見出し画像

神秘的な人間の能力

はじめに

人は動物としてみてみると、非常に非力な存在であることがわかります。熊やライオンのような鋭い牙や爪は持っていませんし、チーターやガゼルのような強靭な脚力を持っているわけでもなければ、腕力も足りないし翼もありません。

もし人間が自然界にただ1人装備もなしに放り込まれれば、生きていくのはとても困難でしょう。しかし、我々は不思議なことに今日まで生き延びでいます。それどころか、今や食物連鎖の頂点に位置する存在でしょう。

もしも人が鋭い爪を持ち強靭な腕力や脚力を持った場合、おそらく自然界でここまで生き残ることはなく絶滅していたかもしれません。人間は地球の中でも特異な能力を持って今を生きているのです。

今回は、その人間の能力について書いていきたいと思います。

反証は全くないので科学的知見ではないですが、こんな考え方もあるんだなと思っていただければ幸いです。

言葉

個人心理学では、人間は1人で生きることができない生き物であること定義しています。上記に書いたように他の動物と比べても、あまり能力値自体は高くないのです。

それでも地球に生まれ落ちたのであれば生きなければなりません。生き延びなければなりません。

弱い動物は生存するために爪が発達したり脚力が強靭になることで困難に直面してきました。その中でも人間は意識を発達させ、言葉を開発したのです。

言葉は1人で生きるのであれば全く不要の能力です。人間がもし1人で生きることを選択したのであれば足、が速くなったり耳が良くなったりして外敵から逃れようとしたでしょう。

しかし人間は1人ではなく、集団の中で生きることを選択しました。しかも、集団で力を合わせて敵から逃げるのではなく、知恵を絞って敵を倒すことを選んだのです。

言葉は最初からあったわけではなく、初期は絵でした。絶滅の可能性という絶え間無い刺激が脳に与えられ、脳は肥大し言葉を使うようになりました。やがて人間たちは技術の発展のために、完璧な意思疎通ができるようになったのです。

さて、言葉は人間が持つ能力の一つですが、なぜこれが特別なのでしょうか。

我々は物あるいは他者に評価をつけることができます。あの人は優しい人だとかあのラーメンは美味しかった、あそこの美術展は素晴らしいなどなど…。

「あの人は優しい」という言葉を聞いた時、我々はどのようなイメージを持つでしょうか。些細な違いはあれど、だいたいは自分にとって優しい人物像がイメージされるはずです。

イメージを言葉という音に変換して人間に伝えると、伝えられた人間は頭の中で言葉と言う音を変換してイメージを作り出せる。これが言葉の神秘的な点です。

言葉がなければ人に優しいと評価できずラーメンを美味しいと言えず、モナリザは歴史に残る偉大な作品であると周りに宣伝できません。

言葉は社会を構築する上でもはや不可欠な存在であることを思い知るでしょう。文明が崩壊し、原始時代のような不便な生活になったとしても言葉の素晴らしさは変わりません。人間に価値を与え勇気を与えるのは、いつも言葉なのですから。

想像

想像も人間の持つ特異な能力の一つです。これは犬や猫にもみられる物ですが、無意識にではなく意識的にできることがすごいのです。

「ペンを一本筆箱に入れてください。」
という文章を見たらあなたは何をイメージしましたか?多くの人が、ペンが一本筆箱に入るイメージを起こしたでしょう。

言葉や文字を見て出来事や物事をイメージできるのは、今のところ人間だけでしょう。夢という形でなら犬や猫にも見られることですが、無意識に現れる物ですから想像とは異なります。

また、想像はイメージを出すのみだけではなく、その時の五感や喜怒哀楽も再現して知覚します。ペンを一本動かす想像をした時、音がなった人がいるはずです。ペンを取る時の音、筆箱に入れた時の音。もしかしたらペンに触った時の触感まで再現するひともいるかもしれませんね。

想像の面白いところは、完璧に同じイメージを持った人間はほとんどいないというところにあります。

先ほどの例で考えますが、「ペンを一本」と聞いて何をイメージしたでしょうか?ボールペンなのか、万年筆なのか、プラスチック性なのかスレンレスなのか、重いのか軽いのか…。

また、筆箱の形も違うでしょう。小学生の頃のプリントされた筆箱だったり今風の三角形のポーチ型だったりただの布袋ということもあります。

イメージを知覚することは人間であれば誰しもができることです。しかし、何をイメージしているのかは聞いてみなくてはわかりません。そこで人間は言葉を交わし、お互いの価値を分かち合い認め合い、関係を豊かなものにしていくのです。

空想と妄想

想像も素晴らしい能力ですが、もっとすごい能力があります。それは空想です。

空想とは、現実とは関係のないことをあれこれと考えることですが、これは人間以外にはできないでしょう。

例えば神話時代の英雄譚や死後の世界などは、現実ではまず起こりませんし、存在もしません。しかし、落雷や天災などの自然現象や死ぬという事実、あるいは子供を寝かしつけるために様々なことを考え、巡らします。

そこには人が介在しない次元の違う(次元というのも空想の産物でしょう)出来事が存在するかもしれない、このような出来事があれば面白いだろう、こんなことは起こり得ないつまり人間以外の知覚できない存在がいるに違いない、と。

そうしてできるのが英雄譚であり現実以外の世界であり宗教です。こうしたものを作り出すことも人間は得意としています。

多くの美術作品も空想を絵に起こしたものであり、様々な表現方法を持って描かれています。同じものは世に二つとなく、一つ一つがユニークで価値があるものです。特に価値があると周りが評価した作品は、後に偉大な作品として讃えられています。

現実にないことを考えるという意味では、妄想もそれと同じですがこちらはスピリチュアルな要素を含んでいます。

妄想とは、現実ではないことをまるで現実であるかのように知覚することをいいます。

アドラーが観察した患者の中にも妄想に取り憑かれた、あるいは妄想に依存した人が多く見られます。

極めて大きなストレスの只中にある人や酒に薬に依存した時に起こる幻覚も妄想の一種です。人として育てられたはずなのに家庭環境が酷く犬のように振る舞っている子供も妄想に依存していると言えます。

私は妄想のことを自己防衛反応だと思っています。現実を直視することや今自身の目の前にある課題や困難と向き合う勇気がなく、回避しようとして妄想を生み出します。そうすることで生きる気力を生み出そうとしているのです。

妄想をするという方は何かしら大きなストレスの中にいます。環境を変えてみる事や信頼できる誰かに相談することが、ストレスの緩和の一歩につながります。

間違ってはならない事は、妄想はその人にとって必要なものだという事です。困難と直面する勇気が挫かれ、尚も立ちはだかる壁を回避しようともがいている状態です。

我々ができることとしたら、彼ら彼女らがすでに妄想は必要ないのだと考えられるように、勇気づけをするのみだということです。

1人では超えられない壁も2人なら手を取り合い壁を越えることができるでしょう。壁を乗り越えるのは彼ら彼女らです。我々は壁を乗り越えるお手伝いをするだけですので、介入をしないように気をつけましょう。

さいごに

言葉や想像、空想や妄想といった行動は人間にしか見られない特別な能力です。

人間は鋭い爪や牙もなければ、足も早くないし図体もでかいので捕食者から見つかりやすく、傷つきやすい肌を持ち感染症に弱く、耐久力もありません。しかし、全ての弱点を補える知恵を武器に生きています。

人間に生まれてきた事は、それだけで無限の可能性があるのです。人間という種族の素晴らしさを噛み締め、今日という日を真剣に考え生きてみてはいかがでしょうか。

では、また次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?