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ラオス・タイ イサーンを歩く旅 2


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ルアンパバーンを目指す


ヴィエンチャン。朝10時。
お世辞にもターミナルとは言えない小さなバス停からバンに乗り込む。
乗客はおれの他に、数人の現地人。
それと中華系の60代くらいのおじさんの3人組、それに同伴のタイ人の女の子3人。

おそらくタイの飲み屋の女の子を連れてラオスまで合コン旅行にきてるんだろう。

バスは蒸し暑くぎゅうぎゅう。とても快適とはいえない。

途中の集落で何人かピックアップしていく


ヴィエンチャンからルアンパバーンまでは距離にしてだいたい300km前後。
道路は舗装されていたりされてなかったり。
土のでこぼこ道は、くねくねと穴を避けながら歩くくらいの速さで走るので、距離以上に時間がかかる。
おまけにめちゃくちゃに車が跳ねる。

隣に座った中華系のおっさんはちょこちょこ話かけてくれる。
どうやらシンガポール人らしく、
仕事をリタイアしたから仲のいい友達同士で旅行をしてるらしい。

「女の子連れて?いいなーうらやましいー」
とか返すと3人してゲラゲラ笑ってた。
楽しそうでなにより。


しばらく走ったころウトウトしていると、隣のおっさんがスマートフォンを片手におれの肩をたたいてくる。

「シンゾーアベが撃たれたらしいぞ!知ってるか!」と教えてくれた。
最初なんのことかわからなかったけど、まさかこんなタイミングでこんなニュースを外国人から教わることになるとは。

途中の店で休憩
おっさんたちはビールを飲んで盛り上がっていた


ルアンパバーンに近づくと峠道になって、ガタガタと振動で、
ぼーっとしてると体が浮いて天井に頭を打ったりするのでおちおち寝てもいられない。

かと思えば落石注意の看板が出てくるたびにそーっと静かに走る。


東南アジア最後の桃源郷  ルアンパバーン

プーシーの丘からの景色

ヴィエンチャンを出てから10時間弱。
やっとルアンパバーンに着いた。

町から遠く離れたバスターミナルからは、
おっさんたちと一緒のソンテウに相乗りさせてもらう。

おっさんたちの泊まるホテルがおれがさっき予約した宿の近くだったので、おれもおっさんたちのホテルの前で降りることに。

30分以上走ってようやく市街地に。
市街地に入ると運転手は道を間違えまくり、
その度に荷台からみんなで窓ガラスを叩いて「ストーップ!!ストーップ!!」と叫ぶのが面白かった。
ひとりの女の子はバンに乗ってる時からずっと車酔いでまだうなだれている。
もう数時間は顔を見ていない。

結局ひとりのおっさんが助手席に移動してスマートフォンのナビをみながら誘導。
何度も回り道しながらやっと到着。

ルアンパバーンは洒落た古都

ルアンパバーンは長閑なリゾート。
東南アジア風情たっぷりの寺院と、
フランス植民地時代の匂いのする洒落た長屋が並んでいて、町のすぐ横にはメコン川が流れている。

宿のバルコニー
隣の宿のスタッフの鼻歌くらいしか聞こえない


寺院の横の洒落た路地を入った静かな宿は、
共同バルコニーの緩やかな風が気持ちよく、ラオコーヒーが飲み放題という居心地のいい場所だった。

宿のお姉さんは無愛想ではあるけど親切な人で、毎朝レセプションを通りがかる度に軽い挨拶とともに、テーブルの上のバナナを房からちぎって1本くれた。

毎日夕方になると町のメインストリートにはマーケットが出る。
土産物から洋服がメイン。
フードコートのような広場では食事やお酒を楽しめる屋台。
小さな路地には小さな肉屋や八百屋、惣菜屋が出る。

昼間は町や寺院を散歩して、喉が渇けばカフェでフルーツスムージーを飲む。
それからフットマッサージを受けたり、夕方は丘の上からメコン川を眺めて過ごす。
夜になるとナイトマーケットでご飯を食べたのち、洒落たビストロにビールを飲みに行く、みたいな素晴らしい沈没生活を過ごした。

アクティビティ的な観光地もあるけど、これがルアンパバーンのひとつ醍醐味的過ごし方だと思う。

ルアンパバーンは洒落たカフェやバーが多い


今日はメコン川沿いのレストランでリバービューな晩酌をしようか。
何件かメニューを見ながら川沿いを歩いていると、おじさんに日本語で話しかけられた。

日本から来たそのおじさんは、こんな時期に同じ日本人に会えたことにとても驚いていて一緒にご飯を食べようということになった。

「まさかこのご時世こんな所で日本人に会えるなんて」

そう言われてみると、たしかにバンコクを出てからは日本人なんて見たことないな。
長年タイフリークのおじさんは意外にもラオスは初めてらしく、地球の歩き方を開き、迷わずいくつか料理を注文した。

