンチャンで1泊するつもりだ。
バスターミナルよりもおれは、まだ決まっていない今夜の宿探しに安宿街に行きたかったが、それを伝えるのにまたかなりの労力を使う。

さっきのバスターミナルに戻れば、そこから安宿街に歩いて行けるだろうしちょうどいいと思って乗り込んだ。

また1時間弱のガタガタ道をトゥクトゥク移動。
ラオスの交通網の弱さ、難易度の高さを思い知った。
初めてのラオスのローカルな町並みを存分に味わった。

やっと着いた。
と思ったら見覚えのないバスターミナル。
どうやらここもかなり町からは遠いみたい。

運転手が強引にチケット売り場まで案内してくる。
今日のチケットを売りつけてこようとしてくるがとりあえずスケジュールだけ確かめて、町に戻ってくれとお願いした。
今日はとにかく早く荷物を下ろしたい。

ヴィエンチャンからルアンパバーン行きのバンのスケジュール


今度こそ町の中心へ。
数回のタクシー、トゥクトゥクの長距離移動でかなりの無駄金を使っていることに気がついたけど深くは考えないでおこう。
授業料。しかたない。


鉄道駅までのアクセスが車しかない上に(乗り合いバスもあるみたいだけど初見の外国人には絶対無理)、
チケットは秘境にある駅まで行って買わなきゃいけないシステム(町にチケットオフィスもあるみたいだけどそんなアナウンスは一切ないから初見の外国人には絶対無理)なのでラオスで鉄道を使うのはリスクが大きすぎた。

開通したばっかりでまだネットに日本語での情報もなかったので、これからちょっとずつ使いやすくなるかも。


急遽ヴィエンチャンで一泊


ヴィエンチャンのメインストリートはタイとの国境を流れるメコン川の近くだった。
こじんまりとしていて人も少なく静か。

静かな安宿街を歩いて、比較的便利そうなエリアにあった宿に飛び込んでみる。
かなり久しぶりに自分の足での宿探し。
初心にかえる。

何件か回ろうかと思ってたけど、
値段も手頃で部屋は特別良くはないけどシャワーのお湯が出たから(めちゃ大事)1件目で決めた。
とにかく疲れたし1泊だけなのでかなりどうでもよくなってた。

もう一つの大きな理由は、宿のお姉さんが英語ができてとても好意的に受け入れてくれたことだ。
ラオスに入って初めて英語が話せる人に出会った安心感。
それに彼女はとても好意的に歓迎してくれた。(看板出して商売してるんだから本来は当たり前なんだけど)
彼女の笑顔に1泊12ドル。まあいいよね。


昼間は閑散としたヴィエンチャン。
夜になるとメコン川沿いにナイトマーケットが出現してたくさんの人が集まってくる。

フランス植民地を経ているラオスは、カンボジアやベトナムと同じように古い町並みからどこかフランスを感じられ、
パスタやハンバーガーが食べられる店が多かった。

ラオス料理としてバケットが食べられる。
ベトナムでいうバインミーみたいなやつだ。

アジアの暑い国では夜になると、それまでどこにいたんだってくらいたくさんの人が外に出てくる


泊まってる宿のすぐ隣の宿の前にバスチケットの看板が出てるのが見えたので、そこで明日のルアンパバーン行きのバンのチケットを買った。
320000キープ(2800円くらい)。
宿の前でピックアップしてくれるのはラッキーだけど、思ったよりずっと高め。
通貨の桁が多くて脳がバグるのは東南アジアあるある。

東南アジア全体的にそうなんだけど、バンだと泊まっている宿までピックアップに来てくれることが多いので楽。

これで旅のスタート地点ルアンパバーンを目指す。
そこからラオス、タイまでずっと南下していくプラン。
旅はまだ始まってない。これからだ。

ラオスの夜は早い。
中心地でも21時を過ぎるとどんどん店が閉まっていき町が真っ暗になる。


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