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旅文通12 - ブダペストのクリスマス・マーケットは夜行列車のあとに -

そろそろニューヨークへお戻りですね、やすこさん。今回も空港を出てタクシーの窓の先に、近づいてくるマンハッタンの遠景を眺めましたか。いつもsomething=何か胸に感じさせるものがある姿ですが、この季節となると騒がしさがタクシーからも聞こえたのではないでしょうか。だってね、12月はね、ニューヨーク市の人口846万人に加えて650万人ともいわれるツーリストが、小さな島の上でかなり元気にはしゃいでいるわけです。
 
そうして騒いでいる私たちですが、日本や諸外国と同様に、ここでも連日事件が起こり続け、問題は増え続けていることにかわりはありません。個人的にもやはり新しい戦争は衝撃でした。海を隔てているとはいえ、緊急ニュースの日からほどなく、家のそばに被害者のひとりひとりの顔写真を載せた人質救済のビラが貼られているのを見ては立ちどまり、イスラエル人の親友に送る文面を、チャットアプリを開いたまま悩みました。
真新しい戦火が複雑に絡み合いながら地球の方々へ伸びていく実感に、やすこさんが書いてくれた通り、レバノンはどんどん遠のいていますね。旅というものから、くったくなさがどんどん消えてゆく気がします。
 巷にニュースがこんなにも山盛りになったのは最近ですか。それとも私が知らなかっただけで元来ニュースはこれほどまでにてんこ盛りだったのでしょうか。そんな疑問を持ちながら、私は最近、生まれて初めて新聞の定期購読を始めました。デジタルの紙面を見にゆかない日でも、毎朝、午後、夜、驚くべき量の速報が、読むべき記事、読まざるべき記事、なんだかわからないものが重要だといわんばかりに届きます。
 
でもね、ところが。それでいて、暮らしはある意味では驚くほど変わりがありません。拍子抜けするほど平和にゴージャスに、ただいまホリデー・シーズンが宴たけなわです。フィフス・アヴェニューなどでは三社祭かと思うほど、ツーリストと市民がぎっしりと隙間もないほど混じり合い、えっさえっさ動いていて、まるで安心がすみずみまでゆきわたった世界です。
なんだか年末のボヤキのようになってきましたが、色々ありながらも、目前のこのかけがえのない季節を楽しまなきゃ、とも思うわけです。また電飾が突然消えることを私たちは少しずつ学んでいますから、なおさら。

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キラキラ。ホリデー・シーズンの煌めき。
子どもの頃はサンタクロースを信じていたので、多くの子らがそうするようにクリスマスが近づくと欲しいものをひとつ、遥か彼方からやって来るお爺さんに願っていた。すると25日の朝には枕元に包みが置いてあった。喜びながらも毎年ひっかかったのは、お爺さんのプレゼントはいつも決まって白地にワイン色の柄の、馴染みのある三越百貨店の包装だった。そのデパートの店員さんは行くたびごとに手際よく見事に物を包む姿を見せてくれるから、私はいつも彼女らに憧れてじっと包装作業を見ていた。そんな場所におそらくは日本人ではなさそうな白髭で大柄なサンタ氏が来て、買い物をしているのだろうか。そんなことをしたら、みんなに見つかってしまうのではないだろうか、と訝しんでいた。今思えば、家でめったに姿を見ない父が、母から品目を伝え聞き、職場のすぐそばにある百貨店で手短に買っていたのだろう。ともかく三越の謎は9歳のある日で終わった。というのも休み時間の教室で、サンタクロースのことをクラスメートが「あれ、親やで」と暴露したひと言によって、それが事実かどうかわからないものの、なんとなく興味が失われ、それ以降、見知らぬ白髭爺さんへ願いごとをすることはなくなった。 