ラオスの煮物、ルアンパバーン名物の川苔、カオニャオ(もち米)。
それにおれはヴィエンチャンの屋台で味をしめたラオスの発酵ソーセージ、ネームを注文して2人で突いた。

ソーセージや川苔は最高のビールのつまみになった。
自分では頼むことはないだろう煮物もなんともいえないけど、ラオス料理らしくがっつりハーブの秘境味の食べ物だった。

旅慣れてきたつもりになってしばらく買ってないけど、やっぱり地球の歩き方は情報源として強い。

メコン川を渡す船


ルアンパバーンの托鉢

町にたくさんの寺院があるルアンパバーンでは僧侶の托鉢が有名。

托鉢は、早朝に僧侶が町を鉢を持って歩いて周り、地元の住人たちが僧侶に食べ物を喜捨する仏教の修行のひとつ。
タイやラオスではどこでも行われていると思う。

朝にめっぽう弱いおれだけど、これを体験しない手はないと、なんとか朝5時に起きた。

表に出た途端、喜捨するためのカオニャオ(もち米)やお菓子を売るおばさんたちが待ち構えていた。
そのおばさんに言われるがままに通りに出ると、道端に敷物が敷かれプラスチックの椅子が置かれている。

木でできたカゴに入っているのがカオニャオ
ザルに乗っているのはチョコレートなどのお菓子


すこしずつ明るくなってきた頃、朝靄の向こうから僧侶の列が静かに歩いてきた。

僧侶の列を野良犬が先導してきた

托鉢は言葉もなく淡々と静かに行われる。
実際にやってみると結構なスピードで次々とくるのでもはや流れ作業。
素早くもち米を指でちぎって鉢に入れていくのが思ったよりも難しかった。


手持ち分が無くなると、おばさんがもっと買えと言い寄ってくるが断って、今度は托鉢を見る側になろうと早朝の町を歩いてみる。

町の至る所を僧侶の列が通り、いろんなところで喜捨している人たちがいる。

喜捨の列の最後尾には、貧しい子供たちがビニールを置いて地面に座っている。
僧侶たちは住民から喜捨された食べ物を今度は逆に子供たちに施していく。

住民たちはタンブン(徳を積む)させてもらって、僧侶は食べ物を手に入れる。
貧しい人たちにも食べ物が回る。

この上座部仏教の国では毎日行われる当たり前であろう光景に、理屈じゃなくぐっと心を掴まれる。
地球にはこんな美しい光景があるのか。

これがおれが東南アジアに惹かれているわけなんだ。
自然がつくり出す絶景や遺跡よりも、人がつくり出す風景。
人がなにかを真に信じる姿の美しさに敵うものを知らない。

僧侶は寺院に帰っていき
ルアンパバーンの朝はここから始まる。


最新の電車でバンビエンへ


ヴィエンチャンでの一件でラオスの鉄道には懲りていた。
ただ、ルアンパバーンの町に鉄道のチケットオフィスがあるという情報を掴んだので半信半疑で行ってみる。
ヴィエンチャンのリベンジ。

ちゃんとあった。しかもちゃんとやっている。
バンビエンまでのチケットが欲しいと伝えると、ここではキャッシュで払えないしクレジットカードも使えないという。

じゃあどうすればいいの?と聞くと、
受付のお姉さんはQRコードを差し出した。
どうやらこれを写メして銀行か両替屋に行って払えとのこと。

いまいちよくわからないけど、言われるがままに写メを撮りしばらく歩いて両替屋に行く。

撮った写メを見せると向こうでそれを読み込んで、提示された金額を払う。
そしてまた違うQRコードを見せられたので、またそれを写メしてチケットオフィスに戻って画面を見せるとチケットを印刷してくれた。

なんだこの手間なシステム。
現地人ならインターネットなんかでのやり方もあるんだろうけど、なんかさすが中国がつくった鉄道ってシステムだ。

とにかく無事チケットが手に入った。
ルアンパバーンからヴィエンチャンまで、手数料込みで139000キープ(1200円)くらい。
町のチケットオフィスでは手数料がかかるらしかった。

貸切ソンテウ

4日間滞在したルアンパバーンからバンビエンを目指す。
いよいよここからひたすらに南下する本当の旅が始まる。

例によって鉄道駅は空港よりも遠い。
この町で唯一の移動手段、ソンテウに乗って目指す。
鉄道駅まで150000(1300円)。電車のチケットより高いじゃんか。
バスも鉄道もアクセスが悪く、旅行者が一人で乗れるような手軽な乗り物がないラオスでは交通費がかさむ。

上がラオ語、下が中国語でルアンパバーンと書いてある


例によって明かりのひとつもない山の中に、真新しい鉄道駅が現れた。
駅のつくりはとても中国らしいデザイン。
妙に明るくてがらんとしている。
売店や広告なんかは一切なく、殺風景でどこか不気味。