そのまま、大人になってもクリスマスという習慣はまるでこの世にないかのように無関係に過ぎていったのだが、ある年、それは旅に変わった。 

それはこんな始まりだった。 

その夜行列車はヴェネツィアのサンタ・ルチア駅で乗客を待っていた。11月の終わりで駅舎全体は寒い。ホーム番号をもう一度確かめたあと、停まっている列車をひと目みて私はひるんだ。薄いグレーと青の塗装はあちこち剥がれ、ところどころ錆びが目立ち、白い窓枠のぐるりは汚れで変色し、車体全体に水がしたたったような薄茶色の柄がおどろおどろしくついている。つまりぼろぼろの風体だったのだ。あとから聞けば、旧ソ連が統治していた地域ではお馴染みの車両だったらしいが、そのときはこれで夜を通して長距離を走れるのかと疑いたくなる、実にお疲れ様な姿だった。
ところが車内へ乗り込むと古めかしいながらも潔癖なようすで、座席に貼られたベルベットの布も奥ゆかしい。清潔さにひと息ついた。窓の外がゆっくり動き出す。夜を通して身体に伝わるゴトンガタンという音と振動が珍しく頼もしかった。明朝は私にとって初めての国であるハンガリーだった。 
当初の目的地はハンガリー西部の世界最大だという温泉湖だったのだが、天気予報を調べると雨。そもそもこの旅はちっとも下調べをしておらず、情報がないだけにこだわりもなかったので、温泉につかりながら雨に打たれるぐらいなら、終点のブダペストまで行こうと、車掌に予定変更をお願いした。早朝、ブダペスト中央駅へ降り立つと、昨日のイタリアよりずっと気温が下がっていた。駅舎のどちらへ向かって良いのかもわからず、プラットホームの端で見送ってくれた車掌が、やけに唯一知っている人に見えたのだった。

宿に荷を下ろし、ドナウ川の辺りを目指して地下鉄に乗ると、ほとんどの乗客が黒い上着を着ているのに気づいた。街の中心で下車し、地上への階段を上がっているときも、人々はまるで決まりごとであるかのように黒っぽい格好だった。
 
曇天の下を歩き出すとすぐに、やけに盛り上がっている広場に出くわした。それが何なのかわからないが、ともかく露店がひしめき、音楽が鳴り、大勢の大人や子どもが集まり、食べ物の匂いがたちこめ、片手に湯気の立つマグを持って立ち話、笑う人々。あちこちに赤や白や緑や銀の飾りや電飾が取り囲んでいる。老人もいれば赤ちゃんや幼児、もちろん大人。みなとてもとても楽しそう。何だこれはと、にぎやかさの中をしばらくキョロキョロと見回すうち、ようやくそれが何なのかに気づいたのだった。
そこは何の前知識もなかった私の目前に、突然現れたクリスマス・マーケットだった。アドヴェント(=待降節)というイエス・キリストの降誕を待ち望む風俗であり特別な時間だった。中央には着飾ったツリーがそびえていた。
となると私もその街の名と西暦がプリントされたマグに、温めた赤ワインを注いでもらった。クリスマス・マーケット初体験のその甘くスパイシーな1杯をすすり、にまぁーっと笑ったのだった。
 
それからクリスマスは旅する杖になった。
冬がはじまり、アドヴェントの4週間にこの杖さえ持てば、各民族、各街々によって異なるこの期間だけの旅路をゆくことができる。中央ヨーロッパからスカンジナビア半島を中心に、大小様々な街や町で、その土地独特の気候風土や民族性などをベースにした市民的な悦びが待っているらしい。
毎度感心するのは、どうしてこんなにみんな楽しそうにしているんだろうということ。ツリーや電飾のもと、郷土色豊かなお菓子や軽食、繊細な木工に伝統的な絵柄をほどこしたオモチャ、手作業が知れる箒やハケの店、人々が片手に持つホットワインからは湯気が昇り、周囲からは陽気な声ばかりが聞えてくる。ふと足元を見ると、木製のソリに寝かされた赤ちゃんが真っ直ぐこちらを見上げて笑っていることさえあった。

ある年、ドイツ南部のディンケルスビュールという村で、小さなクリスマスマーケットに行き着いた。猫の額ほどの空き地で、灯りの数もそこそこで露店も少ないが、それでも高揚した雰囲気があった。
すぐに一周してしまい、なにするでもなく立っている私のそばで、地元民らしき女性ふたりが微笑みながら話していた。タルト・フランベらしき、薄いパン生地の上に具材がのったピザのような食べ物を売る屋台の前だった。ふたりの女性はおのおのたった今買ったばかりらしいひと切れが湯気を立てる紙皿を持っていた。片方の女性がひと口めを頬張ろうとしていたとき、あやまってそのひと切れをまるごと地面に落としてしまった。私は見た。具が乗った方が下だった。地面はアスファルトではなく平凡な土だ。しかし、彼女はすごい速さでそれを拾いあげると、さっと半回転させて皿に戻し、その次に勢いよく口に運んだ。ひと口、ふた口、となにごともなかったかのように食べ、友人と話を続けた。
土だらけのピザなどなんてことはない。それほどクリスマス、ホリデーシーズンは魔法のひとときなのだ。

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