厳しめの荷物チェック。
バスで一緒だったシンガポールのおっさんと町で再会した時にもらったメコンウイスキーの小瓶を怪しまれバッグの中身を細かくチェックされた。

空港みたいでただっ広い待合所。
アナウンスが流れると一斉に全員がチェックインするために入り口に押し寄せる。
列になるわけでもなくごった返し、みんな我先にと列車に乗り込む。

駅のホームもとにかく広い。
今でもすごい人だけど、中国が出入国の規制を完全に解いたらさらに比べ物にならないくらい混雑するだろう。

電車は満席だけど、席も広めでかなり快適。
バンで数時間かけてボコボコの峠を越えた道のりを高速鉄道で45分くらいで繋いでしまう。

国の事情としてはいろいろだろうけど、住んでいる人たちは行き来が便利になって喜んでいるかもしれない。


あっという間にバンビエンの駅に着いた。
一歩空港の外に出るともう夜で周りは真っ暗闇。
やっぱり町は遠く離れてる。
駅前でぎゅうぎゅう詰めの乗り合いソンテウで町を目指す。

運転手に宿泊するホテルを伝えるもやっぱり伝わらず、町までは一人30000キープ(270円)ということだけ確認して、とにかく町に出られるならいいと乗り込んだ。

たまたま乗り合わせたほとんどがタイ人の観光客らしかった。
町に入り次々に目的地のホテルを周り、人数が少なくなってきた頃、
さっきおれが運転手とやりとりが上手くいかなかったのを見ていた一人のタイ人の女の子が
「あなたのホテルはどこ?」
と声をかけてくれたのを皮切りに、乗客みんなでおれのスマートフォンを見て場所を確認して運転手にしっかりと伝えてくれた。
ラオ人はタイ語がなんとなくわかるみたい。
この時ほど、タイ人に安心感を感じたことはない。

「最後になると思うけど、運転手に伝えたからこのまま乗っていれば大丈夫だよ」
タイ人のカップルはそういって大きなホテルの前で降りていった。
なんて男前なんだ。
タイ人の優しさが身に染みた。


欧米人の楽園 バンビエン

バンビエンはとにかく変哲のない田舎の村という感じだ。
チュービングをはじめ、川でのアクティビティの拠点の町らしく、ポツポツと欧米人向けのバーやクラブがある以外になにもない町だ。
欧米人向けの町らしく、"ハッピー(ガンジャの隠語)ピザ" とデカデカの書かれた看板があちこちの店に出ていた。

ヒッピーじゃないし、アクティビティって気分じゃなかったおれには宿の隣にオープンエアで雰囲気のいい食堂があることと、
その近くに夜遅くまで開いてる、バケットサンドとロティ(丸めないクレープみたいなもの)の屋台が出ていること以外にあまり魅力は感じなかった。

毎日食べたロティ屋台
町のメインストリート


ヌテラとバナナのロティを毎日食べて、
夜は宿の横の食堂で夜風に当たりながらビールを飲む。
特にやることはないのがラオスの過ごし方。
なにもしないことの楽しみ方もわかってきた気がする。

バンビエンはさくっと2泊3日で切り上げてヴィエンチャンに戻る。
ヴィエンチャンへは宿の向かいのツアーオフィスでチケットを買った。
チケットは150000キープ(1300円)。

もともとは4時間かかっていたところを、最近ニューロードができたので1時間半でヴィエンチャンに着くというのでバンで向かうことに決めた。
時間は半信半疑だけど、それならまた駅までの移動がある電車よりも、宿の目の前のツアーオフィスの前から出るバン一択。

当日、ツアーオフィスに行くとバンはもう来ていておれが乗るとすぐ発車した。
乗客はおれ一人。東南アジアのバンって人がぱんぱんになるまで発車しないものだと思ってたんだけど。

途中の集落で何人か乗ってきたけどそれでもガラガラ。
思いがけず快適なバンの旅。
結局スムーズに走って、2時間半でヴィエンチャンのバスターミナルについた。このくらいの移動はあっという間。
バス会社のおばさんが言っていた1時間半はさすがに盛ってたと思うけど、ラオスの時間感覚的には嘘にはならない誤差。

バンビエンの宿の隣の食堂


バスターミナルからソンテウで中心まで。
最初の運転手の言い値150000キープ(1300円)はちょっとごねたら100000、そして切り札の「じゃあいいや、やめとく。」を繰り出すと70000キープ(600円)まで下がった。

この手の言い値には最後に "帰るフリ作戦"
をするとけっこうな確率で適正なラストプライスまで落ちる。


中心地を目指す。
町が近づいてくると建物の密度、交通量も増えて、またにしばらく目にすることがなかった信号機が現れる。
かなり田舎に慣れているおれには、この"世界一なにもない首都"が大層な都会に感じた。

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